ブルーブラッド・レジスタンス
マリン
第一章
近未来、高層ビルが空を貫く大都市セレスティアの中心に位置するセント・ヘレナ・アカデミー学園。その廊下は、いつものように青白いエーテル光で満たされていた。富裕層エリア、エクリプス・シティの「未来のエリート」を育てる檻のような場所である。
ガラス張りの壁から見える外の景色——オーロラ・プロムナードのネオンが渦巻き、アーク・クリスタルの頂部が雲を貫く——は、まるで生徒たちに「ここが頂点だ」と囁いているようだった。
ここに通う生徒であるセオ・ハーパーは、学園のロッカーの前で荷物をまとめていた、ミディアムヘアの黒髪に青い色の瞳は鋭く目の前を睨みつける
165cmの細身の体躯は、学園指定の制服に包まれていた。
白いブレザーが清潔に輝き、赤とエメラルドグリーンのチェック柄ネクタイが首元を締め、スカートも同じチェック柄で統一感が出るデザインの制服。白い靴下が膝下まで伸び、全体が「完璧なエリート」の象徴を醸し出す優等生、生産性スコア常に上位5%ここで甘えてはいけない。満足すると停滞する常に向上心を持ち完璧を目指すのが普通。疲れなんて、認めてはいけない。彼女自身、そう考えていた。
「セオ! 今日の模擬試験、満点だったんでしょ? さすがハーパー家のお嬢様!」
隣のロッカーで、不快な甲高い声が響く、派手に染めた赤髪を可愛らしいシュシュでサイドテールにし、それを揺らしながら話しかけてくる彼女の名前はエマ。父親はヴィータ・ネクサスの研究員で、Sランク保険証持ちのエリートだが、家庭はセレスティアの中でも比較的緩い方だ。エマ自身はファッションモデルとして推薦入学したタイプで、成績が多少悪くてもここにいられる。明るく誰にでも話しかける生徒で、彼女の瞳と濃いアイシャドウのラメは煩いくらいに輝いている。彼女が苦手なタイプ。だが追い払っても話しかけてくるのでセオは半ば諦めていた
「こんなの当然だ、あと、しつこいし、お前はいつも煩い」
彼女はいつも通り鋭く返す。今日は機嫌が悪かった何故だろうか酷く胸がつかえる感覚がしていた。毎回のテスト期間になる度に重さが増していく。セオは眉間にシワを寄せながら教科書を準備する。
「セオっち眉間にシワ寄ってる〜怖いよ!」エマはセオの真似をしながらセオの威圧に屈せず、目をキラキラさせて続ける。彼女の頬につけられたラメもクリスタルの輝きでキラキラとしている。
「今日クラブあるんだけどさ〜セオっちも行こうよ〜勉強ばっかじゃん?、私セオっちともっと仲良くなりたいし〜」 意味不明なニックネームで呼ばれセオは即座に首を振る。
セント・ヘレナ・アカデミーは超名門校で、基本的に生徒たちは遊ぶ余裕なんてない。セオは返す
「そんな余裕なんてない。あとお前、いつも邪魔なんだよ、どけってば」
セオはエマしつこくくっつくエマを肘でどかし教室へ向かう。セオはクラスの中でも特に真面目な優等生として知られていて、誰もが「ハーパー家の完璧娘」と呼ぶ。
勉強一筋なのは、父親の厳しい教育のせい——遊びは下等で、研究者になるべきだと半ば洗脳のように信じ込まされている..父親がそうする理由は彼女自身も分からないが、そうなったのは、母親が彼女が幼い頃に事故で亡くなってからのような気がしていた。
だが疑問に思わない。幼い頃からその教えで育てられて来た彼女はこれが出世の道だと素直に思っている。
「そもそも、なんでしつこく絡んでくるんだ、うっとおしいんだよ。遊んでばかりいると、下層落ちなっても知らないぞ」
もううんざりだ、エマはセオが辟易している事も知らず。諦めずにしつこく誘ってくる「え〜セオも遊ぼうよ〜なんでいつも来ないの?」と頰を膨らませる、セオの我慢が限界を超えそうな時、エマは思い出したように話題を変え始める。
「あ、下層っていえば、あのプロジェクト知ってる?
