ep.2 僕

僕は兄が羨ましかった。


幼い頃から、ずっとそう思っていたんだ。




兄の誠一と僕、龍一は双子としてこの世に、平等に生まれ落ちた。


瓜二つとまでは言えない、二卵性双生児として。


お母さんとお父さん、誠一と僕、一般的な四人家族だ。


お母さんは僕たちを平等に愛し、優しくしてくれる素晴らしい人。


お父さんは少し傲慢で、威圧的な態度を取る人。


そんな両親の元で育っていった僕たちは、少しずつ性格が分かれていった。




小学生になった頃だろうか、僕は家で遊ぶのが好きで、たまに誠一を誘った。


しかし、誠一はほとんどの誘いを断り、僕を置いて外へ出かけて行った。


「友達と約束してるから」


「外の方がのびのびできる」


そうやって友達ばかりで、のけ者にされているみたいで、内心悲しかった。




僕は、二人きりの食卓で、お母さんに相談した。


「誠一は僕と遊びたくないのかな」


お母さんは僕の頭を優しく撫でる。


「龍一、誠一の誘いにも応えてあげるのよ」


僕はお母さんと、そして誠一と一緒に遊びたいだけなのに、そう言いかけて必死に抑え込んだ。


「分かった」


この時はこの言葉しか出なかった。




小学校高学年になっても、僕たちの性格は正反対に分かれ続けていた。


僕は相変わらず、お母さんのそばについて回るだけだった。


お母さんは洗い物しながら、時には洗濯物をたたみながら僕の話を聞いてくれた。


ふと、リビングを眺めていると、黒い細長いケースが埃を被っているのを見つけた。


「お母さん、あれは何?」


僕の指差した方向を見るなり、お母さんは微笑んだ。


「あれはね、フルートっていう楽器よ。気になるなら、少しだけ教えようか?」


お母さんは丁寧に、吹き方を教えてくれた。


「とりあえず慣れるまでやってごらん」


僕は吹き口が付いている管だけをひたすら吹き続けた。




掠れたこもるような音を出していると、誠一が様子を見に来た。


「俺もやってみたい」


お母さんは「はいはい」といって、僕には別の、一回り小さい楽器を渡し、誠一にはさっきまで僕が吹いていた楽器を渡した。


「お母さん、これは?」


「こっちはピッコロ。フルートで音が出せたから、龍一は次これを頑張ってみて」


僕の時と同じように、誠一に教えたお母さんは、夕食の用意に行ってしまった。


「音出ないな」


誠一がしゅんと呟いた。


僕がすぐに音を出せたのとは逆に、誠一は全く音が出せなかった。




中学生になり、僕たちは揃って吹奏楽部に入った。


誠一はサックス、僕はフルート。


お母さんは平等に、「頑張ってね」と俺たちの頭を撫でた。


お父さんは、誠一の頭だけを撫でた。


「フルートなんて女々しい楽器、一人だけで充分だ」


僕にはそう吐き捨てた。




この頃から両親の様子がおかしくなった。


お母さんは、いつもお父さんの顔色をうかがうように怯えていた。


お父さんは、そんなお母さんをいつも怒鳴っていた。


それに釣られるように、誠一と僕も、部活以外で関わることがなくなった。


どうしてこうなってしまったのか、今になっても理由は分からない。


離婚という結末が訪れるのに、時間はかからなかった。




最後に四人で話したのは、親権をどうするかだった。


「僕は、お母さんについていく」


お母さんの隣に座る僕は開口一番そう言った。


「じゃあ、誠一は父さんが預かる」


お父さんの言葉に、お母さんが反応する。


「それは……! 誠一も私の子供です……!」


「お前にそんな経済力があるのか? 所詮は人の金で食ってきたくせに」


さすがに聞いていられなかった。


「お父さん……!」


お母さんもお父さんも誠一ばかりで、またのけ者になったような気がした。


そんな中、誠一が口を開いた。


「俺は、父さんについていく。だから話はこれで終わりにしよう」


その日のうちに、お母さんと僕は家を出ていった。




そこから時は経ち、僕は今、高校生だ。


家に帰れば、弱々しいお母さんがいる。


「ただいま」


「おかえり。夕飯作るから……」


「いいんだよ。お母さんは座ってて」


僕は目が虚ろになったお母さんを座らせ、スーパーで買ってきた食材で夕飯を作る。


それが僕の色褪せた日常。




離婚した直後は、お母さんがいつも美味しい料理を作っていた。


しかし、お母さんは徐々に物忘れがひどくなり、それがままならなくなった。


異常を感じた僕は、お母さんを病院に連れていき、検査を受けてもらった。


診断結果は『若年性アルツハイマー型認知症』というものだった。


