人殺し

 視界が半分になった。眼帯越しにある空気は触れず、ただそこにあるだけ。未だに、空っぽの部分が痛んでいる気がした。

 何があったかなんて自分でもわからない。ただ、他の人には知られちゃいけないような気がした。自分の今の状況を、隠し通さなければいけないと思った。

 違和感の残る世界を眺めながら、重い足取りでいつもの角を曲がる。一昨日の、昨日の残り香が漂うあの木々の中。思い出したくもないのに、鮮明に出来事がフラッシュバックする。

「うっ……」

 せり上がってくるものを必死に抑える。

 ここであったことは、全部夢じゃなかった。私は理子を殺した。そして私の左目は、


「おはようございます、詩乃」

 ……たぶん、理子に奪われた。

「理子」

 それなのに。

「おはよ」

 私は微笑んで、理子に言葉を返す。お互い何か許せないことがあるはずなのに、いつもの調子で笑い合っている。

「……どうかしましたか?」

 たぶん、理子が好きだからだ。

「あっ」

 そうだ、大切なことを思い出した。

 私は理子が好きなのだ。今になってやっと気付いた気持ち、忘れるわけにはいかない。

「?」

 きょとんとした理子に、私は思い切って言葉を伝える。

「私ね、理子のこと好き」

 もうどうにでもなれと、一方通行になりかねないボールを投げた。それを受け止めてもらっても落とされても。返してもらってもいいように。もうどうにでもなってよかった。

「……そうですか」

 次の瞬間、理子はずいっと私に近寄る。

 あまりに急接近すぎて、少し驚いて後ろへ後退りしてしまう。

「あら、怖いんですか?」

「いや、ちょっと驚いちゃって」

「また何かされるかもしれないと、思ってますか?」

 少し目を細め、理子は私の右目を見つめた。もしかしたら、左目かもしれない。

「い、いや」

 正直、そんなこと思ってないとは言えなかった。

 どうやったのかはわからない。けどあの時、私の左目は確かに潰れた。視界を失った。

「いえ、ごめんなさい」

 立ち尽くして理子の目を見つめていた私が苦しそうに映ったのか、理子はすぐに私から離れた。

「好き、というものに少し興味があって」

「それって」

 言葉を続けようとした私の唇に人差し指を当てる。指先から伝わるその温度にドキッとして、思わず口を噤んでしまった。

「好き、だから……私を殺したんですか?」


 その瞬間、あの時をまた思い出す。

 憎かった。私以外の子と話している理子が。私以外の子に笑顔を向ける理子が。二度とそうしたくなくて、二度とそんな景色を見たくなくて。私は衝動に任せて、理子を殺した。

 この気持ちは嫉妬……つまり「好き」から来ているはずだ。

 だからと言って本人に向かって

「好きだから殺した」

 なんて言えない。そうすれば、きっと私はどうかしてる人になってしまう。

「あ……」

 なんとか声を絞り出して、言葉を伝えようとした。が、その瞬間、また口を閉じられる。

「ええ、解ってますよ。それが貴女の愛、なんですね」

「あ、え、えっと……」

 よくわからないけどたぶん、そうなんだと思う。

 ほぼ無意識に、そう呟いていた。

「……ありがとう、教えてくれて」

 そう言って、再び理子は私に近付く。

「でも貴女は、殺し損ねた」

 重く響く声で、そう囁いた。ずんっと、何か重圧のようなものがのしかかってくる。

 また頭の奥が痛み出して、思わず眼帯越しに左目を抑えた。

「次失敗したら。私はまた貴女と同じように、貴女を傷付ける。」

 そう、理子は宣言した。


「次は、何処を壊してあげましょうか」


 昨日、痛みに耐えながら見上げた先の彼女が口にした言葉を思い出す。その言葉の意味を、今になってようやく知ることになった。

 どういうわけか、彼女は私に殺されることを望んでいる。そして、何故か死ななかった彼女は私を傷付けようとしている。

 どうしてこんなことになっているのか。

 それは変わらず昨日から疑問を持っている。

「ねえ、理子ー」

 そうして尋ねようとしたとき、

「ほら、行きましょう。詩乃」

 手を引かれ、そのまま遮られてしまった。

 このまま、何も聞かない方がいいと。私の中にそんな考えがあった。

 うん、そう。きっとそれがいい。

 そう納得をして、何も言わないまま理子に着いていく。

 これで、このままで大丈夫。

 ――

「あ、詩乃おはよ……って、どうしたのその目!?」

 席に着くなり声を掛けてきたのは、梯早苗。中学から一緒の、ちょっと変わった子だ。

 と言ってもぱっと見はただの元気に溢れる少女だ。唯一他と違う事があるとすればー

「ねえ、詩乃、やっぱりなんか憑いてるよ」

 何か、が見えているらしい事だ。勿論、根拠なんてものはないし私も彼女を信じ切っているわけではない。ただ、彼女があまりにも真剣すぎるだけだ。

 中学二年生の頃、同じクラスで隣の席になった彼女から突然こんな話をされてから今に至るまで、親しいとは言えないもののそこそこの間柄ではある。

 たまに、鬱陶しいとは感じる。早く理子と一緒になりたいな。

 理子はというと、また委員会か何かの仕事で席を外している。

 ……やっぱり、理子の事を考えると胸の辺りがずんと重くなる。

 嫉妬。おそらくこの言葉で正しいだろう。今理子と居る誰かが羨ましくて、憎くて堪らない。理子は私の傍にいるべきなのに。理子は、私のものなのに。

「詩乃、大丈夫?すごい顔してるけど」

「ん、あ、あぁ、大丈夫だから」

 突然声を掛けられ声が裏返りかける。すんでのところで抑えたものの、私の反応に早苗も驚いたらしい。

「え、あ、大丈夫なら良いんだけど……」

「あぁ、ごめん。何の話だっけ」

 教室の扉を見つめていた私が、その視線で彼女の話を遮ってしまっていたことを思い出す。慌てて彼女の話に戻ろうとした。

「そうだよ、目!どうしたの!」

 どんな作り話をするのが良いだろうか。

 あまりにも残酷な表現は避けたい。早苗はそういうのはあまり得意じゃないから。

「えと、なんか、病気で。しばらくこの状態じゃないとダメみたいなんだ」

「そっか……痛い?」

 昨日の痛みを思い出す。今も何処かに残っている。

「……うん、とても」

 そう答えるしかなかった。それ以上もそれ以下もなく。

 そのうちチャイムが校内に鳴り響く。いつも通り、朝のホームルームだ。

 その時間にはもう理子も戻ってきているはずだった。

 ガラガラ、と音が鳴り、チャイムから少し遅れて理子が教室に入ってくる。遅れるなんて珍しい、何かあったのかな。と、席に着くまでずっと理子を目で追った。何かをポケットに入れるのが見える。

 私は知りたかった。理子に何があったのか。全部を知らないと気が済まないのだ。


 私はその日、常に理子を見ていた。何か怪しい動きがないか、何かを隠していないか。そればかりが気になって、授業なんてほとんど集中できなかった。

 チャイムが鳴り響き、気付けばもう夕焼けが空を照らしている。礼をしてみんなが散らばる中、理子は立ち上がり、荷物も持たずに何処かへ行ってしまった。

 そのとき、彼女がポケットの中の物を落とすのを見逃さなかった。幸い気付いていないようで、私は落ちていたその紙をすかさず手に取る。そこにはこう書いてあった。

『放課後、屋上口前の踊り場に来てください』

 それを見た私はすぐに立ち上がり、理子の跡を辿るように教室を出た。念の為、懐にカッターを忍ばせて。

 ――

「その……俺、巫さんのことが好きで……!」

「えっ」

 心のすぐそこから、恐怖に近い何かと一緒に声が漏れる。

 その光景は、とても信じたくない物だった。誰の目にも付きにくい場所。屋上へと繋がるドアから差し込む光だけが微かな灯になっている。

 こんな場所への呼び出しなんて、大抵目的は分かっていた。

 それでも私は、これを実際に前にしても信じられない。

 そんな、あの男子は何を考えているの?理子に、なんでそんな事を

「……ありがとうございます」

 最初に口を開いたのは理子だった。

「好きなんて言ってくれて、ありがとう」

 その目は優しくて、あのとき私を見つめていたときみたいに微笑んでいた。


「……ぁ」

 やめて。もう私以外にその目を向けないで。

 もう何回も苦しめられている。この光景を見る度に私はひどく彼女を恨む。そして勿論、あの男も。

「え、ってことは」

「でも」

 何かを期待したような男子の声を、理子はすぐに遮った。

「私は私で、好きな子がいるので」

 そう言って、屈託のない笑顔を見せた。

「えっ?」

 聞いたことがない。好きな子がいるなんて、そんなのは知らない。

「……は?」


 まただ。

 あのときみたいに、黒くてドロドロした何かが胸の奥で蠢いている。苦しくて、今にも吐き出してしまいそうだ。 

「だから、」

 理子は静かに右腕を男子に向ける。人差し指を指して、口を閉じた。


「私の邪魔をしないでください」

 その瞬間、理子の顔から笑顔が消える。続けてぱん、と破裂音が聞こえたかと思うと、そのまま男子は後ろに倒れてしまった。動かない。

 頭からは血が流れ、目は虚を見つめている。

 詳しく見なくても分かる。あの男子は死んだ。

「……詩乃、いるんでしょ?」

 そして、少しの返り血を浴びたその顔はこちらに振り向いた。さっきとは打って変わって、光に満ちた目で私を見つめる。

 目が離せない。その瞳の奥の宇宙に捕まったみたいに、視線が彼女から離れない。

「大丈夫です。邪魔者は殺しましたから」

 詩乃が、人を殺した。


 でも、そんなことは正直どうでもよかった。


「理子」

 制服のポケットへと手を突っ込み、そのままの足で彼女の元へと駆け寄る。すぐ側まで行って彼女の匂いがした頃、私はその目の奥に誰かを視ていた。それは多分、理子ではない誰か。

