妖の花

@Suval03

【最終記録】

管理者名:ケイ・ミナト(元マゼラン宇宙開発研究総合大学 外惑星生態学研究主任)

最終更新日:旧暦(OE:Old Earth Standard)321年7月28日 16:57:12

※本記録は、惑星旧地球にて回収された残存データを自動補完したものである


【初めに】

これは泡沫の如く浮かび上がった私の意思が書き残す記録である。したがって、書かれていることに多分に不正確なところがある可能性を留意してもらいたい。

そして願わくばこの記録を眼にするものが人類-その意思であることを切に願う


**【あの日】


発見は、誤った幸福の始まりだった


民間開発企業アストラ・ジェネシスの依頼で、私は未解明生命の宝庫である惑星パルアの資源開拓プロジェクトに参加していた。

これでも当時の私は、人類の発展を矜持とし、数多の惑星が持つ美しさに心躍らせている一人の科学者、少なくともその時まではそのつもりであった。


だが、あの日、あの時。調査ドローンがたまたま回収した小さな植物型生物が、すべてを変えた。


深紅の扇状の花。

かすかに脈打つ花芯。

乾燥した実験台でも萎れぬ異常な生命力。


――妖扇華。


私は科学者としてその美しさを冷静に観察しようとしたが、

花が放つ“香り”を吸った瞬間、心臓が一瞬跳ねた。


地球に存在しない芳香成分。

記憶を甘く溶かすような、懐かしさ。

思考が軽く浮き上がる。


なぜ私はあの時、検疫を怠ったのか?

それとも私はあの真紅の花弁を見た時からあの花に魅せられていたというのか?



**【約5日後】


企業幹部の態度が変わった。

最初は警戒していた彼らも、花の成分抽出に成功した頃には、

むしろ積極的に栽培計画を進め始めていた。


――香気を含んだ抽出茶は、どんな高級麻薬よりも高値がつく。


私は一人の学者として、倫理を説くべきだった。

だが花の香りを吸った翌朝、

私は幹部に向けてこう言っていた。


「制御できる。栽培環境は我々が掌握すべきだ」

「これで我々はこれまでの宇宙開発史で苛まれ続けてきた宇宙空間発症型精神疾患から解放される」


私は、自分の声が自分のものとは思えなかった。


利益は、学者の矜持をいとも容易く破壊した。



**【約2週間後】

 

施設で働く技術者の様子が、皆どこかおかしくなり始めた。


・作業時間を勝手に延ばす

・無言で花に触れ続ける

・自室に花の画像や模型を飾る

・帰宅命令を無視する


当の私自身も作業時間が倍かそれ以上に増えていた。


花は人間の注意を奪い、思考パターンすら誘導している――

そう気づいたのは、この頃だった。


だが同時に、私はその事実を“告発できなかった”。


花を手放す恐怖が、すでに私の内部に巣食っていたからだ。



**【約1ヶ月後】


異常が加速した。

研究施設の外で暮らしていた住民たちまでもが、

こぞって花を欲しがるようになった。


研究員の誰かが花を地球の市場に流出させたのだ。


麻薬、いやそんな言葉では言い表せない依存性が提唱され、政府は強制回収を命じたが、

その命令に従わなかったのは、一般市民ではなく――


我々研究者と開発員のほうだった。


今なら思い出せる。

企業の私兵部隊が武装蜂起し、政府警備隊を排除した。

その中心には、私もいた。


私は叫んでいた。


「花を傷つけるな! あれは人類の未来だ!」


……あれは、本当に私の声だったのだろうか?



**【約1年後】


花の繁殖速度、適応力、そしてその依存度は、生物の概念を逸脱していた。


一月もせずに、隔離地域は花で埋め尽くされ、

数ヶ月で、大陸全土が紅く染まった。


なぜ惑星パルアでは、この花はあれほど巧妙に“猫を被って”いたのだ?

知的生命体の存在が、この花の振る舞いに影響を与えたとでもいうのか……。

 

人類は、もう抗えなかった。

香りを吸った者は、皆ひとつの目的に従い始める。


――花を育てよ。

――花を護れ。

――花のために働け。


私たちは、知らず知らずのうちに、

自分たちが築き上げた文明を、そして自分たちを育んできた生態系を侵略する“尖兵”になっていた。

花に全ての労力を、全ての尊厳を捧げて奉仕する“奴隷”と化していた。


各植民惑星もすでに同じ運命を辿っていた。

誰も止められない。

誰も逆らえない。


人類は、花の香りひとつに屈服した。



**【約3年後】


“抗う意思は、私の中で完全に死んだ”**


他惑星の住民が抵抗を試みた。

彼らは暴徒と化した“花の信徒”を撃ち、焼き払い、基地を破壊した。


その映像を見た私は、

なぜか胸に激しい怒りを感じ、泣き叫んだ。


「殺すな! 花を――殺すな!」


私はもう、自分が誰なのか理解できなかった。

人類の知恵と意志を信じ、自然の美しさに心を震わせていた学者は消えた。


私はただの、

妖扇華のために他者を憎む存在

になっていた。



**【約10年後】


地球系文明の大半が失われた。

花は人間をベクターとして、惑星を、星系を超えて広がっていった。


地球は紅い花畑に沈んだ。

そこには、もはや意志を持つ人間はいない。

皆ただ、花のために動くだけの労働機械だ。


かつて支えていきたいと思っていた人類の未来は、

私自身の手で蹂躙され、滅ぼされた。


私は絶望した。

しかしその絶望さえ、花の香りがやさしく包み込み、

次第にどうでもよくなっていく。


人は、思想よりも、科学よりも、倫理よりも、

快楽ひとつで簡単に滅びる生き物だった。



**【現在】


“敗北”**


これは、人類の敗北の歴史だ。

そして私自身の敗北の記録でもある。


私は最後の正気を保てるわずかな時間で、

この日誌を残している。


人類は【あの日】私があの花に魅入られた時から制圧されていた。私という傀儡によって滅ぼされていた。

 


花弁が、まるで呼吸するように開閉する気配がする。

振り向かなくてもわかる。

花は、私を求めている。


……あぁ、なんて美しい香りだろう。


私はこれから、花の中に還る。


もしこの記録を読む者がいるなら、

どうか覚えていてほしい。


--人間の意思など簡単に崩れ去るということを--


――ケイ・ミナト(最終記録)

 

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