幾面相の下の顔

J.D

幾面相の下の顔

はっきりと申し上げます。私は、自分の顔を見たことがありません。

そりゃ、生物的な、頭部の前面にある”顔”ならば見たことがあります。いつも顔を洗う時に見ています。

そうではないのです。私は、「本当の自分」という、みなさんが仰るあの意味での顔について、見たことがないのです。


私は、とある地方の、田舎とも都会ともつかない、中途半端といえば聞こえが悪いが、ちょうどいいといえなくもないところで育ちました。

何不自由ない生活。特に金を持っている訳でもない、かといって明日食う飯を探さなければ命がないなどという極端に貧しい生活をしていたわけでもない。

全て平均平凡。なんということはない、一般家庭でありました。


虐待をされている、その一点を除けば。


それが始まるのは、私が小学4年生に上がってすぐのときでした。

当時私は、祖父から学校の宿題などを見てもらっていたのですが、なにぶん祖父も歳でしたから、途中から体力的にきついと言うようになりました。

そこで、面倒を受け持ったのが、父でありました。



最初は、そこまでひどくなかったのです。出来なければ、少し叱られる。普通の思考で考えればそもそも、出来ないからと叱ること自体間違ってはいるのですが、出来ないから小言を言われる、それ程度で済んでいるのは、今から考えればなんと優しいと言わざるを得ないでしょう。


「翔太、お前なんでわかんないんだよ!」

そして一撃、平手打ち。小学4年生の終わりに差し掛かった3月かそこらから、少しずつエスカレートしていきます。

「ごめんなさい・・・でもッ」

ぱちんとまた、平手打ち。父の顔は、まさに鬼の形相でした。怖くて震えて、足がすくみます。

「お前みたいな出来損ないは、クズっていうんだ!ふざけやがって、なんでわかんないんだ説明してやったろうが!」

父の説明は、「あれ」とか「それ」とか、こそあど言葉というのでしょうか?基本それしかなかったのです。

それでも、聞き返すことは許されませんでした。

それは、父の説明はわかりにくいと言っているも同然だから。父を否定すると、

「お前が頭の悪いのが悪いのに、俺の説明のせいにしやがって!」

と、これまた怒られるのです。

また、ある時などは、私が正解しているのに、バツをうたれ、そのことを叱責されたこともありました。

「こんなのも出来やしないのは、お前がクズだからだ。死ねばいいんだお前なんて。お前は何が出来るんだ?」

「あ、え、ごめんなさい」

横腹に痛み。蹴りを入れられたのです。

「謝るならなんで最初からちゃんとしない?俺を舐めてるのか?馬鹿にしてるのか」

「いや、ちが、そんなことはないです」

「いや、舐めてるんだ、このゴミ野郎。お前なんて生まれてこなけりゃよかったんだ。死ね。クズ。低能のクズが」

結局、そこまで言われたのにもかかわらず、私が正解していたことが分かると、それはそれで怒られました。

髪を引っ張られ、何度も平手打ちをくらい、一瞬耳鳴りがして、耳が聞こえづらくなりました。

曰く、

「俺が間違ってたって分かって馬鹿にしてるな?顔に出てるんだよ。親を舐めるな」

とのことです。

舐めてるのはお前だろう?あまり子供を舐めないでいただきたい。







つらい。私が率直に思っていたことです。




私は次第に、人に自分を打ち明けることが怖くなりました。

打ち明けても、父のように否定してきたら?

素の自分を否定されたら、私はどう生きていけば良いのか?

さらにそもそも、私は人というものと、相容れないのでした。

人様の言うことが、てんでわからないのです。

あの人が好きだと言ったと思ったら、その人の悪口を言って、かと思えば次はその人と、さっきまで仲良くしていた人たちのことを罵倒しだす。


理解が出来ません。何故罵倒するのでしょう?好きなのではないのですか?仲がいいのではないのですか?

あれが好きだと言えば、次はこれが好きだといい、前に好きだったあれは今度は、今代までの恨みと言わんばかりに憎みだして、前に嫌いだったこれは、運命の赤い糸に導かれたみたいな顔してありがたがる。


父にも、それは言えました。

私に散々死ねだの勉強なんざやめちまえなんだの言ってきて、いざ私が、

「分かりました。勉強やめます」

と言ったときなんかはそれが最後。夜中ずっと通しで起こされ続け、暴言暴力をふられ続けました。


嫌いなのではないのですか?


あなたたちの何が、本心なのですか?


私は心底、理解が出来ませんでした。


さらに、私が本心を完全に隠すようになったきっかけはまだあるのです。

一つに、私は本来、暗い人間なのです。

私の心は、父からの傷が癒えないまま、血だらけになり、膿やら肉片やらで、とんでもなくグロテスクな様相になっているのです。心ですから、体には出てきませんが。

それが知られたら最後。人々から

「なんて暗い人間なんだ。あんなのは化物と同じだ。気味が悪い」

「あんなのに人権はいらぬ。徹底的な無視と弾圧を」

と思われると考えてしまって仕様がないのです。

私が傷だらけの、綺麗な人間ではないということが知られた時の、彼らからの弾圧が、恐ろしくて夜も眠れません。


もう一つに、私は、他人との会話ができません。

何を話せばよいのかわからないのです。

なぜなら、他人が何を考えているのか見当がつかないから。

「これ、よくない?まじでさぁ・・・」

などと言われても、なんて返したらよいのでしょう?

