第9話 小さな青い宝石

 皇城の豪奢な塔を見上げる城下の飲み屋街。太陽はまだ中天を過ぎたばかりで、こういった場所が盛り上がる時間帯ではないとはいえ、通りにはそれなりに人が行き交っていた。

 その通りの一角に影に埋もれるようにして、古く小さな酒場が建っている。酒場の外観は、長年の風雨のせいでまるで老婆が屈んでいるかのような印象すら与えた。明るいうちはそっと息をひそめるようにして、夜の訪れを待っている。


「それじゃまた---」


 そんな建物から、古くガタつく扉をきしませ、とある男が出てきた。服装は薄汚れた外套に包まれ分からない。とはいえよく櫛を入れた淡い金の髪に、高く通った鼻筋は裏通りに似つかわしくなく、気品と優雅さを湛えていた。


「ふふふっ、小銀貨がこれだけあれば・・・。楽しみだなぁ、セレスをどこに誘おうか」


 小さな革袋を手に頬を綻ばせるその男は、第8代皇帝カール・ティハーンの長子、レオンハルト・ティハーン、その人であった。

 レオンはここ最近の内職(トランプの絵付け)の成果により、月のお小遣いの十倍以上の額(といっても一般的な労働者の数日分の給金程度だが)を手にし、ご機嫌であった。


「良かったネ、皇子様」


 彼に侍女として付けられている獣人の娘、ミーシャは喜ぶ主人の顔を見上げ、自分のことのように微笑んだ。年齢にふさわしく幼い顔立ちだが、その瞳には主人への敬意と思慕の情がたっぷりと込められている。


「さて目的も果たした事だし、どうしよっか?何か食べて帰る?今は懐が暖かいから、好きな物、奢ってあげるよ」

「いいヨ。皇子様が稼いだ大切なお金だし、全部、皇子様が使っテ」


 レオンの申し出にミーシャはとんでもないと手を振った。彼女のお尻から生える毛に覆われた細長い尻尾もパタパタと忙しく左右に揺れている。


「遠慮しなくてもいいよ。ミーシャはいつも頑張ってくれているから、日頃のお礼さ。そうだ!最近、大通りの方に、牛乳ミルクに砂糖を入れて、氷結魔法で固めた“アイスクリーム”って言う甘くて冷たいお菓子を出す店が評判で---ってどうしたの?」


 話しながら横並びで歩いていたレオンとミーシャだったが、とある露店の前に来た時、ミーシャの足がピタリと止まった。

 木箱を並べただけの簡素な台に、薄汚れた壺や穴の開いたバケツ、片腕の取れた不気味な人形に、用途すらわからない不気味な細工品など、まとまりのない品物が無造作に並べられている。言っては悪いが、どう見てもガラクタの山であった。

 だがミーシャの視線は、その中のとある品に吸い込まれていた。

 不思議に思ったレオンが、ミーシャの横顔を覗き込む。


「・・・どうかしたの?」

「ご、ごめんなさイ。なんでもないノ」


 ミーシャが慌てて下を向いた。

 申し訳ないと思ったのか、尻尾はクルクルと丸まってしまっていた。


「別にいいけど・・・何だろうコレ?ペンダント?」


 レオンはミーシャの視線の先にあった品物を手に取り、じっと見つめる。

 小指の先ほどの小さな青い宝石に、細いチェーンがついている。


「ミーシャは、これが欲しいの?」

「ううん、欲しくなイ。全然、欲しくないヨ」


 獣人の幼子は、必死になって首を振る。あまりの勢いの良さに首がいくつにも見えるようだった。

 そんな様子を見たレオンがクスリと笑って、露店の奥でむっつりと座っている白髪の老爺に声を掛けた。


「ねぇ、お爺さん。これが欲しいんですけど、いくらですか?」

「ああ、それかい?そいつは---」


 顔の半分が白髭に覆われた老爺は、レオンの手元を覗き込み、意外にもはっきりとした声でしゃべった。


「大銀貨1枚じゃな」

「だ、大銀貨1枚ぃっ?!」

「そんナッ!」


 レオンとミーシャが大きく目を見張った。

 大銀貨1枚は100万リーンもの価値がある。レオンが作るトランプ1セットの報酬は小銀貨1枚、つまり100セット分の価値であった。


「おかしいでしょ、こんな小さいの。せいぜい小銀貨1枚がいいところだよ」

「いやいやお若いの、これはさる貴族家に伝わっていた由緒ある品でしてなぁ。持ち主に幸運をもたらすというお守りなのです」


 店主の老爺はいかにももったいを付けて、髭を撫でくっている。くぼんだ瞳の奥が小狡そうに光っていた。

 どうやらレオンの気品ある顔立ちを見て、それなりに裕福な人物と目算をつけたらしかった。


「持ち主に幸運をもたらすって・・・だったらどうして、そんな品がこんなところにあるんだよ!おかしいじゃない!」

「こんなところとは、随分なご挨拶ですな」


 矛盾を指摘して憤るレオンに対し、老爺がフンと鼻を鳴らした。


「こういった品物には、それなりの歴史や事情というものがあるものです。その点、そこのお嬢様はお目が高い。一目でこの品の良さを見抜かれた。きっとこの品もお嬢様のものになりたがっているでしょうなぁ・・・」

「うっ・・・」


 ミーシャにふわしいと言われ、レオンがたじろぐ。基本的に彼は恰好をつけたがるのだった。

 この老爺はそのこともよく見抜いている。


「あの皇子様、ミーシャ、本当に欲しくないヨ。無理しないデ」


 ミーシャは皇子に縋り付き、そう言った。

 だが女の子に無理しないでと言われたら、無理をしてしまうのが年頃の男の子というものである。


「ぶ、分割でなんとかならない?」

「当店は、現金一括払いでお願いしておりましてね」


 老爺は無情にも、首を左右に振った。


「取り置きは・・・」

「本日、一日だけでしたら、お待ちしてもよろしゅうございます。では、お早いお越しをお待ちしております」


 そう言った店主が、交渉と終わりとばかりにそっぽを向いた。

 レオンはがっくりと肩を落とし、ふぅとため息をついた。それから気合を入れるようにピンと背筋を伸ばす。


「よし、じゃ行こうか。ミーシャ」


 レオンはミーシャの手を引いて歩き始める。

 ミーシャは手を引かれながら、レオンを見上げた。


「行くって・・・どこニ?」

「呪われた悪鬼たちの巣窟。技と知略と運を駆使しなければ生き残れない・・・そんな場所さ」


 呟いたレオンの顔つきはまるで、強敵と闘う前のように引き締まっており、その緊張感を楽しんでいるのか、わずかに口元が笑っていた。

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帝国皇太子で最強の魔剣使いなのに、ちっとも無双できないんですけど?!~皇太子殿下は恋に焦がれる~ @jyuuban

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