第5話 聖女として

「……ただいま」


 一人暮らしなのだから、返事をする人なんて誰もいない。それでも癖というものはなかなか抜けないもので、先代に師事していた頃に共に暮らしていた名残で今でも言ってしまう。


 昨日の夜からずっと森の中にいたからだろうか。住み慣れた家の中の空気は安心感がある。そうたいして大きな家でもないが、一人で暮らすには十分すぎるくらい広い家だ。物が少ないせいで広く見える、というのもあるかもしれない。


「はい、おかえりなさい。一人暮らしであるのに挨拶を欠かさないとは、随分と律儀ですね」

「!?」


 閉めっぱなしだった部屋のカーテンを開けようとしたところで、後ろから声が聞こえてきた。思わず声の方向に向かって振り返ってしまう。このタイミングで、というか今この時間に家に上がり込んでくるような人間は一人しかいない。


「なんでノーゼンは当然のように私の家に上がり込んでいるんですか!?」

「朝から騒がしい聖女ですね。近所の方に驚かれますよ?」

「その原因を作っているのはノーゼンなんですけど……」


 もう既に自分の家かのような様子で椅子に座っている……

 この人は私たちの関係性を本当に理解しているのだろうか? 私は聖女で、ノーゼンは魔女。そして殺す者と、殺される者。そんな歪な関係で成り立っている私とノーゼンは、なぜか今同じ屋根の下にいる。


「はあ……紅茶でいいですか?」

「おや、今から紅茶ですか? 眠れなくなってしまいますよ」

「いいんです。今日はこのまま街に出て仕事をするので」


 疲労感こそあるが、一晩寝なかったくらいで弱音は吐いていられない。民たちにいち早く先代から変わってしまっても大丈夫だと分かってもらえるように、そして一日でも早く力を付けてノーゼンを殺せるように。


 そのために、休んでなどいられない。私が一日動かないだけで、困る人は相当数増えるのだ。今もどこかにいる困っている人を放っておくことなんて、私にはできない。


 カーテンから入り込む朝の陽射しが眩しくなってきた。そろそろこの国の民たちが動き出している頃だろう。一日かけて国の様子を見て、困っている人がいればその助けになる。少し急がないと、日が暮れるまでに戻ってこれなくなってしまう。


 二人分の紅茶を淹れて、ノーゼンの対面に座る。来客用の椅子と机があってよかったな、と心の隅で考えてしまった。この魔女を来客として扱っていいものかは、少し疑問ではあるけれど。


「ふむ……なかなか美味しいですね。これから朝はあなたに紅茶を淹れてもらいましょうか」

「なんで住み込む気満々なんですか……」


 もうダメだ。このままノーゼンと会話していると無駄に脳のリソースを割いてしまう。このままだとこの後の仕事に支障が出てしまいかねないから、会話は最小限に留めよう。


 一杯だけ紅茶を飲んで、外出の準備を整える。森での行動で服は汚れてしまったから、別の服に着替えよう。


 疲れは見せないように、髪も整えて、なるべく普段通りに。聖女が普段通りの姿でいなければ、民は不安がってしまうから。


「それでは、私は出ます。ノーゼンは……」

「私も行きましょう。ああ、魔女だとはバレないように動きますのでそこはご心配なく」


 ……なんか、もう当然のように私についてくるな、この魔女は。一体何が目的なのだろう。私に殺されることだけが目的ではないのだろうか?


 ……いや、考えていても仕方がないか。どうせ謎だらけの魔女なのだから、今全てを理解する必要はないだろう。それよりも、目先の民たちの悩みを解決する方が優先度は高い。


 家の扉を開ければ、少々眩しすぎるように感じる太陽の光のお出迎え。徹夜明けの身体には、少し強すぎる陽射しだ。


「行ってきます」


◇ ◇ ◇


 私の家はジオスパイロスの街からは少し外れた場所。一番人でにぎわっている区画に出るまでは、少しだけ歩かなくてはならない。だから、歩いている間に誰かと会うことだってあるのだ。


「おや、聖女様ではないか。魔物除けの結界は、張りなおしてくださりましたかな?」


 出会ったのは、昨日の夜に結界の張りなおしを頼んできた商人さんだった。大きな荷車を引っ張っているから、森を渡って隣国へと商売をしに行くのだろう。


「はい、辺り一帯はもう安全だと思います」

「そうか。しかし、聖女であるなら結界の効力が弱まる時期くらいは把握しておいてほしいものだ。先代なら、それくらいはできていたとも」


 ……やっぱりこうなるか。

 先代なら。その言葉をもう何度聞いただろう。比較され続けることは仕方のないことだと分かってはいるのだが、それでも毎日のように同じことを言われ続けるのは少しだけ辛い。


「そう、ですね。今後、もっと気を付けようと思います」

「魔物による被害が出てからでは遅いのだよ。聖女であるのなら、もっと先代のように民のことをだね……」


 朝っぱらからここまで言われるとさすがに嫌になってくる。

 しかし、この商人さんの言っていることは正しいのだ。実際、魔物による被害が出てしまったら魔物除けの結界を張りなおさずにいた聖女の責任となる。


 それからどのくらい商人さんの言葉が続いただろう。話していることは、私がいかに先代と比べて劣っているかということばかり。話を聞いていた時間は二分も経ったか怪しいくらいなのに、途轍もなく長い時間のように感じられた。


「おっと……もうこんな時間かね。では、私はそろそろ失礼するよ」


 結局、言うだけ言って商人さんは去って行ってしまった。これでは、民から認められるどころか信用を失っていくばかりだ。もっと、できることをこなしていかないと。


 思わず拳を握りしめてしまう。

 私にもっと力があれば、私がもっと民に寄り添えていれば、私がもっと先代のように頼りになる存在であれば。考えるのは、そんなことばかり。


「……いつも、あんな調子なのですか」

「ノーゼン……? あんな調子、というのは?」


 これまで何も話さなかったノーゼンが口を開いた。そういえば、商人さんはノーゼンの方には目を向けることすらなかった。魔女だとバレないように動く、とは言っていたけれど何も話さないことがその答えなのだろうか。


「民たちからの反応ですよ。あの商人、あなたへの礼の言葉を全く口にしませんでした」

 

 礼の言葉、か。

 最後に聞いたのはいつだろう。私が聖女になってからは聞いていない気がするな。しかし、礼を言われないのが当たり前なのだろう。民を助けることは聖女としての義務なのだから。義務を果たしただけで礼を言われる訳がない。


「礼の言葉なんて、あるはずないじゃないですか。だってこれは聖女としての義務なんですから。義務を満足に果たせていない聖女には、あれくらい言われて当然です」


 そう、あれくらい言われるのが当然なのだ。何度も同じことを言われるのは辛いけれど、それは全て自分が招いたこと。私はそれを受け入れるしかない。


 時間を見ると、普段街を見て回っている時間を過ぎていた。少し話過ぎたかもしれない。急がなければ。


「街に出ましょう。ノーゼンは……ついてくるなと言ってもついてきますよね」

「もちろん。あなたがうっかり通り魔にでも遭ったら困るので」


 通り魔って……

 そんな物騒な人は、今日日この国にはいないだろう。いたとしても、せいぜいスリがいいところだ。歴代の聖女が平和な国を形作ってきてくれたのだから、私はそれを維持しないと。


 そのために、私は今日もジオスパイロスの街へと繰り出すのです。国の平和と安寧を守るために。聖女として、認められるために。


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拝啓聖女様 あなたに殺されに来ました 桜花滝 @onotaki

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