あんたの味覚についていけない
萬多渓雷
先輩の味
佐野さんの墓前に彼の好みだったタバコと飲み物を置き、同じものを俺は手を合わせた後、線香の匂いとともに口に含んだ。別に命日ってわけでもない。ただ時々ここに来たくなるときがある。別に悩んでるわけでも、故人に何か報告をするようなことがあるわけでもない。幼馴染の家に気まぐれでお邪魔するような感覚で、俺はここに来ることがある。多分、先輩として普通に佐野さんが好きなんだろう。いつまで経ってもこの食い合わせは好きにはなれないけど。
———
「飯だな。和希どうする?」
「俺、弁当あるんで。佐野さんは?」
「俺は…いいや。飲み物買ってくるけど、コーヒーでいい?」
「あぁ。あざっす。ホットで。…ってか、また負けたんすか?」
「うるせーなー。買った時がデカいんだよ。車、エンジンかけておいて。」
測量の仕事を始めて半年。高校を卒業した後、別に何かやりたいこともなく、二年ほど適当にアルバイトをやっていたが、今一緒にいる佐野さんからこの仕事を紹介してもらって勤めている。
佐野さんは中学時代の部活の先輩。当時の彼は勉強のできない明るい人。この仕事も自転車に乗り、意味もなくダラダラ徘徊していた時に事務所の扉についていた求人を見つけノリで就職したらしい。俺もそうだが、多分佐野さんと交流のある人たちは彼のことを"愛らしいバカ"という印象を持っていると思う。ここ最近、その愛らしいという部分が変わり始めていた。
中学時代、そこまで厳しいものではなかったが部活特有の上下関係の中で、二つ上の佐野さんは同じ小学校だった俺を可愛がってくれた。サッカー部で県大会に出られれば御の字というようなレベルだったうちの部活は、勝利に懸ける思いよりも、いかに面白い青春を謳歌できるかに魂を捧げていた。
佐野さんはサッカーだけでなくそういった面でもスタメンだったと思う。常に部員を笑わせ、後輩に優しく、あの人柄のおかげで部活に行きたいと思わせるような人だった。学年が違かったため詳しくわからないが、学年の中でもトップクラスで勉強ができず、受験の時には名前を書けば受かると言われていた通信制の学校にもしっかりと落ちていた。不良生徒ではなく、内申点に大きな問題を抱えているわけでもなかったため、シンプルな学力不足で落ちたのだと言われていたこともあり、多分大層な勉強嫌いだったんだと思う。
"バカな先輩から誘われた仕事"ではなく"可愛がってくれていた優しい先輩から紹介された仕事"と思えるほどに俺の中の彼の印象は良いものだった。だから俺は今この仕事をしている。当時の印象は変わらず、またその人柄は現場にいる監督や上司、社長にも気に入られていて、俺は中学の時と同様に先輩のおかげで良い環境で仕事を始めることができた。
今ではコンビのように扱われ、事あるごとに先輩と現場をともにしている。居心地も良く別に不満はなかった。しかし仕事を覚えてきた最近、人柄の良さだけでは目をつぶれない程に彼がバカであることに少しだけ嫌気がさしてきていた。
仕事の段取りの悪さや、ちょっとした粗相が多すぎるのである。道具の移動や配置、順序など、どれもこれも効率が悪い。松田さんというベテランの先輩と共に数回仕事をしたことで彼の段取りの悪さに気づいてしまった。
一日に二、三現場回らなければいいけない日。俺は残業まで覚悟していたが、松田さんは段取りよく作業を進め、俺の使い方も的確で普段との違いにかなり驚いた。結局その日は定時が十八時のところ十五時には作業を終わらせ事務所に帰ってくることができていた。
「佐野はまあ、効率悪いしミスが多いのが玉に瑕だけど、それ以上に監督に気に入られてるからな。そのおかけで貰えてる仕事もあるし。」
松田さんは佐野さんとは違うタイプの良い人で、言うならば"人格者"だった。会社一仕事ができるキレ者の上に、誰に対してもストロングポイントを見つけてそれを評価する。俺には『佐野さんの面倒を見て、程よく飼い慣らすことができる素質があり、佐野さんにとって必要不可欠な人材で、それは必然的に会社にとっても大事な人』だと言ってくれた。
