落としもの
白星そう
落としもの
キーホルダーが落ちている。
先に気付いたのは私だった。肌を引っ張るような温度に怯み、手をポケットから出すことを躊躇う。一歩踏み出そうとしたところでやっぱり止まると、君が私の前にしゃがみ込んだ。
「まだここにあったんだ」
キーホルダーを撫でる紬。止まっていた足を動かして覗き込むと、指先が少し赤くなっている。
クマの形をしたぬいぐるみ型のそれは、明らかに触りたくない見た目をしているのによく触れるものだ。土を被っていて目には光が宿っておらず、毛が逆立っている。その上湿っていて、凍えるような世界に放り出されて可哀想だと思う。
「寒そう」
紬は私の言葉に反応してこちらを向く。大きい目が私を見上げる。
「ぬいぐるみが?」
「うん」
「たしかに」
「数ヶ月前からあったよね」
「うん。半年前くらい」
記憶を呼び起こそうとしなくてもすぐに言葉が出てくる。今とは対照的に、肌を焼き付けてくる蒸し暑さ。そんな熱に引っ張られるような紬を私は見ていたから。
「じゃあ暑さも体験してるわけだ」
そう言い放って暫くぼーっとしていた紬は、ふと睫毛を動かした。鼻も赤くなってる、と彼女を見ていた私は、その僅かな変化を見逃さなかった。
「紬」
「うん?」
「……なんでもない」
「なにそれ」
可愛らしく細くなる目を見つめる。その動作はいつもより少し遅くて、どこか重たい気がした。
今日の紬は様子がおかしい。朝、金曜日の期待感でいつもより少しだけ賑わう教室の中、机の間を縫って紬へ挨拶をしに行った時に気づいた。いつも私を照りつけてくるその目は、何かに澱んでいるように見える。
意識もどこか別の場所へ向いているみたいで、気を引こうといろんな話題を投げかけてみたけれど、全てダメだった。そして今も、紬は私から離れたままだ。
前に、このぬいぐるみを見つけた時はむしろ……。
私が眉をひそめると、紬が口を開く。
「先輩が付き合ったらしい」
「……え?」
一瞬の沈黙が流れる。
「……先輩って、彼方先輩?」
「そう」
彼方先輩。紬の好きな人。何回も話を聞かされた。
付き合った? 誰と。紬と?
いや。そうだとしたら、こんな顔はしないはずで。
でも、私には紬が失恋するなんて想像すらつかない。
どうしていいかわからず、口を開け閉めさせて紬を見つめる。すると、何かを堪えているのか、彼女の呼吸が浅くなっていることに気づいた。
紬、と名前を呼ぼうとすると。
「あーもう。知ってた、知ってたのに……」
「……知ってた?」
「好きな人いるって、知ってた。いい感じなのも、知ってた」
紬の声が震える。消化しきれなくて出ることができなかった私の声が、初めて聞く声色にさらに固められる。
そのまま彼女が俯くと、肩の上で切り揃えられた髪がかかり、表情が見えなくなった。
その動作に、もしかして、と。
数秒後、すすり泣く音がした。
私は彼女のことを覗き込もうとして、やっぱりやめる。どれだけ仲のいい友達でも、私は泣き顔なんて見られたくない。代わりに立ち上がって彼女の頭を撫でると、一瞬体を固まらせてから、彼女も続いて立ち上がった。
――温かい、けれど冷えた衝撃が私の体に走る。
拾ってもらえなかった痛みが、ぎゅっと私の背中に伝わった。
わかるよ、わかる。
彼女の背中を撫でて、しばらく、そうして抱き合った。
◯
やがて、紬が落ち着いてきて。
「……ごめん、急に」
「いいよ、しょうがないよ」
できるだけ、優しい声色で。そして、こう続ける。
「……拾っていいかな」
表情を見られたくないのか、ぬいぐるみの方を見つめていた紬。彼女は私の言葉に釣られ、こちらを見つめた。
「……え?」
「あのぬいぐるみ」
「……あぁ」
掠れた声が耳をくすぐる。いつだって、彼女の声は心地がいい。
紬はぼーっとぬいぐるみを見つめている。泣いたばかりだからか、気が抜けているのかな。
「私もそう思ったこと、あるけど、あるけどね。……でも、持ち主に拾われたいのかな、って」
一瞬、風が吹き通ってスカートを揺らす。紬は脚が凍りそうになったように、ぶるっと体を震わせた。
そんな彼女を見下ろして。
「……そう。じゃあ、置いてこっか」
私は呟き、紬は静かに頷いた。
◯
紬の家につくと、彼女は振り返る。
「いつもありがとね。逆方向なのに、ついてきてくれて」
「ううん。私がそうしたいだけだし」
また、欠けているせいで長い土日を過ごさないといけない。
「じゃあね」
「またね」
紬が家に入るのを見届けてから、私も家へと向かう。
やっぱり一人は、さらに寒い。
道をたどり、あのぬいぐるみを撫でる。
こんなのをいい機会、なんて言わない。根本から何もかも違っているはずだから。
……だから、またここに置いていこう。
再び、スカートと長い髪が揺れる。
私もずっと、拾われないな。
落としもの 白星そう @sirukon
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