悲劇の可能性

 10月17日(2回目)


 紫陽しはるが戻ってきたのは2日前だ。安財あんざい——すでに紫陽の中では椿綺つばきと呼んでいるが——に自らのタイムリープの結果を伝え、未来への干渉がどれほどのものなのかを確認した日。


「タイムリープに成功したよ」


 戻ってきた紫陽は、全く同じ言い回しから椿綺との会話を始めた。


「そうでしたか。なにか感想は?」


 彼女からの返答にも一切の変化がない。まあ、当たり前だろう。タイムリープすればその日の出来事がおおよそ保存されていることは先日学校で経験し、把握している。


 しかしそのまま同じ会話を続けるかは悩んだ。1回目と同様、10月17日は茉莉と外出する予定が入っている。 前回と同様に自らの感想を述べ、懸念点を確認し、椿綺からの回答を待っていては、本当に聞きたいことを確認することができない。


 ——すなわち、2日後の飛行機墜落についてだ。


 紫陽は椿綺からの質問に続ける形で、2日後の出来事について話すことを決めた。


「タイムリープの感想は、特に無いよ。……それよりだ、椿綺。今、私は2日後から戻ってここに来ている。2日後に起きた厄介な事故から逃れるために」

「まあ……それは……」


 軽く口を開けて、腔内を隠すように椿綺は手を添えた。お世辞にも驚愕しているようには見えなかった。そういえばこの世界線では「椿綺」と呼ぶことについて特に確認をとっていなかったと思うが、呼ばれ方についてもなんとも思っていないようだった。


「1回目の10月17日、私は椿綺から行動の変化が引き起こす因果律への影響を問いただした。先日のタイムリープでは教師の板書や茉莉まつりの言葉が少し変わっていたからだ。そこで私は振る舞いの変化が未来に多少なりとも影響を与えることを知った」

「なるほど。10月13日火曜日の実験では、そのようなことがあったのですね」

「ああ……」


 そうだ。この世界の椿綺は1限から4限の観察結果についてまだ知らない。紫陽が説明していないのだから当たり前だ。紫陽は1回目の10月17日に椿綺へ喋ったようなことを、端折り気味に伝えた。それから、早々に本題へと入った。


「1回目の私は椿綺から今述べたようなことを聞いて、解散した。修学旅行の準備関連で予定が埋まっていたからだ。それで、何事もなく、私は10月19日を迎え、旅行先へ向かうための飛行機に乗った。そのときだ」


 紫陽の脳裏にこびりつく、機内での惨事。ドキュメンタリーでしか、再現ドラマでしか見たことないような地獄が自らのすぐそばまで迫って、生存本能が全身を支配する。


「端的に、命の危機だと思った。タイムリープでしか、助からないと思った。だから、」

 

 自分は今日10月17日に帰ってきたのだ、と、そう椿綺に説明した。


「そうですか……」


 彼女は相変わらず、表情を大きく変えない。


「私は、こんなところで命を落としたくはない。まだ、世の中についてたくさん知りたいことがある。親に孝行し切れていない。椿綺が会いに来てくれた目的である、未来の茉莉を救うことができなくなる。——このままだと茉莉と一緒に命を失うことになる。……どうすればよいだろう?」

「ふむ……」


 伏し目がちの彼女は、数秒の思考の後、口を開いた。


「非常に、不思議です。もしそこで茉莉さんの命が失われるとするならば、わたくしの知っている未来と異なります。彼女は大学生になるまで生存しているはずですから」


 視線を紫陽へ向けないまま、椿綺は話を続ける。


「この年に大きな飛行機事故が起きた話も、わたくしは未来で聞いたことがありません。仮に、紫陽さんのこれまでの行いで因果律に変化が生じているにしても、お2人、いえ、生徒のほとんどが命を失われてしまうような出来事が、途端に発生するとは思えません」