金本さん。通称キンちゃんのことも松田さんは見離さなかった。金本さんは佐野さんと同時期に入ってきた人で、他の社員に比べおっとりとしていた、また佐野さんとは対照的に物静かであまり社交的ではなかった。建築現場での仕事においてコミュニケーションは重要な役割を担っているが金本さんはそこを得意とはしていなかった。
「キンちゃんは、仕事の質で説得していくタイプなんだよ。丁寧で確実。速さを然程求めていない現場だったら彼の仕事はピカイチだろうし。あと、あいつ字が綺麗なんだよ。そういったのも大事なんだ。」
時々、他の社員が金本さんの仕事の遅さや社交性の無さを批評しているところも聞いたことがあるが、松田さんの口からそんな言葉を聞いたことは一度もなかった。佐野さんも誰かを腐すようなことを言ったことはないが、多分それは、そういったことに疎いからだろう。
ベテランで人格者の松田さんと比較してしまうのは酷だとは思うが、それを知ってしまってからの俺は、佐野さんとの日常に少しだけ損な役割を与えられていると思い始めていた。一日で数現場を回らなければならい時には決まってどこかで忘れ物をするし、会社の道具や現場での借り物を二ヶ月に一回は落とすなりで壊してしまうし、どうしてもパソコン業務が苦手だと言って、事務所でのデスクワークはほぼ俺に投げやりだし。
「それ、亘(佐野)のやつか?まあ和希がやっちゃった方が早いしな。ありがとな。」
「佐野さんが肉奢るって言ってたんで。まあ本当かどうかわかりませんが」
「ははは。まあ亘の強みはそこじゃねぇからな。あいつのおかげで和希の仕事もあると思って。よろしくな。」
社長にこんなことを言われたら、断れるわけもない。しかし、その絶大な信頼を置かれているコミュニケーション能力も日によっては仕事が長引く原因になっていると、俺は誰にも愚痴を言うことができなかった。
冬至を間近にし、駐車場から一般家庭のステイタス指標とも言えるイルミネーションが、日中にも関わらずチラチラと光っているのを片目で見ながら冷えた弁当の蓋を開けた。そこに両肩を上げながら佐野さんが車に戻ってきた。佐野さんはパチンコで負けた翌日は決まって昼飯を抜き、飲み物と二、三本のタバコで昼休憩を凌ぐ。
「ほれ。」
「ありがとうござい…えぇ〜。これ激甘のやつじゃないっすか。」
「お前のその顔好き〜。奢ってやんってんだから文句言うな!その唐揚げ食っちまうぞ。」
佐野さんが奢ってくれたのは、コーヒーだと言うのに真っ白のラベルをしたもので、俺が望んでいたコーヒーとは程遠いものだった。なんだかこういう先輩からのイジリのあるノリも、最近では仕事の出来なさを見た時のように笑えなくなっていた。
到底弁当との相性も悪いわけで、俺は持参しているお茶と一緒に弁当を胃に流し込んだ。そしてタバコに火を付け、奢ってもらった甘いコーヒーの蓋を渋々開けた。二人で缶を片手にタバコを吸う時間は、どんなことがあってもやっぱり嫌いになれない。この居心地を嫌になれないということは、俺はまだ佐野さんに対してそこまでの失望をしていないということなんだろう。
佐野さんはおしるこを買って飲んでいた。彼が二本目のタバコに火を付けた時に、俺は思い出したかのように違和感を感じた。
「おしるこ買ったんすか?」
「ん?うん。寒いしな。あ、こっちの方が良かった?」
「いや、………え?おしるこっすか??」
「なんだよ!好きんだよ。甘いの嫌いか?」
「いや、違くて。……佐野さんタバコ、メンソールっすよね?」
さっきまで話していた人柄だとか、仕事のできるできないとか。そんなことどうでも良くなるくらい、俺は佐野さんの奇天烈な食い合わせに驚愕してしまった。メンソール。つまり口内がスースーするものとホットの激甘汁を好んで飲んでいるということに俺の理解は追いつけなかった。
