あの、私の話を明日には忘れてくれませんか?

海咲雪

第1話

 さて、ある日の昼休み。クラスメイトに「数学の課題のノートを回収しても良い?」話しかけられました。貴方ならどうしますか?


 私は……



「…………」



 軽く会釈だけして、課題を渡した。何も言わずに。


吉野よしのさんって態度悪くない? ていうか、声聞いたことないんだけど」

「それな。ある意味、どんな声か聞いてみたいわ」


 クラスメイトの噂話に耳を澄ませながら、私は自分の席に座った。クラスメイトの話が加速していく。


「おい、誰か笑わかせてこいよ」

「じゃあ、吉野さんに声を出させたやつが優勝な」

「ていうか、吉野さんって授業中当てられた時って話してたっけ?」

「いや、無言を貫いて、先生が気まずくなって当てるやつ変える。だから、マジで吉野さんの声は貴重」


 待って。やめて、そんなゲームしないで。


「よし! じゃあ、俺行ってくるわ!」


 ある一人の男子が私に近づいてくる。


「吉野さん! モノマネします!」


 そして、その男子は今流行りのお笑い芸人のモノマネを繰り広げた。クラスの男子から笑い声が起きる。


「お前、アホすぎだろ!」

「マジでバカすぎ。逆に寒すぎて笑えるわ」

「もはや勇者だろ」


 私はもう耐えられなくて教室から飛び出した。距離が遠くなっていく教室からまた噂話が聞こえる。


「ほら、吉野さん怒って出て行ったじゃん」

「当たり前だろ。あのモノマネは寒すぎる」

「ていうか、結局吉野さん少しも笑わなかったな」


 私は誰もいない廊下まで歩き続ける。もう耐えられなくて限界が来ていた。




「ふはっ!」




 一度笑い始めると、笑いが止まらない。


「ふふっ……ダメだ、面白すぎる」


 私はあんなくだらないノリでも笑ってしまうくらい笑いの沸点が低い。誰もいない静かな廊下に私の笑い声が響く。


「もっと人のいない所行こっと」


 物置になっているある空き教室が私のお気に入り。そこに入って、私はすぐにスマホを取り出した。妹に電話をかける。


「なぁに、お姉ちゃん。また電話?」

「いや紗良さら、面白いことあったんだって! ていうか、教室で笑いそうでヤバかった!」


 私は先ほどの出来事を妹の紗良に話す。


「もうめっちゃシュールでさ! あんなの笑わない方が無理だって! 我慢した私、凄すぎない!?」

「はいはい」

「ちゃんと聞いてる!?」

「聞いてるって。お姉ちゃんがおしゃべりすぎるだけ」


 そう言いながらも紗良は案外楽しそうだった。紗良は私の一個下で高校一年生。美術系の通信制高校に通っていて、オンライン授業やスクーリングがない時はこうやって私の電話に付き合ってくれる。


「もう本気で笑うかと思った。でもこのピンチを乗り切った私は無敵だわ!」

「もうそんなにおしゃべりなんだから、クラスでも話せばいいのに」

「そんな簡単なものじゃないんですー!」


 私はその後も紗良と話し続ける。本来おしゃべりな私は、おしゃべりな私を受け入れてくれる家族との会話が大好きだった。物置になっているような空き教室は掃除も行き届いていなくて、埃も落ちている。それでも、この場所が私にとって校内で一番明るい場所だった。


「それで、今日食べたお菓子がめっちゃ美味しくてさ! もう絶対沙良にも食べてほしい!」

「じゃあ、帰りに買ってきてよ」

「えー……めんどくさいというか……」

「お姉ちゃんの馬鹿! 電話切るよ!?」

「わ!それは嫌だ! 買って帰るから切らないで!」


 元気で明るくて、お喋りで……そんな人の方が、何も話さない愛想の悪い人より良いと思う人もいるかもしれない。でもね、違うんだよ。言葉は簡単に人を傷つけるもので、口に出した言葉は二度と戻らないの。


