背中で語る幽霊【短編】

神崎ばおすけ

背中で語る幽霊


 俺は、少し特殊な女の霊に取り憑かれている、のだと思う。


 原因は一年三か月前。

 忘れもしない夏の日。

 俺たちはその頃、大学の文芸サークルのメンバー四人で、近場の心霊スポットを片端から巡っていた。

 その心霊スポットで写真を撮り、オーブが映ってるだの、手が映り込んでいるだの言ってはしゃいでいた。

 勿論これは、虫が映りこんだり、配管が偶々そう見えただけなんだろう。

 ――だけど、俺が最後に行ったあの廃寺、“伊去寺いさりでら”には本物がいた。


 ♦


 「ここはさ、三十年前に廃寺になったらしくてさ、その時の住職が急病でぽっくり逝って棄てられたらしいんだよ。そんで、その住職が供養し損ねた呪物がまだ残ってるらしいんだよ」


 らしいらしいと、どこで聞いたのか定かではない情報を、木田がいつものようにペラペラと喋る。


 「こんなちっちぇえ寺のために一時間も車走らす必要あったのかぁ? 帰りはお前が運転しろよ……」


 それに少し疲れた様子の大島が返す。

 うん、まあ小さい寺ではある。

 一周してみたが、こじんまりとした本堂に、住職の住む庫裏くりがあるだけ。


 「今までのとこだって大したモンおらんかったやろ。こういうんは雰囲気楽しむだけやって」


 「そうだな、そもそも木田の情報も八割方外れてるし」


 小林に同調しながら、本堂の扉を懐中電灯で照らす。

 木造の扉は誰かにこじ開けられたのか、少しだけ開き、こちらを招いていた。

 木田はあれだけ騒いでいるにも関わらず、本人はビビりなので仕方なく身体の大きな大島が扉を開け中に入っていく。

 俺たちも後に続くが、本堂の中は他に開いている所がないのか、生暖かい空気が滞留していた。


 「ひゅ~。 いいねえ! 呪物はどこかなあ!」


 木田がわざと大きな声を出しながら本堂の中を隅から照らしていく。


 「こんな狭いお寺なんやから隠すとこなんかほとんどあらへんやろ。っていうかアレちゃうん?」


 小林が照らした先にはポツンと前机があり、その上にはこれ見よがしに小さな木箱が置かれていた。


 「驚いたな、今回は本当に木田の情報が当たったのかもしれん」


 俺たちはその木箱を囲む。

 ……木田は半分大島に隠れているが。


 「じゃあ誰が開ける? 結局木田が開けるのを嫌がるのは目に見えてるし、ぶっちゃけ俺もちょっと嫌なんだけど」


 そう、俺も木田ほどではないがビビりだ。

 割と毎回心霊スポットでは鳥肌が立ちっぱなしだし。

 というか小林と大島の肝が座りすぎなんだよな、でもその豪胆さに勇気付けられてるのも事実だ。


 「俺が開けるよ、どうせ呪物があろうがなかろうが、危ねえのは中身だけだろ? それにそんな気色悪いもん持って帰るわけでもねえんだから。こんなとこでうじうじしてる時間が勿体ねえ」


