サッカルの約束

一途貫

第1話 白い仔犬

 戦場で勇敢に戦った者は讃えられる。ある国には数多の戦争で活躍した軍用犬がいた。ジャーマンシェパードのリッキー。4歳とまだ若いが、彼の活躍で多くの命が救われた。瓦礫の下敷きになった者が彼の遠吠えを聞くと、消えかかった希望が再び燃え上がるほどだ。


 そんな名犬リッキーの子供が産まれると聞けば、リッキーの故郷の村人達は大騒ぎだ。仔犬を一目見ようと、村人達は村外れのカーター家に集まった。カーターの親父さんは気前がいい事で有名だ。クリスマスの日、カーターの親父さんは豪勢な食卓を広げて、仔犬を見に来る人を迎えた。


 カーター家の長男、マルセルは人見知りな子だ。犬を見に来る客人の目を避け、客人が食事に誘われるまでは決まって自分の部屋に閉じこもっていた。クリスマスのリースがかかったドアを少し開け、マルセルは決まって客人のヒソヒソ話に耳を傾ける。


「やっぱりリッキーの仔だなぁ。立派な毛並みをしてるな」


「この仔もリッキーみたいな犬になるぞぉ」


猫撫で声の客人に、マルセルは顔を顰めた。客人達は値踏みをするように、犬を見る。時折聞こえる譲ってほしいという声に、マルセルは腹を立てた。だが、マルセルの父、カーター家の主人はお人好しな態度で犬を譲ってしまう。


「お兄ちゃん、外で遊ばないの?」


マルセルの部屋に、妹のケリーが入ってくる。兄と同じ薄灰色の目を向け、期待に満ちた表情をしていた。活発な印象の妹とは対照的に、兄は気怠げにため息をつく。


「外ならリディと遊びたい」


「リディは子供が産まれたからダメよ」


「リディだって、あんなにお客さんに触られたら可哀想だよ」


マルセルは棚に飾ってある写真を見つめる。そこには幼い頃のマルセルと、1匹のジャーマンシェパードが映っていた。リディ。リッキーの番の雌犬だ。澄んだ焦茶色の目は、柔らかな印象を与える。リディはマルセルが赤ん坊の頃から飼っていた犬だ。


「あら、この仔だけ白いのね」


「この仔は軍用犬向きじゃないな。白いからすぐ撃たれてしまうよ」


無作法な物言いに、マルセルは憤慨する。妹の静止も聞かずに、マルセルは階段を乱暴に駆け降りた。あまりの勢いに、扉のリースが落ちる。あの不躾な客人に腹の中をぶちまけてやる。マルセルの腑は煮えくりかえっていた。


 リビングの一室にリディは寝そべっていた。意気揚々とマルセルが扉を開ける頃には、客人達はいない。応接間から聞こえる賑やかな声から察するに、食事を取りに行ったようだ。キッチンから匂うチキンの香ばしい香りにも、マルセルは食欲が掻き立てられない。無礼な客人にあらぬ言葉をかけられても、リディは穏やかな顔をして、我が子の毛繕いをしていた。マルセルの匂いに鼻をひくつかせると、リディは顔を上げる。尻尾を振り、小さな主人を見ていた。


「ごめんよ、リディ。こんなにみんなの見せ物にされて、いい気分しないよな」


声変わりしきっていないマルセルの声に、リディは尻尾を振る。マルセルの言葉の意味を知って知らずか、リディはマルセルの手を舐めた。

毛繕いをするように、リディは優しくマルセルを舌で撫でる。その傍らには、数匹の仔犬がいた。まだ目も開かず、母親を鼻先で探っている。その中には1匹だけ白い仔犬がいた。


「お兄ちゃん! もう、いきなり下に降りないでよ」


ケリーが頰を膨らませながら部屋に入ってくる。赤ん坊の頃から見てきたケリーに、リディは尻尾を振った。兄の近くに来ると、ケリーにも白い仔犬が目に入る。


「あら、この仔白いね。シェパードに白い仔っていたかしら?」


「スイスにはホワイトシェパードっていうやつがいるけど、それとも違う気がするな」


白い仔犬は小柄で、乳を求める他の仔犬達に押しのけられていた。仰向けにひっくり返り、白い仔犬は足をばたつかせる。マルセルは白い仔犬をそっと抱き上げた。毛のない肌の感触に、仔犬は少しびくつく。


「怖がる事ないぞ。俺はお前の母ちゃんの飼い主だ」


声のトーンを慎重に調節し、マルセルは仔犬に語りかける。身体を撫でられ、仔犬はマルセルの腕の温もりを求めた。まだ短い尻尾を振り、仔犬はマルセルの指を咥える。


「あ、こら。それは乳じゃないぞ」


マルセルは慌てて指を引っ込める。その様子を見て、ケリーはゲラゲラと笑っていた。ケリーの膝下には、黒い毛の仔犬がいる。大柄な体格の黒い仔犬は、ケリーに甘えるように寄り添って眠っていた。


「ねぇ、この仔達に名前を付けようよ。名前がないと可哀想だわ」


「そうだな。来る人達に黒とか白とか呼ばれてばっかりだからな」


マルセルは白い仔犬を見つめる。まだ目も開かない仔犬は、甘えるような細い鳴き声をあげていた。耳は折れ、新雪のような白い毛に覆われている。


「決めた! この仔はキャップよ!」


ケリーが黒い仔犬を抱き上げる。キャップと名付けられた黒犬は、ケリーの顔を舐めた。キャップは太い前足で、ケリーの肩に掴まる。リディは心配するように、マルセルの膝に顎を乗せた。潤んだ瞳で、リディは我が子を見ている。


「心配するなよ、リディ。俺がいい名前を付けてやるからな」


マルセルはリディの頭を撫でる。白い仔犬はマルセルの腕の中で丸まっていた。フワフワの被毛は、仔犬の輪郭を不鮮明にしてしまいそうだ。


「そうだな……サッカル! サッカルって言うのはどうだ!?」


マルセルの声に、リディは嬉しそうに吠える。白い仔犬はマルセルの口から出た言葉に、首を傾げていた。


「サッカルぅ? 変な名前ぇ」


「なんだよ。カッコいいだろ?」


怪訝な顔をするケリーに、マルセルは憤慨する。リディは尻尾を振り、マルセルの顔を舐めた。サッカルは人間達の言葉を理解こそはしていなかったが、楽しげな声に尻尾を振っている。


 白いシェパードのサッカル。何も知らない彼は、カーター家でしばしの幸せを過ごしていた。

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