「紗良、本当にありがとね」

「何、急に。怖いんだけど」

「姉が感謝しているのに、怖がるって酷いな!?」


 誰もいない空き教室ですら、つい盛り上がってしまう。その時、ガタッと何かが崩れる音がした。


「え……」


 誰もいない空き教室で物が崩れる音がする時ほど怖いものはない。


「紗良、お化け出たかもしれない! それか不審者! ここで私は命絶えるかもしれない! 今までありがとう、紗良!」

「馬鹿なこと言ってないて、さっさと確認したら? どうせ偶然ものが崩れただけだろうけど」

「妹が冷たい!」

「これが私の通常運転ですー」


 紗良と話しながら、どうせ私も物が崩れただけだろうとしか思っていなかった。その声がする時までは……



「超絶うるせぇ」



「ぎゃぁああああああああ!!」



 女子高生から発せられるとは思えないほど、おじさんみたいな悲鳴を出してしまった。物の影から、男子生徒が出てくる。


「あ……」


 その男子生徒は、広田 景太ひろた けいただった。クラスで真面目で有名で、スラっとした「いつも言葉遣いも綺麗」な優等生。


「こっちは超眠いんだけど。クラスとキャラ違いすぎだろ」

「えっと……こっちのセリフです……あ……」


 つい言い返してしまった私は、すぐに口に手を当てて押さえ込む。これ以上、話すことは許されない。その時、スマホの存在を思い出した。しかし画面を見ると通話は切れていて、紗良からメッセージが入っている。


「これを機に話してみなよ! あと、声がイケメンそう! 後で進捗報告よろしく」


 どうやら、広田くんの声が聞こえていたらしい。広田くんに目を向けるとこちらを若干睨んでいる。


「で、吉野はもう話さないわけ?」


 広田くんに声をかけられても、私は手で口を押さえたまま震えているだけだった。広田くんがため息をついたのが分かった。ビクッ、と自分の身体が震えた。先ほどまで大好きだったこの場所から逃げ出したいとすら思ってしまう。先程は気にならなかった古びた物置の匂いすらどこかわずらわしい。


「なぁ、答えないの?」


 広田くんの問いに、私は頷くことすら出来なかった。肯定も否定も出来る状態ですらなかった。先程言ってしまった言葉を反芻はんすうする。



『えっと……こっちのセリフです……あ……』



 大丈夫、そこまで失礼じゃないはず。広田くんも気にしている様子ないし、大丈夫。大丈夫だから。

 そんな私の思考を止めるように広田くんが私に近づいてくる。


「なぁ、吉野。なんで話さないの? さっきまで電話で騒がしいくらい話してたじゃん。クラスでも一切話さないし」


 私に何か事情があることを広田くんは分かっているはずなのに……何故か踏み込んでくる。


「とりあえず、もう一回俺に向けて話しかけて。ほら」


 その強引さと残っていた動揺で私はつい「あの……」とだけ呟いてしまう。それを聞いて、広田くんは何故か笑った。


「話せるじゃん。それでいいよ。もっと気軽に話せば良い。さっきの電話はクソうるさかったけれど、教室の吉野よりマシ」


 どこか正直すぎる広田くんの言葉だからこそ、いつもなら傷つきそうな言葉なのに大丈夫だった。


「くっそうるさいけど、なんかうるさいだけだったわ」


 意味が分からない言葉のはずなのに、その言葉が普通に嬉しい。その時、予鈴が校内に鳴り響いた。


「うわ、もう五限始まるじゃん。マジめんどくせー」


 何故だろう、この人なら大丈な気がしてしまった。震える喉から、言葉を絞り出す。



「……きょ、教室に、戻りますか……?」



 私の言葉に広田くんは「ふはっ!」と吹き出すように笑った。


「なんで敬語? タメ口でいいんだけど。ていうか、話せるじゃん。じゃあ、明日の昼休みもここに集合で」

「え?」

「ここは吉野のお気に入りの場所っぽいし、俺は奪わないよ。まぁ、俺も気に入ったから譲りもしないけれど」


 「ぼ、暴論だ……!」と私の心の中のおしゃべり気質が顔を出す。


「えっと、じゃあ譲るよ……」

「譲らなくて良い。一緒に使おーぜ」

「いや、えっと!」

「明日も待ってるから。ま、俺の方が来るの遅いかもだけど」


 広田くんはそう言って、空き教室を出ていく。私も教室に戻らなければいけないが、広田くんと同じクラスなので戻る教室は一緒。今すぐに出れば、広田くんの後ろをそっとついていくことになる。それは気まずすぎる。

 私は20秒待ってから出ようと、心の中で秒数を数え始める。


「1、2、3……」


 そして、「4、5……」と進んでいく。


「15、16」

「おい!」


(ビクッ!)


