死の迫る世界線

 10月17日(1回目)


「タイムリープに成功したよ」


 紫陽しはるは、安財あんざい――自らにタイムリープを継承した人物――をまた家に招いた。そうして、タイムリープが現実のものだった話をした。


「そうでしたか。なにか感想は?」

「思ったより、何も無い」

「まあ、同じような日を繰り返しただけですものね」

「その同じような日、についてなんだが……」


 紫陽は懸念している件を挙げてみる。全く同じ10月13日を繰り返すつもりが、自らの発現や振る舞いのせいで、細かい点に変化が見られたこと、より具体的には1~4限で起きた変化について述べた。


「ふむ。そんなことが」

「これは問題だろうか、安財。このような些細な変化も、未来を大きく変えうると聞いたことがある。――バタフライエフェクトって言うんだろ? 安財の救いたい未来が、無駄になってしまう可能性は」

「……」


 しばらく考え込んで、安財は口を開いた。


「問題ない、と思います」

「そうか……」


 ただしまだ安堵はできない。その根拠が明示されていない。


「紫陽さんの行動の変化は、あくまで記憶違いに起因する言葉の違い、あるいは会話量の違いのみです。これは、タイムリープで時間を複数経験していればありとよくあること。最終的な未来にも、因果律にも一切影響しませんし、当然、無重力タイムリープには該当しません」


 紫陽は一旦胸を撫で下ろした。突飛な行動をしていないから因果律を変えてしまう無重力タイムリープに該当しないことは納得できるが、一般的なタイムリープの範囲内でも世界に影響を与えていないというだけで随分と安心できた。


「生じた変化も、聞いてる限り教師の板書が変わった程度でしょう。誤差の範囲だと思います。テレビゲームでいえばリセットしたから宝箱の中身が変わりました、等と状況は同じと考えます」


 大して物の置かれていない静かな部屋で、安財の言葉は紡がれつづける。


「その話であえて興味深い点をあげるとすれば、英語の授業でしょう。クラスで囃し立てられるような2人組が、どちらの世界線でも教師に当てられ、みなの前で回答することになった。もしかすると、彼らにとってはこの瞬間が貴重な交流の一步だったのかもしれないですね」


 紫陽は心底くだらないと思った。


「とりあえず結論としては、発言内容を変える程度であれば世界線を大きくズラすことはないと認識してよいか?」

「日常生活であれば差し支えございません」

「わかった」


 「それから……」と紫陽はスマートフォンのメモ帳を眺める。普段気になったことをここに書き留めているからだ。


「タイムリープの効果について、実践で試してみたいことがいくつかある。実験のためにタイムリープすることは可能か?」

「ええ、もちろんです。無理やり未来を変えるとかでなければ問題ありません。また、紫陽さんの体が耐えるのであれば」

「耐える?」


 タイムリープによる人体の影響など、今まで1度も話に上がっていない。突然の情報に紫陽は不快感を覚えた。


「いえ、体への負担というのは、同じ時を何度も過ごすことになる負担です。他の人が絶対に戻らない時間軸を進んでいるなか、紫陽さんだけが他よりも多く、けれど年をとることなく、世界を経験しています。その回数が積み重なれば、誰であっても精神に異常をきたすことはあるかと」


 なるほど。本来あり得ない経験をすることになるから、気だけは狂わないようにしろ、ということか。その程度であれば想定内だ。


「そしたら、試したいことを実践する際に、テストの相手として安財には協力してほしい」

「分かりました。今日ですか?」

「いや……」


 紫陽はまたスマホを確認する。今度は時間を確認するためだ。


「呼んでおいて申し訳ないのだが、今日は大事な予定がある」

「あら、茉莉まつりさんと」

「まだ大事な予定としか言っていないが」


 といっても安財の予想した通りである。明後日から3日間の修学旅行のため、持ち込みたいボードゲームを繁華街まで買いに行く。なのでそろそろ出発準備をしなければならなかった。


「承知しました。明日も荷造りなどでお忙しいでしょうか?」

「ああ、すまない」

「いえ、お気になさらず。修学旅行、楽しんでくださいね」


 言ったそばから、安財は出る支度を始める。まあ、紫陽から出ていけと言ったようなものなのだが、こう段取りが早すぎると逆に気まずい感情を覚えるものだ。


「安財、1つだけいいか?」

「?」


 こちらを見た彼女のウェーブか綺麗に揺れて、淀みのない瞳が紫陽を唱える。不思議がった表情の中で小さな口が尖っているようにみえた。


「これから、椿綺つばきって呼んでよいか?」

「……? もちろん構いませんが。それがわたくしの名前ですので」

「いやそれはそうなんだが」

「名前を切り替えるタイミングを、見失いがちな方ですか?」

「まあ、それもあるし……」


 紫陽の、癖みたいなもの。小学校の頃から、親しい友人を下の名前で呼ぶことを自らのルールとすることで、自分の心情を日常会話へ反映させるように努めていた。機械的な言い方をすれば、友人としてのラベルを貼る行為。


