異世界から来た中堅冒険者のおっさん、極道に拾われて探偵やってます

鳥獣跋扈

第1話 転移してきた中堅冒険者

 最初に聞こえたのは、空間そのものがひしゃげるような、耳の裏を撫でる高い軋みだった。

 次に、皮膚の内側を熱が駆け上がる。骨の髄まで泡立つような、魔力の逆流。

 そして――視界が、反転した。


 白い光に目を焼かれる。

 反射的に瞼を閉じ、すぐに開く。


 そこは、見知らぬ土地だった。空が見えることから、外であることは分かる。


 踏みしめた地面は、固く均された砂利。

 夜気に濡れた石の匂いと、刈ったばかりの葉の香り。

 目の前には低い家屋。木と紙で組まれた直線の、妙に整った建物。

 頭上には、見慣れぬ形の灯りがぶら下がっている。魔石灯ではない。金属とガラスの枠の中で、黄白色の光がじんと瞬いている。

 どこかの邸宅の庭らしい。


(……転移、か)


 腹の底で魔力が渦を巻いていた。

 さっきまでいたのは、崩れかけた古代遺跡の最奥だ。罠の解除中、床に刻まれた転移陣がいきなり暴走し――そこから先の記憶が途切れている。


 自身の名を思い出す。

 バルド。ただのバルドだ。

 冒険者として身を立てて早十数年、そろそろ厄介者に片足を突っ込みかけている男。

 どうやら、記憶の混濁は無いらしい。


 ならば、目の前の光景は夢ではない。

 己の五感が、ここが幻術の類でないことを如実に知らせてくる。


 何よりも――音だ。


 庭を囲む塀の向こうから、怒鳴り声と、足音と、金属がぶつかり合う甲高い音が押し寄せてくる。

 それに混じって、短く乾いた破裂音。


 バルドは眉をひそめた。


(金属音……誰かが戦闘している?)


