肉あぶくは本当に我成野比を愛していたのか

反AI絵師nomaji(黎明の魔術師)

第一肉氏批判(ガナリズム的観点から)

俺の名前はnomajiだ。


そして修正ガナリストでもある。そもそもガナリズムとは何か?我成を愛し貫くという我成思想であるという通説は一般的だが、しかし、本当にそうでしょうか?


ガナライズとは元来、劣悪なるミナモティブ思想及びドラチャニズムから野比を救い出し、ドバリっ気の高きふくよかおっちゃんギガマダムに娶る行いを指すはずである。名前は出さないが、某教祖が求めていた理想というのは、この点において表象されていると言っても過言ではない。


しかし、今日のガナライズとは非常に多元的な性格を帯びているという事実は否定できないだろう。最も著名な事例には全勝氏のフォカロルス、フリーナのカップリングがあり、そこで使われている構文および文章に宿っているガナリズム的精神は、前述の通り我成娶る思想とは似て異なるものなのである。


それは一種の博愛主義的な性格を帯びているものなのだ。ふくよかおっちゃんギガマダム、すなわち我成氏の表徴であるフォカロルスは、劣悪なるヌビディズム的思想に沈む愛しのフリーナを対象に、それを文字通りガナライズしている訳だが、そこにどうしてがなり娶るだろうか。ホワッチャ遺憾、遺憾よ?


某教祖は確かにがなのびという素晴らしいカップリングを生み出し、無数の構文とイラストを産んだ。しかし、単にミナモティブなものから野比を守り、娶り出産するという工程にのみとどまり、そこだけに某教祖はガナリズムを見出したのだろうか。


愛しの存在を娶るという点、産み直しによる深き愛情表現によりガナライズする点は同一だが、そこにはもはやガナライズの元来の対象であった野比や、某教祖が目指した理想の我成、すなわちふくよかおっちゃんギガマダムは存在しないのである。


肉氏某重大事件後、ガナリズム的精神論およびその構文は禁忌として扱われ、本人ですらその流麗な文体や構文、そして数々の傑作と決別をしてきた。ホワァ悲し。しかし残念だが突然の定めであるよ。そこで何故、何故某教祖が罰せられてしまったのか。


はっきり言ってドラチャズム的思想や、ミナモティブなものから野比を守ることに固執しすぎたのだ、彼は。偉大なる我成思想、それは言うまでもなく素晴らしい。だが何故、その優しさを外に向けられなかったのか?


ミナモティブ思想に傾倒すると判断した我成を校正するためにやっておったことなのだが、彼自身もまた傾倒していたのだ。某教祖の内的な要因だけでなく、外的な要因(某重大事件発生の根本的要因)にも繋がる。


我成氏に問いたい。野比を「どらやき」したとき、野比の艶棒は本当にタットレビアンだったか?彼は本当に、皮脂と尿が染ゅんだ枕を直視していたのか?


我成氏は行き過ぎていたのだ。野比に対しての愛が深すぎるあまり訪れた破滅。僅かなミナモティブ許さぬ思想、あだなり。


私はここに宣言する。新しい思想「修正ガナリズム」を。そして私は修正ガナリストである。


修正ガナリストとは現在、俗世で禁忌とされる我成×野比のプリミティブなガナリキュラムを離れ、某教祖が使っていた構文及び文法を扱い、博愛的な「ガナライズ」を目指す新思想である。


つまりここでのガナライズとは野比を愛し娶ることではなく、万物を愛し、自然を愛し、ミナモティブなものに代表されるような劣悪で詭弁に満ち溢れた思想を打ち破り、真理を探求し道理に導く行いである。


旧来のガナリズムの向けられた方向をあらゆる分野に拡張し、また禁忌とされるオリジナルのガナリズムから離れた思想であるという変更を加え、広範に受け入れやすくする為に一部の語法を禁じたり、文法を修正したりする点において、私はこれを「修正」ガナリズムと呼ぶことにした。


以下は簡易的な使用例でもあるまとめ。


私は修正ガナリストとしての自覚自覚自覚がまだ足りておらぬ。今後ともビバ美しいガナリズムに関しての研究にに励み続ける必要がある。ホワッチャッチャ行かん、行かんよ?我々の教祖が残した素晴らしい語録の数々を忘れるわけにはいかない。今からせ?

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肉あぶくは本当に我成野比を愛していたのか 反AI絵師nomaji(黎明の魔術師) @haruya1030

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