ネクスト・ジェネシス・プログラムのこと! スラム街を新しい都市に変えるんだって、キラキラの再生エネルギー使ってさ〜。私、ファッションの新しいスポットができるかもってワクワクしてるんだよね!」 セオは内心で思う。ネクスト・ジェネシス・プログラムのことだろう、頭が悪い彼女でも知っているようだ。
だがエマは新しい都市開発という言葉にキラキラしているだけだった。
全くいい加減にしろと思い。セオはそろそろ帰るから話は終わらせたいと、エマを強引に振りほどく。
本当は行ってみたい気持ちが、ふと頭をよぎる。最近、テストが近づく度にそれも増えるようになった
が、すぐに振り払う。遊びなんて下等だ、セオにはそんなことをしている時間なんてまったくなかった。
周りで生徒たちのプロジェクトの噂話がまだ飛び交っていた。セオは聞き耳を立てる
「プログラムで犯罪減るんだって、みんなワクワクしてるよね」
「でも、詳細わからないし、なんか怪しい都市伝説もあるけど……」
「アッシュリングのスラム街、全部更地にして新しいAI都市に変えるらしいね。ギャングとか本格的に一斉摘発するらしいよ」
「いいよね。今のエクリプス・シティ、犯罪多すぎるし。毎日銃撃事件とかで怖くて夜歩けないし。
プログラムでスラムが改装されて、巨大な新都市ができるって。新しい再生エネルギー使って、クリーンで永遠の繁栄みたいな。 みんな少しワクワクしてるよね。プロジェクトはまだ卓上だけど、結構時間がかかるらしいよ。」
笑い声が響く。セオはそれを聞きながら、父親の言葉を思い出す。
「アッシュリングの連中は非生産的だ。プログラムで浄化すれば、みんなが永遠の繁栄を手に入れる」
父はそう言い切る。セオもその通りだと思っていた。
スラムは危ない場所で、住民はギャングか薬物中毒者ばかり——それも事実だと信じていた。でも、どこかで小さな棘が刺さったままだった。
スラム全体を一瞬で新しい街に変える? そんなことが本当にできるのか。
住民はどこへ行くんだろう。
疑問は浮かぶ、そしてすぐに消える。
次のテスト、次の塾、生産性スコアの更新。
下を見る暇なんて、最初から与えられていない。政府の説明はいつも完璧すぎて、逆に幻想的だった。
ホロスクリーンに流れる大統領の演説は、まるで夢を語るように優しく響く。「ネクスト・ジェネシス・プログラムは、皆さんの未来を守るプロジェクトです。
犯罪者を一網打尽にし、安全な街を実現。
スラム街は新再生エネルギーで生まれ変わり、雇用を生み、格差を解消します。
住民たちは再教育プログラムで新しい生活を。
すべては永遠の繁栄のため!」言葉は美しく、耳に心地いいものだった。
「へえ……すごいな」
セオはぼんやり頬ずえをつきながらそう思うだけ。
若い子たちはみんなそうだ。
目の前のテストや遊び、恋愛やホロゲームに夢中で、ニュースなんて流し見。
政府が言うならきっと本当だろう——そう刷り込まれている。詳細はぼやかされている。
どうやって一気に街を建てるのか。
再教育って本当に機能するのか。
そんな疑問を口にする者は、すぐに「陰謀論者」のレッテルを貼られる。
「政府はスラム民を消すつもりだ」なんて囁く声もあるけれど、
次の瞬間には「心配ない、すべて計画通り」という広告が脳内チップに届いて、
不思議と安心してしまう。格差のデモは毎日のように起きている。
プラカード、怒号、催涙ガス。
でもセオの視界の端を過ぎていくだけ。
だって、忙しいから。
考える暇なんて、ないから。完璧な話術で、誰もが少しだけ夢を見せられて、
誰もが少しだけ目を背けている。
それが、セオの知らないうちに、日常になっていた。
準備を既に終えぼーっとスクリーンで動画を見ていたらピピッとセオの脳内チップに通知が届く。
【17:30 塾・AI最適化戦略講座】
【18:45 習い事・神経拡張トレーニング】
【20:00 父・ゼノより 今日のスコア報告を忘れるな。95未満ならカウンセリング強制】 無意識に苦い顔になる
心がすり減っていることに、自分で気づいていない。
いや、気づきたくない。
課題の山、習い事の連鎖、周りの「輝く」同級生たち。
みんなが笑っているのに、自分だけが影のように感じる。
感情を出すのが苦手——許されない。
でも、胸の奥で何かがざわめく。
「輝き」の向こう側に、何か違うものがあるんじゃないか。
開放されたい。少しだけ、息をしたい。
そんな深層心理が、無意識に芽生えていた。
授業開始のチャイムが、セント・ヘレナ・アカデミー全体に轟いた。
澄んだ電子音が三回、重なり合うように鳴り渡り、廊下も教室も一瞬で静まり返る。
続いて、天井に埋め込まれたスピーカーから、柔らかくも絶対的なAI女性音声が降ってくる。「生徒の皆さんはただちに着席してください。授業開始まであと十秒。九、八……」カチカチカチ。
数百人の生徒が同時に椅子を引き、音もなく座る。
まるで機械仕掛けの人形のように整然と。セオは最後列の窓際席に座り、視線を外へ投げたままだった。
授業は「近現代都市史」。
ホロスクリーンに映るのは、気候変動で水没した旧ニューヨークの映像から、
人工島と浮遊プラットフォームを重ねて築かれた現在のエクリプス・シティへの変遷。
セオは何故か授業に集中できず、ぼーっと教室の窓の外を見ていた。彼女が見ているのは、窓の向こうにそびえるアーク・クリスタルの冷たい青白い光だった。授業終了のチャイムが鳴る。
同じ電子音が三回、今度は解放を告げるように響く。「授業終了です。本日の生産性スコアは後ほど脳内チップへ通知されます。
廊下では走らないでください。素敵な夕べを」教室が一気にざわめく。
生徒たちは立ち上がり、鞄を手に取り、出口へと流れ始める。「セオちゃん!」
背後から、甘ったるい声が追いかけてきた。
セオは嫌な予感がして耳を塞いだ。
振り返らなくてもわかる。エマだ。赤髪のサイドテールが弾み、濃いアイシャドウにラメシールが頬でチカチカ光る。
制服のネクタイはゆるゆるに緩め、スカートの丈は規程ギリギリまで短くしてある。
セオは嫌悪感を丸出しにした表情をエマに向ける。
「今日も満点だったんでしょ~? さっすが~! ねえねえ、今日は絶対クラブ来てよ!
