私を殺す、好きな人
咲花楓
好きな貴女を殺して、
「だいすき」
私は確かに、そう伝えた。でもそれはさりげなく、そして何気なく。特に何の熱も持たず、ただ彼女は受け止めるだけだった。それを心では聞いていないなんて、どうして分かってしまうのだろう。いっそ分からない方が苦しくないのに。幸せなのに。
そんな、不格好で不可思議な言葉が似合うほど、私はどうかしている。
「ねえ、詩乃。なんか雰囲気変わりました?」
「気付いた?髪、ちょっと切ったの」
こうして、些細な変化にも気付いてくれる。いつも隣に居て、笑ってくれて。
「ずっと見てますから」
そう言ってくれて。
堪らなくなって、私は彼女の手へと手を伸ばす。でも掴む前に、その手は少しずつ離れていってしまった。もどかしくて、何とも言えない苦しい気持ちになる。
その繋ぎ目になりかけた部分に集中しすぎて、じっと見つめてしまっていることに気付いた。慌てて目を逸らす頃、彼女はどこか遠くを見つめていた。
……ずっと見てるって言ってたのに。嘘つき。
すぐにそんな言葉が頭を駆け巡る。何を見ているのか、確かめたくなかった。考えたくもなかったし、何を考えてるかなんて知りたくもなかった。
ただそこにあるのは、「好き」という言葉だけで。
「理子」
「はい?」
また、呼んでしまった。何も意味なんて無いのに。私だけを見つめていて欲しくて、その目を求めてしまうのは私の悪い癖だ。自覚はある。でももう、無意識に身体から出てしまうのだ。
「……やっぱり、何でもない」
ごめんね、と続く言葉は出なかった。
「そんな事だろうと思いました」
もうきっと、彼女も分かっている。私の声に意味なんて無いこと。
好きと言い出したいのに、口から出るのはいつも、彼女の気を惹くためだけの言葉であること。
もやもやと何かが立ちこめるまま、私達はいつもの曲がり角に辿り着いた。
夕焼けを反射するカーブミラーが嗤っている。微かに冷たい風が、どこか見えない場所で私の心を刺す。
離すよりも先に繋がってすらいなかったその手は、私に向かって揺れた。
「じゃあね、詩乃。また明日」
「うん、また」
そう言って、いつも通りに手を振り合う。
何も変わらない、いつも通りの道の上。烏の鳴き声が嫌に響く。また、何も出来ないまま一日が終わってしまう。そんな言葉で全てを終わらせてしまうばかりで。
――
「巫理子です。よろしくお願いします」
きらきら、という表現があまりにも似合っていた。前に立って自己紹介をするその姿はどうしてか、私の目には輝いて見えた。これほどまでに人に魅了されるのが始めてだったからかもしれない。私はそのまま、盲目的になってしまっていた。
幸い彼女とはすぐに仲良くなった。好きなゲームだとか、音楽だとか。しかも出身まで同じ場所らしい。高校進学を機に地元を離れて都内に来た私にとって、同じ地元の人と会うのは奇跡に近かった。
「きっとこれは運命なんだ」
そう、自分に聞かせ続けていた。
いつも一緒にいるときも、まるで昔からずっと傍に居たみたいな気持ちになった。小さい頃からずっと一緒の、幼馴染みみたいな。
私はなるべく長い時間、彼女の隣にいようと思った。そして、なるべく彼女の注意を惹こうとした。
「ね、理子。似合ってる?」
「うん。似合ってますよ」
「ほら、私のこと撮って」
「ハイ、チーズ」
「花火、綺麗ですね」
「……理子もね」
「なんですか、それ」
何回も何回も。彼女のためなら何だってした。
なんとしてでもずっと隣に居られるように。彼女に見てもらえるように。
それなのに。
私の見る彼女は、いつも私じゃない「何か」を見ている気がした。視線は確かに私に向けられている。でも、私自身を見ている感じがしなかった。
何がダメなの、何がいけなかったの。私のこと嫌いになったの?
