枷を外す

加持稜成

枷を外す

母が死んだ……


愛煙がたたり、肺がんとの永い闘いの末、やっと彼女は息を引き取った。


私は悲しみよりも、蓄積された疲労と、急に途切れた緊張感に、身も心も弛緩するばかり。


葬儀の間中、意識朦朧と参列者に頭を下げては、無難な謝辞を繰り返すばかり。


そんな私を見兼ねてか、弟の正樹は葬儀を取り仕切り、周囲への対応に気を配っていた。


そんな私が喪主の挨拶に立つと、参列者の表情が困惑するのが見て取れた。




火葬場の煙突から吹き出す煙を眺めながら、私は煙草に火を付けた。弱々しい手元の煙は、今の私をまるで嘲笑っているかのようだ。




母のがんが判明し、同居していた私は否応なくその介護を強いられる事に。繰り返される通院と入院。


こちらの都合など関係なく急変する容体。その度に仕事を早退、欠勤を繰り返し、事情とは言え、職場での空気も徐々に澱み始めた。


そんな日々が4年以上続き、私は疲労困憊、満身創痍の極みを覚えた。


「長男のあんたが、しっかりお母さん守らんと!」


 親戚の叔母はいとも簡単に言う。


弟の正樹は娘の大学受験に追われ、母の事を思いやる余裕など無かった。そこに都合よく、独り者の私が居る事で、自動的に責任の義務は私に集中する。それに降りかかる親族の無知な叱咤激励と、弟の無関心さには正直、開いた口が塞がらなかった。




私は1本では飽き足らず、2本目の煙草を吸おうと胸ポケットをまさぐる。と、同時に一枚のメモ紙が落ちる。私はそれを無造作に拾い上げた。


そこには誰かの携帯番号と住所が、震える手で書きなぐられていた。




「父さん、父さんを許してあげて……」


それは、母が今際の際に私に託したものだった。




父さん……




私たち家族三人を置き去りにして、突如消えてしまった男。


風の噂で女を作って逃げ出したと耳にしたが、真偽はどうあれ私の中でその男は憎しみの象徴。


あいつが居なくなったせいで、母は私達子供二人を養う為に、昼夜問わず働き詰目の日々。


元々母は喫煙者だったが、あいつが居なくなってからより一層その本数は増え、結果的に肺を病んだ。


女で一人で子供二人を育てるという事がどんなに大変な事か、今思えば母を責める気にはなれなかった








私はおもむろにスマホを取り出し、メモ紙の番号を打つ。


「こちらの電話番号は現在……」


 鼻で笑いながら、私はメモと一緒にスマホを再度、胸ポケットにしまい込んだ。










「豊田耕平さんですよね?」


 ある日一人の老紳士が、職場に私を訪ねてきた。


「はい、豊田と申しますが……」


「良かった……急に伺って申し訳ありません。私、遺品整理士をやっております、相模と申します」


 その男は恭しく名刺を差し出してきた。遺品整理士……つまり何でも屋だろ?


「いやあ、ちょっとお節介かとは思ったんですが、どうも忍びなくて……」


 相模という男はそう言うと、古びたステンレス製の箱を出してきた。


「何ですか? これ」


 相模は嬉々として喋り出した。


「実は……ある方の遺品整理を依頼されまして、その際にこの箱を見つけてしまいましてね……」


相模はそう言うと、私の前にその箱を押し付けた。


 その箱の蓋には『耕平』と、弱々しく油性マジックで書かれていた。


「中、見てもいいですか?」


 相模は無言で頷いた。


 箱を開けると、その中にはおびただしい数の手紙と、幼少の頃から現在に至るまでの間の、私の写真がぎっしり入っていた。見るからにその手紙は何十通もあり、後生大事に切手まで貼ってある。


「きっと、毎年出そうとして、だけど思いとどまって、結局出せずじまいだったんでしょうね……」


 感慨深げに相模が呟いた。私はそれを一瞥だけすると、その手紙の裏の差出人の名前を確認した。




『豊田和彦』




父親、否、父親だった男の名前だ。名前の隣にある住所も、母から託されたそれと合致した。


私はこれを差し出されて、何をどう思い、感じ取ればいいのか、さっぱり分からなかった。


「この方は、いつ亡くなられたんですか?」


 私の質問に相模は口籠った。


「実は、その……」












 父は生きている……




相模は、私の父とは同郷の友人で、長い間連絡等取り合ってはいなかったが、たまたま生前整理を依頼してきた顧客が父だったらしい。『まだ早すぎるよ』等元気づけるつもりで父の自宅に向かったが、父の身体は病魔に蝕まれて、予後もそう長くはないと言う。父は孤独死で周囲に迷惑をかけたくなかったらしく、使用していた日用品から衣類や電化製品を処分したかったようだ。父の想いを汲み取った相模は、ほぼ処分対象の物品の中からこの箱を見つけ、悩んだ挙句私の所へ現れた次第。


