第9自治区
岸亜里沙
第9自治区
舗装されていない細い林道は、木々が生い茂り、昼間でも薄暗い。この林道の先には第9自治区と呼ばれる謎の集落があるはずだが、人の往来はおろか、野生動物の気配さえ皆無だ。
真夏にもかかわらず、首筋を
柳の葉が私の胸騒ぎと呼応するかのようにざわざわと揺れると、風はまた一瞬で収まり静寂が訪れる。
動画配信者の
「どうすんのよ。これじゃ配信出来ないじゃない。昨日から謎の集落探検って告知してたのに、
桑森はバックパックに詰め込んだ機材を眺めながら頭を抱えていたが、そんな時、バックパックの奥底にしまい込んでいた、昔から持ち歩いているデジカメに目が留まった。
「画質は悪いけど、せめて記録だけ撮って、それを後で公開するでもいいか。その方がリアリティーがあるかも」
持ってきたバックパックを、林道の脇の岩影に置くと、桑森はデジカメだけを持ち、林道へと足を踏み入れる。
動画配信の
桑森はデジカメの電源を入れて動画を撮影しだすと、ナレーションのように喋りかける。
「今、第9自治区っていう地図には載ってない集落に向かってるんだけど、何故かビデオカメラもスマホも使えなくなっちゃって…。だから急遽、古いデジカメで撮影してるんだけど、この林道、怖いくらい静かな場所。真夏の昼間なのに、薄暗くて肌寒いわ。心霊とか、そういった怖さではないんだけど、なんだろう、なんか嫌な感じがするの」
デジカメで周囲の林を映しつつも、時折自分の顔を映す。動画配信者として、エンターテイメントを重視した構図や撮影アングルなどを桑森は熟知しており、現在の状況を的確に伝えていく。
「この林道は車だと通れないかな。人、二人分くらいの幅しかないもん。この先の集落の人は、車を持たないで生活してたのかな?ていうか、人の気配も、動物の気配もないのよ。これだけ木々が生い茂ってるんだから、小動物とか、昆虫くらいいそうなのに…。昼間だからまだいいけど、夜中だったら女一人で来ると怖いわ。街灯も無いし」
足元に注意を払いながら、桑森は林道の奥へと進んでいく。代わり映えせず、動画映えもしない単調な風景に内心
本当にこの先に謎の集落などあるのだろうか。
そんな懐疑的な考えを
暫く歩いた桑森は、林道の脇に小さな畑を見つけ、そこに佇む人影を目にする。
「あっ、あそこに人が居ました。畑仕事してるんですかね?ちょっとこの先の集落について
桑森はデジカメを持ちながら、畑の脇に立っている初老の男性に声をかけた。
「あの、すみません。私、今動画撮影をしてまして、もし良かったらちょっとお話を聞かせてもらってもよろしいでしょうか?」
すると男性は驚いた表情で桑森を見る。
開いた口は塞がらず、まるでメデューサを見て固まった石像のよう。目を見開き、無言で桑森を見つめていた。
「あの、この先に第9自治区って呼ばれる集落があるかと思うんですが、詳細ってご存知だったりしますか?」
すると男性は表情を曇らせると、
「お前さん、どっから来たんじゃ?早く此処から出なさい。そうしないと、手遅れになる」
「手遅れって、どういう意味ですか?」
「此処は、時間封鎖された村じゃ。この村では時間は動かない。止まったままなんじゃ。だからわしも、この場所から動けなくなってしまった」
男性の話を桑森は呆然と聞いていたが、理解が追いつかず頭を抱えた。
「えっと、時間封鎖ってなんですか?時間が止まるってどういう事ですか?私たち普通に話していますし、時間は止まるはずなんてないですよ」
「まだお前さんには普通だと感じるかもしれんが、此処では、第二次世界大戦中、軍の極秘実験が行われていたんじゃ。時間を操作する実験がな。そして、遂に軍はこの村の時間を止めてしまったんじゃ。ほら、空を見てみなさい」
男性の言葉を聞き、桑森はデジカメを空に向ける。そこには空に浮遊したまま静止している鳥の姿があった。
「えっ?あれって本物の鳥ですか?」
桑森は驚愕する。
「そうじゃ。此処に滞在し続けると、あなたの時間も止まってしまう。肉体は動かなくなるが、意識だけは永遠に死なない。無の牢獄じゃ。早くしないと、戻れなくなるぞ。急ぐんじゃ!」
男性の声に驚き、桑森は来た道を急いで引き返す。
しかし時間封鎖の影響だろうか、懸命に走っているのに、周囲の景色がまるでスローモーションの動画を見ているかのようにゆっくりと流れるだけだ。身体が動かなくなってきている。
「ど、どうしよう…。早くここから出ないと…。早く…、早く…」
懸命に走る桑森の眼前に、ようやく林道の出口が見えてきた。
第9自治区 岸亜里沙 @kishiarisa
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