一時間で人生を賭けたらこうなった。(古賀コン10・カクヨムコン11)

柊野有@ひいらぎ

◆無職、文学賞に挑む。

 俺の名前は、ハチスケ。


 無職。ゲームと昼寝が親友で、時々プロレス鑑賞し、筋トレで気まぐれに汗を流す。

 小さなアパートで、慎ましく過ごしている。


 ある朝、玄関先が騒がしい。それは、借金の取り立て屋……ではなく、友人のゲンタだった。

「いるか? 入るぞー」

 勝手に鍵を開け、入ってきた。


「ハチスケ。今日も働きもせず何やってるんだ。今日こそは返してもらうぞ」


 ゲンタはずかずかと、俺の煎餅布団の横まで上がり込んだ。

 俺はTシャツに短パン姿だ。富士山の見えるアパートの一室でだらりと転がり、ゲーム動画を見るともなく流していた。


「何を言う、ゲンタ。俺は今、人生の『一歩踏み出す勇気』について深く考えている。常識から一ミリでもいいから一歩踏み出せと、偉い人が言っていてだな」


「アントニオ猪木か。常識から踏み出すのはいいが、返済からは逃げ出すな。お前に数日前に貸した一万円、あれはどうした。他にもあちこち借りてるって噂だが」


「未来への先行投資だ」


 ゲンタは鼻で笑った。


「投資だと? 一体何に。その一万円が、そこから大きくなって戻ってくるというのか。『ぼくにもできそうな、楽な投資方法♡』ってか?」


 俺は、この言葉を待っていた。


「その通りだ。一時間で書いた文章に一万円の価値を与えてくれる、世にも奇特な文学賞に応募するつもりだ。第10回私立古賀裕人文学祭というのがあるんだ。知ってるか?」


 俺は布団のうえに胡座あぐらをかき、卓袱台ちゃぶだいのパソコン画面の応募要項を見せた。


「苦しい時、どん底の時にこそ、過激に生きなければ。持ち時間、一人一時間! 俺の爆発的な熱量を、一時間に叩き込めば、一万円どころか、三百万円の価値がつく。それが『ぼくにもできそう』という言葉の真の魔力だ」


 ゲンタは応募要項を読み、呆れた。


「バカを言うな。お前が毎日酒とゲームに溺れているのを知ってるぞ──しかも一万円? たかが一万円で、お前の人生がどうなるんだ」

「違う。夢を持て。でかければでかいほどいい。この借金一万円を元手に、世界で一番価値のある文を書き、この文学祭そのものを買い取ってみせる。それが、俺の大風呂敷だ」


「は? 一万円で買い取れるものか」


「馬鹿になれ。とことん馬鹿になれ、恥をかけ。とことん恥をかけ! と言うだろう。おいゲンタ。優勝したら、お前の大事な万年筆を、俺に一万円で売ってくれ。俺の文章の価値の証明だ」


 俺は勢いそのままに、ゲンタに一時間で書いた物語が大賞を取った場合のご祝儀を要求した。


「ふざけるな! それは、じいちゃんの形見だ」


「ならば、借金と万年筆を賭けた一時間一本勝負だ。出る前に負けること考えるバカがいるかよ、バカ。ほら、帰った帰った」


 俺はゲンタを追い出し、精神統一し、一時間で物語を書き上げた。

 テーマは「一歩踏み出した勇気」。深夜に書いたものだった。

 だが、一時間という制約の中で、「元気さえあれば何でもできる」という熱意だけは、確かに込めた。



 数週間後。結果は出た。


 ──落選だ。


          ••✼••


 ゲンタが再び玄関に現れた。


「ほら見ろ。言わんこっちゃない。で、俺の一万円はどうする。お前の大風呂敷はどうなった」


 憮然として答えた。


「何を怒っているんだゲンタ。反省はしているけど後悔はしていない」


「とにかく貸した金返せ。一万円だ」


 俺は立ち上がり、押入れから古びた筒を取り出した。


「分かった。この掛け軸を、お前に一万円で売ろう。これでお前に借りた金はチャラだ。余った金のいくらかは俺に返してくれ」


 ゲンタはその掛け軸を筒から出しもせず、鼻で笑った。


「 なんだこれ。こんなの一文の価値もない」


          ••✼••


 ハチスケはそっとボロボロの筒から掛け軸を出してみせた。掛け軸は、和紙を綺麗に台紙に貼り付けた、一枚の書だった。


「何を言う。これはな、俺が『一時間で書いた大作』が落選し落胆した気持ちを込めて、長年の特訓で磨いた線と猪木魂で叩き込んだ一撃の書だ。一万円どころか、百万円でもおかしくない」


