『道』②
入り口から入ってすぐのエントランスホールに続いて、奥にはロビーがあった。きれいな白い壁が、部屋の雰囲気を明るくしている。床は板張りで、カウンターのようなものが手前に、机やソファーのセットが奥の方に置いてある。ロビーから左右に廊下が伸びていて、入り口の正面には階段があった。どこかのホテルのようにきれいだった。
「では、先に『道』を実際に見てもらおうと思うです」
ルリは、階段の方へひょこひょこと進んでいき、跳ねるような足取りで段を降りていった。
その階段は、地下に続いているらしかった。柚たちもそれに続いて、薄暗さの目立つ白い明かりの中を進んでいった。
踊り場で折り返すと、階段の終わりが見えてくる。そこは、がらりと広い部屋のような場所だった。他に通路はなく、地下にはこの一部屋しかないようだった。
一階と同じ、白い壁。それに囲まれた部屋の中には、ずらりと、長方形の木の枠が立てて並べられていた。
「はい、到着―」
最後の一段を、手を広げてトンと飛び降りたルリは、少し奥の方に駆けて行ったところでくるっと振り返った。パッと右の手のひらを出して、びっしりと規則正しく並んでいる木の枠を示す。
「じゃっじゃーん。これが『道』の入り口でーす」
柚はその木の枠を見た。普通の部屋の扉と同じくらいの大きさの木の枠。木の枠からは、くっきりとこの部屋の奥の様子が見えた。
これが本当に、目的地まで繋がるのだろうか。
まじまじと眺めていると、ルリがムッとした顔をした。もっと大きな反応を期待していたらしい彼女は、ムキになったように説明を始めた。
「これ、すごいんですよ。今はまだ目的地を設定してないから『道』としての機能はないけど、設定すれば、どんなに遠くだって数秒で行けちゃうんですよ。――あ、ほら、これはもう設定してあるやつです」
ルリは、一番隅にある木の枠に駆け寄って、躊躇いもなくそこに腕を突っ込んだ。
「え……」
木の枠の内側に伸ばされたルリの腕。そこには何もないのだから、腕は当然、普通に見えるはずだ。しかし、枠を通過した後、枠の向こう側に存在するはずの腕は、切り取られたようにきれいに消えていた。
入れられたルリの腕の周りに、波紋のようなものが広がった。木の枠が作る四角の表面が、部屋の奥を変わらずに映したまま、揺れて見えた。水に油が浮いているような、ぼんやりとした鈍い光が丸くなって消える。
「すごい……」
思わず呟くと、ルリはパアッと眩しいほどの笑顔を浮かべて「そうですよねっ」と言った。撫でられてしっぽを振っている犬のようだった。
「この『道』は、あなたが作ったのですか?」
桜草樹が聞いた。それに、ルリは腕を引き出しながら、首を横に振って答える。
「作ったのは他の研究者さんですよ。ルリはそんなに高い技術を持ってないです」
「高い技術……」
「はい。こうやって表に出ない『裏』の仕事をしているだけあって、同業者の情報は結構耳に入ってくるんですけど、魔力の解明って、昔と同様、あんまり進んでないです。超人的な力ですから、原理とかもしっかり解明できてなくて、まだ利用なんて程遠いのです。だから『道』なんて、誰も辿り着いていない、信じられないほど進んだものなんですよ。魔力を持たない人間がこんなに完全な『道』を作り出すことなんて、基本的に不可能です」
少し前までの雰囲気とはかけ離れた、落ち着いたルリの声に、皆黙って耳を傾けていた。出迎えてくれたときよりも表情は大人びて見えたけれど、それでも小学生くらいの女の子の外見で、難しい言葉をつらつらと話すルリには、何か違和感があった。
「では、これを作ったのは、魔力を持っている研究者、なのですか?」
桜草樹が、緊張した面持ちで尋ねた。その質問に、周りの皆の表情が硬くなったが、ルリは何も気にしていないように「いいえ」と答えた。
「その人は研究者の中でも飛びぬけて優秀で、魔力を持っていなくても『道』を作ることができるんです。超天才ですよ」
「そうなんですか。優秀な方ですね」
「はい。とはいっても、ルリが知らないだけで、これくらいのものを作れる研究者は他にもいるかもしれないですけどね。研究者たちは、自分の利益のためにも、研究が摘発される危険性を減らすためにも、研究の成果について外部に漏らさないようにしているのです。だから、情報として出回っている状況よりも、実際はもっと進んだところまで行っている、ということもあり得るのです」
そう言うと、ルリは柚たちに対してにやり、と笑った。
「皆さん、ルリのことヤバいやつだと思ってるでしょ」
皆が何も言わないのを見て、ルリはふふん、と鼻を鳴らした。
「安心してください。ルリは、ヤバくない方の魔法研究者ですよ」
