B13で待つ“さきえさん”
細川ゆうり
呼んではいけない名前
マンション一階のエレベーター前。
薄暗い蛍光灯が、天井でチカチカと光る。
今夜は残業で遅くなった。
帰り道の冷えた空気を歩いてきたはずなのに、
マンションに入った瞬間、妙な湿気が肌にまとわりついた。
壁に一枚、貼り紙があった。
『注意:深夜1時〜3時の
ご利用はお控えください』
管理会社のロゴ。その上に、
震える手書きの追記。
『“さきえさん”が乗ってきます』
「……さきえさん……?」
馬鹿みたいだ。住民の悪戯か?
子供じみたイタズラだと笑いながら呟いた。
蛍光灯が、一度だけチリッと明滅した。
深夜1時47分。
僕はエレベーターへ足を踏み入れる。
パタン、と扉が閉まると、
空気が一段重くなった。
階数表示は「10」。
帰るだけのはずだった。
だが、数字は意思に反して動き始めた。
1
B1
B2
押していない。
このマンションに地下はないはずなのに、
表示は止まらない。
B3
B4
B5
……
B13
ガコン。
金属というより“骨”が軋んだような
音を立てて、扉が開いた。
真っ暗。
風が、古い井戸の底のように冷たかった。
「……なんだ?」
暗闇の奥から、コツ、コツ、と軽い音が近づく。
足音というより、折れた骨を床に引きずるような音。
暗闇からだんだん近づいてくる。
最初は影だった“それ”が、
蛍光灯の明かりの端に触れた瞬間──
女の“顔”が見えた。
胸に髪にまみれた生首を抱えている。
笑っているのに、目だけが死んでいた。
口だけが無理やり裂けている。
「さ……きえぇ……」
それは声ではなく、空気そのものが
震えるような響きだった。
ゆっくり、笑いながら僕を見つめる。
そして、唇が開いた。
「ねぇ……あなた……
さっき、わたしの名前……呼んだよね……?」
あ。
僕は、張り紙に書かれてあった
名前を呼んでしまったことに気がついた。
背筋が、音を立てて冷たくなる。
生首はうれしそうに歪んだ笑みを深めた。
「呼んでくれたら……来られるの。
迎えに……きたよォ……?」
僕は後ずさろうとした。
その瞬間、後頭部の裏側から声が響いた。
「動かないで。
首、落ちちゃうから……」
呼吸が止まる。
視線が動かない。
ゴロン。
何かが床を転がった。
足元を見ると、黒髪を引きずった
女の首が転がってきた。
その瞳は確かに僕を見て笑っていた。
「ほら……キミも……
一緒にオチようよぉ……?」
僕の首筋がスッと熱くなる。
ダンッ!!
扉が閉まり、エレベーターは
跳ね上がるように上昇した。
10
9
8……
気がつくと、僕は部屋に戻っていたようだ。
でも、目の前は真っ暗で何も見えない。
顔に触れる。
……触れない。
「っ……?」
指先に触れたのは、生温い肉の端だけだった。
背後から、足音が近づく。
コツ、コツ、コツ…
僕はもう声が出せない。
首が――
どこにも、ないのだから。
絶対に深夜のエレベーターには
乗らないでください。
さきえさんがあなたの首をとりにくるので。
B13で待つ“さきえさん” 細川ゆうり @hosokawa_yuuri
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