鉄獄の檻、千の瞳
りあな
第1話
蘇生者の話をしよう。蘇生者は冷たい画面の向こうから生を取り出し、自らのなかでそれを生かす。そして、それを取り出してまた死へと追いやる。
逃げ惑う赤い衣装の少女。狼はそれを冷徹に、かつ興奮しながら追いかけていく。もう既に狼の頭の中は、少女の味でいっぱいだ。少女は必死に逃げる。何度味わっても慣れることがない苦痛を想像して、何としてでも逃れるために。その均衡は、幾許もしない内に崩れる。少女は足元にあった石に気づかず転倒した。狼が追いついてしまう。少女は動けない。麻痺したように言うことを聞かないその身体は、生温かい液体を垂れ流すことしか出来なかった。そうして狼は、少女を上と下で味わった。その惨状を見守るのは千の瞳。GAME OVER。おお勇者よ、死んでしまうとはなさけない。
鉄獄は誰にでも開かれていて、誰にでも閉じている。皆口々に百の階層があると囁くが、誰もその最深部へと辿り着いたことはない。ある日、まるで今までもそこにあったかのように、鉄獄は自然と現れた。そして誰もが自然と思った。鉄獄の深く深くへと潜り、底で待ち受ける蛇を打ち倒さなければならないと。そうして入り込んだ誰もが、その蛇を見ないままに死んでゆく。鉄獄での死は意味をなさず、まるで何事もなかったかのように入る前に戻されるだけ。ただし、その死の痛みと恐怖は顕在。誰もが潜り、誰もが潜らなくなった。冷徹に公平に振り下ろされるその死の鉄槌の恐怖に、一度は耐えられても二度は耐えられない。いや、殆どは一度すら耐えられなかった。そうして彼らは蘇生者となる。己が使命を他者へと託し、選ばれし者だと声高に称え、他の者の双肩へとその重みを明け渡した。
少女は鉄獄の回廊を降りてゆく。千の瞳の重さを小さな肩に感じながら。自らの全てが見られる羞恥に耐えながら。少女は知っている。自らの死が誰かの日常を支えていることを。少女の死は日常。どこかの国の飛行機事故くらいに日常。交通事故で誰かが死んだニュースくらいに日常。少女が重みを背負うことで、誰もが鉄獄に潜らずとも済む。そして今、また少女が死に、鉄獄の澱と化した。女の長い髪に首を絞め上げられ、骨を折られて即死。誰かが言った。GAME OVER。おお勇者よ、死んでしまうとはなさけない。
**
緑の蛇は伴侶を求めている。誰も訪れぬ鉄獄の底で、孤独に飽いた蛇は伴侶を求めている。かつて呪われ堕とされる前の、自らの美しい姿を思い出しながら。混沌の迷宮の影でしかないこの鉄獄の底で、蛇は待ち続けている。自らの澱で鉄獄を彩り続ける少女を。影に伝わる伝承の通りに、いずれ我が身の呪いを解く少女を。緑の蛇は待ち続けている。
いつかの日、蛇と少女は出会う。鉄獄の過酷さに光を失った少女は、蛇の姿を見ることは出来ない。けれども温かみのある声色と、片割れに触れるかのような繊細な手つきだけで少女は満足した。鉄獄は既に澱で濡れきって、残すはただ緑の蛇のみ。そして蛇が少女を味わったとき、鉄獄の全ては少女となった。鉄獄は奪われた生を取り戻す。蘇生者たちが少女から奪った生を。次々と対価を徴収される蘇生者たち。それは新たな日常となった。昼に見たニュースの中で餓死する孤児くらいに日常。絶望と共に自死を選ぶ人々くらいに日常。
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まだ、少女は蛇と出会わない。ただ死に続け、その赤と黒で蘇生者たちの日常を描いている。少しずつ少しずつ、度に度に蛇へと近づいていくが、その時はまだ来ない。その澱で鉄獄と蘇生者の瞳を彩りながら、死に続けているだけだ。今、少女が死んだ。極寒の中で身を暖めるマッチが尽き、その寒さに震えながら死んだ。
誰かが言った。GAME OVER。
おお勇者よ、死んでしまうとはなさけない。
鉄獄の檻、千の瞳 りあな @riana0702
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