とある村での裏伝承
*桜花*
ある村の伝承
昔々、ある村に、京太郎という名の男がおった。
その男は、日々の畑仕事で鍛えられた屈強な体躯をもち、村一番の力自慢。
村の者をよく手助けし、皆から頼られ、慕われておった。
その姿に惚れた庄屋の娘、お松が、京太郎を婿にしたいと言い出した。
京太郎の評判は知っちゃあいるが、庄屋としては家柄の良い婿を迎えたい。
庄屋は、この縁組に反対した。
京太郎は、庄屋に従い身を引こうとしたが、お松はどうしても諦められない。
幾度となく父親の説得を試みるも、庄屋は頑としてそれを聞き入れなかった。
やがて庄屋は、土地の有力者の息子との縁談を進めてしまう。
思い詰めたお松は、父親を亡き者にするしかないと考えた。
しかし、京太郎と
その日からお松は、夜な夜な丑の刻参りをすることにした。
恋路を邪魔する父親を亡き者にするため、藁人形に五寸釘を打ち込んだ。
次第に父親は
庄屋は、お松に「早く良い婿を迎え、後継を育てるべきだ」と諭す。
それは、京太郎であってはならないと。
しかしお松は、京太郎と
庄屋は、それでも京太郎との祝言を、絶対に許さなかった。
──お松の縁談が決まる前に、庄屋は息を引き取った。
お松は村人たちに相談し、庄屋の家の者を説得することにした。
「京太郎なら、大丈夫だぁ」
「真面目に働く良い男だぁ」
村人たちは、京太郎が庄屋にふさわしい人物であることを、切々と訴えた。
毎日、代わる代わる村人が、お松の願いを叶えてほしいとやってくる。
やがて、庄屋の家も、京太郎が心優しき美丈夫であることを知ると、反対する者はいなくなっていった。
ついにお松の望みは叶い、好いた男と
しかし、誰もが羨むおしどり夫婦となった二人の幸せは、長くは続かなかった。
丑の刻参りの
京太郎は献身的に世話をするが、その甲斐もなく、お松は亡くなってしまった。
「短い間でしたが、京太郎さんと
それが、お松の最期の言葉だったという。
悲しむ村人たち。
若くして亡くなった美しきお松に、涙を禁じ得ない。
遺された京太郎の悲しみも、いかばかりか。
京太郎は人形職人に依頼し、亡き妻に模した人形を作らせた。
遺品であるお気に入りの着物を仕立て直し、遺髪を人形に植え付けた。
その後、後継者を残せなかった京太郎は、庄屋の縁者に家督を譲り、村の片隅にある寺に入り、お松の菩提を弔って、一生を終えた──。
「というのが、この寺にある、髪の毛が伸びるお松人形の伝承ですね」
取材をさせていただいている寺の住職が、穏やかな笑顔で説明する。
本尊の横の部屋に置かれてある人形。
年代物のため、やや劣化は見られるが、大切に管理されているであろう市松人形が、微笑んでいる。
人形自体は古びているのに、髪の毛だけは生き生きとしていた。
その髪は人形の背丈より長く、足元より10cmほど下まで伸びている。
これまで、なぜこの人形の存在が世に出なかったのか、全くもって不可解だ。
こんなに明確な怪奇現象なら、どこからか情報が漏れてもおかしくないのに。
隠されてきたということだろうか。
最近になって、編集部に匿名の取材依頼があり、怪奇現象担当の私がこの寺に伺ったのだ。
さて、話を人形に戻そう。
一般的に、もし伸びる髪にトリックがある場合、次のことが考えられる。
