魔王軍勇者育成課で働くことになりました

みなち

第1話

 魔王城、玉座の間。


 第32代勇者は、魔王の前でワンパンで散った。

 骨ごと粉砕された肉体の向こうで、天井を貫く巨大な柱が崩れ落ち、壁には亀裂が走る。その惨状を前にしても、玉座の少女――魔王ルシフェリナ・ディザスターは、つまらなそうに欠伸をし、指先で小さな埃を払った。


「ああ、またなのだ」


 ルシフェリナは、出かけた欠伸を指先で押し戻すように、ぐっと口を閉じた。


「ワンパンなのだ。前回はツーパンも持ったのに。つまらない、つまらない、つまらないのだ!」


 魔王の足元で、ヴァンパイアのジルが過労で青い顔をしながら震えていた。


「申し訳ありません、ルシフェリナ様。今回も、育成データは完璧だったのですが……」


 ジルは疲労で血色の悪い唇を震わせた。


「もう、我々のノウハウでは限界です。彼らはデータ通りに強くはなる。ですが、データを超えた面白さがないのです」


「当たり前だ。お前たちは所詮、魔族なのだ」ルシフェリナは面倒くさそうに言った。


「私はもう疲れたのだ。私の退屈を殺せるほどの勇者を作れるやつが必要なのだ。ジル、あれを準備するのだ」


 ルシフェリナは立ち上がった。


「最終手段を使う。あの世界から、新しい人間を連れてくるのだ。人間の創造性は、魔界のどの種族にも真似できない。私が求めるのは未知なのだ。次こそは私の退屈を殺せる勇者を作る。そのための素材を呼びに行くのだ」


 魔王が指を弾いた瞬間、世界は静かに軋み始めた――



 東京、新宿の雑居ビル。俺——熱海悠人あつみ ゆうとは、擦り切れた履歴書を抱え、エレベーターの前に立っていた。


「……イースターエッグ・エンターテイメント社(仮)」


 これまでに落ちたゲーム会社は二十社。夢であるRPG開発は、全て「アイデアは良いが、論理的根拠とデータがない」という酷評で終わった。——誰にも認められなかった三年間。論理もデータも足りないと、夢そのものを否定され続けた日々。

 深く呼吸をし、面接会場のドアを開けた。


 中にいたのは、3人の面接官。その異様な光景に、俺は一瞬、呼吸を忘れた。

 中央に座るのは、黒いドレスを着た見た目は二十歳前後の美少女。彼女は豪華なドレスを着ているにも関わらず、まるで小学校の退屈な授業中のように、自分の爪にしか関心がない様子だった。

 両脇を固める男たちも異質だった。

 向かって左の男は、やせ細り、病的に顔色が悪い。日本のブカブカなスーツを着て、目の下には消しきれない青黒いクマ。まるで徹夜続きのサラリーマンだが、俺にはその異様な疲労感がどこか「魂が抜けている」ように見えた。

 右の男は、巨漢で大柄。スーツは無理やり着ているせいで、背広のボタンが今にも弾け飛びそうに見える。そして何より、額から生えた小さな角がわずかに覗いていた。


「お待たせしたのだ。では、始めていいのだ」


 美少女は顎を乗せ、退屈そうに言った。


 同席したのは、俺を含めた3人の就活生。

 俺の隣には天宮凛あまみや りん。身長が高く、長い黒髪をきっちりまとめ、完璧にノースリーブのスーツを着こなしている。表情は一切なく、まるでAIのアバターのようだった。彼女は面接官のスーツの素材と体温をデータで解析しようとしているかのように、淡々と観察していた。

 その隣は轟豪とどろき ごう。坊主頭で、体格が良く、目つきは鋭い。しかし、手のひらは脂汗で光っており、実は緊張していることが俺には見て取れた。彼は面接官の威圧感に気づかず、「オラ、早く面接始めろよ!」と焦れた声を出していた。


 向かって左の、顔色の悪い男が、咳払いをして口を開いた。声は疲労で掠れていた。


「えー、本日は弊社『イースターエッグ・エンターテイメント社』の採用面接にお越しいただきありがとうございます。私、採用担当の佐藤と申します。そしてこちらが、企画開発部門チーフの田中、そして弊社のCEOでございます」

