第2章 キミにキスを、あなたに花束を。

 突然ですが「あなたの口癖はなんですか?」人間誰にでも口癖があるように朝霧智也あさぎりともやにも当然それはあった。

「ほんとマジめんどくせぇ。この状況……」

 右手で後頭部を掻きながら面倒くさそうに、そうぼそりと呟いた。

 まぁ もっとも月曜の朝っぱらからこんな状況ならば誰しもそう言ってしまうだろう。それもそのはず、まるで漫画の主人公のような展開ならば余計に、だ。

「あぁん!? てめぇ……昨日奴だな! 確か2年の朝霧智なんとかだよなぁ?」

 見るからに頭が悪そうな……もとい不良のリーダーとおぼしき男が、智也に睨みをきかせながらそう言葉を吐き捨てた。

「(いやいや、そこまで覚えてらっしゃるのなら最後まで言おうぜ。あと唾飛んでくるんでできれば離れてほしい)」

 と智也は呆れながらに、そして切実に願ってしまう。

「これはこれは。我が愛しの朝霧君ではないですかぁ~? かの有名な名門私立フィリス学園サッカー部を代表する、期待の『元』大エース様がこれは一体なんの真似でしょうかね?」

 この場にはとても似つかわしくない真面目そうな優男、大津一哉おおつかずやが一歩前に出て喋りだした。やたらと元の部分を強調され、更には中途半端に遜った敬語が智也の神経を逆なでするが、智也は反論しない。

 なぜ生徒会長でもある彼が、不良共と一緒にいるかわからないからだ。

「別に大先輩方に用はないですよ。俺が用あるのはコイツだけなんでね」

っと何回も留年している上級生に嫌味を返し、智也の背中に隠れるようにいるクラスメイトを後ろ手に右親で指差した。

「あ、朝霧君! ボク、ボクッ……」

 智也の制服を握り締めながら、智也のクラスメイトで転校初日の倉敷葵くらしきあおいは、今にも泣き崩れそうな顔で両目を瞑りながらそう声を絞りだした。

「うっせ。お前はそこでじっとしてろ。ぜってぇ俺の背中から出るんじゃねぇぞ!」

 普段は感情を面にしない智也だったが、後ろで隠れている葵を安心させるようにそう言うと、茶目っ気に右目でウインクしながら、

「すぐ終わっからな!」

 っと葵を怖がらせないように少しだけ笑いかけた。

 智也の後ろに隠れている葵は「うんうん」っと震えながら必死に頷いた。

「やれやれ……。これではまるで我々が悪いみたいじゃないですか。ねぇ~……朝霧君?」

 全然悪ぶれた素振りじゃない感じで、両手を「こりゃまいったな!」っと言わんばかりに大げさに上げていた。それはとても軽い口調・素振りだったが、大津の目だけは笑っていない。

「ほんと。なんでこんなことになったんだか……。それは俺がの方が聞きたいくらいだよ……」

 そう智也はため息混じりにそう呟いてしまう。その原因を語るには2日前の土曜日の午前中まで時間を遡らなければならない。


「おっす智也! 休日のこんな朝っぱらからどっか出かけんのか?」

  同じ寮生でクラスメイトでもある佐々木雄一ささきゆういちが智也へと声をかける。佐々木とは特段親しいというわけではないが、だからと言って別に仲が悪いわけでもない。1年から同じクラスであり、また同じサッカー部だった事もあってか、あまり友達のいない智也にちょくちょく声をかけてくる気さくな奴だ。もっとも智也がサッカー部を退部してからも同じ態度をとるのは佐々木だけだった。

「なんだ佐々木か。……駅前のフクムラにちょっとな」

 駅前のフクムラとは、「良心的なお値段で狂気な服をご提供♪」がモットーの地元ならではの洋服屋のチェーン店だ。狂気というのも強ち冗談ではなく、かなりセンスを疑う服が多い。いや多いと言う表現は的確ではない。むしろほぼ大半がそれなのだ。