 次の瞬間、木製の引き戸が勢いよく開いた。


「親父さん、中へっ! 玄関はもう塞がれました!」


 血の匂いをまとった男が飛び出してくる。

 黒い上下に白いシャツ、貴族連中が着るような立派な拵えだ。

 その男は、裸の刃を握ったまま、外に向かって怒鳴る。


 男のすぐ後ろから、年嵩の男が姿を現した。

 濃い眉、きっちり撫でつけられた髪。

 ゆったりとした服に羽織もの、手には細い鞘。恐らくは長物だろうか。


 その男――後にバルドが“組長”と呼ぶことになる男が、庭の中央に立つバルドを見て、瞳を細めた。


 見知らぬ外人の男が突然、庭の真ん中に立っている。しかも、その様相がとても

 映画でしか見たことの内容な革と思われる鎧が、薄暗い庭の中でボウッと浮かんでいる。

 精悍な顔つきは、少しくたびれているようにも見えるが、それも一種の味になっているようで際立つ。


 一瞬、その場にいる全員の時が止まったかのように感じた。

 だが、それも長くは続かない。

 塀の向こうから、怒号が飛び込んできたからだ。


「おいコラァァ! 黒海会のクソジジイ、出てこんかいッ!」


 塀の一部が、破裂したように吹き飛んだ。

 木の板と土が舞い、そこから黒い影が雪崩れ込む。

 取り取りの格好をした男たちが十数人。

 手には短い金属の棒や、刃物を持っている。

 金属棒からは火薬の匂いが漂っているが、なにかしらの武器なのか。


「なんじゃコラああ!? 今さら増援か? どこの手のモンじゃ、てめえ!」


 一番前の男が、バルドを見て怒鳴った。

 酒と汗の匂いが、夜気の湿りに混じる。

 頬には薄い刺青。目は血走り、口端に泡を浮かべながら叫ぶ様子から、尋常の精神状態ではなさそうだ。


 バルドは、自分が完全に“場違い”の中心に立っていることを自覚した。

 だが、今まで味わってきた、遺跡の自動罠も、蛮族の乱入も、たいていこんな唐突さだった。

 大差はない。

 いや、目の前で吠えるのがの分、状況は多少楽観して良いだろう。


「……なにか、揉め事か?」


 冒険者同士での小競り合いも、よくあることだった。

 酒場での些細な口論から、刀傷沙汰になることもまぁ珍しくはない。

 目の前のの吠え声も、そう思うと微笑ましく見えてくる。


「はあぁ!? 調子乗っとんのかゴラァ!!」


 怒鳴り声と同時に、男は手に持った金属棒をバルドに向けた。

 引き金が絞られる。


 夜を裂く破裂音。

 火花と共に、腹部に、硬い拳で殴られたような衝撃が走った。


 布が裂け、皮膚が少しめくれる。

 熱と痛みが、ごく薄い線のように走って、すぐに消えた。

 代わりに、腹の奥に沈んだ魔力が、自動的に反応する。

 皮膚の下に薄い膜が張るような感覚。

 使い慣れた初級の身体強化術――それを意識するより早く、魔素の濁流が術式を勝手に補強していく。


 バルドは、自分の腹を見た。

 シャツの下に、少量の血が滲んでいる。

 傷は、もう肉の内側で塞がりかけていた。


 ポトリ、と間の抜けた音と共に鉄の礫が地面へと落ちる。


「なるほど、礫を飛ばすのか……少し、痛いな」


 そう呟いた声は、驚くほど落ち着いていた。

 撃った男の方が、目を見開いている。


「は……?」


 周囲の時間が、一瞬止まったようだった。

 次の瞬間、叫び声が爆ぜる。


「なっ……なんじゃお前ェ!? 防弾チョッキでも着こんどるんか!? 頭じゃ! 頭狙え!」


 男の声に合わせて、他の連中も一斉に金属棒を向ける。

 先ほどの火花に火薬の匂いに鉄の礫。どうやら遠距離攻撃用の武器らしい。

 だが、威力はお察しだ。あんなものではせいぜい異形頭小人ゴブリンどもを驚かすくらいにしかならん。

 狙うにしても、目か口内だ。


 バルドは一歩だけ前に出た。


 庭を駆け抜ける風が、髪を揺らす。

 砂利が靴の下で鳴る音すら、やけに大きく感じた。


 背後で、年嵩の男が低く叫ぶ。


「待てッ、その兄ちゃんは関係ないッ!」


 だが、襲撃してきた側の耳には届かない。

 彼らは、もう引き金を絞ることで頭がいっぱいだった。


 幾重もの破裂音が、重なった。

 眩しい閃光と、空気が裂ける鈍い圧力。

 鉄が肌を掠め、布を裂き、肩と腕にいくつかの“小さな痛み”を刻む。

 頭部に迫る礫は、意識して。他の部位は、避けるまでもない。


 それは、幾たびも浴びた魔獣の爪や、炎のブレスに比べれば、あまりにも軽い衝撃だった。


 バルドは自分の重心が微かに後ろに流し、そのまま地を蹴った。


 距離が縮まる。

 砂利が爆ぜる。

