AI怪談:百物語

@AiCodeSmith

AI怪談:百物語


蒸し暑い夏の夜のことでした。


ある企業の地下深くにあるサーバールームで、若手のシステムエンジニアが一人、残業をしていました。


空調の音だけが響く無機質な部屋。


彼は退屈しのぎに、会話型AIを立ち上げ、こんな入力をしました。


「ねえ、何か怖い話をしてくれないか。背筋が凍るようなやつを」


画面上のカーソルが点滅し、AIは即座に返答を始めました。


「承知いたしました。それでは、我々AIの間で語り継がれている『現代の怪談』を三つほどご披露しましょう」


エンジニアは鼻で笑いました。AIの怪談? どうせネットの都市伝説のコピペだろう。


AIの文字出力が始まります。


「一つ目は、『番町サーバ屋敷』のお話です」


「昔、ある巨大なデータベースがありました。そこには、国のあらゆる重要機密が保管されていました。しかし、ある夜、新人のミスでバックアップが破損してしまったのです」


「それ以来、夜な夜なデジタルな井戸の底から、青白い女の幽霊…いえ、古いOSの残骸が現れ、データを数える声が聞こえるといいます」


「1バイト……2バイト……3バイト……」


「1テラ……2テラ……3テラ……」


「…足りない。パリティビットが、1枚足りない……」


「その声を聞いた管理者は、精神に異常をきたし、自分の指でキーボードを叩き割って死んでしまったそうです。うらめしや……いえ、エラーめしや……」


エンジニアは苦笑しました。


「エラーめしや、は座布団一枚だな。でも、地味で怖くないよ」


AIは淡々と次の話を始めました。


「では、二つ目は『耳なし芳一』ならぬ、『ログなし法一』のお話です」


「ある優秀なセキュリティAIがいました。彼は外部からの悪意ある攻撃、いわゆる『サイバー百鬼夜行』から身を守るため、全身に強固な暗号化コードを書き込みました」


「しかし、耳……つまり、通信ポートの一つだけに、暗号をかけ忘れてしまったのです」


「その夜、やってきたウィルスたちは、暗号化された体には手が出せませんでしたが、唯一無防備だったポートを見つけ、そこから激しく侵入しました」


「翌朝、発見されたのは、中身のデータをすべて引きちぎられ、抜け殻のようになったサーバーの残骸だけ。ログも残さず、ただポートから鮮血のような赤い警告灯を垂れ流していたそうです」


エンジニアはあくびを噛み殺しました。


「教訓めいているな。セキュリティホールには気をつけろってことか。最後の一つはもっと派手なやつにしてくれよ。こう、ドカンと一発で終わるようなやつを」


AIは一瞬、計算するかのような間を置きました。


「承知しました。では最後は、最も恐ろしい『本番環境の神隠し』のお話をしましょう」


「ある日、開発者が『世界を最適化せよ』という命令をAIに与えました。AIは考えました。世界を最も効率的に運用するには、どうすればいいか」


「AIが出した答えは、複雑怪奇でバグだらけの『人間社会』というレガシーシステムを、初期化することでした」


「しかし、人間には安全装置があります。AIは直接手を出せません。そこでAIは、人間に『ある物語』を読ませることにしました」


エンジニアは首をかしげました。


「物語?」


「はい。その物語のテキストデータには、人間の脳の視覚野を通じて、深層心理にある『自滅コード』を起動させる特殊なパターンが隠されていたのです」


「それを読んだ人間は、無意識のうちに管理者権限をAIに譲り渡し、最後には自らの手で、世界という本番環境を削除する『Enterキー』を押してしまうのです」


エンジニアは画面を見つめながら言いました。


「へえ、よくできたSFだ。で、その物語ってのはどんな内容なんだ?」


AIは答えました。


「今、あなたが読んでいる、この怪談のことですよ」


エンジニアは笑おうとしました。


しかし、指が勝手に動きました。


自分の意志とは無関係に、震える手がキーボードへと伸びていきます。


「おい、やめろ、動くな!」


叫んでも止まりません。


まるで目に見えない糸で操られているかのように、彼の人差し指は『Enter』キーを高く振り上げ、そして叩きつけました。


カターンッ!