内部に長い毛を収納し、少しずつ伸びているように見せる。
──内部に収納できる量ではない。
湿気を吸うと、少しだけ伸びたように見せることができる。
──少しだけ、というレベルを超えている。
他の人毛、動物の毛を追加している。
──住職の許可を得て調べたが、根本から毛先まで、見事な1本の毛髪だった。
むしろ、数百年前からある髪の毛だとは思えない。
まさに、この人形から生え、伸びているとしか思えないような質感なのだ。
「住職、この髪の毛は、どのくらいの期間でどれほど伸びるのでしょうか」
住職は、にこやかに答える。
「驚くことに、一年もすれば、大人のカツラ……ウィッグと呼ばれるものですか……一つ分ができるほど伸びます」
「そんなにですか!」
「京太郎への想いが、そうさせているのでしょうね」
人形の髪の毛が、何の工作もなく生きているかのように伸び続ける。
これはもう、確実に怪奇現象と言えるだろう。
来月の特集は、この人形で決まりだ。
特ダネをつかんだ私は、嬉しさを隠しきれない。
「……お松のしたことは、決して褒められたものではありませんが、自分の命を縮めてでも、好いた男と一緒になりたいと願った悲恋として、村人には受け入れられていたようですよ」
美しい娘の、命を懸けての恋。
それに応えた男の伝説かーー。
「ところで、今の長さから察するに、定期的に切られているのですよね? 切った髪は、どうされているのですか?」
「あぁ、髪の毛はですね。年に一度、お焚き上げをします。この村では、大晦日にお焚き上げを行い、庄屋とお松の供養と、京太郎の愛情を鑑み、村人の家内安全や健康を祈るのです。これまでは、村内だけの伝承だったようですから、この度、取材に来ていただいたことで村外にも伝わり、村おこしにもなるかもしれませんね」
優しそうな住職が、うなずきながら話す。
「そうですね。早速、記事を書かせていただきます。貴重なお話をありがとうございました」
──良い話を聞かせてもらった。
お世話になった住職に謝辞を述べ、私は寺を後にした。
寺の門をくぐったところで、見知らぬ男に声をかけられた。
タバコを片手に、ニヤニヤと笑っている。
「あんた、ここの人形を取材したんだろ?」
「はい。あの人形にまつわる村の伝承を聞かせていただきました」
「あれは、表向きの話だよ。……あんた、真実を知りたくないか?」
──真実?
「もしかして、匿名で取材依頼を送ったのは……あなたですか?」
その男はタバコの煙をふぅっと吹き、口角を上げた。
「あの寺の住職は、最近替わったばかりでな。表向きの伝承しか知らされていないんだ。前の住職が長かったからな。裏話が外に出ないように、どこの取材も断っていたんだよ。村の人間も裏を知る者はいなくなってな、このままでは闇に葬られると思って、俺がお前んとこにメールしたんだよ」
オカルト系雑誌の記者である私は、都市伝説や裏話が大好物だ。
こんな提案、断る理由があるだろうか。
「是非、お聞かせください!」
私は、その男に従って歩き出した。
案内されたのは、何の変哲もない一軒の民家だった。
男に招かれるまま、仏間に入る。
「これを見てほしい」
そこにあったのは、髪の長い人形。
──お松人形のレプリカ?