新カフェできたって、みんなで行くんだから!」セオは無言で鞄を肩にかけた。
眉間にわずかに皺が寄る。
うざったい。
エマはいつもこうだ。
セオにまとわりつきたがる。
理由は簡単——セオが「完璧」で「近寄りがたい」から、近づきたがる。
セオはそれが大嫌いだった。
エマのラメが光るたびに、胸の奥がチリチリと苛立ち、舌打ちをする。
「……っ行くわけないだろ」
低い声で呟いて、踵を返す。「え~~! またそれ!? セオちゃんってほんと冷たい~!
私、セオちゃんと友達になりたいだけなのに~!」エマは頰を膨らませ、拗ねたふりをする。
その頬のラメが、廊下の照明を浴びてギラギラ光る。
セオの顔が、ほんの一瞬だけ、本気で嫌悪に歪んだ。早足で廊下を歩く。
大理石の床に靴音が響く。
壁のホロスクリーンは「生産性向上キャンペーン」のスローガンを流し続けている。
通り過ぎる生徒たちは、セオを見ると小さく会釈して距離を取る。
誰も近づかない。それが当たり前だった。昇降口で靴を履き替え、正門へ。
重い鉄とガラスの門が開く音が、背後で鈍く鳴った。門を出た瞬間、夕方のオーロラ・プロムナードが襲いかかってきた。ネオンが空を裂き、ホロ広告が無数に浮かぶ。
制服姿の学生たちがキャッキャとはしゃぎ、
疲れきったサラリーマンたちは脳内チップをいじりながら肩をぶつけ合う。
カフェのテラスでは、最新のグリーンバイオエナジーを片手に自撮りする若者たち。
その向こうで、巨大スクリーンに映るルシアン・ヴァレンティノが演説していた。白いテーラードスーツにピンクのネクタイ、金髪のセンター分け。
香水の甘ったるい匂いが、風に乗ってまで届きそうだった。
彼はでな身振りで両手を広げ、観衆を煽る。
「我々は選ばれた者です! ネクスト・ジェネシス・プログラムは、永遠のエデンをここに築く!」周囲には黒スーツの護衛が十数人。
全員同じサングラス、同じ無表情。
片手で耳のインカムを押さえ、もう一方の手はコートの内側——銃に添えられているのが一目でわかる。
ヴァレンティノが髪を気にするたび、護衛の一人がさっと鏡を差し出す。
観衆は拍手喝采。
そのすぐ横では、デモ集団がプラカードを振り回していた。【子供を返せ】【浄化=虐殺】【永遠の繁栄は誰のものだ】警備ドローンの赤いレーザーが群衆をなぞり、拡声器が無機質に繰り返す。
「解散命令。違反者は即時拘束」
怒号と拍手と香水と催涙ガスの匂いが混ざり合い、街の空気は熱を帯びていた。セオはそれをすべて、ぼんやりと横目で眺めながら歩いた。
声も、匂いも、光も、右から左へ流れていく。
何も心に残らない。やがてたどり着いたのは——
セレスティア・セントラル駅。
ガラス張りの巨大ドームの下、人波が渦を巻く。
頭上のホロビジョンが、淡々と告げる。「次のグレイヴェイル方面行き、間もなく到着」セオはエスカレーターに乗り、
人波に押されるように最後尾の車両へ滑り込んだ。
セレスティアの空を滑るように走る車両は、ガラス張りで外の景色を映す。
アーク・クリスタルの青白い光がビル群を染め、ホロスクリーンが「永遠の繁栄」を宣伝する。
同年代の生徒たちが隣で笑い合う。
「次のテストでSランク取ったら、クリスタル治療予約するよ!」
「羨ましい! 私も頑張らなきゃ……」 セオは窓に額を押しつける。
輝く街並みが過ぎていく。
疲労が体を重くする。
完璧を目指すのはいつも通りなのに、今日は……もう帰りたくない。
ルミナ・スパイアの82階、父親の監視カメラと通知の嵐。
少しだけ、逃げたい。
そんな思いが、深層から湧き上がる。
目が重くなる。
モノレールの揺れが、心地よい。
塾の駅で降りるはずが、目を閉じてしまった。
疲れ果てた体が、無意識に解放を求めていた。
……気づいたら、最終駅だった。モノレールが止まり、ドアが開く。
セオはぼんやりと目を覚ます。
ここは……グレイヴェイル・ターミナル?