どうせそれすら、すぐに好きではなくなるのに、そんなものに執着して、何が楽しいのか本気でわからぬ私に、粋な返しなど出来ません。

面白くもない相槌が精一杯。

「なんて面白くない。あれは阿呆だ」

「あんなのと話すだけ無駄だ。俺達の時間を奪いやがって」

そう、彼らの心から聞こえてくるようです。実際、そこまで考える人間など、世に80億といえどそうそういないでしょうが、自己を肯定できない私には、そう聞こえてきてしまうのです。



私は以上の理由より、私自身の顔では、人様と会話など出来ぬと考えるようになったのです。

ならばどうするか?馬鹿のふりをするのです。

太宰治の言葉を借りるなら、「道化を演じる」のです。


私は、出来るだけ馬鹿になりました。馬鹿になれば、みんな笑ってくれるのです。


ある日の体育の着替え中、私はその日履いてきた、うさぎといちごの模様のパンツをみんなにみられるようにして着替えました。

結果、みんなは大笑い。あるものは、私の下半身を裸にしようと脱がせようとしてきます。

私はパンツを盗もうとする輩から逃げる。

そして盛大にすっころんで、パンツを破けさせ(破けやすいようにあらかじめ細工をしていました)、さらにみんなの笑いを掻っ攫い、その日も安全に過ごせたということもありました。

また数学の授業中などは、私は先生(女性の、若い先生でした)にばれずにずっと変顔を披露し続け、ついに先生にばれたときに

「先生の顔は、とてもそう、ビューテー、チュッ」

と言って、またもみんな大笑い。そのあと職員室に呼ばれたのも含めて、さらに大笑い。


これで、いいのです。こうすれば、私はみんなと一緒にいられる。誰も、私の姿を見ようとはしません。


しかし、このころから、私自身もまた、自分の姿がなんなのかわからなくなってきました。


一度、自分の思う通りに絵を書いてみようとしたことがあります。

絵の技術は別にして、自分の本当の思いに何か気付けるんじゃないかしらと、淡い期待を胸に。


1分経ち、2分経ち、やっと思いつきました。

そのままに私は、「私から見た他人」というテーマで、他人の顔を書いてみました。


ひどい絵だ。

真っ黒で、ぐちゃぐちゃで、塗りつぶされたような顔。

単眼で、口は笑っているが、その実表情はわからないような、化物のような顔。


しかし、私から見た他人というのは、確かにこういうものです。

私からすれば、他人の表情や感情など、真っ黒で理解できないのです。ブラックホールのように、私を恐怖させ、そしてその怖さから、私の意識を自分のほうに吸い込ませる。

なるほど、これは使えるぞ。


次に私は、「自分が本当にしたいこと」を書こうとしました。


1分経ち2分経ち、3分経ち、何も思い浮かびません。

そもそもですよ?私にしたいことなどあるのでしょうか?

今まで、他人の顔色を伺い、常に他人が気持ちいいだろうというような答えばかり探し続けた私に、自分のしたいことなどあるのでしょうか?

私の進路は、すべて親の元決めました。

私に、意志がないからです。

「これを言えば気が済むだろう」

「これを言っておけば今安泰だろう」

そうした結果に、私は立っている。

私にしたいことなど、ないのです。


「お前はこれがしたいのか?」

それをしたくはない。けど、嫌だと言ったって聞いてくれないだろう。

「・・・そう!それがしたい!」

・・・こんな人間に、果たしてそんな夢など出来るでしょうか?


私は、公務員になりました。それは何も、公務員になりたかったのではなく、それが一番手っ取り早く安定しているからです。

2年目にして、上司から

「上田くんはねぇ、多分人の上司向いてないね」

と言われました。

曰く、優柔不断で、上の立場になればなるほどつらいだろうとのことです。

ちょうどいい、私は出世欲もないので、適当に仕事だけをこなしていればよい。

仕事なら、それでよかったのです。しかし、優柔不断なやつは、どこでも優柔不断なのです。

私には、愛華という恋人がいました。

可愛らしく活発で、まさに太陽のような人でした。

そんな彼女から、一度別れを切り出されたことがありました。


「ごめん・・・もう、別れよう」

「・・・なんでだ?俺が何かしたんなら謝るよ?あれか?この前渡したプレゼントか?それとも前に行ったレストランが駄目だったか?それとも・・・」

「あのさ。私そんな人間に見える?そんなことでいちいちキレたりしないって」

「じゃあ・・・なんでだよ・・・」

「翔くんさ、なんでもかんでも私全肯定じゃん?もちろんさ、全否定してくるような人よりよっぽどいいんだけどさ。なんていうか・・・翔くんの意志?ってないの?ずっと私の顔色ばっか伺ってさ。私ってそんなにストレス?」

なるほど、中々鋭い人だ。私の本質を、私より分かっている。

結局、なんとか言いなだめてその場はなんとかしましたが、このことは私の心に、深く刻まれることとなりました。


幾面相にも重なった、色んな顔。優しい顔、怒った顔。馬鹿な顔、真面目な顔。

パイロットになりたいという顔。小説家になりたいという顔。エンジニアになりたいという顔。

どれが、私なのでしょう?私はなんなのでしょう?


もしかして、私には顔がないのでしょうか?

幾面相の仮面の下は、目も鼻も口もない、顔無しなのでしょうか?

だとすれば、私は人間なのでしょうか?


誰か、教えてください


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幾面相の下の顔 J.D @kuraeharunoto

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