僕は陛下の番犬だけどそれとは関係なくて、

長尾たぐい

🐶

 だんだんと蒸し暑くなってきたから、そろそろ制服のボトムスをスラックスからスカートにしようと思いながら、トイレから自分の教室まで戻ろうと廊下を歩いていた時だった。

「無理じゃない! お前は『陛下の番犬』だろ! 俺は知ってるからな!!」

 声はすこし後ろから聞こえた。わたしは通り過ぎかけた2ー1の教室の後ろ扉まで戻り、引き戸をがらりと開けた。

「呼んだ? ヤマちゃん」

 扉のすぐそばには先ほどの絶叫の主であるヤマちゃんと、

清花せいかちゃん……」と百七十九センチの恵まれた体格をちぢこませた我がいとこ、拓郎がいた。

「ヘイカ! お前も思うだろ、拓郎は……ぜったい執事姿が似合うって……!」

「話がまったく見えないんだけど」

 ヤマちゃんは手首にとぼけた腕時計みたいな手芸用の針山を付けた右腕を、ぐっと自分に引き付けてから「わかるだろ! 文化祭!」と拳を天に突き上げた。相変わらず動きがなんだかアニメチックだった。ああ、とわたしは納得する。

「1組は飲食枠引いたんだっけ。……執事喫茶でもするの?」

 あたりっ! とヤマちゃんはわたしを指差す。そんなやり取りをしている間に拓郎がわたしたちの視界からフェードアウトしようとしていることにわたしは気づいていた。なんだかわからないけれど逃げたそうだから協力してもいいかな、と思ったけれど拓郎は笑顔の女子たちに包囲されていた。ヤマちゃんは拓郎が脱走を試みていたのには気づかなかったようで「俺は断言する」とこちらに一歩近づいてきた。

「執事。それはあるじに忠実なしもべ」

 なんか始まった。

「文化祭だから、ツラのいいやつらを並べればイージーモード? ノンノン、執事の真正性とは表面に出るものではない。精神の奥からにじみ出る忠義の心から成る……すなわちウチのクラスで最も執事に適している男、それはお前の忠実な番犬たる原田拓郎しかいない」

 意味が分からない。が、ヤマちゃんがこの手の熱弁を振るう時はなんらかのオタク心に火がともってしまった時にちがいない。中学から足掛け5年も付き合いがあるとそれくらい分かる。わたしはため息をつきながら、訂正を試みる。

「わたしの大切ないとこを不適切なパブリックイメージにもとづいて勝手に扱おうだなんて心外だな」

 てぇてぇ……「大切」いただきました……さすが「陛下」毅然としている……とみんながざわざわしているのはいつものことだ。拓郎がちょっと目をきらめかせているのもいつもの通り。

「さすが清花ちゃん……!」

 自分で物申しておきながらなんだけれど、拓郎のわたしへの心酔っぷりは確かに犬っぽい。中学の時に「ヘイカ」とわたしの名前をうっかり噛んだ友達に「いかがした」と悪ノリして以来、わたしのあだ名は「陛下」だ。身長も高いし、いわゆる美少年顔をしている自覚はあったけれど、小学生の頃の「王子」というあだ名があまり好きじゃなかったから、親の離婚のとともに移り住んだ母の地元でつけられたあだ名はわりと気に入っていた。もう一種のギャグだから。みんながわたしの一挙手一投足にうっとりしながら「陛下」とか呼んでるのは客観的に見るとかなり笑える。

 と、わたしはそう呼ばれることに抵抗がなかったけれど、高校に入ってからそれとは別に気になることができた。

 陛下と番犬。

 近所から一緒に登校をしているわたしと拓郎のことを見た誰かがそう呼んだらしい。そしてそれは瞬く間に広まった。拓郎は身長があるし、農家をやっているじいちゃんばあちゃんやおじさんおばさんをよく手伝っているので、特にスポーツをやっていたわけでもないのに筋肉もよくついている。子供の頃、近視のせいで眼鏡をかけていたのでうっすらと目つきが悪い。そのくせ内弁慶で、ご近所のヤマちゃんとわたしがいなかったら、中学でも高校でも、遠巻きにされていた可能性は確かにある。

「拓郎、やりたくないことはやらなくていいんだよ」

 別に保護者ぶりたいわけではないけれど、拓郎は押しに弱いので周囲に釘を刺すつもりでわたしはそう言う。と、拓郎は「ん……」と目元に少し別の色をにじませた。

「……もちろんやりたいならやってもいいと思うし」

 んん、と小首をかしげた拓郎の言葉をわたしはとりあえず待つ。

「清花ちゃんは、どう思う?」

「わたし?」

 拓郎は弱気だし、流されがちだけれど、周りが思っているほどわたしに依存してはいない。そんなことを訊かれたのは初めてかもしれない。

「拓郎はお茶淹れるの上手いから向いてると思うけど」

 拓郎の顔が分かりにくいなりに明るくなる。

「清花ちゃんがそう言うなら、僕やろっかな」


 その数か月後、拓郎は執事喫茶の看板役を完璧にこなした。今、わたしたちが並んで歩くと「陛下と番犬」とひそひそされることはない。拓郎は執事と呼ばれて、なぜだか女子からの人気が目に見えて上がった。

「別にわたしはわたしで、拓郎は拓郎なのにね」

 わたしがそう言うと拓郎はそうだねえ、とのんびりした微笑を浮かべる。わたしたちはこれまでと同じように肩を並べて登校した。高校を卒業するまでそれはきっと変わらない。そう思う。

〈了〉

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