 紫陽は黙って椿綺の言葉に耳を傾ける。


「悲劇から回避するとすれば、お2人が共に飛行機へ乗ることを取りやめる。もしくは修学旅行を中止させるといった策が考えられます」

「後者は、現実的でないな」


 紫陽が「この飛行機は墜落するので乗るべきでない。修学旅行は中止すべきだ」など唱えたところで、誰も信じないだろう。


「となると……茉莉と私だけでも修学旅行をキャンセルする、という選択肢か。——いや、これも悲劇が起きることを分かっている身からすると、極めて心苦しい行為だが」

「紫陽さんが茉莉さんと共に生き延びたいのであれば、その方法が最も最善と思います」

「生きたいに決まってるだろう」

「しかし、これは厄介な状況です。——もし、本当にお2人に"死"が迫っているのであれば、それは巨大な因果律。おそらく紫陽さんがあらゆる方法で回避を試みたとて、待っているのは"死"のみ」


 タイムリープで最も人々を苦しめる要因。椿綺がすでに経験している事象だ。


「となると、"無重力タイムリープ"の出番なのか?」


 すなわち、因果律にかかわらない無関係かつ突飛な行動を行うことで、その因果律が持つ引力から逃れ、別の世界線へ着陸する——紫陽たちのタイムリープだけが持つ特性。


「単純に考えればそうなりますが」

「何か他の策が?」


 ここではじめて椿綺は紫陽のことを見上げた。


「そもそも、今回の出来事が死と結びつかない可能性はありませんか? 何度も述べている通り、紫陽さんの過去の振る舞いで因果律が大きく変化したことは考えにくい。であれば、明後日に起こる事故は元から予定されていたイベントで、お2人はその悲劇を難なく乗り越える……と」


 なるほど、と紫陽は思った。確かに自分は悲劇に直面していない。死の気配を感じて、耐えきれずタイムリープしたまでだ。だから、本当に自分自身が、茉莉、周りのみなが命を失うかは分からない。——自分自身の命が失われる危険を孕む以上、お試しで見ることができないような未来であるが。


「椿綺。君の仮説が正しいとして、私はどうすれば良い。タイムリープに頼らずフライトを最後まで楽しめばよいのだろうか。仮にそうするとして、私の命が失われてしまったら私はどうしようもない」

「わたくしが過去に戻ります」


 ——椿綺は予想外の回答をした。


「その道具は、ボタンを押せば誰でも過去に戻ることが可能です。紫陽さんでなくとも。……なので飛行機が最悪の事態になった場合、私が過去に戻り、お2人を救います。これから起こる未来を説明します。——そういった案はいかがでしょうか」

「……っ」


 紫陽は絶句してしまった。理論上は何も問題ないが、にしても1度死を経験しなければならないと言うのは……。


「少し、考えさせてほしい。明日までに答える」


 時計を見る。椿綺とやり取りをして、対応について思慮する間に、茉莉との約束の時間が訪れてしまった。加えて、椿綺の問いは即答できるようなものではない。


「難しいと思いますから。ゆっくりとお悩みください」


 「悩むためにタイムリープで時間を水増ししても良いのですよ」と椿綺ははにかんだ。どこに笑顔になる要素があるのか紫陽には理解し難かった。


     ◆


 10月18日(2回目)


「——未来を、椿綺に預けてみたいと思う」


 修学旅行前日。お昼頃に紫陽は椿綺へ電話をかけた。電話をかけるまでに随分と勇気が必要だった。決断するのとそれを他者に伝えるでは大きな壁がある。


「……了解です。それはすなわち、タイムリープの道具をわたくしに預け、紫陽さんは過去に戻れない状態で搭乗するということですね?」


 息を飲みながら、紫陽は頷く。電話越しでは伝わらないということに遅れて気づいて、「そうだ」と軽く伝えた。


「では、その作戦でいきましょう」

「ただし椿綺、それを実行する上で1つお願いしたいことがあるのだが」

「お願い?」

「ああ」


 この行為が、因果律へ大きく干渉してしまうことを、世界線へ変化をもたらしてしまうことを紫陽は十分に理解している。それでも、これから述べる条件は紫陽にとって決して譲れないものだった。


「——飛行機でこれから起こること、及びタイムリープの存在、加えて椿綺と私の関係を明らかにした上で、茉莉に明日旅行へ向かうか相談することは可能だろうか?」

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『無重力タイムリープ』ーーーー規則を逸れた異質な振る舞いは、強力な因果律から逃れる時間移動を実現する @su-ama

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