 広田くんが何故か戻ってきている。


「五限遅刻してーの!?」


 広田くんが私の手を掴んで、教室まで歩き始める。止めたいのに、勢いが強すぎて止められない。教室に入ると、クラスメイトがザワザワしながら、こちらをみている。


「え、なんで吉野さんと広田くんが一緒にいるの?」

「意味不明な組み合わせすぎない?」


 そんなクラスメイトの反応を見て、広田くんが穏やかに微笑んだ。


「吉野さんの体調が悪そうだったから、保健室までついて行ってたんだ。五限目は出れそうって教えてくれたから、一緒に教室に戻って来ただけだよ」


 広田くんがそう言って、私の手をパッと離した。いつもの広田くんの優等生ぶりからしても、みんな疑問は抱かなかったらしい。私と広田くんは、そのままお互いの机に戻っていく。


(すごい昼休みだった。シュールなモノマネで笑いそうになって、空き教室で広田くんに会って、初めてクラスメイトと話した)

(それに広田くんの言葉遣いが悪くて驚いたし、でも案外正直者で面白かった!)

(それにそれに……!)


 心の中でおしゃべりが止まらない。早く紗良に話したい、そう思ってしまう。こんなにおしゃべりが大好きなのに、言葉が怖い。言葉を凶器だと思っている。それが私で。

 そんな私の壁を、広田くんは昼休みのたった五分ほどで蹴破けやぶってしまった。


 次の日の昼休み。

 私は空き教室の外から中を覗いてみる。扉についている窓から中の様子は少し見えるけれど、物が多すぎて死角になっている場所も多い。広田くんが先に来ているかどうかは扉を開けてみないと分からない。

 私は勇気を出して扉を開けた。


「あの……!」


 しかし、返事は返ってこない。いつも通りの静かで埃っぽい教室。日当たりも悪くて、薄暗いだけの教室だった。


「広田くん、まだ来てないか」


 広田くんがいつ来るかも分からないので、私はまた紗良に電話をかけた。


「もしもし、紗良?」

「あれ? お姉ちゃん、なんで今日も電話してくるの?」


 紗良には昨日家に帰った後に、広田くんのことを話した。紗良はノリノリで広田くんが「イケメンかどうか」を真剣に質問して来たので、「イケメンだと私は思うけど……」と返したら「最高じゃん! 昼休みの逢瀬じゃん!」と大盛り上がりだった。