霧に沈む灰色のコンクリートビル、薄暗いホロ看板が「ヴィータ・ネクサス」の広告をチカチカ点滅させる。
労働ロボットの清掃音が響き、住民たちは脳内チップで無表情に呟きながら歩く。
かつての中間層が没落したこの地帯は、無機質で息苦しい。
セオの胸がざわつく。
ここは「レールから外れた者」の場所。父親がいつも警告する。
でも、なぜか足が動かない。
帰りのモノレールに乗るはずが、駅を抜けて歩き出していた。セオはプラットフォームに立ち尽くした。
グレイヴェイル・ターミナルは、セレスティアの輝きとは正反対の場所だった。
霧が濃く立ち込め、灰色のコンクリート柱が無数に並ぶ駅舎は、まるで忘れられた墓場のように沈んでいた。
天井のネオンライトは半分切れかけ、チカチカと不安定に点滅し、足元に不気味な影を落とす。
ベンチには、数人の住民が座り、無表情で脳内チップをいじっている——彼らの目は虚ろで、時折低く呟く声が霧に溶けていく。
遠くで労働ロボットがガタガタと床を掃除する音が響き、空気にはわずかな油と廃棄物の臭いが混じっていた。
怪しい雰囲気が漂う。
路地から漏れる薄暗い光が、怪しい影を伸ばし、時折聞こえる遠い叫び声や機械の軋みが、セオの肌を粟立たせる。
お嬢様育ちのセオにとって、こんな場所は初めてだ。
セレスティアの無菌的な輝きしか知らない彼女は、胸の鼓動が速くなるのを感じた。 セオは焦って周りを見回した。
白いブレザーの袖を握りしめ、青い瞳が忙しなくプラットフォームを掃く。
帰りのモノレールはどこ?
ホロ看板に表示された時刻表を見ると、セレスティア行きは次の便が1時間後——電車が少ないこの終端駅では、夜遅くなるとさらに間隔が開く。
「家に帰らないと……父さんが怒る。生産性スコアが下がるかも……」
心の中で呟くが、体が動かない。
ベンチに腰を下ろし、待つことにした。
でも、霧が濃くなる中、待つ時間が長引くほど、困り果てる。
脳内チップに通知が届く——【父・ゼノより 帰宅確認。遅延は許さん】
セオの指が震え、制服のチェック柄スカートを握りしめる。
周りの住民が時折こちらをチラリと見る視線が、怪しく感じる。
家に帰らないと、すべてが崩れるのに……なぜか、足が重い。
開放されたいという深層心理が、彼女をここに留めていた。
そこで、視界の端に白い影が動いた。
小さな白い野良猫——いや、グレイヴェイル住民の飼い猫だろうか。
野良のはずなのに、まるで雪のように美しい毛並み。
長い白毛は汚れ一つなく、夜のネオンを反射し、まるで小さな月が地面を這っているようだった。
首には細いシルバーの首輪——セレスティアの高級ペットショップでしか売っていない、マイクロチップ内蔵のもの。
青い瞳は、セオと同じ色で、吸い込まれるほど澄んでいた。
エーテル・ウォールの監視網を、父親に隠していた廃チップで誤魔化してすり抜けた。足を止めたのは、
セオは息を呑んだ。
猫好きの彼女は、こんな場所にこんな綺麗な猫がいるはずがないと思った。
逃げた誰かの飼い猫かもしれない。そう思った瞬間、胸の奥で別の声が囁いた。──私も、逃げてきたんだ。猫は振り返らない。
白い尻尾を優雅に揺らしながら、廃墟の奥、赤いネオンが灯る路地へと消えていく。
危ない場所だとわかっている。
父親が何百回も言った。「アッシュリングには近づくな。ギャングと薬物と死体しかない」。
それでも、足が動いた。猫を助けたい。
そして、自分を助けたい。
その二つの衝動が重なり、セオは無言で走り出した。
白と赤とエメラルドグリーンのチェックのスカートが夜風に翻り、白い靴下が泥と錆で汚れていくのも気づかないまま。追いかけるグレイヴェイルの景色は、セオの目に異世界のように映った。
霧が濃く立ち込め、灰色のコンクリートビルが無秩序に並ぶ街並みは、まるで忘れられた迷宮だ。
薄暗いホロ看板が「ヴィータ・コア」の古い広告を繰り返し、点滅する光が地面に不気味な影を投げかける。
路地には、廃棄されたAI部品や錆びた鉄くずが散乱し、時折労働ロボットがガタガタと通り過ぎる。
