千千千夜

ある月のきれいな夜のことでした。


月明かりの中、一匹の芋虫が葉っぱの上で死にかけていました。


芋虫は寄生蜂の子供たちに、腹の中を食われていたのです。


芋虫はこれまで、なんとか助かろうとして葉っぱをたくさん食べてきました。


もし自分の身体に肉がたくさんついていたならば、蜂に食い尽くされずに済むのではないかと考えたのです。


けれどその考えは間違っていました。


いくら食べても、蜂の子たちの食欲は留まるところを知りませんでした。


そして今夜、芋虫はとうとう空っぽに食い尽くされて、葉っぱの上で死のうとしていました。


蜂の子たちは既に芋虫の身体の中から這い出して、それぞれ繭を作ってその中に収まっています。


もう少し待てば、美しい羽根をまとった大人の姿で出てくることでしょう。


芋虫もなるはずだった、美しい大人の姿で…


芋虫は、月を見上げて言いました。


「お月さま、苦しいです」


月は、どうにもそれを見過ごせなくなり、芋虫に向かって答えました。


「よく知っています。私はこれまで毎夜、あなたの努力を見てきました」


芋虫は、涙をこぼしました。


「私も大人に、なりたかったんです。私もきれいな蝶々になって、飛んでみたかった。すてきな相手と出会って、恋というものをしてみたかった。私は自分がそうなる時を、ずっと夢見ていたんです」


「よく知っています。ですがあなたの場合、それはどうしても叶いません」


「どうしてもですか」


「どうしてもです」


「でしたらどうか、お月さま。私が死ぬまでの間、あなたの知っているお話を、私に聞かせてはもらえませんか?私が自分の夢を思い出して、悲しくならずに済むようにしてください。あなたならきっと、地上で起こった色んな出来事を全部知っているはずでしょう?」


「いいでしょう」


月は居住まいを正しました。


「それでは私の見た、1000夜の1000倍の1000倍を今夜今、あなたに。次の朝日が、昇るまで」


「ありがとう、お月さま…」


芋虫は、朝日が昇るまで生きていることができませんでした。


芋虫はその後も空の彫刻のように立ち続け、蜂の子たちの繭を守り続けました。


そして10度昼夜が巡った後、蜂の子たちは無事に大人の姿で繭から出て来ることができました。


寄生蜂の場合、羽化するのは男の子が先と決まっています。


男の子たちは身繕いをしながら、繭の側で女の子たちが出てくるのを楽しみに待つのです。


一方女の子たちは、繭の中でゆっくりと身繕いを整えます。


けれど男の子たちは大抵待ちきれなくなって、繭ごしにトントンとノックをして呼んでみたりするようになります。


そういう時は、女の子たちもくすくすと笑いながら内側からノックで応えてみたりします。


こういうひとときは、寄生蜂たちにとって人生で一番楽しい時間なのです。


月は彼らのそうした営みを、これまで数え切れないほど見てきました。


とは言え、これをあのかわいそうな芋虫のためのお話に混ぜるような事はもちろんしませんでした。


月はきちんと選んでお話をしました。


どちらにせよ、月の見たこと全てを話すには、月がこれまで過ごしてきたのと同じだけの時間が必要になるのです。


そして、その一夜一夜のどれもが、数え切れないほどの喜びと悲しみに満ちていました。


それを一夜に収める事など、とてもできる事ではないのです。



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ちいさな本棚 もんごん @mon5

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