消えていくものの輪郭をなぞる

@eNu_318_

消えていくものの輪郭をなぞる

 ふと、雨上がりの街角で立ち止まることがある。鼻先をかすめる土と水の匂い、そこにほんのりと混じる青臭さが、あの日、無心でボールを蹴っていた少年時代の芝生の記憶を呼び起こす。

 子供の頃の存在は、純粋で疑う余地のないものだった。スパイクの底で踏みしめた土の感触、全身の酸素を使い切るまで走りきった後の荒い呼吸、青臭い芝生の匂い。世界は五感すべてで満たされ、そこに「喪失」や「終わり」といった概念は入り込む余地がなかった。情熱は自ずと内側から湧き上がり、未来は無限に広がるグラウンドのように思えた。あの頃の「存在」は、誰かに認められる必要もなく、ただそこに在るだけで完結していた。それは、大人になってから幾度となく探し求めることになる、「意味」や「価値」の制約を受けない、絶対的な確かさだった。しかし、時は流れ、人は選択によって「非存在」を生み出すことを知る。

 初めてその感覚の重さを知ったのは、自分から別れを告げた時の元恋人の姿だった。僕の言葉を聞き、彼女の瞳から溢れた涙を見た瞬間、胸に広がったのは、解放ではなく、強烈な喪失感だった。決断を下したのは僕なのに、なぜこれほど苦しいのか。それは、喪失という「非存在」が、これまで共有してきたすべての「存在」を、凄まじい力で引き剥がし、その重さを改めて僕に突きつけてきたからだ。

 皮肉なことに、喪失こそが最も鮮烈にその存在を証明していた。

 この時の違和感の正体は、関係性が終わることへの不安と、この選択が間違っているかもしれないという疑念であった。深く掘り下げれば、それは「喪失こそが、存在の輪郭を最も強く描き出す」ということに気づいた瞬間だった。かつては当たり前に存在していたものが、目の前から消え去る。その空白が大きければ大きいほど、僕の心の中では、その人の存在がより鮮明に確立されてしまうのだ。

 それは、子供の頃の純粋な情熱を、いつしか見失ってしまった時にも似ている。あの時の情熱が存在していないことが、現在の僕の心の冷たさを際立たせ、過去の「存在」の尊さを教えてくれる。喪失感とは、その過去が現在の自分にとってどれほどの価値を持っていたかを知る、逆説的な指標なのだ。

 人は、自分一人では「存在」の意義を見つけられない。そんな喪失感や、情熱の欠落という心理的な空白を抱えて生きる僕を救ってくれたのは、友人の言葉だった。

「お前のことを必要としている人はここにいる」――

 友人からの、偽りのないその一言は、僕が自分自身では価値を見出せなかった部分を、外側から肯定してくれた。僕は誰かの声の中に、確かに「存在する」ことを許されていた。

 芝生の匂いも、元彼女の涙も、友人の言葉も、一瞬の小さな出来事にすぎない。しかし、その小さな出来事が生み出したものこそが、僕という存在の骨格を形作っている。

 僕たちは、満ち足りた状態だけでは、その幸せの形を認識できない。空白という余白があってこそ、音が響き渡るように。非存在によって、僕たちは存在を想像し、その輪郭を理解することができる。そして、その理解こそが、日常の些細な感情や出来事に隠された「存在の小さな意味」なのだろう。

 それは、失った過去を背負いながらも、誰かに必要とされ、今を生きている自分自身を、静かに肯定する小さな力となっている。

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