住民たちは無表情で歩き、脳内チップの光が彼らの目をぼんやり輝かせる——誰もが疲弊し、希望を失ったような顔。
遠くでデモの残響が聞こえる。「医療特権法を撤廃せよ!」という叫び声が霧に混じり、催涙ガスの匂いが微かに漂う。
怪しい雰囲気が濃厚で、路地の奥から漏れる赤いネオンが、危険を予感させる。
セオは息を切らしながら追うが、足元が滑りやすい廃液の水溜まりに気づき、初めての恐怖を感じる。
それでも、猫の青い瞳が頭から離れない。
猫はまるで導くように、少し先を歩いては振り返り、また奥へ奥へと進む。
セオは追う。
自分の足が、もう戻れない場所へ踏み込んでいることにも気づかずに。エーテル・ウォールの隙間を、まるで引き寄せられるようにくぐる。
アッシュリングの空気は生暖かく、汚染の臭いが鼻を突く。
足元に散らばる鉄くずと導線、廃棄パーツの山。
シンダーヴェインに入っていた。
シンダーヴェインの入口。錆びた鉄板の看板に、スプレーで大きく書かれた文字。【WELCOME TO HELL, PRINCESS】
猫はセオを一瞥すると、鉄条網の下の穴に滑り込んだ。セオは無意識に膝をつき、制服のスカートを汚しながら這うようにして穴をくぐった。初めて吸い込むシンダーヴェインの空気は、
生暖かくて、油と血とスパイスの匂いが混じっていた。
足は下層へ、旧ブルックリンのスラム街(ヘヴンズ・フォール)へ。廃墟の迷路、後悔したがもう遅い。汚染された空気。未知の場所に動揺し心臓が早鐘のように鳴る。
突然、猫が止まる。小さな広場。そこにいたのは、中国系スラムの少年、細身で、大きくぱっちりとした目は興味心が宿っていた、彼は猫を抱き上げ、
「あ!スノウ!..探してたよ〜!」
リンファは微笑む。英語に訛りが混じるが、温かい。猫に頬擦りをする姿は無邪気な、素直な心を忘れない少年のようだった
「君は..?危ないよここ。僕が安全なとこ連れてくよ」
彼はそう言うと無理やりだが優しくセオの手を引き、隠れ家風の廃ビルへ。道中、セオは警戒を解けない。スラムの臭い、銃声の遠い響き。だが、リンファの穏やかさに、わずかな隙が生まれる。
隠れ家に着くと、猫の飼い主が現れる。金髪に一瞬、息を飲むほど美しい碧眼の少年がいた。目を惹かれるくらい美しい青い瞳は、あの猫にそっくりだった。
彼は、即座にセオの制服を睨む。
「よお、リンファ。そいつ誰だ? セント・ヘレナのバッジじゃねえか。金持ち学校のガキかよ」
彼の声は見た目に反し棘だらけ。仲間たちが集まる中、彼はセオを壁に押しつける。
「こいつらの制服見ろよ。きっと政府の親持ってるガキらで、俺らを消そうとしてるヤツらと同じ脳みそしてんだぞ。」
空気が凍る。リンファがルキウスを押し返す。
「ルキウス、待ってよ 、この子きっと迷っただけだよ?」
「うっせえな、嘲笑いに来たに決まってんだろ?それとも見物か?おいガキ、お前親誰だよ、言わねえと..殺すぞここは俺らのナワバリだぞ」
「ちょっと、ルキウスってば」リンファが止めようとする..彼の名前はルキウスと言うようだ
「うっせえな、俺らは明日生活する金もねーんだ、金ヅルが転がってんだぞ?同情してんじゃねぇよ、こいつの親によっちゃ高い身代金が入るかもしんねぇだろうが」
他の少年たちが声を上げる。10歳の少女が泣きながらセオにすがる。
「ねえ、お姉ちゃん僕たち、犯罪したくてやってるんじゃないよ……。お母さんの薬代、弟の飯のためだよ。政府が仕事くれないから、仕方なく……。お姉さん、僕たちも人間だよ!」
涙がセオの袖を濡らす。ルキウスは拳を握り、黙り込む。仲間たちの視線に、彼も一瞬、動揺を隠せない。
セオの心に、亀裂が入る..自分が信じていた正しさとは?そう考え始める。
「ゼノ..ゼノ・ダリウス」
ルキウスはその名を知っていた、計画の張本人であり冷徹なサイコパス。彼は「家族すら計画の駒」と割り切る冷徹さで有名だった。ゼノは「人質の娘」で動かないと確信した。ルキウスは政府内部の情報をすでに一部握っている。娘を捕まえても「惜しい犠牲だった」で終わる。実際、過去に別の技術者の子供を人質にとったギャングは全員「事故死」扱いで消された。