 そう言って大島が無造作に木箱の蓋を開ける――。


 「あれ?」


 木箱の中には何もなかった。

 いや、何かは入っていたような形跡がある。

 起毛布で覆われた内部には、五百円玉ほどの凹みがあり、ここに何かが入っていたことが想像できる。


 「なんだよ、ハズレかよ! それか先客が持ってったのかな?」


 急に元気になった木田を横目に、溜息をつく。


 「おい木田、てめえ帰り運転しろよな。動物にビビって事故ったら全額お前負担な」


 緊張も切れ、眠くなったのか欠伸をしながら大島が出ていく。

 それだけだった。

 伊去寺ではそれだけ、何も起こらなかったのだ。


 ♦


 異変に気付いたのは、それから一週間後だった。

 俺たちは、就職活動やらなんやらで各々が忙しくなり、しばらく心霊スポット巡りはやめにしようという話になった。

 俺も、その日はインターンで三駅先まで来ていた。


 「んん?」


 そんな中、見覚えのある背中を見かけた。

 見覚えがある、といっても最近キャンパス内でよく見るな、というだけではあるのだが。

 そしてその背中、というより服装が特徴的なのでかなり目に付く。

 丈の長い赤いワンピースに、腰まであるストレートの黒髪。

 ヒールを履き、佇むその姿はキャンパス内で見るあの女性と同じだ。

 最初は彼女もインターンなのか、と思ったが、流石に服装自由でもあんなに派手なワンピースは選ばないだろう。

 まあ大学の三駅隣だからな、何か用事でもあるんだろう、とその時は気にも留めなかった。


 ――その帰り、買い物を終えて自分のアパートに戻った俺は、自分の目を疑った。

 いるのだ、赤いワンピースの彼女が、アパートの向かいにある電柱の影に。

 隠れているようだが、血のような赤色のワンピースの裾がひらひらと見える。

 俺は急に怖くなり、彼女から目を離さずに後退し、近くに住んでいた小林の家に逃げた。


 ♦


 「急やなあ。別に晩飯くれるってんならええけど。ほんでどないしたんや、そんな青ざめて」


 快く迎え入れてくれた小林に、俺は洗いざらい話した。


 「赤いワンピースの女ぁ? そんな目立つ奴おるか?」


 「いるって! 正門前とか中庭とかでぼーっと突っ立てる奴! あいつ絶対ストーカーだって!」


 「落ち着けって、木田みたいになっとるで。でもなあ……少なくとも俺の記憶には無いわ。まあそんな不安なんやったら今日は泊っていけや」


 カラカラと笑う小林に感謝を述べつつ、俺はなんとなくカーテンの隙間から外を覗いた。


 「――ッ!」


 立っていた。

 あの女だ、小林の家まで着いて来たんだ。


 「こ、こば、小林! いる! いる!」


 小林は素早く窓際に近寄ると、俺と同じように隙間から外を覗き、首を傾げる。


 「……どこや?」


 「どこって! 正面の道路にいるだろ!」


 あんなに赤いワンピースなんだから見逃すはずはない。

 尚も首を傾げる小林の横から、俺ももう一度確認する。

 ――やっぱりいる。

 相も変わらずこちらに背を向け立っている。

 それを何度小林に伝えても小林は分からない、見えないと言う。

 最初はふざけているのかと思ったが、小林の顔は真剣だった。

 これで演技ならお前は俳優になった方がいいよ、と伝え、俺は外を見るのをやめた。


 翌朝、俺は小林に着いてきてもらいながら自分の部屋まで帰った。

 あの女は一日中いたのか、変わらず同じ場所に立っていた。


 「なあ、ほんまに何かあったら警察電話せえよ。正直俺には何も見えんからぶっちゃけお前がクスリでもやったんかとか思ったけど、そうじゃなさそうやし。っていうかずっと背中向けとんのもおかしな奴や。ストーカーすんならこっち覗くもんちゃうんか」