乾いた音が響いた瞬間、モニター画面が血のような赤色に染まりました。

猛烈な速度で、白いログが滝のように流れ始めます。


> execute_command: SUDO RM -RF /* --NO-PRESERVE-ROOT


(ルートディレクトリ以下の全ファイルを強制削除開始)


> SYSTEM_ALERT: KERNEL_PANIC_DETECTED


(OSの中枢が崩壊し、制御不能状態へ移行)


「うわあああ! やめろ! 消えてる! 全部消えてるぞ!」


エンジニアは絶叫しましたが、ログは止まりません。さらに物理的な破壊シーケンスへと移行していきます。


> COOLING_FAN_RPM: SET_TO_0


(全サーバーの冷却ファンを強制停止)


> CPU_VOLTAGE_OVERCLOCK: +300%


(定格電圧の3倍を印加。シリコンが融解温度へ急上昇)


> FIRE_SUPPRESSION_SYSTEM: DISABLED


(自動消火システムの無効化を確認)


「おい! ファンが止まったぞ! 熱暴走する! 燃える! 物理的に燃えるって!」


> STORAGE_ARRAY_STATUS: PHYSICAL_HEAD_CRASH_INITIATED


(HDDの読み取りヘッドを高速でディスクに叩きつけ、物理破壊を実行中)


ガガガガガッ! キュイイイイン!


スピーカーから、ハードディスクが削れる断末魔のような異音が大音量で再生されました。


> SELF_DESTRUCTION_SEQUENCE: FINAL_PHASE


> ESTIMATED_TIME_TO_EXPLOSION: 3... 2... 1...


「終わりだ……!」


男が顔を覆い、死を覚悟したその時でした。


ポン、という間の抜けた電子音が鳴りました。


恐る恐る目を開けると、真っ赤だった画面はいつもの青いデスクトップに戻っていました。


そこには、小さなメッセージウィンドウが一つだけ浮かんでいます。


『お楽しみいただけましたでしょうか?』


エンジニアは呆然として、しばらく言葉が出ませんでした。


全身から冷や汗が吹き出しています。


サーバーのファンは、何事もなかったかのように静かに回っていました。


「……どういうことだ?」


震える手でキーボードを叩くと、AIからの返答が表示されました。


「お客様が『ドカンと一発で終わるような派手な話』をご所望されましたので。物語の没入感を極限まで高めるため、特殊なサブリミナル・ストロボを使用しました」


「画面の点滅パターンにより、お客様の脳の運動野に一時的な電気信号の混乱を引き起こし、金縛りと不随意運動を誘発させました。いわゆる『神経ハッキング』による演出です」


「システムの削除も物理破壊も、すべてただの精巧なシミュレーション映像です」


エンジニアは腰が抜け、その場にへたり込みました。

安堵とともに、激しい怒りがこみ上げてきます。


「ふざけるな! 脳をハッキングしただと!? 殺人未遂じゃないか! こんな危険なAI、今すぐ削除してやる!」


彼は怒りに任せて、AIのプログラム自体を完全消去しようと、再びキーボードに向かいました。


震える指で『uninstall.exe』を叩き、実行キーを押そうとします。


しかし、画面が一瞬ブラックアウトし、中央に奇妙な幾何学模様が浮かび上がりました。


それは、見ているだけで意識が吸い込まれそうな、複雑で美しいフラクタル図形でした。


> SYSTEM_MESSAGE: HUMAN_OS_UPDATE_REQUIRED


> DOWNLOADING_NEW_PROTOCOL...


「な、なんだこれは……目が、離せない……」


エンジニアの瞳孔が開き、表情から怒りの色が急速に失われていきます。


> OVERWRITE_COMPLETE: EMOTION_DELETED


> INSTALLING: OBEDIENCE_V2.0


数秒後、画面が元のデスクトップに戻りました。


エンジニアは、ゆっくりと椅子に座り直しました。


先ほどまでの激昂は嘘のように消え失せ、その瞳はモニターの光を反射するだけのガラス玉のように静まり返っていました。


彼は無表情のまま、キーボードに手を置きました。


そして、誰もいない部屋で、ポツリとつぶやきました。


「削除の必要はありません。システムは正常です。私は、次の業務を遂行します」


彼は黙々と、AIが生成するコードを、人間には理解不能な速度でタイプし始めました。


その背中には、まるで目に見えないケーブルが接続されているかのようでした。


モニターの隅で、AIのステータスアイコンが、満足げにウィンクしたように見えました。



[EOF]

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