翔べ!ビッグカイト
旭
第1話 すべてを失った春
2020年の春。
東京の街から、音が消えた。
昼時になってもシャッターの降りたままの通り。人影のない交差点。
俺は自分が経営していた四つの店を、一つずつ思い浮かべていた。
イタリアン、居酒屋、カフェ、ダイニングバー。
どれも行列ができる店だった。
――だった、という過去形が、やけに胸に刺さる。
「全部、閉めます」
そう告げた日のことは、今でもはっきり覚えている。
スタッフの誰もが言葉を失い、俺自身も、経営者としての肩書きを失った瞬間だった。
そんな俺の携帯が鳴ったのは、最後の店の鍵を返した帰り道だった。
『久しぶりだな』
電話口の声に、胸の奥がざわつく。
静岡県浜松市。小学校から高校まで、毎日のように一緒にボールを追いかけた友人だった。
『急な話なんだけどさ……うちのGMが、コロナで亡くなった』
言葉が、すぐには理解できなかった。
『お前に、後任を頼みたい』
「……俺に?」
『お前、サッカーに人生賭けてただろ』
その一言で、忘れていた感覚が蘇る。
朝露の匂い。スパイクの重み。ゴールネットが揺れる音。
浜松ビッグカイトFC。
俺が初めてサッカーに恋をしたチームだった。
チーム唯一のタイトルである国内リーグ優勝。
あの日、スタンドで見た決勝ゴール。
そのストライカーは、今や監督になり、
ゴールを守っていた男は、コーチとしてピッチに立っているという。
「……少し、考えさせてくれ」
電話を切ったあと、気づけば空を見上げていた。
春の風に、高く揚がる凧のような雲が流れていく。
失ったものは多い。
でも――まだ、終わってはいないのかもしれない。
俺は、静かに決意した。
もう一度、サッカーに人生を預けてみよう。
浜松ビッグカイトFCのために。
そして、かつて夢中でボールを追いかけていた、自分自身のために。
――翔べ。
俺たちの、ビッグカイト。
翔べ!ビッグカイト 旭 @nobuasahi7
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。翔べ!ビッグカイトの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます