お金は空から降ってこない

木塚めぐる

お金は空から降ってこない

2025年の11月の初め頃、長い付き合いのある友人から、集まりの誘いの連絡が来た。

その友人は大学時代の同級生で、私が所属していた国際協力サークルのセンター長だった。

友人が0からサークルを立ち上げ、私はそこに所属していた。

酸いも甘いも、同じ時間を共有し、同じ釜の飯を食った、大切な友人だ。

どうしても都合が付かず、誘いを断ってしまったけれど、連絡が来たことが、嬉しかった。

二十代の頃、社会が嫌になり、生きるのが嫌になり、何もかもリセットしたいと思って多くの人の連絡先を消してしまったのだけれど、その友人の連絡先は消さず、今でも付き合いがある。

本当にありがたいことだ。


その友人から、大学時代、ある言葉を言われたことがある。

それは、


「お前は、お金はまるで空から降ってくるものだと思っているところがある」


という言葉だ。


当時はいまいちピンと来なかったが、今なら、その友人の発言の意図が分かると思い、筆をとった。



当時の私は、

「お金は、誰かの言うことを聞いて、貰うもの」

だと思っていた。

当時はアルバイトの経験がなく、社会の中で働いたことがなかった。

だから受動的な考えが強かった。


一方の友人は、

「お金は、自分の頭で考えて、自分の体で行動して、稼ぐもの」

という考えだった。

友人の夢は起業家で、バイタリティ溢れる強い人だった。


今でこそ、お金に対する考えとして、

「他者の指示に従う受動的な面と、自らの意志で考え行動する能動的な面があり、これらを上手く組み合わせて働き、会社からお給料を貰ったり、個人事業主やフリーランスなどでお金を稼ぐ」

