うちの冷蔵庫で冬眠する彼女について
白井ソソソ
うちの冷蔵庫で冬眠する彼女について
ヒナタは冬眠をする。 しかも冬に限らずに冬眠をする。
どうやってするかといえば、私の家の冷蔵庫で眠るのだ。
最初にそれを見た時、私はヒナタが死んでいるのだと思って、悲しいとかつらいとか、そういう感情は少しも湧いてはこなかったことを覚えている。だって帰宅して冷蔵庫を開けたら、白菜と豆腐の隣でヒナタが冷たくなっていたのだから。驚愕というのは、悲しみを圧倒してゼロにする作用があるらしい。
冷蔵庫からヒナタを引っ張り出すのは大変だった。すっかり呆然としていたら、むにゃむにゃ言いながらヒナタが目を開けた。少し茶色っぽくて、長いまつ毛に縁取られている大きなヒナタの目。
ヒナタは本当に顔がかわいいから、私はこんな時にもかかわらずに「あ、かわいい」と思った。ヒナタはかわいいことだけが取り柄なので。
「ん……、なに?」
「え、なんで? もしかして生きてる?」
「そりゃそうだよ。寝てただけだし」
「冷蔵庫の中で?」
「ヨルちゃんちの冷蔵庫、居心地いいね。気に入っちゃった」
そんなことを言って、ヒナタはかわいい顔でふふふと笑った。ふふふではない。いや本当に。
ヒナタの名前は、カタカナでヒナタと書く。
「カタカナなら馬鹿なあんたでも書けるでしょう」と親に言われたらしい名前。
しかしかわいいヒナタにはぴったりな名前だ。
そんなヒナタは冷蔵庫の中で眠るのが好きで、一度眠ってしまうと引っ張り出さない限り、1ヶ月、2ヶ月、長い時は半年以上も眠り続けたことがあるらしい。だからやっぱりこれは冬眠だと思う。
冬眠というのは、蛇とかカエルとかの変温動物だったり、リスとか小さい生き物がやることだ。たまにクマもやるけど。でも調べてみると、そもそも冬眠のメカニズムには謎の部分があるらしい。それに大昔、今のロシアの上の方に暮らしていた人間っていうのは、極寒を凌ぐために冬眠していた可能性があるという話だ。大昔の人間の骨を調べたみたら、どうやら冬の間だけ骨に成長がみられない、なんてことがある。つまりそれは冬眠していたのではないか? ということ可能性を示している、らしい。私は知らないけれど。どこかの国のえらい科学者がそう言っていた。
案外不思議なことは、まだまだ世の中に残っているのかもしれない。
だからヒナタが私の家の冷蔵庫で眠る行為も「本当に不思議なこともあるものだね」で片付けられてしまうのかと思ったら、やっぱり誰が見ても異常なことらしくて、筑波の研究機関から「協力費を出すので調べさせてほしい」と言われている。
けれどヒナタは「知らない人の冷蔵庫で眠るなんて絶対に無理」と言って普通に断ってしまった。
「だって寒いところで寝るとさ、唇が真っ青になるの知ってる? すっごいブスになるじゃん。そんなのヨルちゃん以外に見られたら死ぬし」
自分には顔しか取り柄がないと思っているから、それを害されるくらいならお金なんていらないらしい。私はお金がもらえるのなら、唇が真っ青になった姿を見られるくらい何てことはないのだけど、ヒナタはそれだけは嫌だとがんとして首を縦にふらない。
「私、顔しか取り柄がないから」
そう言って眉を寄せた顔さえも、やっぱりかわいかった。
ヒナタは全然売れない地下アイドルをしている。顔はかわいいのに歌は全然うまくないし、ファンサービスも上手じゃない。結成しては解散し、名前を変えては再結成するようなグループで、気まぐれにSNSに愚痴をこぼすので頻繁に炎上してはクビになっている。そうして不貞腐れて冷蔵庫にこもって眠ってしまう生活をしていた。「もうやだ。当分起こさないで」と言って、私の家の冷蔵庫を占拠してしまうのだ。でも私は、まあ仕方がないかと思っている。だってヒナタはかわいいから。