 

 CEOと呼ばれた美少女は、軽く鼻を鳴らしただけで挨拶を済ませた。



 面接は、一見普通に進んだ。しかし、質問の内容は異様に抽象的だった。

 田中と呼ばれた巨漢の面接官が、分厚いファイルを捲りながら、低い声で尋ねた。


「キミの考える、プレイヤーが最も熱狂する『報酬曲線』について語りなさい。報酬曲線とは、プレイヤーがどこで飽き、どこで快感を覚えるかを決める生命線だ。山の形一つで、ゲームは神にもクソにもなる。まず、熱海くんからどうぞ」


 ――就活サイトでは絶対に見たことのない質問だった。

 この抽象的で、どこか本質を突いている質問こそ、自分が語りたかった内容だった。


「はいッス!」


 俺は熱が入りすぎて、思わず席から半身乗り出した。


「報酬とは、単なる経験値じゃない! 達成感、自己肯定感、そして物語への没入感! そこには、プレイヤーの人生を投影させる『熱意の余白』が必要ッス!」


 俺は熱意で落ち続けた過去の悔しさを、全てこの一言に込めた。

 次に田中が、天宮を指名した。


「天宮さん、どうぞ」


 天宮は俺を一瞥することもなく、淡々と述べた。


「非論理的です。最適な報酬曲線は、プレイヤーの離脱率と平均プレイ時間から導き出される最適解として、既にデータが示しています。熱意は、データの正確性を乱すノイズにすぎません」


 その冷たいロジックは、俺が日本の企業で言われ続けた言葉そのものだった。

 最後に、轟が指名された。


「クソッタレ! 報酬なんてどうでもいい!」


 轟は声を荒げた。


「プレイヤーが求めてるのは、ギリギリまで追い詰められて、勝つか負けるかの、あの脳汁が出る瞬間の快感だ! それさえ作れれば、報酬なんか後からついてくる!」


 三者三様の熱弁が続く中、CEOと呼ばれた美少女は終始、自分の爪を見ていた。まるで、目の前で繰り広げられている人生を賭けた議論には、一片の価値もないと言いたげに。 

 俺は、この面接がどこに向かっているのか、やはり予想できなかった。


「……そこまででいいのだ」


 CEOと呼ばれた美少女は唐突に話を打ち切り、体を起こした。

 俺は次の質問を待った。しかし、彼女の口から出たのは、最後の、そして決定的な言葉だった。


「結論なのだ。お前たちの熱意と才能は理解した。だが、お前たちのその優等生な知識では、私の退屈を殺すには足りないのだ」


 彼女が笑った瞬間、室内の空気が凍った。

 壁の偽装が剥がれ落ちる。部屋は一瞬で禍々しい玉座の間のような空間へと変貌し、照明は不気味な緑色に変わった。

 面接官の佐藤と田中の身体が膨張し、骨が軋む音を立て、角と翼を持つ異形の魔族の姿に戻った。田中のスーツは、勢いよく弾け飛んだ。


 俺たち3人は言葉を失った。

 論理が崩れる瞬間、天宮の瞳からわずかに光が消えた。

 轟のその拳は震えていたが、折れるより前に噛みしめられた歯が鳴った。


「さっきから『イースターエッグ・エンターテイメント』とか、『報酬曲線』とか、ごちゃごちゃ煩いのだ」


 彼女は冷酷な笑みを浮かべた。


「ここは魔王軍勇者育成課の出張面接会場なのだ。私は、世界を統べる魔王ルシフェリナ。お前たちに、私の退屈を殺すための勇者を育てさせる」


 俺の脳裏に、これまでに落ちた二十社の面接官の顔が浮かんだ。彼らは皆、俺の夢を「論理がない」と否定した。だが、目の前の存在は、世界を滅ぼす魔王でありながら、俺の「熱意」に価値を見出そうとしている。


 魔王は退屈そうに手を振った。


「不満のある者は、そちらの世界に戻るがよい。ただし二度と、私の存在にたどり着くことはないがな」


 俺の膝は震えていた。魔王という存在は、これまでに感じたどの面接官よりも恐ろしい。だが、同時に、この場こそが自分の才能を試せる、人生最後の、最高の舞台だと直感した。俺は、震える膝を叩き、一歩前に出た。