 その時の私は広田くんに申し訳なさすぎて、逆にちょっと笑ってしまった。


「広田くんがまだ来てなくて……」

「まだ来てない!? 広田くんは待ち合わせ五分前タイプじゃないってこと!? 解釈不一致だよ!?」

「紗良、盛り上がりすぎじゃない!? それと、時間は決めてないから!」

「えー」


 その時、空き教室の扉がガラッと開いた。


「あ、吉野。もう来てたんだ」


 その声を電話越しで聞いた紗良が「お姉ちゃん、ファイト!」とだけ言って電話を切っていく。


「広田くんはお昼ご飯もう食べたの?」

「おー。吉野は?」

「私も食べ終わったけど」


 私の返答を聞きながら、広田くんが私の横に座って、首を回し身体を伸ばしている。大分リラックスしている様子だった。


「ていうか、良かったわ。吉野のことだから、一日経ったらまた話してくれなくなってる可能性も感じていたし」

「あはは……」


 私は苦笑いをしながら、心の中で「あり得るな」と思っていた。


「なぁ、吉野。なんで教室で話さないの?」


 突然の踏み込んだ質問だった。それでも、何故か広田くんにこの話をしても良いと思ってしまった。きっと広田くんは言いふらしたりない。


「言葉が怖いの」

「言葉?」

「そう。言葉って言ったら戻らないから。人を傷つける言葉を言ったら、その事実は消えないの」

「……それは経験から?」


 広田くんの確信をついた質問に私は、喉がつっかえたのが分かった。


「悪ぃ、踏み込みすぎた?」

「ちがっ! なんて言ったらいいか分からなくて」


 私の返答を聞いて、何故か広田くんは天井を見上げながら「聞き流して欲しいんだけど」と前置きをして話し始めた。


「俺さ、優等生なんだよね」


 私の心の中のおしゃべり気質がまた顔を出して、「自分で言うんだ!?」とツッコミを入れている。


「優等生で、言葉遣いも気を付けてて。それで2年生になったらすぐに担任に頼まれたんだよね。『吉野さんに話しかけてくれない?』って」

「え……」

「担任も吉野のこと心配してたらしいんだけど、『絶対余計なお世話だろ。放っといてやれよ』って思ってさ。話しかけてないのに『話しかけたけど、俺じゃ無理そうです』って言っといた」


 広田くんが腕を伸ばして、「よいしょ」と立ち上がった。


「でもさ、そんなこと言われたらちょっと吉野に興味持つじゃん。嫌でもちょっと見ちゃってさ。それでよく見てたら、結構隠れて俯きながら笑ってんの。まじかって思ったわ」


 広田くんが私の向かいに座り直す。


「それで昨日偶然めっちゃおしゃべりの吉野見て、『なんだ、まじでこういう性格なんじゃん』って安心した。なぁ、吉野。なんで我慢してんの?」


 その言葉からはただの興味じゃなくて、「俺で良ければ話くらい聞くけど」と言われているような気がした。言ってしまうかなと思ってしまった。だって、私は本当はおしゃべりな性格なんだから。


「昔ね。あ、昔って言っても小学校高学年の時だけど。相手をね、傷つけたの。たった一言で」


 私は広田くんと目を合わせて話せなくて、わざと俯いたまま話し続けた。


「よくある話なのかもしれない。全然難しい話じゃなくて、相手が触れられたくないことを聞いたの。その子のお家はお父さんがいなかったのに、私が『お父さんはどんな人?』って聞いたの。その子は良い子で、知らなかった私に怒りもせずに普通の日常会話をするみたいに答えてくれた。でも、顔は悲しそうだった」


 自分の陰で薄暗くなった床をぼーっと見つめてしまう。


「ずっとね、おしゃべりって楽しいものだと思っていたの。楽しくて大好きだったから。でも、相手を傷つけることもあるんだなって思った。その子もきっともう忘れてる。その後も普通に話してくれた。分かってるのに、どうしてもその子の顔が忘れられなかった。それからね、話した後に後悔することが増えたの。『あれを言わなければ良かった』『どうして言っちゃったんだろう』って。でもね、悲しいことに『言って良かったな』とか『言えば良かったな』なんて後悔はひとつもなかったの。じゃあ、話さなければいいやって思ってしまった」


 私はその時、やっと顔を上げれて……広田くんと目を合わせた。


「怖いと思わない? 『あの言葉を言わなければ良かった』って後悔は沢山あるのに、『あの言葉を言えば良かった』っていう後悔がひとつもないんだよ?」


 私の声はもう震えていた。なんでこんなことを広田くんに話しているんだろう。涙が溢れる。


「それでも結局私は嫌われるのが怖いだけで、私を絶対に嫌わないって自信のある家族には今だっておしゃべりなままなの。私が傷つける言葉を言わないって知ってくれている人としか話せない」


 呼吸が苦しくて、涙が止まらないままの私に広田くんは簡単そうに聞いた。いや、わざと簡単そうにしてくれたのかもしれない。


「じゃあ、俺は吉野のことを嫌わないって思ってくれてるってこと?」


 その言葉に私は小さく頷いた。そしたら、広田くんは衝撃的な言葉を言い放った。


「分かんないよ、そんなの。俺だって吉野を嫌う日がくるかもしれない」


 私は広田くんなら優しい言葉をかけてくれるなんて思っていたのだろうか。どんな言葉を吐くかなんて広田くんの自由なのに、傷ついてしまう自分がいた。

 しかし、広田くんは続けるのだ。


「吉野、覚えておいて。俺が吉野を嫌う日が来るかもしれないように、ずっと嫌わない可能性だってあるんだよ。つまり、怖がってたって何も始まらない。吉野は俺が傷つく言葉が何か分かるの?」

