【短編】脱落
高天ガ原
死なないならば
「どうか許さないでください」
ボクは産業医にそう訴えた。すると、産業医は「ええ、働くのは許しません」と返してくる。だけど、ボクが許さないで欲しいと思っているのは〈楽な生き方を選ぶこと〉なんだ。
本当のことを言えば、産業医に診てもらえ、と言われるほどに体調を崩すなんて情けなさすぎる。
だって、ボクは不条理な現実を攻略した気で居たからな。柔軟性がない、つまらない、機械と変わらない……。そんな数多の罵倒を浴びせて蔑んできた落伍者たちと違って、ボクは文句も言わせないように働いてきたつもりだった。
それなのに……ボクは落ちこぼれと同類になってしまった。嗚呼。背後が凄く騒がしい。切り捨てられないために捨ててきた全ての因縁に嘲笑われている気さえする。今まで……決して、過去を振り返らないようにしてきたんだが、もう逃げられないだろうか。
ボクを含めた切り捨てられる人間は碌な目に遭わない。例えを出すのには苦労しないし、現実から目を逸らしている同志達の存在も知っている。彼らはずっと言っていた。純粋なフリは続けられない、って。理想にはなれないって。
そこまで言われてもなお、ボクは真っ当な生き方にこだわってきた。だからかな、逆にボクはまともじゃなくなった。
〈真っ当さ〉なんて、まともじゃない自分のコンプレックスでしかなかったのだろう。何かを演じていないと真っ当なフリすらできない、異端者だってことを隠し通そうとしてきたから。
だから、ボクは今日も真っ当なフリをする。不条理な力に頭を下げて、時間厳守で精一杯に仕事をする。
「明日、大事な会議があるので失礼しますね」
ボクの言葉に産業医は「鬱でフラフラのくせに仕事しようとするんじゃないよ」と苦笑した。実際、集中力がガタ落ちしていて、業務効率はかなり悪くなった。
ただ、ここで微笑んでいる産業医に救われたいとは思わなかった。その優しい笑顔の底では、きっと、脱落したボクへの哀れみが煮えたぎっているに違いない。真っ当な道を進んで、上からの立場で患者に話ができる彼は確実に勝者なのだ。
だから、ボクは産業医なんかに頼らない。一歩踏み出して、この部屋を出れば……!
「本当に大丈夫ですか?」
産業医の問いかけでボクは我に返った。大丈夫じゃないと言えるほど深刻さを感じていないし、大丈夫と言えるほど精神状態は安定していない。否定も肯定もできなかった。その時点で試合の続行は怪しいものだ。審判を振り切ってまで殴りかかりに行くだけの精神力も無い。
「とりあえず、一週間、休んでみませんか? 一度、緊張の糸を切って、様子を見ましょう」
その提案にボクはルビが振られているように感じた。どんなルビかって? それはとても侮辱的な言葉だった。
“後悔しろよ、努力しても到達できない域を目指したことを”
限界を超えようとしたことが悪いのか、なんて分からない。限界を超えることが成長じゃないのか。今までのように成長し続けようとしただけだったはずなのに。
「失礼します」
ボクはしっかりとそう告げて、診察室を出た。
無理をしなければ限界は越えられない。そして、無理をして乗り越えれることは無理じゃない。
そうやって、ボクは明日を目指す。
【短編】脱落 高天ガ原 @amakat
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