祖父母にも相談し、ヘルパーさんにもたまに手伝ってもらうようことになった。


「誠一?」


「違うよ、僕は龍一」


そんな会話を、1日に何十回も繰り返していた。


「お買い物に行かないと」


「お母さん、家にいないとダメだよ」


勝手に外に出ようとするお母さんを引き留めるのは大変だった。




祖父母は僕たちに優しかった。


病院の院長である祖父、看護婦長の祖母。


お母さんがこうなってからは、資金の援助や、よく介護にも来てくれた。


僕の楽器を買ってくれたのも祖父だった。


そのおかげで、僕はフルートを続けられている。




僕は中学を転校し、誠一とはそれ以来会っていない。


僕と同じように、高校でも吹奏楽部で頑張っているのだろうか。


お父さんとどう過ごしているのだろう。




コンビニのバイト中、そんなことを考えていると、名前を投げかけられた。


「誠一?」


違う、これは僕の名前じゃない。


振り向いた先にいたのは、知らない制服の知らない男子高生。


「あ、すいません、人違いでした。お会計お願いします」


礼儀正しく謝ったその人の会計を済まし、僕はまた品出しに戻った。




高校生活も一年が過ぎ、ヘルパーさんと話をしていた。


「龍一くんも大変でしょう? そろそろ施設に入れることも考えてみない?」


それは少し前から考えていたが、僕の考えはもう決まっていた。


「いや、母は僕が面倒見ます」


僕の言葉に、ヘルパーさんは静かに頷く。


「それなら、おばちゃんも頑張らないとね」


ただただ、感謝しかなかった。




いつも通り、虚ろな目をしているお母さんに、僕は話しかける。


「体調はどう?」


「うん、元気よ。私はいつでも元気だから」


焦点の合わない目を、少しだけへの字にさせて、お母さんは優しく笑う。


「そっか。もう少ししたらお昼寝の時間だよ」


「そういえば、お昼ご飯がまだねえ」


僕は深呼吸をして、ゆっくり答える。


「ご飯はもう、食べたでしょ?」


「あら、そうだったかしら」


このやり取りも、もう慣れてしまった。


「じゃあ、ベッドに行こうか」


「あ、まだお買い物に……」


「お母さん……」


いつもの事だ、そう言い聞かせても、虚しさがこみ上げてくるだけだった。




とある日の、学校からの帰り道。


僕はフルートを持ち帰り、最寄りの公園で基礎練習をしていた。


しかし、僕とは別に、どこからか力強く響く、楽器の音がする。


それは懐かしい、聴いたことのある音色。


「龍一?」


声を掛けてきたのは、サックスを持った男子高生。


「もしかして、誠一?」


その男子高生は間違いなく誠一だった。




僕たちは楽器そっちのけで話をした。


「実は、父さんが再婚したんだよ」


あのお父さんなら、あり得なくはないと思う。


「それが父さんの高校時代の後輩でさ、梅さんっていうんだけど、母さんと同じフルートだったらしいんだよ」


「ってことは、お母さんの直属の後輩なんだね」


世間は広いようで狭いというけれど、それを痛感する時が来るとは思っていなかった。


「まあ、お見合いで決まったらしくてさ、俺何にも知らされてないから、いきなり家に住むって言われてびっくりしたんだよ」


「あはは、それは災難だね」


誠一は笑顔で話しているが、僕だったら普通に耐えられない。


「そっちはどう?」


その問いかけに、僕は重い表情になる。


僕は意を決して、母さんの病気について話した。


誠一はその事実を、とても深く受け止めているようだった。




「俺、何も知らなかった」


「当然だよ。僕もお父さんがどうなってるかなんて知らなかったし」


お互い黙り込み、気まずい空気が流れる。


「そ、そういえば、フルート続けてたんだな」


「誠一こそ、サックス続けてたんだね」


誠一がその沈黙を破り、これからの事について話し始める。


「俺、音大に行って、本格的にサックスしようと思うんだ」


「僕も、音大でフルートを続けようと思ってる」


どうやら僕たちの進路は、同じ先に向いているようだった。


「じゃあ、また会えるな」


「そうだね」


僕たちはしばらく話し込んだ後、連絡先を交換して解散した。




僕は誠一が羨ましかった。


幼い頃からさっきまで、ずっとそう思っていたんだ。


でもその考えは、いつの間にか心の奥からすっきりなくなっていた。

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交錯する俺と僕 畝澄ヒナ @hina_hosumi

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