という、私なりの意見を出せる。

どちらか一方だけではダメで、二つを上手く組み合わせる必要があるのだけれど、それがまた難しい。


当時の私は、お金に対する能動的意識が欠けていた。

それを友人が

「お前は、お金はまるで空から降ってくるものだと思っているところがある」

と指摘してくれたのだ。


しかし、当時の私は、指摘として受け止めることが出来なかった。

だから、社会に出て躓くのは、火を見るより明らかだった。



小さい頃、親からよく

「世の中お金じゃない」

と言われていた。


「お金が原因で人生を破滅してほしくない」

とか、

「お金のやりとりや管理をしっかりしてほしい」

とか、親なりに、私を思いやってくれて、言ってくれたのだと思う。


しかし、捻くれた視点から見ると、

「私に実家を出てほしくない」

という思いも、あったのかもしれない。

お金があれば、実家を出て行かれてしまう。

それを親は感じていたから、私にそう言ったのかもしれないのだ。



私は農家の長男として、1990年に、この世に生を受けた。

家長制度が強く残る家で、子供の頃は一族から、

「長男は家に残れ、家を継げ、家を守れ」

と何度も言われた。

父と祖父の言うことは絶対で、反論するなら激しく叱責され、時に拳が飛ぶ環境だった。


大学生の頃、一人暮らしがしたくなり、親に相談するも、

「お前は出来ないだろ?」

「家から通いなさい」

と反対された。

就職活動は実家から通える企業に就職するのが絶対条件で、実家を出ての就職はもってのほかであった。



そんな保守的な考えの家だから、アルバイトに対する考えも、保守的だった。


大学に入学する際、

「言うことを聞けば小遣いやるからバイトをしないでほしい」

「バイトをしない代わりに勉強をして、単位を落とさないでほしい」

と言われたことがあった。


私のことを思いやって、言ってくれたのは嬉しかった。

しかし、バイトをしながら勉学に励む同級生を見ていくうちに、親から言われたことに疑問を感じるようになった。


説得の末、アルバイトを始めたのは、大学一年の秋くらいで、同級生よりも少し遅めのバイトデビューだった。

コンビニでアルバイトを始めたが、向いていなくて、数ヶ月で辞めてしまった。

親は失敗は恥という考えで、失敗を嫌う傾向があったから、私が再度何かのバイトをすることを良く思っていなかった。


それでもバイトをしたかった私は、説得の末、期限が決まっているからと言う理由で、大学2年の夏休みに、期限付きのプール監視員のバイトを始めた。

監視員のバイトは合っていたので、途中で辞めることなく、最後まで続けることができた。

その後は、週に一回なら大学の勉強に支障をきたさないからと言う理由で、商業施設の警備員のバイトを始めた。

大学4年の、夏ぐらいまで働いた。

一般的な大学生と比べて、圧倒的にバイトの経験は少なかったと思う。



このような環境に身を置いていたから、

自我が芽生えたのは、人よりもだいぶ遅かったと思う。

二十代半ばの頃、親と大喧嘩し、実家を出た。


「社会に出て躓いたのはお前らのせいだ!」

「学生時代に一人暮らしを経験出来ていれば、社会で躓くことはなかった!」

「実家を出ることに理解のある家に産まれたかった!」

「こんな家に産まれなければよかった!」

今までの鬱憤を晴らすかのように、罵声を浴びせた。


実家を出ることが決まり、小さい頃から何かと世話になっている父の姉にあたる親戚に連絡した。

「監視するから住所を教えろ」

と言われた。

その瞬間、身体の中で憎悪の念が激しく、

まるで猛火のごとく燃え上がるかような感覚を感じた。

「こんなおかしい一族の一員なのはごめんだ!」

「本気で縁を切ってやる!」

と固く決意し、実家を出た。



あれから10年くらいの年月が経った。

10年という長い年月の中で、猛火のごとく燃え上がった憎悪の念はすっかり消え、煙となって何処かへと飛んでいった。


一族に対し、大きな誤解をしていたのだ。

実家を出るまでの私は、一族全員が最初からおかしい人たちだと思っていた。

しかし、10年の長い年月の中で、その考えは誤りだったと思えるようになった。

一族をおかしくした人間がいて、それが誰だか分かったのだ。


それは祖父だった。

祖父が家をめちゃくちゃにして、一族に傷を負わせていたのだ。


父は私以上に祖父から叱責や暴力を受けていて、子供の頃は毎日のように怒鳴られ、殴られていたらしい。

だから祖父との折り合いが悪かった。

仕事のストレスもあり、毎日鬼のような形相だった。


母は仕事から帰ってきて、クタクタな中ご飯を作ってくれているのに、祖父から

「おい!メシはまだか!」

「俺をバカにしているのか!」

と怒鳴り散らされていて、子供ながらに可哀想だと思った。


祖母はそんな祖父を止めようとするも敵わず、病院送りにされたことがあった。


父の姉にあたる親戚は子供の頃、大学に行きたかったのに、祖父に

「女は大学に行くな!」

と言われ、行けなかったそうだ。

酒の席で、酒が入った時にボソッと言っていたのを覚えている。



そんな祖父に育てられたり、一緒に住んでいたりしたら、おかしくなるのは当然だ。

そう思うと、今度は祖父に対し、憎悪の念が身体中からこみ上げてきた。


「一族がめちゃくちゃになったのはお前のせいだ!」

「お前は最低の人間だ!一族の恥だ!汚点だ!」

「お前がちゃんとしていたら、一族はめちゃくちゃにならずに済んだんだ!」


こみ上げてきた憎悪の念が、再び激しく燃え上がろうとしていた。



しかし、憎悪の念は、激しく燃え上がることはなかった。

祖父も祖父で、もしかしたら、辛い思いをしていたのかもしれない、と思えたからだ。


祖父もまた、祖父の親に叱責や暴力を受けていたのかもしれない。

幼少期に空襲を経験したことで、人格が歪んでしまったのかもしれない。

祖父が若い頃は「男は◯◯、女は◯◯」といったジェンダー的価値観が絶対的な時代だったから、

男としてのアイデンティティを失って、弱さを見せたくなかったから、拳を飛ばしたのかもしれない。


はるか昔から繋がっている負の鎖が、途中で途切れず繋がったまま、私まで連鎖してしまったのだろう。

そう思うと、なんだか祖父への憎悪が薄れていくような気がしてきた。

祖父が若い頃どのような環境を過ごしてきたのか、本人の口から聞くことはもう出来ない。

なぜならもうこの世にはいないから。



これからは、一族を憎悪して時間を消費するのではなく、感謝のために時間を使いたいと思っている。

現在は、あれだけ縁を切るんだと決意して出ていった実家に、

大喧嘩した家族と一緒に住んでいる。

そして一族の表情は、当時よりだいぶ穏やかになっている。


父は仕事を退職し、現在は農業を営んでいる。

鬼の形相だった表情は、当時とは打って変わって、柔らかくなっている。

母と祖母は、心穏やかに、平和に生きている。

そして親戚は、息子が結婚し、孫が産まれたことで、

あんなに刺々しい雰囲気だったのが嘘のように、丸くなった。


昔は、まるで自分だけが辛い思いをしていて、地獄の中でもがいていると思っていたけれど、

一族も辛い思いをしていて、地獄の中でもがいていたのだ。

そう思うと、当時の自分の心に折り合いを付けられそうな気がした。

外から見れば、私の家は、機能不全家族に見えると思う。

しかし、外からどう見られるかは、私には関係ない。

地獄の中でもがきながら、様々な苦悩や苦難や困難を乗り越えて、私を育ててくれた。

この事実に変わりはないからだ。

本当にありがたいことだ。

感謝の気持ちでいっぱいである。


溢れてくる敬愛の念を抱きながら、

ゆっくりと時間をかけて、恩返しをしていきたい。

今はそう思っている。



人生は十人十色で、人の数だけ人生があり、苦悩や苦難や困難がある。

地獄がある。

私のような人生を送っている人もいれば、私とは真逆のような人生を送っている人もいるだろう。

そして私たちが歩んでいる人生は1+1=2といった答えのある単純なものではなく、

様々な概念が複合して構成されている答えの無いものである。


しかし、答えの無い人生において、これだけは、間違いなく言えることがある。


お金は空から降ってこない。

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