父と子

@aaadd2

父と子

寒い国。空は白く、日は淡い。地平線に浮かぶ太陽は頼りなく、ぼんやりと顔を覗かせる。乾いた黒石の散らばる疎な大地。無愛想な大自然。そこに立ち並ぶ家々は各々に身を縮こまらせている。その内の一つに、腹の薄い青年が住んでいた。華奢な首元には骨が浮かび、手首には血管が目立つ。唇には深い筋が刻まれ、栄養状態の悪いのが窺える。 彼の飯は、デンプンを溶かした緩い水。到底生きてはいけまい。彼は不思議なほど穏やかなペースで自殺をしていた。


彼は幼少から、自分がマリアだと思っていた。酔っ払った父親が握りしめていた、くしゃくしゃの広告。教会でのクリスマス会のお知らせ。粗暴な父親が、そんなことに関心を持っていたはずがない。大方気の遠くなった折、手元にあった物を握りしめて離さなかっただけだろう。しかし年端もいかない彼がその指を広げた時、皺だらけの簡素なマリアに、彼は自身を見た。ふと薄目を開けた父親が寝ぼけて振り上げる拳を受けながら、彼は自分の正体を悟った。俺は、マリアなんだと。殴打された眼窩から澱みなく血が流れる。赤く濡れた拳を垂らし、再び倒れた父親を抱き寄せる。

「イエス、俺の愛し子。お前の罪は、全部母さんがもらってあげる」

腐臭にキスをする甘やかな口元は、柔らかな糸を引いていた。


父親が肺を病む。彼は必死に看病するが、一向に良くならない。しかしその割に父親は生き延び、彼の背は高くなった。しかし四肢の栄養状態は悪く、いつまでもひょろ長い子供のようであった。彼が看病のために何をしていたか、群で知らない大人はいなかった。彼は群に唯一の酒場で売春をしていた。中には無償で寝床と金を渡す者もいたが、酷使をする者も少なくなかった。簡素な専用住宅に、外国人は定住をしない。殺風景な流刑で、通常じゃ考えられない暴力性の発露。彼の背骨は不均衡に歪み、尻に膿が溢れた。目元の痣は慢性化し、爪は割れてボロボロであった。それでも彼は我慢強く、決して折れることがなかった。目脂が張り付いた瞼に舌を這わせる男を、彼はぼんやり見上げる。泣き腫らした翌日の日は眩しく、男は優しかった。体液の染みついた寝台は、不気味なほど柔らかい。


父親が死ぬ。呼吸の終わる直前、口にしたのは神への賛美であった。まさか!彼は看病の間だって一度も、息子への感謝を述べたことはなかった。彼は生まれた時から傲岸不遜な男だった。息子は、それには関心を示さなかった。聴こえてもいなかったかもしれない。半開きの口に舌を入れ、奥に歯が一欠残っているのを確認する。歯茎から抜け出したそれを慎重に、ゆっくり口内で転がす。有害なエグ味。表面を舐めとったそれを、彼は己の肉体に撃ち込む。鋭い根を下腹に突き立て、金槌で叩きつける。鋒がのめり込み、皮膚に収まる。彼は満足そうに笑い、痕を撫でた。


彼が父親を埋葬するのに、司祭はいらない。イエスを葬って蘇生させるために、彼以外の誰が必要だと言うのか。彼は聖書を知らない。何の教育も受けず、まともな会話をしたこともない。彼が、その外を理解することはない。彼にとって重要なのは、イエスがマリアの子であること。一切の何もかも、彼の御心の儘であった。

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