「好きな子がいるって、どういうことなの」

「……それは」

「答えて!誰なの!?」


 許せるわけがない。私以外に目を向けて、私以外に微笑みかけていた理子に、好きな子がいるなんて。

 私だけを見ていればいいのに、私だけのものなのに。


 耐えきれずに声を張り上げる。ただ知りたかった。理子の好きな子が誰なのか。

 知った後で、殺してやろう。そんなことしか考えられずに。


「言いません」

 そう言って理子は、悪戯に微笑んで見せた。

「はっ」

 血の気が引くのを感じる。怒りも、悲しみも通り越した何かが、さっきまでの黒い何かが。すぐそこまで来ている。

「ふざけないで」

 そうして私は衝動的に、力一杯理子を押し倒した。気付けば手には、懐に忍ばせていたカッターが握られていた。

 カチカチカチッ、と、刃が伸びる。鋭利な先端が光って、理子を狙っていた。

「それで、また私を殺すんですか?」

 もう何も考えられていなかったから、どうして自分がカッターを持って理子に相対しているかなんて理解できなかった。

 けど、これもきっと

「それが、貴女の愛なんですよね」


「ねえ?詩乃」


 掠れて消えそうなその囁きは、嫌に脳味噌の奥深くに響く。いつまで経っても消えない痛みみたいに、私を苦しめる。


 階段に倒れ込んだまま動かない理子は、まるで私の手を待っているようだった。

 どうしてこんな事をしなければいけないのかはわからない。

 でもきっと、これが私の愛なんだと。そう言い聞かせた。理子もそう言っているのだから。

 だから私は、こうして好きな人を殺す。今度こそ、確実に。

 そうして彼女を永遠の物にする。


 そして私はカッターの刃を理子の身体へ思いっきり突き刺す。その勢いのままに、制服ごと彼女の身体に切り傷を入れた。

 あまりにも勢いが強すぎたのか、飛び散った血液がそこら中を赤く染める。

「うっ……ぁっ、ぐ……」

 痛そうだ。苦しそうだ。

 私と同じように苦しんで欲しい。痛めつけてやりたい。そんな感情もどこかにある気がした。

 そうだよね。好きな人と一緒じゃないと。


 そうして私は何度も理子の身体を突き刺す。相変わらず赤の流れは止まらない。やがて彼女の声が止んでも、それは変わらなかった。

 ざくり、ざくりと、嫌な感触が手を伝って響いてくる。不快だけど、理子のものだと思えば、自然と受け入れられた。

 

 段々何も感じなくなってくることが逆に恐ろしくなってくるほど、繰り返し何度も刺す。


 「ねぇ、私を何度も殺して。あなたの愛を、教えて?」


 確かに理子はそう言った。そう、なら、ちゃんと殺してあげないと。それが、理子の願った事なのだから。

 念を押すように、最後に心臓の部分を深く突き刺した。鮮血が溢れてくる。

 

 正気を取り戻して辺りを見渡したときには、血の海だった。

「……やっちゃった」

 どう処理するか悩んだ。まあ、今から作業を始めればなんとか片付きそうだ。それも、バレないように慎重に。制服も、自分の手でちゃんと洗おう。そうすれば、全部終わる。

 なんだかとても、清々した。心が軽くなった気がする。

 不思議な感覚に少し戸惑いつつも、私はそのまま後始末を始めるのだった。

 ――

「……詩乃……?」

 私が見たその光景は、あまりにも凄惨なものであった。友人が、クラスメイトを殺しているのだ。それも、カッターを念入りに刺して。狂気なんてものじゃない。恐ろしさを通り越して、見入ってしまうほどだった。

 ひどく、ショックを受けた。それは勿論、友人――詩乃に対してだった。

 ただもうひとつ、明らかに異様なことがあった。


 ……あの女、巫理子。

 あそこまでされているのに死んでいない。

 私にはわかる。あの女の命が見える。

 笑っている?何を?誰かに語りかけている?詩乃に?

 目を凝らしても、耳を澄ませても、分かることはその断片的な情報だけ。

 ただ一つ、これではっきりわかった。


 間違いない。

 

 あの女は、人間じゃない。

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私を殺す、好きな人 咲花楓 @nu2520

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