「え……?」

「俺、実はパクチーが嫌いなんだよね。パクチーって連呼されたら傷つくかも」

「は?」


 つい「は?」という言葉が出てしまう。意味が分からない。その私の意味が分かっていない顔を見て、広田くんが笑っている。


「そういうことだよ。意味わからないだろ? 相手が傷つく言葉が何かなんて誰にもわからないんだよ。人それぞれだし」

「……だから、何も話さないようにしているの。言わなければ、傷つく言葉なんてないから……」

「俺さ、吉野との話全く覚えてないんだよね。いや、覚えてることもあるんだけど、しっかり覚えてないっていうか。記憶力にも限界あるじゃん?」


 そして、広田くんはやっぱりなんでもないように、簡単そうに言い放つのだ。



「俺は吉野の話なんかどうでもいい。明日には忘れる話がほとんどだし」



 そして、そんな簡単に私の世界を救う言葉を言う貴方は、私の世界をひっくり返す言葉をまた簡単に続けていく。


「『明日』には忘れる話を、『今』を楽しむために沢山話したいだけ。明日には忘れる話でも、話している瞬間は結構楽しいんだよ。吉野、もう一回言う。俺はお前の話なんか明日には忘れてる」


 溢れていた涙がいつの間にか床に染みを作っていた。ボロボロと頬を使って落ちていく涙は、たまに口に入ってしまってしょっぱくて。でも、泣きたくて泣きたくてたまらない。もう涙を堪えたくもない。


「おしゃべりな自分の性格を我慢してまで過ごすなんてあまりに勿体無い。馬鹿すぎるし。……吉野、パクチーって連呼して」

「え……傷つくって言ったよね……?」

「いいから」

「えっと……パクチー、パクチー、パクチー、パクチー」


 自分で言っておきながら、私は何をしているのだろう。後で思い返したら、吹き出して笑ってしまいそうな会話。しかし私が連呼し終わると、広田くんが笑った。


「あはは、おもろすぎる。でも、傷つかねーわ」


 広田くんが私としっかり目を合わせた。逸らさない。


「今日、俺が吉野と話して笑った回数が五回くらいだっけ。えーと、五回だから……」


 広田くんがスマホの電卓で何かを計算している。


「うん、一年続けたら1825回。単純計算で俺が毎日吉野と話したら、笑える回数。で、今日一回も傷つけられないから、どんだけかけてもゼロだし……うん、どう考えても話した方が得だわ」


 「優等生」で頭の良い広田くんとは思えない計算。だからこそ、その気持ちが嬉しくて。


「ねぇ、広田くん。明日もここで話していい? 大したことない話だけれど」

「別に良いけど。聞き流しているだけだろうし」

「うん、それがいい。で、私の話なんて明日には忘れて」

「言われなくても、多分忘れる」


 その言葉が世界を変える。私の世界を救う。


 予鈴が鳴って、広田くんが立ち上がる。


「吉野、教室戻ろーぜ」

「先戻ってて」

「は? また遅刻しそうになるじゃん」

「ならないから。ちょっと妹に電話したくて」


 妹に電話と聞いて、広田くんが気を利かせて部屋を出ていく。私は紗良に電話をかけた。


「もしもし、お姉ちゃん! 広田くんとの話せた!? イケメンだった!?」

「うーん、イケメンではないかも」

「そうなん!?」

「イケメンじゃないけど、私はもう広田くん大好きだわ。片想い始める!」


 私の言葉に紗良が嬉しそうに笑いながら、食いついている。空き教室に笑い声が響き渡る。この薄暗い教室は、私にとって校内で一番明るい場所。




 おしゃべり好きな私は、これからはおしゃべりなまま生きていこうと思う。




 ありのままの自分で、私の話をすぐに忘れてくれる君と話したい。沢山おしゃべりしたい。


 ねぇ、広田くん。


 私の話を忘れていいよ。聞き流していいよ。


 でも、その代わりにいっぱい話しかけても良いですか?



【あの、私の話を明日には忘れてくれませんか?】



fin.

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