第4話 先代聖女

「私の知らない……先代の……?」

「はい。いくら師事していたとはいえ、彼女の全てを知っている訳ではないでしょう?」


 それは確かにそうだが……


 自慢ではないが、私は先代についてのことはかなり知っている自信がある。先代に師事していた期間は、ずっと傍で見てきたのだ。先代がどのような人間であるのかは、ある程度は分かっているつもりだ。


「そうですね……例えば、あなたに全ての引き継ぎを済ませた後の彼女のことは知っていますか?」


 それはつまり先代が引退した後のこと、という意味だろうか。言われてみれば、正式に私が聖女を引き継いだ後は先代のもとに顔を出していない。先代に恥じない聖女であろうと意気込んで、ずっと人々の声に耳を傾けていたからだ。


 それでも、あの先代のことだ。きっと引退をした後でもしっかりとメリハリのついた生活を送っているのだろう。なんなら、今でも現役時代の名残で自分にできることを探していそうですらある。


「その様子だと、やはり知らないようですね。顔を合わせることすらしていないのではないですか?」

「うっ……はい、その通りです……」


 私が正式に先代から聖女の肩書きを引き継いでからもう二年ほどは経つ。その間、まったく先代のもとに顔を出さなかったというのは、さすがに失礼だったかもしれない。


「たまには顔を見せてあげなさい。彼女、結構あなたのことを心配していますよ」

「えっ……」


 先代が、私のことを……?


「ああ、あなたの実力について心配している訳ではないですよ。むしろ、働きすぎていないかの方面でしたね」


 正直、全くと言っていいほど想像がつかない。私の知っている先代は厳しく、厳格で、それでいて常に頼もしい背中を見せてくれる人物だった。聖女とはこうあるべき、そういう姿を常に私に教えてくれる人。


 心配をするような時間があるのなら、その間にできることをやる。民たちのことを第一に行動することは当たり前で、国の平和を保つためにできることを考える。そこまでできるようになって、やっと一人前なのだと。先代は、そういう人だったと記憶している。


 その先代が、私のことを心配しているだなんて……


「まあ、あなたが何の問題もなく引き継ぎを済ませてくれたおかげで肩の荷が下りたのでしょうね。あなたが今こうして聖女の仕事を全うしてくれているおかげで、彼女にも心配をするだけの余裕ができたということです」


 知らなかったし、考えたことすらなかった。先代にも、人を心配することがあったなんて。少なくとも先代の心配の矛先は国の未来だとか、民たちのこれからだとか、そういった規模の大きいものにしか向かないと思っていた。


 それが、私という一個人に向けた心配になっているというのは少し嬉しいことでもあった。先代に比べたら、私はなんてことない普通の聖女だと思っていたから。聖女としての仕事ができるように育てはしたけれど、必要以上に肩入れはしない。そういう人なのだと。


 先代に師事していた時のことを思い出してしまったからだろうか。胸の内に熱い感情が込みあがってくる。久しぶりに会いたい、またあの時のように厳しく私の背を押して欲しい。朝日に当てられながら、そんなことを思ってしまう。


「まだまだ話すことはありますよ? 彼女が聖女になる前の話とか、聖女見習いの時に修行から逃げ出した話だとか、あとは……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 今何か聞き捨てならないものが聞こえた気がする。

 なんだって? 見習い時代に修行から逃げ出した? あの先代が? そんなことあるはずがないだろう。だってあの先代だぞ? 歴代最高の聖女とすら言われた先代が、見習い時代に逃げ出すようなことをするはずがない。


 いやそこも気になるところだが、それよりも気になるのは……


「なんですか、いきなりそんな大声を出して。まだ朝方ですよ?」

「なんでそんなに先代のことを知っているんですか……」


 いくらなんでもおかしいだろう。なんでこの人は私の知らないような先代のエピソードがポンポン出てくるんだ? 私、これでも先代とはかなり付き合いが長いはずなのだが……


「なんで、と言われましても……私は魔女ですし、聖女に関する情報を集めておくことくらい自然ではないですか?」


 自然……自然なのか? 自然である、と言われればそんな気もしてくるし、それで納得してしまうのも何か違うような気もする。


「ああ、当然先代に限らず歴代の聖女のことは記憶してありますよ。その中にはあなたも入っていますけど」


 にっこりと微笑みながらとんでもないことを言われた気がする……

 嘘をついているようには見えないし、本当に伝説通り千年以上生きているのかもしれない。もし本当にそうなのだとしたら、私は本当に彼女を殺せるのだろうか……


「おや、残念ですがもう時間のようですね。あなたの家に着いてしまいました。続きはまた今度話すこととしましょう」


 その言葉を聞いて、私はやっと見知った景色の中にいることに気が付いた。どうやら私は物事を考えていると周囲が見えなくなってしまうらしい。


 この悪癖はすぐに治した方がいいだろうな……

 これのせいで、今日は危うく命を落としかけたのだから。


「その、今日はありがとうございました。命を助けてもらって、その上先代のことまで教えてくれて」

「とんでもない。これも全て自分のためなのですから。一日でも早く、あなたにこの命を絶ってもらうためにやっていることです」


 ……まただ。最初に、私に殺されに来たと言い放った時と同じ、穏やかな表情。なぜ彼女は、ノーゼンはこんな表情で自らの死を望むのだろう。


 私には理解できない。ノーゼンが何を考えているのか、本当に私に殺されることを望んでいるのか、彼女のどこに本心があるのかすら。


 ノーゼンの見せる穏やかな表情からは、何も読み取ることができない。森の中で本心から死を望んでいるように見えたのは錯覚だったのではないか、この表情を見るとそうとすら思えてしまう。


 朝の陽射しに照らされたノーゼンの表情は、どこか儚げで、そのまま消えてしまうのではないかとすら思えるものだった。

 ノーゼンが私に死を望む理由は、一体どこにあるのだろう。その答えを見つけることは叶わないまま、私は自分の家に戻ることしかできなかった。

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