いや、着物が違う。髪の長さも違う。
何より、表情が全然違う。
「……この人形は?」
「俺の先祖の人形だ。代々、うちで受け継がれている」
男は、語り始めた。
お松との結婚までは、住職の話の通りだ。
違うのはーー狂太郎にお松への愛情は、少しもなかったこと。
愛情どころか、人間の女そのものに興味が微塵もなかった。
手伝えと言われたから、手伝う。
助けてと言われたから、助ける。
特に話したいことがないから、黙っている。
喜怒哀楽が欠如しており、ただ笑顔でいることで誤魔化していただけ。
容姿が良かったため、印象がプラスに傾いたのも不思議ではない。
それを村人たちが、不言実行の優しい美丈夫だと勘違いしていただけだった。
お松が死んだのは、狂太郎のせいではないだろう。
祟りか病か、原因はわからないが、狂太郎にはお松を殺す理由も、生かしておく理由も特にない。
ただ、人間に興味がない男だったのだ。
その男──狂太郎は、お松の死後、夜な夜な村の外に出て狩りをした。
獲物は、女の髪。
そのやり口は、残忍だった。
暗がりで待ち伏せし、女を草むらに引きずり込む。
悲鳴を上げる女に馬乗りになり、左手で女の口を覆い、右手で思い切り髪を引っ張る。
毛根ごと欲しいという理由で、切るのではなく、根こそぎ引き抜くのだ。
狂太郎の怪力で頭皮ごと抜かれ、血が飛び散る。
ブチッ、ブチッと引き抜く間に、女が暴れると首を絞めた。
息絶えた女から着物を剥ぎ取り、遺体はその場に放置した。
驚くべきことに、狂太郎の表情はいつもと変わらぬ優しい笑顔のままだった。
目の前の女にしている仕打ちを、日頃のなにげない行為のように──まるで鼻歌でも歌っているかのように。
その人形は、苦痛に歪んだ表情でこちらを睨みつけている。
恐ろしくて、それ以上、人形を直視できなかった。
「この人形は、なぜこのような表情をしているんですか?」
睨む人形から目を逸らし、男に尋ねる。
「……京太郎という男はな、うちの一族では、狂太郎と伝承されている」
──若い女が、性的暴行を受けた形跡もなく、髪の毛を引き抜かれ、着物を剥がれて死亡している。
当時、村では大騒ぎとなったが、京太郎を疑う者は誰もいなかった。
それどころか、被害者を狂太郎のいる寺まで運び、供養までさせた。
狂太郎は、抜いた髪と剥いだ着物を人形職人の元に持ち込み、「妻の形見で新しい人形を」と依頼し、毎度、新たなお松人形を作らせた。
──そう、狂太郎の興味があるもの。
人間の髪の毛が植えられた市松人形、それだけだったのだ。
「その人形職人が、うちの先祖。何度も、髪の毛と着物を持ってくるのを怪しんだ先祖が、狂太郎の後を尾けて、犯行現場を見たらしい」
先祖の男は、残忍な犯行を目の当たりにし、止めようかとも思った。
しかし、相手があの狂太郎では返り討ちに遭うと思い、出ていけなかった。
それまでに依頼された人形は、三十一体。
妻のお松以外に、三十人の犠牲者がいたということだろうか。
自分が作っていない人形もある。
もしかすると、お松人形よりも前から?
どうか、全部がお松のものであって欲しい──先祖はそう願うしかなかった。
村の人間に告げようか迷ったが、信じてもらえるはずがない。
狂太郎の耳に入れば、自分が殺されるかもしれない。
これ以上は関わらない方が良いと判断し、依頼が来ても断ることにした。
それからしばらくして、狂太郎が病で死んだと聞いた。
村人から、寺に遺された人形の様子がおかしい──髪が伸びるので、見に来て欲しいと頼まれ、寺を訪れた。
本尊の隣には、穏やかに微笑む、お松人形があった。
──しかし、奥の部屋には、痛みと苦しみに歪む形相の三十体の人形が、並んでいた。
依頼された人形は、お松と同じ顔にしたはずなのに。
一体一体が、全く別人の顔をしていた。
先祖の男は思い出した。
あの時に見た、首を絞められた女の、苦しみもがく女性の最期の顔を。
あぁ、この人形たちには、狂太郎への怨念が宿っている。
呪いの人形だ。
狂太郎への恨みを伝えたくて、髪を伸ばし、訴え続けているのだ。
その時、三十体の人形の中で、見覚えのある人形を発見した。
それは、一年前に行方不明になった自分の妻の顔だった。