そんな言葉も口にする寸前で毎回止まる。口にしてしまったらきっと、本当に嫌われてしまうから。こんな面倒なメンヘラ女と一緒になんて居たくないと思われてしまうから。
気にしない素振りをして過ごしてきた。今まで、ずっと。
こんなに苦しんでいるのは、きっと恋のせいだ。
今まで恋なんてしたこともなかったのに、そう言い切ってしまう。
「でも恋って、女の子が男の子を好きになることじゃないの?」
漫画、アニメにドラマ。その全てで、恋とはそういうものであると描かれていた。だから、自分はどうかしているのだと、自分の気持ちを否定する度に心が締め付けられていく。胸が苦しくなって、涙が出てくる。
だから私は、「好き」と彼女に伝えられないのだ。もし、気持ちが間違っていたら。こんなにも傍に居たいと思っているのに、何もかもが壊れてしまう。
玄関のドアに手を掛ける。冷たい、ひんやりとした温度が手を伝う。こんな風に簡単に、心の扉を開けることが出来たなら。それだけで、どれほど幸せなのだろうか。
「今のままで十分幸せ」
そう声に出して、自分の全部を否定する。そして何事もなかったように、私はひとりぼっちで部屋へと入っていった。
――
人は、愛する人が他人に心を向けることに対して「羨ましい」「妬ましい」と感じてしまうらしい。そんな事を思ったってどうにもならないのに。そう思っていた。
でも今の私は確かに、目の前の光景にそんな二文字を探してしまっている。これはそう、嫉妬。
「巫さん、ちょっといいかな」
「はい、なんでしょうか」
詳しくは聞こえなかった。何かを話し合っては、二人で笑い合っている。そのまま立ち上がり、二人はどこかへ行ってしまった。
「……え?」
理子が、笑っていた。
耐えられない。
理子が、私以外の女の子と話していた。それも楽しそうに。
耐えられない。
笑顔だった。それも、私じゃなく他の女の子に向けられていた。
耐えられない。
息が不規則に荒くなる。心臓の鼓動の音が耳に入ってくる。
言い表せない気持ちが、黒くてドロドロした気持ち悪い何かが、胸の奥で暴れ回っている。
もうそこには居ないのに、二人が消えた教室のドアから目が離せない。
しばらくして、すぐに二人は戻ってきた。また、理子は笑っていた。
許せなかった。その笑顔が。私の、私のものなのに。
「ありがとうございます。佐々木さん」
そんな理子の声が嫌でも聞こえてくる。それが頭に入ってくるよりも前に、私は何が起きたかを理解した。
理子が、他の女の子の名前を呼んだ。
「どうして」
息が益々荒くなる。もう周りも見えないほど、私は苦しみに囚われている。視界が揺らぎ、ぼやける。
「あっ」
何かに掴まろうとしたその手ごと、私は床へ倒れていった。
――
結局私は、保健室で目を覚ました。未だにふらつく足で立ち上がってから、もう大丈夫ですと先生に断り教室へ戻る。
窓から見える空は、すっかり茜色に染まっていた。教室の人もまばら。きっと放課後だろう。
とにかく今日は急いで帰ろう。そう思い教室のドアへと手を掛ける。
「あ」
そこには、理子がいた。
「詩乃、大丈夫?突然倒れちゃったから、びっくりした」
「……うん、大丈夫」
私には、彼女が本当に心配しているのか分からない。倒れたから心配して少しは構ってくれるかなんて、淡い期待もどこか遠く感じる。
「帰ろっか」
「……はい」
鞄を手に取った私は、そのまま彼女の傍で歩き出した。
「ねえ、お昼さ。佐々木さん、だっけ。なに話してたの?」
「え?そうですね、委員会とかの話を」
嘘だ
「じゃあなんであんなに楽しそうにしてたの?私のことなんて見ないくせに」
足を止める。同時に止まった彼女の顔は、ゆっくりと振り向きながら私を見つめた。
また、それ。