「とにかく、今日から椿綺って呼ばないと気が済まないんだ。頼む」

「ご自由にどうぞ……。紫陽さん、変わっている方ですわね」

「タイムリープを布教するためにヘリで家に押しかけてくる奴よりはマシだろ」

「いずれ慣れますわ。そんなの」


 短い挨拶を済ませて椿綺は部屋を出た。


 紫陽は何となく、彼女とより親密になるような気がした。


     ◆


 10月19日(1回目)


 修学旅行1日目。


「広い! 広すぎるよ!!」


 土日中の買い物・荷造りを経て、修学旅行当日。紫陽しはるの予想通りというべきか、茉莉まつりは空港の森羅万象に目を輝かせていた。


「2階もお店がいっぱいある!」

「おーい、早く戻らないとまた叱られる」


 空港に着いて、他クラスのバスが到着するまでお手洗い休憩となった。あくまでお手洗い休憩であり、空港内を自由に散策して良いとは言われていない。この様子を見られたらまた面倒なことになる。


「見て、飛行機飛んでるよ」

「……。カッコいいな。流石に」

「ねっ」


 離陸する航空機を見て、タイムリープのことが頭に過る。宇宙にこそ向かわないけれど、地球の引力から一時的に逃れて、空を飛ぶ金属の塊。しかし飛行機は最終的に地球のどこかへ着陸する。強烈な因果律から抜け出したように見えて、また同じところに戻ってくる。


「紫陽ちゃん、飛行機乗ったことある?」


 問いかけてきた茉莉の瞳の中で、別の機体が離陸準備に入っていた。


「ある……けど、小学2年だ」

「前すぎ!?」

「だから記憶はない。茉莉は?」

「初」

「そりゃあ貴重な経験だな」

「ちょっと怖くない?」

「いやあ、こんなに安全な乗り物はないよ」


 続けて紫陽は車の事故率と航空機の事故率をするか悩んだが、茉莉はその理屈じみた話を好まないだろうから辞めた。第一安全性を主張するにしても事故の話は避けたほうがよいと思った。


     ◆


 保安検査と搭乗手続きを追えて、離陸前。


「緊張するかも……」


 紫陽の隣で、茉莉がずっとそわそわしていた。


「外を見ておけばよい。機体がどのような状況にあるか把握できて、無駄な不安が取り除かれる」

「そうしてみる……!」


 真ん中辺りだからだろうか、うっすらと燃料の匂いが鼻をついて、格納された荷物が大きく揺れ動く。加速が最高潮に達した時、足元の辺りから大きな音がして、そのまま機体は宙を浮く。


「……ッ!」


 ジェットコースターみたいに目をつぶっていた茉莉は、そこで恐る恐る外を見返した。


「飛んでるー!」

「良い景色だ。感動するな」


 離陸成功、だった。


 まだ、その時は。


     ◆


 機体が激しく揺れ、誰かの紙コップが足元まで転がってくる。


「…ち……て………さ…ッ!」


 CAさんの声は、機内の悲鳴にかき消されて紫陽の耳元まで届かない。


 ぶら下がる酸素ボンベをつける余裕は、体にも心にも残されてない。


 ただ、角度も分からない機体の回転に逆らうため、周囲にしがみつき、必死に耐えた。


 目的地へ向かう飛行機は、想定外の雷雨に直撃する。天候を予測した上で出発する飛行機としてはあり得ないことだった。


 だけど紫陽たちはそのあり得ないに巻き込まれていた。隣の茉莉が泣きながらこらえている。


「きゃーーー!!」


 後ろから衝撃に耐えられなくなった女子生徒が通路を転がり落ちてくる。椅子のフチに激突した彼女の体から、雷雨と停電が色は分からない、けれど確実に粘り気のある、暗い液体が流れ出した。


 ――死。


 紫陽の脳裏に、真っ先に思い浮かぶ言葉。この航空機は、想像もしたくない、最悪の顛末を迎える。ここで私の人生は終わる。


 紫陽は即座にポケットから小型のそれを取り出す。衝撃で、落ちてなくてよかった。


 迷いはない。きっとこういった日のために与えられた道具。


 なかったことにするんだ。


 この10月19日を。

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