殺し屋カンパニーの歴史 第1回
宮塚恵一
#12
仕事を始めるにあたって、大事な考え方というのはいくらでもあると思うけれど、その中でも僕が特に重要だと考えるのは「僕にもできそう」という考え方だ。僕はこれまで動画配信から、救急車代行ビジネス、終活コンサルタント育成、サブスクソムリエ事業まで、多くの会社を立ち上げてきたけれど、その中で最も成功し、最も金回りが良い事業と言えば、やはり殺し屋ビジネスだ。
フィクションと違って、大っぴらには言えないけれどね。僕がはじめて殺し屋ビジネスへの興味を持ったのは、今思えば中学生の頃。当時、映画で見た殺し屋が格好良くて、しびれた。スクリーンの中で殺し屋は、大げさな大立ち回りをして敵対する殺し屋と戦い、そして依頼を遂行する。まさにプロ。スクリーンの中で格好良く動く彼らを見て、僕は思った。
僕にもできそう。
その日から僕は、殺し屋になるために必要なことや、その為の訓練について考え始めた。まずは誰よりも健康な肉体だ。僕は元々、スポーツには興味がなかった。本を読んだり、テレビアニメを観ることばかりに夢中だったから、まずは人並みの体力を手に入れることが先だと、筋トレを始めた。朝の走り込み、腕立て腹筋といった基本的なメニューを、YouTubeを参考に生活に取り入れ始めた。ひょろひょろだった僕は、一年後にはかなり健康的な肉体を手に入れた。筋肉を手に入れてみたはいいものの、実際に使えるかどうかは試してみないと意味はない。学校で勉強したことも、ちゃんとテストで点数を取れるよう自分の実力にしないといけないことと同じだ。僕の通う中学は、いわゆる中高一貫の進学校(嫌々、親に受験させられた)だったので、わかりやすい不良という存在もいなかった。そこで僕は駅一つ離れた街に行って、喧嘩の機会を探した。
格闘技じゃダメだったのかって? それも考えたが、僕が考えていたのは、職業として殺し屋をやることだ。もちろん、格闘技の技が無意味とは思わないし、何か一つ芸をこさえることも一つの道なのだろうけれど、殺し屋になった時に顔が割れるようなことは避けたい。幸い、僕にはこれといった長所もなく、表舞台に上がることなく十数年を生きることができていたけれど、格闘技を初めてしまえば否応にも顔や名前が割れると考えた。
街での喧嘩はなかなかにエキサイティングだった。ただ、いわゆる
殺し屋になるのには、自分の生きた証はできるだけ公に晒さない方が良いのだ。それに、当たり前のことだが、そもそも現実に殺し屋という職業は存在しない。ネットでも一通り調べてみたけれど、当然そういう仕事を募集しているわけがない。アメリカで殺し屋の求人サイトがあり、それは登録した人間を逮捕するためにFBIが見張っているダミーサイトであるなんて、そこそこ面白い話題なんかは拾えたが、僕の求めている情報ではない。
もし、そういうものを募集しているなら、裏だ。そこで僕はダークウェブに接続するためのTorブラウザやVPNの扱いなんかも学んで、ダークウェブで殺し屋の求人を探した。
意外にも、殺し屋募集の求人は簡単に見つかった。というか、そういうサイトがあるのだ。誰かを殺して欲しい人間が掲示板に金の受け渡し方法や標的の名前を書き込み、それを見た誰かが殺しを請け負う、というサイトだ。専ら海外の書き込みばかりで、依頼が実際に行われたかどうかの確認は取れなかったが、日本からの書き込みも三件ほど見つけた。僕はその依頼内容を記録し、実際に殺しが行われるかどうかを一年に渡り、ニュースや新聞を調べたが、それらしい死者の情報を拾うことはできなかった。それも当たり前か、とは納得した。こんなことが実際に行われていればセンセーショナルに報道されるはずだ。ここで僕は、殺し屋の求人を探すのはやめた。その代わり、ダークウェブに自作サイトをこさえる方向にシフトした。足がつかないようにセキュリティ面には気を付けた。サイトをこしらえた頃には高校を卒業し、成人していた。