頻繁に飯を共にしてきた中で、佐野さんの食の好みはこれといって気になるところはなかった。子供みたいにトマトとピーマンが苦手で、甘味やしょっぱい駄菓子を好んで食べるようなところは、俺との好みの違いであって変ではなかった。しかし、メンソールとおしるこの組み合わせは世間一般的にも変だろうと、俺は佐野さんに初めて自我を強く主張した。
佐野さんは確固たる理由はなく『俺の好みの話だから良いじゃないか』というぐらいの反論しかして来ず、俺は珍しく彼の奇天烈に熱くなった。すると、それに飽き飽きしたのか、佐野さんは二本目のタバコを吸い終わったタイミングで、少し真面目な表情で話をしてきた。
「お前さ、松田さんとキンちゃんのこと、どう思ってる?」
俺の気を逸らすにはあまりに雑な話の変え方だった。急な話題に少し戸惑ったが、俺は佐野さんからの問いに正直に答えた。簡単に言えば『どちらも嫌いではなくて、松田さんはすごい人で、金本さんは仕事ができるタイプではない』というような内容を返した。
「うん。まあそうかもな。…今から言うことは、多分会社の中で俺と社長しか知らなくて、そんでもって、他には言わないでおいてほしいんだけど。約束できるか?」
「…はい。佐野さんのベロがバグってるってことですか?」
「ちげーよ。…まず、松田さんな。あの人、実は頻繁に援交やってんだよ。」
俺は驚愕し、ちょうど口に含んだタバコの煙を吸い違い咽込んだ。それをみて佐野さんは想像以上のリアクションが返ってきたと大笑いした。どうやら松田さんは見かけによらず、夜な夜な女子大生や女子高生と援助交際をしていて、挙句には社長に結構な額の借金をしているらしい。
そして金本さんはというと、実は結婚していて前職は教師だったらしい。加えて奥さんは交際していた時期に大きな事故に合われて今も車椅子生活をしていて、金本さんはその介護もするために転職してきたという経緯があった。
「すげぇよなキンちゃん。かっけぇよ。このこと、社長と俺にしか話してないらしい。松田さんのやつも本人から。というか、一緒になった時に携帯見えちゃってさ。言い逃れできずって感じだわな。人は見かけに寄られねぇよな。」
最後の言葉は佐野さんが先に言わなければ、俺が口に出していただろう。いつもは感じない先輩の顔をする佐野さんは、おしるこの缶で暖を取るように手の中で揉んでいた。
「別に、なんでもかんでも疑ってかかれってことじゃない。ただ、知っちまった時に自分はどうするかって、考える時もあるよなってことだよ。…ほら、やってみ?結構イケるぜ?」
そう言うと佐野さんは俺におしること自分のメンソールのタバコを俺に差し出してきた。さっき聞かされた事実への驚きが引き切っていない俺はその二つを流れるように受け取り、彼のと同じように口に含んだ。
その時の俺にはやっぱりその"先輩の味"を楽しむことはできず、その味は仕事を終え風呂に上がった後でも口の中に残っていた。
———
佐野さんが亡くなって三年。この仕事も長くなり、会社では後輩の方が人数が多い立場になっている俺は、まだこの味を好きとは言えなかった。それでも、この場所に来たときだけは、佐野さんと一緒に、あの時間のように過ごしたいと思ってしまう。佐野さんが持っていた一番大事なものは、あの日から亡くなるまでの八年間でも知ることはできなかった。あんな顔をしたのも後にも先にもあの日だけだったわけだし。
でも、多分それは俺の好きなことじゃなくて、でも大人として大事なことで、今は少しずつ楽しめるようになってきたんだと思ってる。
「こんな食い合わせを後輩たちに見られたら、多分、俺が勧める定食屋には誰も行ってくれなくなっちゃいますよ。」
佐野さん。あんたの味覚についていけない。でも、ついていけたいいなって俺は思います。
あんたの味覚についていけない 萬多渓雷 @banta_keirai
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