第5話 アタシの演奏

 

 アタシの世界が見えてくる。

 

 フルートの音に指向性しこうせいは無い。

 それでも師匠は、アタシの音はまっすぐで、良い意味でかたいとほめてくれる。

 ひねくれたアタシの音なのに。

 岩に金具かなぐあかしを刻み付けるかのような、そんな音だと。


 アタシは、フルートを吹くとき、曲の解釈かいしゃくをしたことがない。

 音楽記号の中で、発想記号と速度記号の一部について、理解が極めて苦手なアタシは、師匠が指示したとおりにしか、それを吹けない。

 

 音楽記号は多すぎる。少し正確に言えば、元々曖昧あいまいな物しかないくせに、曖昧なまま、数だけ無駄に増やしたものとなる。


 変化や相対速度も含めれば、速度記号で、アタシが理解できないものは20を超える。そこから先は数えていない。

 最初からテンポを数字で書いておけ。オーケストラなんかのための楽譜ばかりだから、そうもいかないのだろうが。

 アタシはメトロノーム記号という存在を知った時、大喜びしたが、それを使う作曲家は極めて少ない。


 アタシの特に苦手な発想記号は、知っているだけで30以上ある。

 なぜ知っているだけかと言えば、そこで数えるのをやめたから。

 何が『壮大そうだいに』だ、何が『決然けつぜんと』だ。

 なんで『生き生きと』が何種類もある。

 『気楽に』と『軽く』の何が違う。

 アタシがかろうじて、自分の力で理解できるのは『ソステヌート』=音を保持ほじして、だけだ。


 どの音楽記号も、聴衆にそれをイメージさせるような音を出せ、というのが作曲家の意思が反映されたものである。つまり、奏者に求められるものは感情ではない。感情を込めたように聴かせられる表現力だ。


 アタシは何か感情をこめてフルートを吹いたことがない。アイツのような、感受性も豊かな天才ならば、楽譜に書いてあるとおりの気分になって、それを楽器の音に乗せられるのかもしれないが、凡人たるアタシにそれは無理だ。


 つまり、アタシの音に何かの感情が見えたとすれば、--それは技術の結果であって、本物の感情ではない。


 師匠は、「表現に正解は無いが、技術に正解はある」という。

 それでも、アタシにとって、師匠の指示した表現が、指示された音量、音質、音階、音拍、音圧に、唯一絶対の正解だ。


 フルートは別に好きじゃない。

 ただ、吹いていると、練習中であっても、頭がクリアになる。何も考えなくていい。

 日ごろから悩みばかりで、雑念で頭がいっぱいのアタシにとって、これは救いだとも感じられる。

 練習中であっても、周りが消えて、思考が消えて、音が消えて、アタシがフルートになって、透明な、何もない世界にいるような。そんな錯覚を覚えることもある。


 アタシがフルートで音を出しているはずなのに、音が消えてというのもおかしいが。頑張って説明するならば、アタシの音と、レッスン中であれば、師匠の声や、ぺしぺしと、アタシを叩く指導棒きんぞくのかたいやつだけの世界。


 つまりアタシのフルートは、それ以外何もない世界に、師匠に教わった技術で、師匠の指導通りの音を刻み付ける、ただそれだけの道具だ。



 全日本楽器コンクール2次予選、フルートの部。


 この日、アタシが行ったのは。


 現実にはきっといるであろう客席の人間や係員、他の奏者がいない世界。


 ステージの、熱も重さも響きも速さも置き去りにした、透明でまっさら、音も光も闇もアタシも、何もない世界。


 そんな世界の真ん中に。


 師匠に楽譜を渡されたその日から、数えれば、通しで吹いた回数だけで2000回を軽く超える、アタシの汗と血で刻み付けた、この夏の努力の結晶


 『課題曲Ⅳ モーツァルトの協奏曲ニ長調』。


 それを、力の限りに置いてきた。

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アタシと師匠のコンクール すらぃり @heggie

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