人間としての価値を問われたとき、人は何に縋るのか。
この物語で描かれるのは、社会的な評価でも、功績でもない。
極限まで追い詰められたとき、男が最後にしがみつくのは、
「父である自分」「夫である自分」という、極めて個人的な役割だ。
物語の中で流れ出す トロイメライ は、
安らぎの音楽としてではなく、異物として現れる。
それは主人公の記憶ではなく、
「価値があるとされた他者の人生」に属する旋律だからだ。
妻を深く愛した ロベルト・シューマン、
そしてその音楽を誰よりも美しく体現した
クララ・シューマン。
家庭や愛情の象徴とも言えるこの音楽が、
人格を上書きされていく男の内側に流れ込むことで、
物語は単なる制度批判やSF的恐怖から一段深い場所へ踏み込んでいく。
この作品が突きつけるのは、「価値のある人間とは何か」という問いではない。
もっと残酷で、もっと身近な問いだ。
――自分がいなくなっても、世界は回るのか。
――それでも、家族の中での自分は、代替可能なのか。
理屈では否定できない論理と、
感情では決して手放せない執着。
その間で引き裂かれていく語りは、
やがて一人称すら揺らぎ始め、
「俺」と「私」の境界が曖昧になっていく。
価値を測る側の冷静さと、
測られる側の必死さ。
その落差こそが、この物語の最も恐ろしい部分だ。
読者はいつの間にか、主人公を断罪する側にも、
彼に感情移入する側にも立たされている。
これは、特別な誰かの物語ではない。
「平均的」で「よくある人生」を生きてきた人間ほど、
静かに足元を揺さぶられる一編である。
国家に「価値がない」と判断されるという設定に、まず強い恐怖を覚えました。
とくに、主人公が必死に家族の存在を訴える場面は胸に迫り、「それでも切り捨てられるのか」と読んでいて苦しくなります。
記憶が少しずつ混ざっていく描写も非常に怖く、自分が自分でなくなっていく感覚が生々しく伝わってきて驚きました。
さらに終盤の展開には思わず息をのみました。
ここで反転するのか、と強く印象に残ります。
主人公に同情していたはずなのに、最後には「この人は本当に正しいの?」と考えさせられ、読後もしばらく余韻が残りました。
人の価値や正義を安易に信じてしまう自分自身を試される、後味の鋭い一作だと思います。