「日課」
ナカメグミ
「日課」
これは、3桁。これは、2桁。これは・・・1桁。一体、何があったのか。
新聞を読んでいる。コーヒーを飲みながら。毎朝の日課。大切な日課。
* * *
1面をざっと見る。今日の天気と気温。すぐにひっくり返す。テレビ欄。新聞の正しい読み方からすると、邪道中の邪道。何のためのページ番号か。でも日課。私の日課。
テレビ欄を見る。その日の人々の関心事が、わかる。
ニュースショーの見出し。おそらく今日の話題は、今年の漢字。なんの1文字が、ふさわしいか。しばし、考えを巡らせる。あの動物か。安易か。
社会面から順に繰る。先日の地震、原発、雪害、バスの事故、殺人も。
そして手が止まる。毎日止まる。これも日課。ある1ページ。
「おくやみ申し上げます」。
* * *
そこにある、濃い字体の名前のあとの、2−9行。何日か前までは、確かにこの世に存在していた人の名前。今はもう、この世にいない人の、おそらく最後の記録。
「人生100年時代」。100歳。3桁。珍しくなくなった。90代、80代、70代、60代・・・。
喪主に目をやる。90代、80代、70代、60代。夫。妻。長男。長女。次男。次女。あるいは長女の夫。この方々には、家族、子どもがいた。幸せだったかは、わからないが。行間から滲む、最後の人間関係。
そして行きつく同年代。50代。この男性の方の喪主は、父親。この女性の方も。独身のまま亡くなったか。あるいは離婚か。40代、30代、20代。
10代、1桁。
病気か。事故か。事件か。大きな出来事の犠牲者なら、社会面にも名があるか。
寿命とされる年齢よりも、はるかに早く、この世を去った若者。子ども。
最期に見たものは何か。死ぬ瞬間、意識はあるのか。痛みはあるのか。心はあるのか。それは終焉か、解放か。生きている私に、わからないその境目。
冷めたコーヒー。口に含む。胃が痛い。新聞を閉じた。
* * *
若いころは、はるか遠くに見えていた死。確実に身近に忍び寄る恐怖。じわじわと、迫り来る恐怖。逃げようがない恐怖。必ず訪れる恐怖。
だめだ。時間に遅れる。出かける準備を急ぐ。
* * *
母の病院の付き添い。スイッチ・オフを。点滴を腕から下げ、車椅子で運ばれていく目が虚ろな物体。いや、高齢の男性。ダメだ、ダメだ。スイッチ・オフ。いや、この場合はオンか?。どちらが正しい?。
自ら制御できなくなった肉体で、人の手を借りて、生き続ける。
「健康寿命」。いつまでだ?「フレイル」。怯え続けるのか?
人間の倫理観として正しい命の全う。だれにとって正しいのか?。
私に耐えられるのか?。
考えるな、頭。文庫本を出す。傍らに、喋り続ける母。
* * *
帰りの地下鉄。文庫本は読み終えた。スマホでニュース。大好きだった映画。「スタンド・バイ・ミー」。「ミザリー」「ア・フュー・グッドメン」「恋人たちの予感」。繰り返し、見た。その監督が亡くなったという。
元同僚。友人。見知っている人。知っている名前。テレビやスクリーンの向こう側で、きらめいていた人々。その人たちの画像や映像が、死とともに掘り起こされる現実。虚しい。怖い。救いを探す。
昔、大好きだった美しい俳優。飛び降りた。死んだ。「涅槃」。宗教に興味はない。
でも涅槃は、本当にあるのか。欲望、怒り、無知。煩悩の火がすべて吹き消された、心の安らぎと完全な自由。
彼は遺書の通り、そこに行けたのか?。私は行けるのか?。また、死。
* * *
新聞。社会面。師走。増える。火事。強盗。家族間。傷害事件。家族間。殺人。
おくやみ欄。今日もあふれる死。いろんな死、各地の死。吸い込まれる、死。
気を取り直す。折り込みちらし。順番に目を通す。
1枚目。スーパー。あふれる食材の写真と価格。インフレ。物価高。師走の食材の買いだめを始めなければ。
2枚目。最近目立つ、中古品買い取りの店。有名なタレントらが、写真で笑顔。目を通す。遺品も買い取ってくれる、という。
私の遺品。何か。父が死ぬ前に買ってくれたピアノ。これは専門業者に。外国の子どもたちが、きっと弾いてくれる。宝石。いっさいなし。服、着物、ブランドバッグ。なし。心身がきつくて、もう滑ることはないスキー一式。売れる。大好きな漫画や本、CD。これは中古書店がよいか。
遺品?。私の?。なぜ今、遺品?。売る?。
3枚目。なぜかモアイ像がある霊園。南太平洋にあるイースター島。本物のモアイ像を見ないまま、私の一生はまもなく終わる。霊園のモアイ像でも見に行こうか。
裏返す。墓のデザイン。合同墓。樹木葬。ペットと一緒。昔ながらの日本の墓。外国映画のような、洋風の墓も。好きな漢字や言葉を掘る、こだわりの墓。
墓参りに来てまで、説教臭い一言。家族は見たいのか?。墓の個性が強すぎたら、墓に故人が負けるのではないか?。
墓?。私の?。なぜ今、墓?。つくる?