ヒナタが冬眠できるようになったのは、小学生の時だと聞いている。ヒナタは、たとえばテストの点数が悪かった時や、学校の帰りが遅かった時、とくに理由もない時に、平気で家から叩き出されていたらしい。そのまま忘れられることもあったらしくて、それは真冬であっても同じだった。だからヒナタは氷点下の闇で、たったひとりで生き延びるために眠り方を覚えた。
「私、すごいでしょ?」
ヒナタは誇らしげだったけど、私はなんて返事をしたのか覚えていない。
ヒナタと喧嘩をしたのは、一緒に暮らして三年目に突入するくらいの時期だった。洗濯物の干し方っていうどうでもいい話題から発展して、なぜだかめちゃくちゃな言い合いになった。
「ヨルちゃんは、私が生きてても死んでても別にどっちでもいいんでしょ?」
「死んでるのはさすがに困るでしょ」
「違うよ。死んでるみたいに生きてるのがいいんでしょ? 自分と同じくらいうまく生きられない奴がいることに安心しているくせに」
ヒナタは馬鹿で顔がかわいいところしか取り柄がないのに、たまに全部全部知ってます、みたいな顔をしてとんでもないことを言う。
「私が馬鹿だから、かわいそうな子だから、私のことが好きなくせに」
言葉はざくざくと私の胸を刺した。
たとえば何もかも疲れて家に帰ったとする。
冷蔵庫の中には顔はかわいいけれど馬鹿なヒナタが寝ていて、あーかわいいな、どうしてこんなにかわいいのに、どうして上手く生きられないんだろう、かわいそうに、って思うのが私の心の支えみたいになっていた。ヒナタのかわいい寝顔を見ると「私はまだマシ」と安心するのだ。それをヒナタが知っていたことに私は衝撃を受けて、まともな返答もできやしない。
私が答えられないことにヒナタは怒って、ついに部屋を出ていく。
「ヨルちゃんなんて死んじまえ!」
まるで語彙のない言葉を残して、ヒナタは私の前から姿を消した。でもヒナタは今まで一度だって家賃も生活費も払ったことがない。生活の全てを私に甘えていたくせに。
でもヒナタはかわいいから、どこか知らない男の、知らない冷蔵庫の中で眠るのなんて簡単だと思う。
私は後悔する。悲しくて悲しくて、馬鹿みたいにおうおうと声をあげて泣く。早朝だろうが、夜中だろうが、ヒナタの寝顔を思い出してはおうおうと泣いたので、壁の薄いアパートの隣人からしたらホラーだったと思う。
ヒナタは安心して眠れる場所を見つけられるのだろうか。
どうして私はヒナタにあたたかい布団の魅力を教えようとしなかったのか。いつかヒナタに、あたたかい布団の魅力を教えるような誰かは現れるのだろうか。
もう私でなくてもいい。
私でなくてもいいから、どうか。
ヒナタに、あたたかくて安心する眠りを。
家から叩き出されて、冷たくて暗い中でひとりぼっちだったヒナタに、誰か、手を。
10日泣いて泣いて泣いた私の前に、馬鹿なヒナタはもう一度現れた。少しだけ頬はこけて、少しだけかわいさが目減りしたような気がしたけれど、変わらずにかわいい顔をしたヒナタ。私は泣く。泣いて泣いてヒナタに縋りついて、ごめんと繰り返し謝る。
「ヨルちゃん、冷蔵庫貸して」
ヒナタも泣いていて、かわいい泣き顔で私にそう言った。
私は、今度こそあたたかい布団の魅力を教えるべきだったと知っている。
でも私は、あたたかい布団ではなくて、泣きながらヒナタを抱きしめて冷蔵庫を貸してあげた。
だって私は馬鹿だから。ヒナタと同じくらいに馬鹿だから。自分で決めたことも守れない馬鹿だから。
きっといつか、全部がうまくいくなんて、どうして信じられるのだろう。みんなどうやって生きているのか、馬鹿な私にはわからない。
うちの冷蔵庫で冬眠する彼女について 白井ソソソ @shirai_sososo
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