 ゲンタは、ハチスケがかつて習字の特待生だったと聞いていた。一瞬ためらったが、すぐに取り繕った。


「まったく、特待生にどれだけ価値があるんだ。ともかく、一万円だ。質屋に行ってくるぜ」


 ゲンタは渋々、その掛け軸を一万円として受け取った。そして、近所の質屋に持っていった。


「すみません、この掛け軸、一万円くらいになりますかね?」


 質屋の主人は、老眼鏡をかけて掛け軸を広げ、そして驚愕した。


「これは……! なんて大胆な構図だ。力強い飛沫……」


 質屋の主人は興奮した。


「お客さん。柳川八助の落款じゃないか! 破壊と創造の傑作だ。どこでこれを?」


「あ、友人から」


「──この勢い、この落款印。数百万円は堅い」


「は? 数百万円!?」


 ゲンタは後退りした。


「ああ! この大胆不敵さ……! 久しぶりの良作だ」


「そんなに有名なんですか?」


「理事長と大喧嘩して飛び出した風雲児ですよ。しばらく謹慎させられていると聞いたが」


 質屋の主人は、掛け軸の裏側をめくった。すると、そこには墨で美しくしたためられた「迷わず行けよ、行けばわかるさ」という文字。


「うむ。現代のサムライ魂がここに溢れている。鑑定にかけますか?」


 質屋の主人は掛け軸から目を離さず言った。


「数十万円でもない、数百万円にはなりますね。しかし、これが柳川八助本人の作であると証明するには、鑑定書が必要です。うちでこのまま買い取ることはできません。私が責任を持って、鑑定機関への紹介と、オークション出品の手続きをしましょう」


 ゲンタの顔が、欲と焦りで引きつった。


「オークション? そんな面倒なことはいい。数百万円だろ? なら、あんたがここで決めて買い取ってくれ」


 質屋の主人は、ゲンタを哀れむような目で見た。


「それは無理ですねえ。あくまで鑑定の価値でして、即金は出せません。それに八助の筆跡に似せた偽作ってこともある。もし、今すぐ現金が欲しいのなら、質草として三万円をお渡しすることはできますが……」


「 数百万円の価値のものを、三万円だって?」


 ゲンタはそう叫び、掛け軸を乱暴に丸め、怒りに任せて店を飛び出してしまった。


 すぐにハチスケの家に向かい、問い詰めた。


「おい、ハチスケ! あの掛け軸、数百万円の価値があるらしいぞ! お前、なぜ俺に一万円で売ったんだ」

「ああ、あれか。まあ世話になってるしな」


 ハチスケは、布団の中で平然と答えた。


「価値があるかないかを決めるのは、受け手の問題だ。落選が悔しくて長年の技術を込めて書いた。それを、価値あると信じた人。その人にとっては数百万円の価値がある。でもお前は一万円だった」


 そして、ハチスケは付け加えた。


「で、どうした? 数百万円は手に入ったのか?」


 ゲンタは質屋での顛末を語った。


 ハチスケは聞きながら、湯を沸かし始めた。


「迷わず行けよ、は、迷わず鑑定に出せ、の意味だ。どうだ、行けば分かったろ」


ゲンタは唇を噛む。


「お前は……最強の馬鹿だ」


ハチスケは豆を挽き、笑った。


「俺の筆は、一時間でも生きてる。コーヒーを淹れてやろう。まだ間に合う。もう一度行け。鑑定を待て。万年筆は残念ながら、小説に価値なしと証明されたから、今回は負けだ。借金は返す。残りの金で、みんなへの借りを返すぜ。それから、その書は俺の復帰作だ。値はもっと上がるかもな。これで、理事長に謝りに行ける。ありがとな」


 コーヒーの香りが部屋に広がる中、ゲンタは掛け軸を握り締めた。



 信じるなら、今度こそ迷わず行け。





 了

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