オフィスの魔法使い

雲乃琳雨

オフィスの魔法使い

 清掃会社に勤める良久子よくこ24歳は、ビル清掃の仕事をしている。

 今日は入居している会社の社長室を掃除していた。ドアを開け、清掃中の看板を出しておく。

 バタンと音がして驚いた。社長の息子の専務がさっと看板を中に入れて、ドアを閉めたのだ。そして、良久子にニコヤカに近寄ると声をかけてきた。


「君、かわいいよね。彼氏いるの? 僕なんかどう?」

「いえ、あの、仕事中なので」


 良久子はタジタジだ。専務はオールバックの髪型にメガネ。中年ぐらいの人だ。同じ掃除のおばさんたちの間では、独身なので人気がある。


「じゃあ、名刺あげる。いつでも連絡して」


(これはいわゆる、あれだろうか。愛人とか……)


 専務は来た時とは逆に、ドアを開けて看板を出して出て行った。名刺には、ボールペンで携帯の番号が書いてあった。


 その日の夜、良久子は居酒屋のカウンターの上に、もらった名刺を出して考え込んでいた。

 良久子は田舎から高校卒業と同時に、都会で働くことにあこがれて上京してきた。結局就けた仕事は、ビルの清掃だった。そこで6年働いて、今では立派な掃除員だ。おしゃれに働くのを夢見ていたが、そこで働いている人を見るしかなかった。

 建て替えないことが決まっているボロアパートに4万円で住んでいて、いずれ出て行かないといけない。それで結婚も考えているので、お酒は飲まないが、出会いを求めて週一でこの居酒屋に来ていた。

 最近気になる人ができた。


「良久ちゃんこんばんは」

「こんばんは、なぎさん」


 なぎさんはここの常連で、飲み友達だ。ぼさぼさヘアーにメガネで猫背。よれよれのTシャツにジーパンで、大学生のような格好をしている。


「今日、会社でナンパされたんですよ」


 良久子は名刺を指差して言った。


「へぇ~、どうだった?」

「どうって、全然話したこともないし。——手慣れてて、遊びかなって」

「そんなことないよ。だってそれ、俺だもん」

「え⁉」


 なぎは髪をかき上げ、舌を出してウィンクした。


「俺は本気さ」

「え~、知らなかった! 本当に専務さんですか?」

「そうそう」


(なぎさんのこと、いいなって思ってたけど、住む世界が違うのか……)


 二人は外に出た。


「どんなところに住んでるんですか。タワマンとか?」

「そうそう。真ん中ぐらいだけど、見晴らしいいよ見に来る?」

「はい」


(それはもう、打算的だった。少しでもきっかけが欲しくて)


 二人で歩いて、なぎの住むタワーマンションの部屋に行った。


「きれい。部屋も素敵ですね。私の住んでるボロアパートと大違いです」

「広いからここに住みなよ」

「もう」(そんな上手い話が)


 でも、そのまま二人でベッドに入った。


「私、初めてなんです」

「分かったよ」


 恥ずかしがって目をそらす良久子に、なぎはおでこにキスをした。

 なぎさんは優しかった。



「これって、セフレとか愛人ですか?」


(こいう生活してみたいから、それでもいいかなって人の気持ち分かる。少しぐらい垣間見てもいいよね。こんなチャンスめったにないし)


「なんで? 彼女になってよ」

「……」


 うれしくて涙が出た。


「はい…。あ、何人目ですか?」

「一人しかいないから…。良久ちゃんだけだよ」


 なぎさんは呆れたけど、彼女はいないと説明してくれた。

 それから、一緒に暮らすのはちょっと心配だったけど、ボロアパートを引き払って、なぎさんのマンションで暮らすことになった。


(家賃の節約になるし。まるでシンデレラみたいだ)


「でも、すごい偶然ですよね。働いてるところが同じなんて」

「ごめん、偶然じゃないんだ。良久ちゃんの後をつけて、あの居酒屋に行ったんだ。それから近くにあるこのマンションを買った」

「……」


 私はシンデレラじゃなかった。セレブのマンションに惹きつけられた、ヘンゼルとグレーテルだった。

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