そして私にその箱と、現在入院している病院のメモを渡すと、善人面をして帰っていった。






母の死後、私は正直歩く屍と化していた。


ただただ日々のルーティンを繰り返し、無軌道に動き続けるだけの毎日。そこに遅れて感情が辿り着くのか、そのまま摩耗、憔悴してしまうのかは神のみぞ知る。


そんな中に舞い込んだ父の話。


浮気して行方をくらました、私にとっては憎しみの権化以外何物でもない。そんな父が今更現れて、予後があーだこーだ言われたとて、正直言って『ざまあみろ!』ぐらいしか言いようがない。




私はその箱を受け取ったものの、今一つ気持ちが追い付かず、中身の手紙を開ける気にはなれなかった。


そして数週間経った頃……


私は珍しく職場の飲み会に参加した。単にその日は何も予定が無いから参加しただけだったが、日頃から控えていた私の参加に、周囲は目を丸くしていた。




しかしその日は泥酔してしまい、後輩たちに家まで送られる始末。


家に辿り着くと、私は千鳥足で自分の部屋へと向かった。つい数か月前までは、深夜の母のトイレの介添えや、容体の急変に備えてアルコールは控えていたが、今となってはそれももはや過去。ネガティブな感情に包まれていたこの家も、今やガランとして空虚。無駄に広く感じるだけだった。


部屋に入る刹那、私は箪笥の角に足を打ち付けてしまい、そのまま倒れ込んだ。その際に机の上の物を巻き込んでしまい、あの箱が目の前に落ちてきた。無論、中身はひっくり返り、写真と手紙は目の前にばら撒かれた。


「痛ぇなっ! クソが!」


悪態をつきながら、手紙と写真をかき集める。その写真にはあどけない頃、初々しい頃の私が微笑んでおり、無性に腹が立った。


何を思ったか私は一通の手紙の封を開けた。


「読んでやるよ!」


独り口走ると、私はその文面に目を落とした。






気が付けば深夜2時を回っており、もはや酔いもピークを過ぎていた。


私は手紙を全部読み干した。そしてより一層、感情の在り処を無くしてしまった。この手紙の内容が本当であれば、私は大きな思い違いをしていた事になる。急にそんな事を言われても、そう簡単に昨日の敵を、今日は友として受け入れることは出来ない。


撒き散らした手紙の山に埋もれて、私はしきりに自分を探していた。
















父の手紙には、こう記されていた。


父は母の兄と共同で起業する予定をしていたようだ。


しかし元来賭け事が好きだった母の兄は、競馬や賭け麻雀で準備金を使い果たしてしまい、それを取り戻そうと借金を繰り返し、開業前に莫大な負債を抱え込んでしまった。


しかもその借りた先が、当時巷に溢れかえっていた闇金業者。


執拗な取り立てに母の兄は心を壊してしまい、罪の意識も重なって、自ら命を絶ってしまう。


彼の失態に気付けなかった父は責任を感じて、私たちに危険が及ばないように、速やかに母と離婚する。そして私たちの前から姿を消し、闇金の矛先を自分に集中させた。


しかも母の兄の名誉を守るために、自らが浮気して逃げ出した等と言う噂まで振り撒いて姿を消した。


そんな噂は狭い田舎ではすぐに広まり、尾鰭が付いて嘘は真実と化した。




それから数十年に渡る返済の中で、父は身体の中の臓器まで切り売りしている。


そして時代は移り変わり、不法な取り立てが違法となった時点で父は完済する。がしかし、タイミング悪く病魔が彼を襲った。


その辛苦の日々の中、母から送られた私の写真を愛で、出すことの無い手紙で私に想いを告げる事が、父にとって唯一の救いとなっていた。故に、幼少期の私への文面は浮気をした事を肯定していたが、余程辛かったのだろう、私が年齢を重ねるにつれて真相を吐露し始め、許しを請う内容が増えた。






