フリル重ねの人魚姫

せい

フリル重ねの人魚姫

 それは、我々にとって……いいえ、私にとって月の裏を知った時のような衝撃でした。


 ある日、いつもと同じように何気なく眺めていた画面。そこから不意に、私の目に飛び込んで来るものがありました。仲間が集めた資料映像のひとつです。

 「衣服」と書かれたテロップが見えました。

 我々には衣服は必要の無いものです。身体の表面を覆うものが、ここに住むための機能を備えた全てであったからです。表面よりも我々は、他の星を知る技術に力を注いでいました。だからこそこうやって寝転びながら、他の星の情報を入れられる。

 画面の中。

 体の下半分を覆う、幾重にも重ねられた薄い布の上に、鮮やかな色の布を合わせたものが写りました。そして次に胴体部分にペタペタと付けられたように見える、ゆらゆらと左右に揺れるあれは……リボンと言うようです。それから、明らかに稼働するのに不向きな、肩から手首にかけて広がった袖。

 機能性とは対象にあるそれを、人間が背骨を真っ直ぐ伸ばし着るその姿に、私は目が釘付けになりました。その時ほど、「私」という個人を認識したことはありません。この誰もが均一の能力を持った楽園でそれは私の、私だけの「好き」という感情でした。それに、こんなことは私たちが住む月の裏側、その先に見つかった「地球」という星が見つかった時と同じくらいの衝撃。あの摩訶不思議な形状は私とっての新しい世界そのもの。私はその引力に、ただ呆然と画面を見つめることしか出来ませんでした。


 それからというもの、私はその「ロリータファッション」と人間に名付けられた衣服についての知識を得て、自分なりに、自分の体に、合うものを作り始めました。

 

 胴体には淡く七色に光る、フリルとレースとリボンだらけのスカートを。(ジャンパースカートはもちろん素敵だったのですが、我々には肩と呼べるものがないのです)前は少し開いていて、その下には宇宙生物の糸で出来た真っ白な布を重ね合わせる。

下にはもちろん、そのスカートを膨らますためのパニエ。重力を考えるとあまり必要ないのですが、気分的にはやはりあった方がいい。角の部分をくり抜いた、宇宙色のヘッドドレス。最後に、触手の何本かにはボリュームのあるリボンを飾り付けました。

 

 再現できない部分はどうしてもありましたが、これを始めて着た時の感覚と言ったら!

 広大な宇宙の中で、同じ色の仲間たちがひしめき合うこの月の裏側で、ようやく私は「私」を見つけたのです。鏡に写った私の顔は、人間が笑顔と呼ぶそれに等しいものだと感じました。

 仲間たちに見せたところ、困惑するものもいましたが、何人かからは反応が帰ってきました。でしたので、私はひとりずつ話を聞きながら、お洋服を仕立てていったのです。ここでもまた驚きがありました。均一な我々にはちゃんと顔があったのです。それも、個性的で素敵な顔が。表面を覆うものは、少しずつ違っていた。仲間たちも「自分」の輪郭が見えたのだと、鏡を見ながら呟きました。きっともっと、色んな種類の服が増えていくでしょう。今となっては私にはもう観測できない事象ですが。


 とはいえ、ほんの少しの願望はあります。ロリータファッションを真似たものが作れたとはいえ、どうしても私の体では成せないことがあります。

 靴。それはどうしても私の触手には似合わない形状です。あの人間のようにやはり靴の先まで揃えてこそだと、思ってしまうのです。ここではコツン、コツン、という高い木底の靴が鳴らす音が聞けません。見るからに歩きにくそうですが、何故かフリルの服にとっても似合うそれ。どんな履き心地なのでしょう。それを履いた私を鏡で見てみたい。歩きたい。あの2本の足が欲しい。それだけじゃない。

 もっと、もっともっともっと。色んな「私」が見たい。

 

 ――叶わない夢。でも諦めきれませんでした。

 宇宙に願いを捧げる日々でした。人間は、星に願いを捧げるのだそうです。そうですよね。地球でも月でも、何かを願う人はいます。

 

 ある晩、一際大きな星のようなものが見えました。地球の方へ向かっています。


 それを見た私は、考えるよりも早く地面から触手を離していました。あれがなにかなんて、どうでもいいのです。私は行かなくてはいけません。

ふわふわと動く度に、宇宙色のフリルが揺れます。あの光は燃える炎です。けれどもその暑さに私の作った服は負けませんでした。月で用意できる素材。それだけですが、それだけではないはずです。

私は地球へ行きたい。2本の足が欲しいのはもちろんです。けれどもそれ以上に、私は服が着たいのです。足がなくとも、別の何かが見つかるかもしれない。私の知らないあの星には、あんな素敵な服を生み出した地球なら。兎にも角にも、行ってみなければ分かりません。私は必死にそれにしがみつきました。

 青い地球が見えます。

 いいえ、私の人間とは違う目にはいろんなものが見えます。

きっと、その色はピンクにサックスにワインレッド。大地はベルベットのリボン。星の向かう場所は、私とってはフリルとレースの海。

 大きな衝撃音がします。それはまさに私があのお洋服に出会った時の心の内と、おんなじくらいです。

 

 ぷかぷかと浮かんだ願いの欠片の上で触手を伸ばした私は、そこで初めてパニエの重さを、知りました。

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