十三歳、ジポッポ日和

笹 慎 / 唐茄子かぼちゃ

***

 火の点いたジッポライター。手首のスナップだけで蓋を閉める練習を繰り返す。

 セブンイレブンの駐車場で車止めに一緒に腰かけていた幼馴染の亜恋あれんは、私の肩に顎を乗せた。石鹸の香りがフワッと鼻の中をくすぐる。でも、今は亜恋の左目にできた茶色と青と黒がまだらになった痣が痛々しいから、私は彼女を見ずにジッポで遊ぶ。

「なぁ、鶴ちゃん、オッサン見に行かへん?」

 地元で有名なゴミ屋敷に浮浪者のオッサンが住み着いた、という噂。

 特にやることも、やりたいこともない。私は「別にええよ」と頷く。ジッポと、さっき買った物をパーカーの前ポケットにつっこみ、立ち上がった。

 中学生になったら、塾に行く子が増えた。私や亜恋みたいな金のない家の子は、セブンイレブンで漫然とした時間をダラダラと過ごす。とはいえ、別に不良ではない。

 常に金がかからなくて、「なんかオモロイこと」を探している私たちにとって、平々凡々なこの街、唯一のエンターテインメントが件のゴミ屋敷だった。家主は十年くらい前に死んでいる。ゴミだけ残して。

「ボヤ騒ぎあったやん」

 私は「うん」と気のない返事をした。二ヶ月くらい前にゴミ屋敷から煙がでる騒ぎがあった。タバコのポイ捨てが原因だ。

「やからな。警察が本気で調べたら、見つかったんやって。ゴミ爺の息子さん」

「なら浮浪者ちゃうやん」

「いや、見た目がほんまに浮浪者なんやって」

 適当すぎる亜恋の情報を聞きながら歩く。いつもならそろそろ悪臭がし始めるあたりで、私たちは驚いて足を止めた。

 ゴミ屋敷からゴミが消えていた。ただのブロック塀に囲まれた古い木造住宅がポツンと佇んでいる。長年ゴミを堰き止めていた門扉は壊れ、半壊した本棚が家の外に出されていた。

 亜恋は「なぁ、ピンポン押してみてええ?」と言いながら、呼び鈴ボタンを押した。「もう押してるやん」と私は笑う。しばらくして玄関が開いて、白いものが混じった長い髪を後ろで一本に縛った中年男性が姿を現した。ジャージ姿だが小綺麗で、とても浮浪者には見えない。

「君たち、どちらさん?」

 私が「どうすんの」と亜恋に目配せすると、彼女は勢いよく挙手をした。

「はい! 私たち新聞部です! ゴミ屋敷の取材に来ました!」

 嘘がすぎる。私は吹き出しそうになるのを俯いてやり過ごす。ゴミ爺の息子は首を傾げて顎をさすった。もう片方の手には雑巾が握られている。

「今日の午前中になぁ。ゴミ、全部持ってってもらったんよ。ごめんなぁ」

 それから来週には取り壊すと教えてくれた。周囲の空き地も含めて、跡地にはローソンができるらしい。私たちは「つまらん」とか「でも、からあげクンは嬉しい」とか言いながら、元ゴミ屋敷をあとにした。

「浮浪者が住み着いた言うから焦ったわ」

「住んどらんくて安心したわぁ」

 互いに「ほんま」「ほんま」と繰り返す。そして、別れ際、私は「あ」と思い出し、振り返った。

「今度こそ、がんばりぃ」

 ジッポを亜恋に放り投げる。彼女は上手くキャッチして頷いた。

 その夜、私は母に「明日、美術で新聞紙、使うねん」と告げ、母から「もう、なんでいつも直前にいうんよ」と小言をもらう。それでも寝る前には、一昨日の朝刊が食卓に置いてあった。私は祖母の介護をしている母の背中に「ありがとう」と告げた。

 翌朝、少し早めに家を出て、学校に行く前に元ゴミ屋敷に寄った。壊れた門扉からそっと敷地内に入り、壊れた本棚の側でしゃがみこむ。

 私は通学鞄から新聞紙と昨日買ったライターオイルを取り出した。新聞紙は一枚ずつにバラし、空気が隙間に入るように畳み直して重ね、本棚の脇に置く。それから束をめくりながら、間に丁寧にオイルをかけた。たこ焼きにかけるマヨネーズみたいに。街のエンターテインメント、そのラストショー。


 パーカーの前ポケットに両手をつっこんで、『ローソン来年オープン』と書かれた垂れ幕を隣にいる亜恋と一緒に見上げる。

「アイツの指紋ベタベタのジッポオイルの空き缶。鶴ちゃんの言う通り転がしといたら上手くいったわ」

 元ゴミ屋敷は取り壊しを前に全焼し、その放火犯として亜恋の母親の恋人が捕まった。跡地にはすでに足場が組まれ、シートで囲まれている。

「でも、鶴ちゃん、よくアイツがつこうてるライターオイルわかったなぁ」

「そらぁ、ジッポはジッポオイル使うやろ」

 二人でしばらく建設現場を眺めてから、どちらともなく帰路につく。

「あ〜。からあげクン食べたかったわぁ」

「向こうにもあるやろ、ローソン」

 明日、母方の祖母が住む千葉県に亜恋は引っ越す。私たちは「ディズニーランド近いんかなぁ」「入場料一万円くらいするやん」「たっか」と当たり障りない会話をしながら歩いた。

 別れ道で亜恋はニカっと笑って、私に何かを投げて寄越した。それは殴られた腹いせに亜恋が母親の恋人からくすねてきたあのジッポだった。

 彼女の背中を見送りながら、ジッポに火を点ける。

 それから手のスナップだけで、私は蓋を閉めた。


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十三歳、ジポッポ日和 笹 慎 / 唐茄子かぼちゃ @sasa_makoto_2022

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