オフィスの魔法使い
雲乃琳雨
オフィスの魔法使い
清掃会社に勤める
今日は入居している会社の社長室を掃除していた。ドアを開け、清掃中の看板を出しておく。
バタンと音がして驚いた。社長の息子の専務がさっと看板を中に入れて、ドアを閉めたのだ。そして、良久子にニコヤカに近寄ると声をかけてきた。
「君、かわいいよね。彼氏いるの? 僕なんかどう?」
「いえ、あの、仕事中なので」
良久子はタジタジだ。専務はオールバックの髪型にメガネ。中年ぐらいの人だ。同じ掃除のおばさんたちの間では、独身なので人気がある。
「じゃあ、名刺あげる。いつでも連絡して」
(これはいわゆる、あれだろうか。愛人とか……)
専務は来た時とは逆に、ドアを開けて看板を出して出て行った。名刺には、ボールペンで携帯の番号が書いてあった。
その日の夜、良久子は居酒屋のカウンターの上に、もらった名刺を出して考え込んでいた。
良久子は田舎から高校卒業と同時に、都会で働くことにあこがれて上京してきた。結局就けた仕事は、ビルの清掃だった。そこで6年働いて、今では立派な掃除員だ。おしゃれに働くのを夢見ていたが、そこで働いている人を見るしかなかった。
建て替えないことが決まっているボロアパートに4万円で住んでいて、いずれ出て行かないといけない。それで結婚も考えているので、お酒は飲まないが、出会いを求めて週一でこの居酒屋に来ていた。
最近気になる人ができた。
「良久ちゃんこんばんは」
「こんばんは、なぎさん」
なぎさんはここの常連で、飲み友達だ。ぼさぼさヘアーにメガネで猫背。よれよれのTシャツにジーパンで、大学生のような格好をしている。
「今日、会社でナンパされたんですよ」
良久子は名刺を指差して言った。
「へぇ~、どうだった?」
「どうって、全然話したこともないし。——手慣れてて、遊びかなって」
「そんなことないよ。だってそれ、俺だもん」
「え⁉」
なぎは髪をかき上げ、舌を出してウィンクした。
「俺は本気さ」
「え~、知らなかった! 本当に専務さんですか?」
「そうそう」
(なぎさんのこと、いいなって思ってたけど、住む世界が違うのか……)
二人は外に出た。
「どんなところに住んでるんですか。タワマンとか?」
「そうそう。真ん中ぐらいだけど、見晴らしいいよ見に来る?」
「はい」
(それはもう、打算的だった。少しでもきっかけが欲しくて)
二人で歩いて、なぎの住むタワーマンションの部屋に行った。
「きれい。部屋も素敵ですね。私の住んでるボロアパートと大違いです」
「広いからここに住みなよ」
「もう」(そんな上手い話が)
でも、そのまま二人でベッドに入った。
「私、初めてなんです」
「分かったよ」
恥ずかしがって目をそらす良久子に、なぎはおでこにキスをした。
なぎさんは優しかった。
「これって、セフレとか愛人ですか?」
(こいう生活してみたいから、それでもいいかなって人の気持ち分かる。少しぐらい垣間見てもいいよね。こんなチャンスめったにないし)
「なんで? 彼女になってよ」
「……」
うれしくて涙が出た。
「はい…。あ、何人目ですか?」
「一人しかいないから…。良久ちゃんだけだよ」
なぎさんは呆れたけど、彼女はいないと説明してくれた。
それから、一緒に暮らすのはちょっと心配だったけど、ボロアパートを引き払って、なぎさんのマンションで暮らすことになった。
(家賃の節約になるし。まるでシンデレラみたいだ)
「でも、すごい偶然ですよね。働いてるところが同じなんて」
「ごめん、偶然じゃないんだ。良久ちゃんの後をつけて、あの居酒屋に行ったんだ。それから近くにあるこのマンションを買った」
「……」
私はシンデレラじゃなかった。セレブのマンションに惹きつけられた、ヘンゼルとグレーテルだった。
オフィスの魔法使い 雲乃琳雨 @kumolin
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