「人質作戦は100%失敗する」とルキウスは即断した。ルキウスはため息をつき、両手をあげセオを解放する。
「てめぇ...あいつの娘かよ、知ってるぜ、俺。サイコパスなクソジジイだろ。可哀想にな。じゃあこう。協力してくれんなら、殺さないで見逃してやる。どうだ」
「協力...?」
「そうだ、俺らにあいつがどうしてんのか、情報を持ってくる、少しでもいい。分かったら早くどっか行けよ、金持ちくせぇ」
そう言うとルキウスはリンファにセオを帰らせるよう言う
リンファはセオの腕を優しく引き、隠れ家の扉をくぐった。イースト・エンド・シンダーの夜は、赤いネオンが鉄条網に絡みつくように揺れ、路地の地面に散らばる廃材が足音を鈍く響かせる。遠くでヒップホップのビートが漏れ、グラフィティの壁の文字をぼんやり浮かび上がらせる。空気は湿った灰の匂いで重く、時折、闇市場の呼び込み声が風に混じる―
「この先の路地をまっすぐ。シンダー・ゲート・ステーションまで、10分だよ。夜遅いし、ルキウスみたいに睨まれないよう、目立たず行きなよ」リンファの声は穏やかだが、訛りの残る英語にわずかな緊張が滲む。彼はポケットから古いホロマップを差し出し、青白い光で道筋を照らす。「君みたいな子がここに来るなんて、珍しからさ、僕、心配で、ルキウスの言う通りだよ。僕たち、ただ生きてるだけでも。上層の空気は冷たいんだよ..でも君が優しくて良かった。」
セオは頷き、言葉を返せないままだった。リンファは気を付けてねと元気にセオの手をぎゅっと握り上下に振る。彼女は翻弄されながらも頷き、大丈夫だから、と声をかけるとリンファはニコッと笑う。温かい笑顔が、シンダーの薄暗さを少しだけ柔らかくする。「あ、自己紹介遅れた! 僕、リンファ・リャン。みんなリンファって呼ぶんだ!」
リンファは自分を指さしその名の通り花が開くような眩しい笑顔を向ける。
セオは小さく頷き、歩きながらもその笑顔に目を細める。リンファの瞳がキラキラと輝き、感情が次々と顔に浮かぶ――最初は心配げな皺、次に明るい笑み、そして少しの寂しげな影。素直で元気いっぱい、でもどこか心の柔らかい部分が透けて見える。
「ねえ、君の名前も教えてよ。僕さ、君と友達になりたいな。また会いたいよ、シンダーって怖いけど、僕と一緒なら楽しいこといっぱいあるよ! 猫の世話手伝ったり、路地で隠れたおいしい屋台探したりさ」リンファの声が弾み、セオの袖を軽くつまむ。笑顔が一瞬曇り、瞳が潤む。「でも、僕みたいなのが上層に来たら、きっと捕まっちゃうよね……。でも離れるの、なんか寂しいな...今日だけでも、もっと話したかったなぁ」
セオの胸に、温かな波が広がる。リンファのそんな素直さが、弟のラナを思い起こさせる。ふわっとした優しさ、重い影を隠した明るさ。路地の角で立ち止まり、「……セオだ。きっと、また来る」
リンファの顔がぱっと花開くように輝き、両手を合わせて飛び跳ねる。「やった! セオ、約束だよ! 次は僕の特製チャーハン作ってあげる。絶対待ってるからね!」別れの瞬間、彼の笑顔に小さな寂しさが混じり、セオの頰に軽く触れる。温かく、儚い感触。セオは頷き、路地を進む。大きく手を振りるリンファの後ろ姿が路地の影に溶け、セオは振り返らずに手を振る。遠くから叫ぶ、気をつけてね!また絶対会おうね〜というリンファの声が..耳に入る..――あの子たちも、ただの人間か。いや、むしろ、人間よりも人間臭く、暖かい、胸に深く広がっていくような、寧ろ熱く放射状に広がる何かが、夜風に煽られる。体も、頰も熱い。父の「計画」は正しいはずだった..だが...絶対にそうでは無いかもしれないという、考えが、セオの心に深く刺さった。そもそも正解などない。絶対の正義とは?正しさとは?彼女はこの感情がなにか分からず、ずっと揺らいでいた。何故だが心が暖かい、そんな気持ちになりながら、セオは歩く。そんな感情をシンダーの風の灰に混じり、対比しセオの制服に絡みつく。