「まあ、軽い世間話とか、そんな感じだったので」
嘘だ
「私のことなんて見ないくせに」
衝動を動かすには、この言葉だけで十分だった。
「ねえ、詩乃?大丈夫ですか?」
心配そうに歩み寄ってくる。手を差し伸べてくるその様子が、本当に憎かった。
だから、私は
輪郭の定まらない視界で、なんとか理子だったものを捉える。目は開いたまま、頭には血が滲んでいた。思い出す限り、ほとんど声も出さないまま彼女は倒れた。本当に、一瞬のことだった。
運悪く、すぐそこに石造りのレンガが落ちていたのが悪い。理子が、他の女の子を見ていたのが悪い。こんなものがなければ、私は、
はっと目が覚めて振り下ろしていた手を止める。もう何回も、その頭を打っていた。直感で、いや、誰が見ても分かる。もう、彼女は死んでいる。
赫く染まった灰色のレンガが、そのことを物語っていた。
呼吸を落ち着かせながら、その顔を撫でる。
綺麗な、可愛い私の理子。きっと私には、貴女を手に入れることはできない。
「ごめんね。理子」
日も差さない薄暗い林の中で、私は一人微笑んでいた。何を感じるよりも、今は。このどうしようもない気持ちに、名前を付けたかった。
――
「好き」
そう何度も口にする。そう。私は理子が好き。だから、殺した。
ようやく自分の気持ちが分かって、なんだか心躍っていた。ずっと不思議だったものの意味がわかることが、こんなにも楽しいんだと。気付いたときには、もう彼女はいなかったのだけれど。
変な気持ちを抑えつけながら、いつも通り学校に向かう。途中で、また昨日の林の中を掻き分けて進んだ。
「……え?」
そこに、理子の姿はなかった。
誰かに、見つかった?
「そんな、嘘でしょ」
どっどっ、と心臓が大きく脈打ち始める。マズい、そう直感した。このままじゃ、私は人殺しだ。
一体、どうすれば
「おはようございます、詩乃」
聞き慣れた声が後ろから聞こえる。
雑音が一斉に止む。聞こえるのは微かな耳鳴りだけ。
息を呑んで、私は振り返った。
「え」
そこにいたのは紛れもない、理子だった。傷も何も無い、まるで本当に何も起きなかったみたいにそこに立っている。
あれはまさか、夢だったのだろうか。
「夢じゃありませんよ?」
「な、」
見透かされたようなその言葉に、声が出なくなる。何が起きているのか、全く理解ができない。
でも確かに、そこにいるのは巫理子だった。
「ねえ、詩乃」
見つめてくるその瞳から、目が離せない。金縛りにあったみたいに、身体が動かない。
「……あ」
震える声で絞り出しても、言葉にはならなかった。そんな私に、理子は静かに言った。
「どうして、私のことを殺したんですか?」
次の瞬間、左目に激痛が走る。思わず目を閉じると、続けて頭の中で何かが弾けるのを感じた。
「あっ、ああああああああっ!!」
あまりにも激しい痛みに、私はその場に倒れて蹲る。
何が起きているのかも理解したくないのに、私は左目を開けてしまった。
何も視えない。未だ耐えられない痛みが続く左目からは、透明な液体の混ざった血液がドロドロと流れてくる。
「あっ、ああああっ、あああああああ」
痛い、苦しい、怖い、
「ああああああああっ」
もはや言葉なんて出なかった。
「……私はもっと、痛かったんですよ?」
傍にしゃがみ込む理子は、続けて私に言った。
「ね、私を殺してくれて、ありがとうございます」
「あああ、はあっ、ぁぁぁぁああぁぁ、な、なん……で」
「ねぇ、私を何度も殺して。あなたの愛を、教えて?」
「なん、で……」
私を見下ろす理子は、優しく微笑んで言った。
「次は、何処を壊してあげましょうか」
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