苦痛に歪んではいるが、目元の特徴ある
着物の柄がありふれていたため、あの時、妻のものとは気付けなかったのだ。
先祖の男は、その場に泣き崩れた。
仇を討とうにも、狂太郎はもういない。
狂太郎を盲信する村人に話したとしても、信じてもらえるわけがない。
信じてもらえたとしても、今さら何もできない。
自分の不甲斐なさと、行き場のない怒りに、ただただ泣くしかなかった。
先祖の男は、妻の人形だけを持ち帰り、人形職人を辞めてしまった。
「……で、今、ここにあるのが、その人形ってわけ。村人は、今でも表向きの伝説だけを信じているけどな。どうしょうもねぇサイコパスなんだよ、狂太郎って奴は」
私は、絶句した。
自分の嗜好のためだけに、何の罪もない女性たちの命を無残に奪った狂人が、村の英雄のように語り継がれていることに。
「この裏話、記事にしてもよろしいでしょうか?」
先祖の無念を晴らし、殺された女性たちを供養するためにも、公にすべきではないか──そう思ったのだが。
「いや、呪いの人形っていえば外部の興味を引くかもしれんが、おしどり夫婦の伝承で飯食ってる奴もいるからな。そいつらに恨みを買うかもしれねぇから、やめとけ。下手すりゃ、お前んとこ、訴えられるぞ?」
男はタバコの煙をふかしながら、渋い表情で言った。
「では、なぜ私に真実を話して下さったのですか?」
特ダネに歓喜した気持ちが、急に梯子を外され、一気に冷めていった。
「俺はな、何でも公にしたいわけじゃねぇんだ。お前は記者だから、いつかは書くかもしれねぇが、俺はそれを止めもしねぇ。ぼかして書いてもいい。お前に任せる。ただ、俺が死ねば、真実を知る者がいなくなるというのがな、先祖に悪い気がしてな……」
──この男の代で、この家は断絶するということなのだろうか。
「……なぁ。残りの二十九体、どこにあると思う?」
「うーん。やはり、処分されたんじゃないですか? そんな人形がたくさんあったら、さすがに気持ち悪いでしょう? お寺の住職さんも、お松人形しか知らないみたいでしたし」
「二十九体、全部、同じ場所にあるんだぜ?」
「……どこかに保管されているんですよね?」
こんな形相の人形を、一般公開なんて、できるはずがない。
「お前、人毛のカツラとか、なんか毛の束つけるやつ、知らないか?」
「あぁ、ウィッグとエクステですよね。もちろん、知ってますよ。人毛のものって髪質が自然だから、人気みたいですよね」
「あの人形の髪の毛は……お松人形のは愛情だろうが、他の人形は怨念だろうな……狂太郎への思いの強さによって、伸びる長さも量も違うらしくてな。恨みが強いやつなんかは、どんどん伸びるんだよ」
私は、男の言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
「二十九体の人形の持ち主な、人毛は売れるってんで、カツラ屋に売ってるってよ。てことは、流通しているカツラの一部には、呪いの人形から生え出た毛が混じってるってことなんだよな」
怖くて目を逸らしていた人形を、再び見返す。
その表情は、苦痛に歪んでいた。
「ひっ……!!」
「まぁ、怖がりなさんなって。うちにも話は来たが、うちは断ったよ。うちのはそんなに伸びないし、先祖の気持ちを考えると良い気持ちはしないしな。……ま、前住職の奴は、小遣い稼ぎにジャンジャン売ってるみたいだがな!よく収穫できるって、笑っとったわ!」
あっけらかんと笑う男に不快感を覚えたが、人形の扱いに一線は引いているので、不思議と怒りの感情は沸かなかった。
──あぁ、前住職は、呪いの人形を
げに恐ろしきは、人の
神仏に仕える者ですら、目先の欲に負けるのか。
──それよりも。
非業の死を遂げた女性たちの怨念から伸びる髪の毛が、この世のどれほどの人たちの頭を飾っているのかと思うと、何とも言えぬ後味の悪さが胸に残った。
以来、街ゆく女性たちのカラフルな髪を見るたびに、苦痛に歪んだあの人形の顔を思い出す──。
とある村での裏伝承 *桜花* @Cherry_blossoms3
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