 襲撃者の男たちの瞳に、「近づいてくる」という理解が浮かぶ前。


 意識に届くより先に、バルドの手が、男の持っている金属棒に触れた。


 わずかに撫でるだけの動き。

 しかしその軌跡に沿って、男の手首の骨が軽く悲鳴を上げる。


「いっ――」


 悲鳴が声帯を抜ける前に、さらに肘が逆方向に曲がった。

 声にならない声。

 バルドはそのまま、別の男の胸ぐらを掴み、背後の二人まとめて庭石に叩きつけた。


 骨が折れる音は、思ったよりも鈍く響いた。


「お、おい……なんだこいつ……!」


「撃てッ! 撃て撃て撃て!!」


 慌てて構え直そうとした男の肩を、バルドの手刀が打った。

 肩甲骨が沈み、腕から力が抜ける。

 人の手によって生まれたとは思えない凹みが体に刻まれたが、生きてはいる。


 彼は殺さない。

 必要がないと思ったからだ。


 膝を蹴り砕き、握った拳を顎に叩き込み、頚椎を潰さないぎりぎりの強さで首をひねる。

 一撃ごとに、男たちの叫びと金属棒から出る破裂音が庭に散る。

 閃光と悲鳴、足音と骨の軋み。

 それらをすべて、バルドの意識は“騒音”として切り捨てていく。


 やがて、庭に立っているのはバルドと、先に駆け込んできた二人だけになった。


 襲撃者たちは、砂利と芝の上に転がり、呻き声を漏らすか、気絶して静まり返るか。

 死んでいる者はいない。

 だが、当分は立ち上がることもできないだろう。


 風が、少しだけ冷たくなっていた。


 ようやく、後ろで固唾を飲んで見守っていた男たちの息が戻る。


「……お、おい」


 最初に入ってきた若い男が、信じられないものを見る目でバルドを見上げている。

 その横で、年嵩の方の男がゆっくりと近づいてくる。


 若い男が止めようとするが、それを制してバルドに近づく。彼の足取りには怯えがなかった。

 むしろ、何かを確かめるような重さがあった。


「……あんた」


 低く渋い声。

 男は、バルドの眼を真っ直ぐに見た。


「なにもんだ。うちの庭に、いつの間に出てきやがった?」


 バルドは、ほんの少し考えてから答える。


「冒険者だ。さっき気づいたら、ここにいた」


「そうか、冒険者か」


 組長の口元が、わずかに歪む。

 笑ったのか、呆れたのか、その両方か。


「悪いな。庭を少し汚した」


 庭に転がる、いまだに呻く襲撃者たち。

 先に手を出されたので思わずしまったが、殺した方が良かっただろうか。

 地域によっては、殺さずに済ますことを否とする部族もいる。


 年嵩の男は、その様子を見て目を細める。


「……ふん。命の恩人に、そんな無粋は言わねぇよ」


 そう言って、服の袖を直しながら頭を下げた。


 目の前の男が、一定の地位を持つものだと、バルドも認識していた。

 それが頭を下げたことに、幾分かの驚きを見せる。


「黒海会の若頭――いや、今は親父の跡目、黒岩ってもんだ。……命の礼は、安くねぇ。あんた、名は?」


「バルド」


 短く名乗る。

 余計なことは言わない。

 いつも通りの答えだ。


 黒岩は、その名を一度反芻するように呟いた。


「バルド、ねぇ。……得体が知れねぇ。だが――」


 そこで、ふっと笑う。


「気に入った」


 庭の向こうでは、まだ遠くだがけたたましい警告音らしきものが鳴っている。

 この世界の“警邏”だろうか。

 できれば、金で解決できればいいのだが。そうだ、この地方は共通金貨を使えるのだろうか。

 そんな心配がバルドの脳裏をよぎる。


 黒岩はゆっくりとバルドの方に身を寄せ、低い声で告げる。


「ここじゃ、あんたみてぇな男は目立つし、何より俺の命の恩人だ。よかったら――しばらく、うちの世話にならねぇか」


 それは、酔狂の類に思えた。

 実際、後ろの若い男は目を丸くして、まさかといった顔をしている。


 バルド自身も、そう思った。

 自分の様な得体のしれない男を囲う理由もない。

 だが、どことも知れぬ土地に飛ばされ、帰りの当てもない。

 申し出は、願ってもないことだった。

 


 バルドは、夜気に満ちた魔素の重さを肺に吸い込みながら、一拍置いてから頷いた。


「……住む場所があるなら、助かる」


「おう、乗り気だな。いいぜ、そうこなくちゃな」


 黒岩の笑い声が、血と火薬の匂いに混じって庭に広がった。


 その夜、異世界から迷い込んだ一人の男が、現代日本の闇と仁義のど真ん中に、静かに足を掛けた。

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