あなたを離さない

南條 綾

あなたを離さない

 先日、仕事で使うようになったバイクで空港へ急いでいた瞬間、私は横転してしまった。

居眠り運転のトラックを避けた直後、対向車線から来た車をギリギリでかわしたのだが、雨で路面が滑り、そのままスリップして転倒した。

バイクはまだ動いていたのを見た。


 周りを見ると、すでに人が集まってきていた。

誰かが救急に電話している声。

あるいは、「大丈夫ですか!?」と叫んでいる声。

正直、邪魔でしかなかった。


 頭から血が流れているのはわかっている。

雨に打たれて体温が奪われ、視界が真っ赤に染まっていくのもわかっている。

でも、今すぐ空港に行かなきゃいけない。

人をかき分け、よろめきながらバイクにまたがり直し、私は走り出した。


 何とか空港にたどり着いた。

血まみれでフラフラの私を見た人たちは、ゾンビでも見たように道を空けてくれた。

人を避けるのも体力を使うから避けてくれるのは本当に助かった。

待合ロビーで、遠慮なく大声で叫んだ。「雫ちゃん!」

意識がぼやける中、向こうに雫ちゃんのご両親が見えた。


 搭乗ゲートの方に、雫ちゃんの後ろ姿が……。

間に合わなかった。絶望が全身を突き抜ける。

血を流しすぎたせいか、雨で冷え切ったせいか、足がもつれて前のめりに倒れそうになった …その瞬間、来るはずの衝撃が来なかった。

代わりに、温かい腕に抱きとめられた。

力を振り絞って薄目を開けると、涙でぐしゃぐしゃの雫ちゃんが、私を必死に抱きしめてくれていた。


「雫……ちゃ……行か……な…で……ご……ね……」

それしか言えなかった。そうして意識を失ってしまった。


 次に目覚めたのは病院のベッドの上だった。隣の椅子に、雫ちゃんが座っていた。

あれからどうなったかを、彼女は静かに教えてくれた。


 私のバイクについていたドライブレコーダーのおかげで、事故の瞬間は警察にバレなかった。

だが、事故現場を放置して空港まで突っ走ったこともばれていたみたい。

全治一カ月の怪我と、現場を離れたことで道交法違反。罰金と反則点で、私はこっぴどく怒られた。

雫ちゃんにはまた泣かれた。

そして、雫ちゃんのご両親には徹底的に叱られた。


 父親が怒り交じりに切り出した。

「お前が空港まで来なければ、こんな事故だって起きなかった。雫にはもう決まっていた海外留学の話があるんだ。有名な美術大学から特待生として声がかかって、学費も生活費も全部出る全額奨学金付き。一生に一度あるかないかの、本当にすごいチャンスだったのに。お前は雫の幸せを壊す悪魔か何かか?」


 私は反論できなかった。だって、全部その通りだったから。

隣に座っていたお母さんが涙を浮かべ、優しげな声で言った。


「悪いこと言わないから、別れてあげて。私たちだって、娘がちゃんと幸せになってほしいだけなの……このままじゃ、雫の将来が本当に潰れてしまうのよ」


 私は何も言い返せなかった。

表向きは「娘の将来のため」と言ってるけど、その奥にある本音が痛いほど伝わってきた。

距離を置けばこの関係は自然に終わる。海外に行けば普通の恋愛をするだろう。

最大の理由はたぶん同性と、しがない私の職業、私立探偵という肩書だ

世間体が悪すぎる。

雫ちゃんの家は、由緒ある家でもあるから余計にそうなんだろう。

実際に雫ちゃんは、若手画家にとって最高のチャンスである海外留学の話が来ていた。


 以前一回ご両親とは雫ちゃんを抜きでお会いしたことがあった。

事務所でいつも通り電話番をしていた時だった。

要約するとこんな感じだった。

娘には留学の話が来ていて、将来がほぼ確約されている。

娘のことを真剣に思うのならお前から別れを言い出してほしい。

そしてあきらめさせ、今は絵画の事だけを集中させてやってくれと


 両親の魂胆は明らかだった。留学をさせ、遠い異国で生活させれば、自然とお互いの気持ちは冷めるだろうと。親は留学を利用し、私たちを遠距離で別れさせようとしたのだ。

それでも私は、彼女の将来の為に了承してしまった。

留学先の先生の名前が雫ちゃんの尊敬する人だったから、こんなチャンスはないだろうと。

私みたいな私立探偵より、雫ちゃんが尊敬する先生のもとで勉強した方が為になると…そう言い聞かせて。

結果はこのありさまになってしまった。


 ふとその時のことを頭をよぎっていたら、雫ちゃんが今まで聞いたことのないような大声で叫んだ。

「綾さんは私が選んだ人なの! 私が綾さんと一緒に幸せになりたいって決めたの!私の人生なのに、パパたちが決めることじゃない!」

その迫力に、ついに父親は折れたみたいだった。


 二人きりになった病室で、私たちは同時に口を開いた。

「……ごめんね」

同じタイミングで、同じ言葉。

思わず笑いが込み上げて、泣きながら笑った。


 そのとき、病室のドアが静かに開いた。

入ってきたのは、私の幼馴染で、理解者でもある莉緒りおだった。

「目が覚めたんだね。良かった。綾は無茶しすぎ」


 彼女は、私たちが付き合っていることも、雫ちゃんの留学の話も、そして私がどれだけ雫ちゃんの未来を奪うことに苦しんでいたかを知っている、全てを分かっている数少ない親友。


 私が空港に向かっていると連絡した際

「今からバイクで空港に迎えに行ってくるよ。映画見たいでしょ。でも多分これがラストチャンスでこれを逃すと多分雫ちゃんとの縁がなくなっちゃう」

それを聞いて何か無茶をしていると察したらしい。


「全く綾は無茶しすぎ、飛行機は無事飛んだんだけど、あの事件で飛行機も飛ばなかったら、すごい負債しょい込んでたんだよ。でもよかったね二人とも」

そう言って、優しく笑ってくれた。


 退院したら、一緒に暮らす約束をした。

もう二度と、愛する人を手放さない。

そう決めて、私はまた前を向いて歩き出す。


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