そこで僕は自殺することを決めた。当然、本当に自殺するわけじゃない。社会的に死ぬのだ。僕はそこで、最初の殺しを実行することにした。僕の背丈に近い、同年代の男の子を、全国津々浦々回って探した。ようやく、身長や体重も一致する人間を見つけた時は小躍りするほどにうれしかった。この僕が、だ。僕は彼を尾行し、一人になったタイミングで拉致し、殺した。初めての殺しは、流石に緊張した。人を殺した時の罪悪感や焦燥感も心配していたが、それは問題なかった。問題だったのは、初めての殺し故、証拠の隠蔽や死体の処理が大変だったことだ。やはり、調べて知識があるのと実際にやるのとでは大違いで、ぶっつけ本番で大事な殺しをしたことは今でも後悔している。具体的にどんな失敗をしたのか、ここでは言及を避けるが、僕はここでの失敗でのせいで、しなくても良い殺しを更に追加で五人ほどしなくてはならなかくなったのだ。あれ以来、何か計画を立てた場合は予行演習をすることを徹底している。当然、社員にも同じことを研修しているよ。殺しの依頼があった場合は、ちゃんと予行演習をすること。これは僕の、そして我が社の基本的な理念だ。
さて、僕は自分と同じ背格好の男の子の死体をバラバラにして、僕の服や僕の所持品を持たせて、山に捨てた。死体が見つかるのに、三か月ほどかかってしまったのも誤算だったね。DNA情報の確認とか、そういうのも心配ではあったけれど、それも特に問題はなかった。いや、実際にはあったんだけど、問題なくした。これも企業秘密ということで一つ。
こうして晴れて死んだ僕は、ダークウェブで募集した依頼を確認した。いくつかの依頼が舞い込んでいた。一番目を引いたのは、夫を殺して欲しいというエンジニアの依頼だった。職場結婚した依頼主は家で暴力を振るわれ、まるで物のように扱われる日々に辟易して、藁にもすがる思いで僕のサイトに書き込みをしたそうだ。僕はこれに目を付けた。せっかく最初の殺しだ。人の役に立つ仕事をしたいじゃないか。
早速、僕は依頼主にコンタクトを取った。依頼主はおっかなびっくり、僕に話した。「本気じゃなかった」、「こんなの本物のわけがない」、「そうですよね? あなたも、遊びでやってるんですよね?」とそんな感じだ。気持ちは痛いほどわかる。それに、依頼主としてはこのスタンスでいる必要がある、というのは僕も何件もの仕事をこなして分かったよ。殺し屋という存在も、それへの依頼も、表にあってはならないものだ。だから、依頼主は「私は殺しには関係ない」といえる状態でなくてはならない。金の流れも、実際には殺しの依頼だけれど、それとは別のサービスを利用したことにしてあげるなど、工夫が必要だ。ただ、その時僕は金をとらなかったけどね。今じゃ当たり前だろ。初回サービス、という奴だ。
公の記録を死んだことで抹消した今、殺し屋ビジネスを始めたことは周りに広めなくちゃいけない。当然、広告なんて出せないから、今事業が確実に始まったことを知らせるには初回サービスは有効な方法だった。あ、今ではやってないよ。サービス開始からの、ほんの少しの期間だけ。あの頃、僕に依頼できた人はラッキーだったね。自慢できるよ。
とまあ、僕の殺し屋ビジネス黎明期の話はこんなところかな。結構長く話してる気がするけど、まだまだ会社すら立ち上げていないしね。全五回の解説にすることにしているけど、もう少し長引くかもしれない。少しでも面白い話が聞けたと思った人は、チャンネル登録をよろしく。殺しの依頼もいつでも受け付けているから、是非本サイトものぞいてみてください。
それでは、また次回。
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殺し屋カンパニーの歴史 第1回 宮塚恵一 @miyaduka3rd
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