彼女の人生のある部屋

青川メノウ

第1話 彼女の人生のある部屋

八十二歳の鈴江さんは、高齢者施設で暮らしている。

軽い認知症があるものの、年相応の物忘れ程度で、日常生活に支障はない。

広い施設の中を、シルバーカーを押してあちこち移動し、日々気ままに過ごしている、普通の元気なおばあさん、という感じの方だ。

施設に入る前は、自宅でずっと一人暮らしを続けてきたが、血圧が高めだし、心臓に不整脈もあるしで、子供たちが心配して、入所することとなった。


施設で働く、若い介護士の千夏は、鈴江さんの担当だ。

「前の担当、このあいだ、辞めちゃったでしょ。だから、後任を千夏ちゃんに、お願いして、いい?」

と、主任から頼まれて、

「鈴江さんって、ほとんど介護の手がかからないし、楽そうだから、ま、いいか」と思って、気安く引き受けた千夏だったが……


「それが、まちがいだった。ごねとけばよかった……」

後悔先に立たず。

鈴江さんの個室は、私物で溢れかえって、足の踏み場もないほどだった。

ほとんどゴミ屋敷だ。

話には聞いていたものの、まさかここまでとは。

「ちょっとこれ、まじ、ひどくない?」

千夏は唖然としてしまった。


鈴江さんは、施設に入所する時、あれもいる、これもいるで、なんでもかんでも、手当たり次第に施設に持ち込んだ。

入所してからも、たびたび娘さんに持って来させるなどして、物がどんどん増えていった。

鈴江さんは高齢だが、身体はそれほど不自由でなくて、元気もいいから、自分で片付ければいいものを、絶対にやらない。

担当の千夏が頭を下げてお願いして、なんとか取り掛かってもらっても、すぐに、

「し、心臓が、胸が……」

と嘘か本当か、苦しそうにするので、一応ベッドに寝てもらい、看護師を呼ばなきゃならなくなる。

結局、身体はどこも異常なし。

いちいち面倒くさいから、担当の千夏がやるしかなかった。

業務時間中は、そんな暇なんてないし、休み時間や仕事が終わってからだ。

ただし、せっかく片付けても、三日もすれば元通り、ごちゃごちゃだ。

とにかく物が多すぎるのだ。


「いさぎよく、捨てましょう」と促しても、

「あれも大事だし、これも大事だし、捨てるなんてとんでもないわ。青春時代の思い出の品とか、全てが私の人生そのものなの」

と鈴江さんは意地でも頑張る。

ほんと始末に負えない。

「じゃ、せめて、一緒に片付けましょう」

「む、胸が……」

「もう、いい加減にしてください。無駄ですよ。嘘だってわかってるんですから」

「胸がぁ」

「まったくもう」

「む、ね、く、くるし」

「あれ? 鈴江さん、え、まさか、ほんとに? 大丈夫ですかっ」

「うふふ、冗談よ。本気にした? うまいでしょ。若い頃、演劇やってたの」

「も、知りませんっ!」

千夏は前任者が辞めた理由が、わかった気がした。


「でも、それが、ついに本当になるなんて」

心筋梗塞、脳梗塞と立て続けに起こり、認知症も一気に進んで、鈴江さんは、半年もしないうちに、完全に寝たきりの状態になってしまった。

今では目の動きとか、わずかな表情の変化で、かろうじて意思を確認できるくらいだ。

「あんなに元気だったのに。もうちょっと、優しく関わっておけばよかったかな。でも、ほんと、部屋ひどかったし、きつく言わないと、片付けさせてくれなかったし」


今、部屋はすっきりした。

大量の私物は、娘さんが整理して、全て持って行かれたから、余分なものは、なにも置いてない。

引き出しに入るだけの衣類と、チェストの上に家族との写真が一つ飾ってあるくらいで、がらんとしている。

以前とは真逆で、殺風景すぎて、部屋にいる人の意思がほとんど感じられない、と千夏は思った。

「でもこのほうが、介護をするには楽なんだよね。複雑な気持ちだけど」

頑固で、我を通して、決して譲らず、自由奔放で、部屋は散らかし放題。

鈴江さんのような利用者は、正直言って、願い下げだ。

「誰に対しても笑顔で寄り添い、ケアをするのが、介護の仕事の基本。こんなこと思うんじゃ、介護士として失格だな、でも以前の大変さを思い出すと、しょうがないかなあ」

と千夏はため息をついた。

利用者と関わるって、本当に難しい。


それから何日かして、千夏は、鈴江さんの部屋のチェストを整理整頓していて、引き出しの奥に一枚の映画のポスターが、挟まっているのを見つけた。

〈風と共に去りぬ〉

古い映画だが、千夏もタイトルだけは知っていた。

「そういえば、鈴江さん、若い頃夢中になって、何度も映画館に足を運んだって、話してたな」


千夏はベッドで目を閉じている鈴江さんの前にポスターを広げて、優しく呼びかけた。

「鈴江さん。この映画、覚えてますか? 誰かと見に行ったんですか?」

鈴江さんは目を開けて、ポスターを見たものの、無表情のまま何も答えない。

「これ、壁に貼っておきましょうか?」

返事はなかったが、貼ることにした。

「恋人と行ったのかな? だったら、鈴江さんの青春の象徴かもね」

そんなことを思いながら、ポスターをベッド正面の壁に貼った。

「うん、こんな感じかな」

無機質な部屋に、少しだけ温もりが戻った気がした。

「鈴江さん、どうです?」

ポスターを見つめる鈴江さんの表情が、少しずつ和らいで、優しい笑顔が浮かんだ。


※関連小説 [わたしの小さな鍵]

https://kakuyomu.jp/works/822139841261228471

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