シンダー・ゲート・ステーションは、崩れかけたコンクリートのアーチに、錆びた看板がぶら下がる。リフト・ライン・モノレール――政府が50年前に放棄した浮遊式の古株で、今はスラムとミッドリングを繋ぐ唯一の糸。セオは腕のチップをスキャンし、改札をくぐる。プラットフォームは埃っぽく、遠くのネオンが赤く滲む。モノレールが軋みを上げて到着し、扉が開く。中は半分空席、疲れた労働者たちが無言で座る。
車内から見える景色は、シンダーの廃墟から徐々に変わる。最初は鉄くずの山と闇市場の灯り、次第にミッドリングの灰色が広がる。グレイヴェール・ジャンクションで停車。駅は霧に沈んだコンクリート遺構で、ノヴァ・アーケードの壊れたホロスクリーンがチカチカと広告の残骸を吐き出す。「ヴィータ・コア:永遠の……」と途切れ、労働ロボットの清掃音が響く。セオは降り、磁気レールの乗り換え通路を急ぐ。足元に散らばる廃チップの破片が、ミッドリングの無機質さを物語る――中間層の亡霊たち、かつての普通所得者が沈んだ灰の海。
再び乗るリフト・ラインは、ミッドリングを抜けると速度を上げる。窓外の景色が、錆びたビル群からエターナルシティの輝きへ移ろい始める。灰色の霧が晴れ、ガラス張りのタワーが青白いエーテルの光を反射して迫る。クリスタル・ハイツ・インターチェンジに着く頃には、夜景が一変――イオン・スパイアーズの尖塔が空を刺し、ビリオネア通りのネオンが川のように流れる。セオは降り、専用エレベーターでルミナ・スパイアへ。ガラスの檻が、再び彼女を飲み込んでいく。ガラス張りエントランスを抜け、AIコンシェルジュのホロ投影が淡く浮かぶロビーを横切った。クリスタル・ハイツの夜景が外壁に反射し、青白い光が足元を滑るように照らす。磁気レールの専用駅から直結するこのタワー――父親のゼノが選んだ「完璧な住処」――は、80階以上を音もなく駆け上がるエレベーターで82階へ。鏡張りの壁に映る自分の影が、黒髪を乱したまま揺れる。外のネオンが遠く、シンダーの赤い残光が地平線を汚すようにぼんやり見えた。
扉が開くと、広大なリビングに弟の姿。ラナはソファの端に腰かけ、ホロスクリーンの光に顔を青く染めていた。双子の彼は、セオの対極――エメラルドグリーンの髪が柔らかくセンター分けされ、真白い肌が触れれば砕けそうなほど儚い。大きく潤んだ瞳が、部屋の無機質な白を優しく溶かすようにこちらを向く。幼い頃から、父親の影が薄いこの家で、ラナの存在だけが空気を温めた。ゼノの顔を最後に見たのは、いつだったか。出張のホロコールでさえ、最近は途切れがちだ。
「姉さん! 遅かったよ、どこ行ってたの? チップの位置情報がオフになって、心配したんだから……」
ラナの声は明るく、いつものカラッとした調子で響くが、瞳の奥に重い影がちらつく。立ち上がって近づき、セオのコートにそっと手を伸ばす。幼稚園の頃、ゼノが帰らない夜に二人でホロゲームを並べて遊んだ記憶が、ふと重なる。あの頃から、父親は「仕事のため」の不在を繰り返し、残された姉弟の絆を、無言の鎖のように締めつけてきた。
セオは視線を逸らし、言葉を飲み込む。自分より人を心配してしまう弟の事だから、また思い悩んで何か詰め寄って来るであろう、そう察し。無言でコートを脱ぎ捨て、螺旋階段を上る。ロフトベッドへ向かう足音が、ナノタイルの床に軽く響く。窓から見えるエターナルシティのガラスビル群が、冷たく瞬く。
「姉さん、待ってよ。なんかあった? 話聞くよ、いつだってさ。父さんみたいに、黙って置いていかないからっ……」
扉の向こうから、ラナの声が続く。明るい響きに、わずかなひび割れ――時折の重さだ。セオはベッドに身を投げ、ホロランプをオフにする。窓の外、ドローンの赤いレーザーが空を横切り、シンダーの闇を遠くに残す。ラナの言葉が、幼い頃の約束のように胸に刺さる。父親の不在が、二人を近づけ、でもどこかで遠ざけた。気持ちの輪郭がぼやけ、セオは目を閉じる...