手紙を読んでから数日。


今日は休み。


私は相変わらず悶々とした気持ちを引き摺っていた。しかしどこかで折り合いを付けないといけないとも分かっている。




午前十時を過ぎた時点で、灼熱の太陽は容赦なく降り注ぎ、午後にはこの夏一番の熱波を記録する予報も出ていた。


私は何をするでもなく、居間から見える雑草だらけの庭を眺めていた。


この暑い日差しの中、名も知らぬ草たちは太陽に届けとばかりに、空に向けてその身を高く伸ばしていた。


「雑草って強いんだな……」


 一人呟くと、おもむろに庭に駆けて出た。照り付ける太陽が肌を焦がす勢いで一舜躊躇したが、繁茂する雑草たちの息吹を吸い込むと、そのまま私は外へと駆けだした。


 


私はひたすらに歩き続けながら、自問自答を繰り返した。


父に会いに行くのか?


父を赦すのか?




そもそも手紙の内容が事実なら、赦すも何もない。それ以上に感謝と謝罪が必要だ。


しかし、憎しみの中で歩み続けた日々と、その想いは行き場を失い、言いようの無い研ぎ澄まされた負の切っ先は一瞬にしてその矛先を無くしてしまう。


もう少し私が若ければ、柔軟に飲み込めたのかもしれない。しかし50を手前にして、今までの日々にリセットを掛ける事が出来なかった。


無論、正直を言えば今までの日々も決して『良いもの』ではなかった。私たち兄弟を育てる為、母も茨の道を選び、昼夜問わず仕事を重ね、その結果ストレスを抱え込み、結果的に言えば命を落とした。そして私はその母の呪縛に囚われ続け、世間とは一線を引きながら生き続けた。それがある意味『自分』だった。そしてその呪縛はもう消えたのに、それが無くなったことで今度は『自分』を見失ってしまった。


しかし、自分は生きている。


そう言えば父が、私が子供の頃に言ってたっけ……




生きてさえいれば……










『大丈夫ですか……』


炎天下の中、混濁する意識の中で心配そうに覗き込む女性の顔がうっすらと見えて、そして消えていった。








「豊田さん、分かりますか?」


目を覚ますと、目の前には最後に記憶していた女性が、再度私を覗き込んでいた。


慌てふためいて周囲を見渡す。私はどこかの病院のベッドに寝かされていた。


「良かった。ちゃんと目を覚まされましたね。もう大丈夫。」


優しく微笑んでいた女性は看護師だった。出勤中に、熱中症で倒れ込んだ私を発見して、自分の勤める病院まで運んでくれたらしい。




「ご迷惑をお掛けしました」


「いえいえ、お大事にされてくださいね」


 明るく返す彼女の笑顔に、私は少しだけ安堵を覚えた。


そして名前だけでもと思い、名札に目をやる


『時津総合病院……』


ハッとしてズボンの中に手を突っ込み、あの日から肌身離さず持ち歩いていたメモ紙に目を通す。


そこには同じ病院名と病室の番号が記されていた。




私は身支度もそのままに、その病室へと走った。


運命の悪戯かそれとも導きか、私はこの偶然に賭けた。


『今、会わなければ、もう会えない……』




私がその病室の近くに来ると、看護師たちの慌てふためく声が聞こえてきた。そしてその病室に駆け込む医師と看護師達。




「家族への連絡は?」


「豊田さん、身寄りがない模様で、どなたも……」


病室の前に近づくと、意気消沈した医師たちの声が聞こえた。


「あの……家族の者ですが……」


その言葉に無条件に私は病室に通され、およそ40年ぶりに父との再会を果たした。


父は枯れ枝のように痩せ細り、その土気色の顔には何重もの苦渋の皺が刻まれていた。私はその姿に言葉を失い、気が付けば父の手を握りしめていた。




「父さん、俺だよ。耕平です」


その声に、父の口角が僅かに上がり、握りしめた手にも一瞬だけ力が籠った。


私は押し殺していた感情が急に戻って来たかのように、その場に泣き崩れた……




















 


両親は旅立ち、実質的に私は孤立無援と化した。


弟には守るべき家族がいる。その人生に立ち入るのは野暮な話。


だからと言って、不貞腐れて世間に唾を吐くつもりもない。




でも私は生きている。


母と父が出会い、そして紡ぎ、繋いでくれた命がある。


それを握り潰さずに、そっと抱きしめていこう。


追い付いた『感情』が、そう、背中を叩いた。




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