また通り過ぎた死。出かける。
* * *
まちなかに、ここ数年で増えた葬儀場。あそこのコンビニも。あそこの釣具店も。今はもう、葬儀場。
はやりの小規模な葬儀。家族葬。どこにしようか。そもそも私の葬儀は必要か?。無職。社会的知り合い、なし。直葬でよい。死んだ私の顔は、見世物ではない。見られたくない。触られたくない。
葬儀?。私の?。なぜ今、葬儀?。いつ?。いつそれ、来る?。
独身のころ。住んでいた。マンション。10階建て。屋上。見上げる。死。
ホテル。昔。報道された。政治家。死。
ホテル。昔。報道された。スター。死。
JR。駅。あった。少し前。あった。若かった。有望だった。死。
混線する思考。制御できない感情。明日はおそらく、もう、ない。
* * * *
子どものころから毎朝、新聞を読むことが日課でした。楽しみでした。50年近く、守り続けてきた、大切な日課でした。でもそれが、ここ数年、ちがう日課で乱されるようになったのです。お悔やみ欄で手を止める日課。死を考える日課。
毎朝、毎朝。新聞の1ページを覆う人の死。朝から、毎日。
今日は、今日こそは前向きに生きよう。そんな意気込みを朝から打ち砕く、1ページ。 多くの人を私のような混線から、救いたい。そう思ったのです。
新聞にあふれる人の死。忙しい人は新聞を閉じた瞬間、その現実を忘れる。でも中には、受け流せずに苦しむ人だっている。ひと昔前なら、葬祭の儀礼を欠かさぬように、必要だったでしょう。でも今は超長寿社会。3桁、2桁後半のオンパレード。
朝から死を知る必要は、ありますか?。
日々のニュースだけで、暗い世の中。おかしいじゃありませんか。
だから、正そうと思ったのです。
手は尽くしました。読者欄への投稿。そのほかの面への投稿。電話もかけました。でも埒が明かない。直談判するしかない。そう思ったのです。
新聞社の偉い人に会わせてほしい。受付の方にお願いしました。でも押し問答になりました。制服のガードマンが近づいてきました。思わず腹を蹴っ飛ばしたら、そのガードマン、頭から後ろに思い切り転んでしまった。私が彼を、死に追いやってしまいました。
でも私は正しい。新聞社にとっても、私は正しい読者のはず。えっ?。今はデジタルだから、お悔やみ欄を無理に読まなくてもいい?。好きな記事を、必要に合わせて読める?。紙面通りを、スマホで読める?。おかしいでしょ!。
新聞は紙を繰る音とともに、満遍なく読み、知識を得るものですよ。
世論調査、やってほしい。世論調査。新聞社は得意でしょ?。
ねえ刑事さん。あなた、新聞社の偉い方、ここに連れて来て下さいよ。
(了)
「日課」 ナカメグミ @megu1113
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