セオは目を開け、ベッドの上で天井のナノパネルを睨んだ。昨日の記憶が、霧のように頭にこびりついて離れない。シンダーの灰色の路地、リンファの温かな手、ルキウスの棘のある視線――現実味がなく、夢の残滓のようにぼやけていた。ロフトのガラス欄干から差し込む朝のエーテル光が、青白く部屋を染め、夏の湿った熱気が窓の隙間から忍び込む。寝付けなかった夜の疲れが、骨に染みついていた。
螺旋階段を下り、リビングへ足を踏み入れると、合成キッチンのカウンターでラナが朝食を並べていた。エメラルドグリーンの髪が朝陽に柔らかく輝き、真白い肌が夏の光を優しく受け止める。彼の瞳が、いつものように心配げにこちらを向く。
「あ、姉さん! おはよう。今日はオートミールにグリーンバイオのフルーツトッピングにしたよ。ビタミン補給大事だよ、夏バテしないようにさ」
ラナの声は明るく、眩しい笑顔が部屋の無機質な白を溶かすように広がる。相変わらずの世話焼き――幼い頃から、ゼノの不在を埋めるように、彼はいつもこうだ。セオは小さく頷き、テーブルに着く。フォークを手に取り、温かな一皿を口に運ぶ。合成とはいえ、弟の気遣いが染み込んだ味がする。
「おはよう、ラナ。……ありがとう」
ラナは向かいの席に腰を下ろし、自身の皿を弄びながら、瞳を細めて覗き込む。重い影が一瞬よぎるが、すぐにカラッとした調子に戻る。
「調子、良くなった? 昨日遅かったし、なんか顔色悪いよ。チップの位置情報オフだったのも心配でさ……父さんみたいに、急にいなくなっちゃうんじゃないかって」
セオの胸がわずかに軋む。昨日のざわめきが、喉元まで蘇る。色々なことがありすぎて、何も整理がつかない。スラムの熱い息吹、父の計画の棘――だが、ラナの潤んだ瞳を見ると、言葉を飲み込む。弟だけには、弱さを見せたくない。いや、見せられない。
「大丈夫だよ。ちょっと疲れただけ。……ラナこそ、勉強の準備は?」
セオは無理に笑顔を浮かべ、フォークを置く。ラナは少し不満げに唇を尖らせるが、深く追及せず、明るく頷く。
「うん、昨夜のうちに済ませたよ。姉さんも無理しないでね。夏の暑さでみんなダウンしてるし……一緒にがんばろう?」
食事を終え、二人は制服に着替える。セオの白いブレザーが夏の陽射しに清潔に輝き、チェック柄のネクタイが首元を締めつける。ラナの制服も同じデザインだが、彼の柔らかな雰囲気が、どこか優しく見せる。ルミナ・スパイアのエレベーターが音もなく降下し、専用駅から磁気レールへ。夏の空気は蒸し暑く、車窓から入る風が、わずかに湿り気を運ぶ。外のガラスビル群が、朝のエーテル光を反射して眩しく、遠くのスラムリングの輪郭をぼんやりと隠す。
セント・ヘレナ・アカデミーの正門に着くと、夏の陽射しがアスファルトを熱く焦がしていた。門のAIロボットが、機械的な声で迎える。「おはようございます、ハーパー姉弟様。生産性スコア、良好です。素敵な一日を」風紀委員の生徒たちも、整列して頭を下げる。ラナはにこやかに手を振り、皆から声をかけられる――「ラナくん、おはよう! 昨日のホロレポート、参考になったよ」「一緒に昼食どう?」彼のふわっとした笑顔が、周りを自然に和ませる。
セオも挨拶を返される。「セオさん、おはようございます。模擬試験の資料、ありがとうございました」彼女は内面の冷たい霧を隠し、完璧な微笑みを浮かべて返す。「こちらこそ。がんばろう」クールな視線が、わずかに周囲を遠ざける。廊下へ向かう足取りはいつも通りだが、何かが違う。いつもの騒がしい影がない――エマの赤髪が、視界にない。静かでいい、と思い、深く止めることなく教室へ。夏の湿気が廊下の空気を重くし、ホロスクリーンの広告が「夏の生産性ブースト:エーテル・サプリで永遠の活力!」とループする。
チャイム前に窓際の席に着き、ホロスクリーン――この世界の掌中の窓――でニュースを流し見る。夏の陽射しがガラスを熱し、指先が画面を滑らせる。チャイムが三度響き、AI音声がカウントダウンを始める。「着席を。十、九……」セオは教科書を広げ、視線をエマの席へ移す。一応、心配などしていないが。エマは机に肘をつき、暗い顔で座っていた。いつも煩わしいほどの元気が、影のように沈んでいる。更生でもしたのか、と深く気にも留めず、視線を戻す。
休み時間になると、教室が夏のざわめきに包まれる。生徒たちがホロフォンを回し、グループで笑い合う中、エマはクラスの中心で話しかけられる。「エマ、今日のファッションアドバイス聞かせてよ」「新カフェのホロメニュー、シェアして!」彼女はいつものように応じるが、笑顔が暗く、瞳のラメがくすんで見える。セオは窓辺で本を広げ、ページをめくりながら、不思議に思う。いつもなら、こちらに絡んでくるのに。
クラスメートの少女が、エマの肩に手を置く。「エマ、今日調子悪いの? なんか元気ないよ。大丈夫?」
エマは無理に笑みを浮かべ、赤髪を指でくるくる巻きながら答える。「ううん、大丈夫だよ。ただ、ちょっと寝不足かな。夏バテかも……みんなの話、楽しいよ!」
だが、その声に張りがなく、頰のラメが夏の光に虚しく光る。セオの胸に、わずかな引っかかりが生まれる。うるさい存在がいなくなって清々しいはずなのに――様子がおかしい。父の計画の棘が、昨日の記憶と混じり、ぼんやりとした違和感を残す。チャイムが再び響き、後半の授業が始まる頃、エマの席は空いていた。保健室へ行ったらしい。セオは教科書に目を落とすが、心のどこかで、その暗い笑顔が、シンダーの灰のように残っていた。
ブルーブラッド・レジスタンス マリン @Ogasawara1022
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