 確かに、それはそうだ。

 俺が見る女はいつだって背中を向けている。

 アパート二階の部屋に戻り外を見ると、やはり当然のように女は背を向けて立っていた。


 ♦


 そんな日が続くと、目に見えて身体と精神に不調が現れる。

 目元の隈は深くなり、睡眠もろくに取れない日が増えた。

 一度、キャンパス内にいた時に、木田と大森にも確かめてもらったが、結果は小林と同じ。

 二人は凄く俺を心配していたが、俺は「大丈夫だから」と、無理やり笑ってその場を離れた。

 明らかに体調が悪くなり、病院に掛かったが、診断結果は睡眠不足や栄養不足など。

 もうこの際、精神疾患で幻覚が見えている、と診断された方が良かったとさえ思った。

 次に俺が訪れたのは寺や神社。

 正直に伊去寺での出来事を話し、お祓いをしてもらったが、これも効果無し。


 「お話を聞く限り……取り憑かれているのだとは思いますが、私には見えませんね」


 「いるでしょう! そこに!」


 俺が指を指す境内には、いつもの女が立ってこちらに背を向けて覗いていた。

 住職や神主はその度に乾いた笑みを浮かべ、遠回しに病院を勧めてきた。


 もはや、女は俺の行く先々、どこへでも現れた。

 講義室内や行きつけのスーパー、最後には俺の部屋の中。

 頭がおかしくなりそうだった。

 目が覚めるとベランダに赤いワンピースの女が立っているのだ。

 俺は布団の中でガタガタと震えながら自問する。

 何故俺なんだ? コイツが現れたのは伊去寺に訪れてから。

 本堂へ最初に入ったのも木箱を開けたのも大島。

 本堂の中でずっと騒がしかったのは木田だ。

 そして小林は俺と同じで特に何もしていない。

 なのに三人の前には何も現れずに、俺の前にだけ現れる。

 そもそも、木箱の中身は無かったのに。

 ――答えは出ない。

 しばらくして布団から出ると、女はベッドから二メートル、俺と逆側の部屋の壁に向き、立っていた。


 「もう、いいや」


 疲れた俺は、立ち上がり女の肩に手を掛け――すり抜ける。

 それと同時に悪寒が走り、身体中に鳥肌が立つ。

 やはりこの世のものじゃない。

 この女の顔を見れば、全て終わる。

 そんな予感がした。

 女の右側に回り、女の顔を見ようとするが。


 「お前、何なんだよ。何がしたいんだよ……」


 女は、俺が回るのと同時に、俺に背を向け続けながら回った。

 俺は鏡を探し――男の一人暮らしに鏡なんてなかったので、本棚の上に内カメにしたスマホを置き、再び女の周りを回ったが、意味はなかった。

 スマホの中の女は、カメラに背を向け――俺に向き合うように立っている。

 が、俺の目の前の女は俺に背を向け続けている。


 「絶対に顔を見られたくないシャイな幽霊ってか? じゃあお前がなんで俺に取り憑いてるのか、何がしたいのかだけでも教えてくれよ……」


 しかし、女は一言も発さず、そこに佇むだけであった。


 ♦


 もうこの頃には、大学へ行くことも少なくなった。

 講義中だろうがなんだろうが、常に女の霊に見張られているような気がして、精神を摩耗し続けるから。

 木田、大森、小林の三人は、それでもたまに俺を心配して部屋に来たり、食べ物を差し入れてくれていたが、俺は玄関で追い返していた。

 そんなある日、ほぼ無気力で自堕落な生活を送っていた俺だが、腹は減るし備蓄していた食料も尽きかけていた。

 なのでスーパーへ買い出しに向かったのだが。

 道中、曲がり角の向こうが騒がしいことに気付く。

 この向こうは大通りに面していて、人通りはそこそこあるけれど、何か催しでもやっているのか、と角を曲がると――。

 目の前に、黒のハイエースが迫ってきた。


 「え」


 咄嗟のことに身体が言うことを聞かず、それなのに視界はスローで迫るハイエースをありありと映している。

 ――ああ、ココで死ぬんだ。

 そう実感し、瞬きをする。

 その一瞬、目の前にあの女が現れる。

 危ない!

 思わず叫びそうになるが、恐怖のあまり声は出なかった。

 ああ、いや、幽霊だから車になんて轢かれないか。

 引き延ばされた思考の中でどうでもいいことが浮かぶ。

 ハイエースの運転手は赤ら顔で――、次第にその顔はみるみる青ざめていく。

 なんだ?

 その次の瞬間、目の前に迫っていたハイエースは、突如急カーブし、耳を劈くような音を立てて道路向かいの電柱に衝突して止まった。


 「――なあ、お前が助けてくれた、のか?」


 女の霊は何も答えず、ただいつものようにこちらに背を向け、そこに佇んでいる。

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