「ヤバくない方、とは」
桜草樹が聞いた。それに、ルリは柔らかい笑顔を見せた。
「魔法研究者には二種類あるのです。一つ目は、『大災厄』の前に行われていたように、魔法を技術に応用するため、魔法使いを捕らえて実験を繰り返していた研究者。それは、今でも世間の目を避けながら続けられているのです。現在は昔よりも科学が進歩していますし、解明はどんどん進んでいます。もしも自由に魔法を扱うことができるようになれば、世界征服だって夢じゃないですよ」
落ち着いた口調で言うと、ルリは近くにある『道』の枠に触れた。
「二つ目は、『大災厄』が起きる前、研究や戦争に利用されていた魔法使いたちを解放するため、彼らの代わりとなる技術を開発しようとした研究者です。大々的な魔法使いの奴隷化が無くなった今、彼ら研究者の目的は、人々の生活をより良くすること、そして、人間界に残った魔法使いたちが再び利用されようとするのを防ぎ、また彼らが人間界で生きる手助けをすること、というふうに変わり、研究は受け継がれていったのです」
そして、ルリはくるりと柚たちの方に向き直り、明るい笑顔で笑った。
「ルリはその二つ目の方の研究者から研究を引き継いでいるのです。だから、ヤバくない方ですよ」
その笑顔を見て、柚はほっと息を吐いた。魔法研究者にも、世間から危険視されているような人たちだけでなく、二つ目のような人たちも、ちゃんと一定数存在しているのだ。
「それに、『道』に関して言えば、二地点を繋ぐだけで精いっぱいで、完全な転移魔法みたいなのはさすがに使えないです。本物の魔法とは違いますし、できることにも限りがありますから。だから、安心してほしいです」
「そう、なんですか」
桜草樹が真剣な顔で言うと、ルリは「そうなんです」と満足そうに頷いた。
「そして、『道』を作り出すことはできなくても、方法さえわかれば管理はできるので、優秀なルリにその役が任されたって感じですよ。管理人という肩書きだって、一時的なものです。
鑑見さん。
本来の管理人、ということなのだろうか。じゃあそれは、『道』を作った人のこと?
「あ、でも」
ルリが急に真面目な顔になり、人差し指をピンと立てた。
「『道』のことは、なるべく同居家族以外には言わないでください。皆さんご存知の通り、たとえ悪いことに使ってないとしても、魔法の利用が知られれば世間からは責められてしまうでしょう。もしも皆さんの内の誰かがこのことを公にすれば、社長は辞任、五科工業は存続の危機。技術は危険な研究者の手に渡り、この国は混乱するかもしれません。そして何より、研究に協力していた皆さんは、犯罪者のように見られ、普通に生活することは難しくなるでしょう。私たちと皆さんは、運命共同体で、共犯者ですからね」
運命共同体で、共犯者。
その響きに、柚は背筋がゾッとするのを感じた。
「ま、質問があれば、またいつでもルリのところまで来てくださいね! じゃあ、ずっとここにいるのもつまらないので、他のところに行きたいと思いまーす」
小さい子が横断歩道を渡る時のように、腕をピンと挙げて歩き出したルリの後に続いて、私たちは階段を上がった。
一階に出る。薄暗い空間にいたせいで、瞼の裏がじわじわと痛かった。
「さてと、どうしましょうねー」
ルリが、左右に伸びる廊下を交互にきょろきょろと見た。
「景山さん、あれ配ってくれたですか? 『利用上の注意』だとか『家』の見取り図とかが描いてあるプリントとかとか」
「はい、お渡ししました」
柚たちの一番後ろについていた景山が答えた。それに、ルリが「うーん」と顎に手を当てた。
「じゃあ、時間もないですし、そこら辺の説明は省いちゃいますよ。簡単に場所の説明しておくと、階段から見て右側に食堂、左側に共用の洗濯場などなどがあるです。また確認しておいてくださいね」
それからルリは、突然メイド服のポケットに手を突っ込んでもぞもぞと探り始めた。そして、「ふっふっふ」と不敵な笑みを浮かべると、勢いよく手を引き出した。
「じゃっじゃーん」
高く掲げられたそれは、一つの輪にまとめられている、たくさんの鍵だった。ロビーの電気の光を受けて、鍵が一瞬キラリと鋭く輝く。
「これはー、皆さんのお部屋の鍵ですよー。ということで、今から個人の部屋に向かってもらうのです」
鍵が軽く動いて、再び電気の光を反射する。何だか、ルリに合わせて鍵も不敵に笑っているように見えた。
トレーシング・ユア・ワールド あやめ康太朗 @Ayame_kame3
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