「ハッ、はいッス! 魔王城! 勇者育成! 人生最高の舞台じゃないッスか!」


 俺の顔は涙と汗でぐちゃぐちゃだった。過去に否定され続けた熱意が、今、最大の権力者たる魔王ルシフェリナの前で爆発した。


「俺の独学の知識、全てここで使わせていただきます! 俺を採用してくださいッス!」


 魔王ルシフェリナは、悠人の熱狂を面白そうに眺めていた。だが、残る二人は違った。


 天宮は動かなかった。恐怖ではなく、論理的な思考停止に陥っているようだった。彼女は両目に焼き付いた「魔族」のデータを処理しきれず、完全にフリーズしていた。

 轟は、誰よりも顔色が悪い。彼の視線は床に落ち、体全体が小刻みに痙攣していた。恐怖で体が動かせないでいた。


 魔王は、興味を失ったように手を振った。


「面白いのは一人だけか。ならば、お前だけを連れていくのだ」


 その瞬間、轟が激しく体を震わせ、叫んだ。


「ふざけんな! 逃げるなんて負け犬のすることだ!」


 轟は恐怖で声が裏返っていたが、拳を握りしめた。


「俺の戦術理論、ここで世界最強のボス相手に試させろ! 俺も雇え!」


 そして天宮は、轟の怒号でフリーズから覚醒した。彼女は顔色一つ変えず、魔王を観察したデータに基づき、冷静な判断を下した。


「失礼ですが、ルシフェリナ様。育成チームは、データ、熱意、戦闘理論の三極構造が最も効率が良いと予測されます。熱海君だけでは、貴方の退屈を殺す確率が低下します」


 天宮は俺の企画力をデータで補強する必要性を、効率と退屈で提案した。


 魔王は、ようやく満足げな表情を浮かべた。


「面白い。お前たちは、普通の人間ではないのだ」


 魔王は指をパチンと鳴らした。


「採用。お前たち、私の退屈を殺せるかもしれない」


「採用」の言葉と共に、部屋の禍々しい雰囲気は収束した。部屋は元の雑居ビルの一室に戻り、面接官たちは再びブカブカのスーツ姿の佐藤と田中に戻った。ただし、彼らの顔色は、元の姿よりも遥かに悪かった。


 魔王は退屈そうに椅子から降り、俺たちに背を向けた。


「ジル、後はよろしくなのだ。私は風呂に入るのだ」


 ジル、こと佐藤は、疲労困憊の様子で、俺たち3人の前に近寄ってきた。彼は、書類の山が詰まった巨大なダンボール箱を、何の苦労もなく床に置いた。


「ようこそ、新入り君たち」


 ジルは、血色の悪い顔で微笑んだ。


「君たちは今日から、魔王軍勇者育成課の社員だ」


 俺は、そのダンボール箱の中を覗き込んだ。そこには、魔界語と日本語が混ざり合って書かれた、電話帳よりも分厚い契約書類が、まるで企業の入社セットのように詰め込まれていた。


 ジルは溜息をつき、手首を抑えた。


「この書類には、給与、福利厚生、そして異世界への渡航に関する全ての契約事項が記載されている。特に報酬規定と勤務形態については、よく確認したまえ。全て熟読し、記入を済ませて、来週の火曜日の朝、またこの場所に来るように」


 俺は、契約書類の途方もない量に呆然とした。隣の天宮は既に、書類の山の一番上にある契約書のタイトルを読み上げ、魔界語を冷静に解析し始めていた。轟は、まだ恐怖のあまり足が震えていた。


「え、あ、はいッス! えーっと……異世界転生なのに、まずは自宅で入社書類の記入からなんスか!?」


 俺の呆然とした質問に、ジルは疲れ果てた笑顔で答えた。


「それが、弊社の流儀でして。おめでとう、新入り君。ようこそ、魔王軍へ」


 3人は、夢への期待と、大量の書類、そして異世界への不確実な切符を握りしめ、雑居ビルのエレベーターへと向かうのだった。

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