ユリの花について

鉱質コルチコイド

ユリの花

博人ひろと、お隣さんが言ってたんだけどね、うちの近くで強盗があったらしいわよ。こんなところまで治安が悪くなっちゃって怖いわよねー」

 母さんはいつもこんな調子で晩御飯を作りながら、僕に話しかけてくる。そんな母さんを僕は適当に相槌を打って受け流す。いつもなら、もう少し真面目に母さんの話を聞くのだが、今は忙しいのだ。

「へえ、そうなんだ。大変だね」

「そうそう、大変なのよ。うちもいつ強盗が来るのかわからないんだから、ちゃんと鍵を閉めて、すぐ連絡できるように準備しておくのよ、わかった?」


 こういうときは変に聞き返したり、何か内容のある言葉を返すと、話が続いてしまうから注意が必要だ。


「OK」

「高校生でも危ないから気をつけるのよ」

「わかった、気をつけるね。ちなみに今日の晩御飯は?」

 晩御飯についての質問は母さんにとってはおもしろくないらしく、この質問をするといつもきまって静寂がおとずれる。

「今日は金曜日だから、パンじゃなくて博人の好きな豆ごはんよ」

「いいね」

「……」

 ほら上手くいった。これで、研究に集中できる。


 僕が何の研究をしているのかというと、ユリの研究をしている。研究というと仰々しいが、実際は白いユリを赤くする、という自由研究みたいな簡単なものだ。そして、


 ——この研究は間もなく完成する。


 だから、なぜ僕が白いユリを赤いユリにしたいと思ったのか、その理由について話そうと思う。



 これは僕が五歳か六歳くらいの頃の話だ。


 僕の家の近所には、変わったおじさんがいた。そのおじさんの何が変わっているのかというと、そのおじさんは白いユリを育てていたのだが、その花を見るたびに『きれいな赤いユリだなあ』と言っていたのだ。真っ白な、純白のユリなのに、である。

 僕はそんな変わった、言い方を換えれば不思議なおじさんに少し興味を持ち、いつからかおじさんの家に母さんの目を盗んで遊びに行くようになった。おじさんは最期の時まで本当に面白い人間だった。


 例えば、僕がおじさんに『なんで白いユリなのに赤いユリに見えるの?』と聞いた時には、『白いユリなんてない。ここには赤いユリしかないじゃないか』とどうしようもない返事をされたり、おじさんはときどき僕の家ではめったに食べない赤飯で僕をもてなしてくれることもあったが、その時にも『これは白米だ』と言い張ったりしていた。ちなみにその赤飯の味は薄く、おじさんの家事スキルのなさがあらわれているようだった。


 白米を赤飯に置き換えてまで、この世の白い物と赤い物を逆転させてやりたいという考えは僕には理解できなかった。しかし今となっては、毎日赤飯を食べるというのは少々気持ちが悪いところもあるというのは理解できる。だから、おじさんにとっては白米に見える赤飯にわざわざ置き換えていたということなのかもしれない。


 僕はそんな不思議なおじさんに本当の赤いユリを見せて、本当の赤いユリを見たときにおじさんが一体どんな反応をするのか、それを知りたくてこの研究を始めたのだ。


 しかし、おじさんとの愉快な時間は長くは続かなかった。おじさんは僕が十三歳の頃に亡くなってしまったのだ。


 おじさんが亡くなったことで、おじさんに本当の赤いユリを見せてあげるという夢はかなわなくなってしまった。しかしながら、おじさんの死は悪いことばかりではなく良いことも運んできてくれた。

 まるでおじさんが僕の研究を手伝ってくれたかのように、僕の研究は加速したのだ。あの時ほど、おじさんの無骨な手に感謝したことはない。きっと、僕はおじさんの手のひらの上で転がされていたのだ。


 そしておじさんの亡くなった日、僕はついに赤いユリを作成することに成功した。


 しかし、成功したのはこの一回だけだった。つまり、偶然赤いユリになったという可能性もあった。だからこそ、再現性を確かめるためにもう何度か実験を行いたかったが、社会的な環境や必要な材料などがそろわず、この研究を継続していくことが困難になってしまったのだ。


 そして、現在に至るというわけだ。


「あっ、そういえば、これは職場の人に聞いた話なんだけど博人がボランティアで通ってる幼稚園の子が2人も殺されちゃったみたいなの。しかも、その遺体、二人とも両手が切断されていたらしいのよ」


 僕は今このユリの鉢植えに集中しなくてはならない。だから母さんの話を聞いている暇なんてないのだ。いまこの両手にすべてがかかっている。


「へえーそうなんだ」

「そうそう、でね、これって博人は覚えてるかわからないけど、近所に赤いユリを育てていたおじさんいたでしょ」

「白ね」


 母さんの会話の受け流しを極めた僕でもさすがにこれは許容できなかったので、ついそう返してしまった。


「あれ、そうだったかしら。まあ、とにかくあの人が亡くなったときの遺体と同じ状態なのよ。しかも、犯人は捕まってないらしいじゃない? これって何か勘ぐっちゃわない?」

「そうだね」


 僕は四つの鉢植えに土を入れ、僕の研究の鍵となるものを入れ、ユリを鉢から鉢へと移植した。すると、四つの鉢植えに植え替えた白いユリは真っ赤な血が流れるようにみるみる赤くなり、ついに僕の研究は完成した。


「よっしゃ! これで安定的に白いユリを赤いユリにする方法を確立したぞ! おじさんにも見せてあげたかったなあ……。でも、幼稚園の子たちは喜んでくれるはず! 楽しみだなあ」

「白いユリ……? まあ、幼稚園の子たちもまだ犯人も捕まっていなくて怖がっているだろうし、博人だって……危ないかもしれないんだから行くときは気をつけるのよ」

「もちろんだよ、母さん。さっそく明日、幼稚園の子に見せに行ってくる!」


 母さんは冷たい水で体が冷えてしまったのか、すこし震えながら赤く染まったユリを指さした。

「ところで、鉢の中に何を入れたら赤く……なったの? もしかして、また入れたの……?」

「……」


 しばらくの静寂の後、六つの鉢の中には鮮血のような色をした、赤いユリが咲いていた。

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