例えば犬や猫など、いわゆるカワイイ系ペットの写真をプリントしたTシャツが一般的だが、ここの商品はペットの耳やしっぽのみをセレクトしたTシャツなんかがある。

「えっ? それはそれで可愛くない?」っと思われるだろうが、想像して欲しい。Tシャツ一面に耳やしっぽを拡大した写真、または小さく何枚も耳やしっぽのみがプリントされているTシャツ。着ている本人は何も思わないだろうが、傍から見ているとただただ気味が悪いだけだ。正直そんなのを着ている人と一緒にいたらこっちまでそう思われてしまうだろう。更にこれよりも酷いTシャツも存在する。

一例を挙げると『フクムラの店長の不機嫌顔をアップ写真(たぶん免許の写真だと思われる)』やどう見ても堅気には見えない『自称自営業(893屋さん)の組長らしきアップの顔写真』『この顔にピン!っときたら110番(いわゆる交番にある手配書)に張り出されている顔写真』などなど。

「本気でこの店は何がしたいの?」っと誰もが首を傾げてしまうデザインばかりなのだ。だが、その分なのか値段がTシャツ1枚50円~っと異様に安い。

たぶんなのだが、他店の売れない商品(ただし店長の顔写真入りTシャツを除く)を払い下げで仕入れているのだろう。

「フクムラかぁ~。あそこの商品めちゃめちゃセンスないよなぁ。この間試しにTシャツ買ったらさぁ~……」

どうやら佐々木も『フクムラ商法』に引っかかったことがあるらしい。もっとも地元民なら1度は詐欺られることで有名な服屋であった。みんな安いからと始めこそ値段に惹かれデザイン無視で買ってみるのだが、着てみると周りの人の反応でやがて着なくなる。

「ってか売れない写真プリントするくらいなら、無地のTシャツの方が売れんじゃねぇ?」そんな無粋なことを誰しも考えてしまう品揃えだった。

「佐々木話の途中ですまないが、俺さ、用事あるから……ってコイツ聞いてねぇし」

佐々木の話が長くなるや否や、智也は早々に佐々木との話を切り上げようとするが、当の佐々木本人はそもそも智也の話を聞いていなかった。そう佐々木は空気が読めない性質の人間で、智也とはまた違った意味でクラスからハブられているのだった。

話は変わるが一般的に男子高校生の『足』といえば専ら自転車だ。バスや電車のように金もかからず、時間に縛られず、どこへ行くにも自由がきく。特に日常的にバイトをしている智也にとってはなくてはならない『相棒』であった。

寮の駐輪場からその相棒であるロードバイクを引っ張り出す。2重ロックの鍵を開け頑丈なチェーンでできたダイヤル式の鍵を外す。

『ロードバイク』とはいわゆる超極細大径タイヤ、特徴のあるドロップハンドル(幅が狭く、前掲姿勢で握るタイプのハンドル)で、しかも自動車並みのスピード(時速40キロ以上)が軽く出て、車体も市販車の半分以下と軽い。日用の足としてはもちろんのこと、そのまま競技用にも使える万能タイプのスポーツ自転車なのだ。地方ではもちろん都会においても重宝されている。

だが、その分通常の自転車よりも何倍も値段が高い。高いモノだと数十万~数百万はザラなのだ。もっとも名門私立フィリス学園に通う生徒にとっては、そんなものははした金にすぎない。 

現在の『私立フィリス学園』は男女共学ではなく『男子校』である。元々はどこにでもある近所のお嬢様が通う女子校だったのだが、昨今の少子化も要因になり生徒がなかなか集まらず廃校の危機にあった。

だが、今の理事長になってから学園は劇的に変ってしまった。

まず時代と逆行するように女子を排除して男子のみを募集し、『女子校』から『男子校』に鞍替えしたのだ。さらに募集定員も半分にし、校舎もわざわざフランスから有名な建築家を呼び寄せ豪華絢爛まさにセレブが通うような洋風な学園に改装した。

入試レベルもいきなり全国で1・2を争うほど高くし、学費も年間数千万以上(一般的に私立は年間数十万ほど)にし、一般入試はあまり獲らず『スポーツ推薦』『学力推薦』を主としさらに敷居を高いものにした。それともうひとつ、この学園に入学するには『絶対的な条件』があった。それは…………生徒本人の『資質(血統)』である。

名門私立フィリス学園が問う『資質(血統)』とは、本人のルックスはもちろんのこと『頭の良さ』『運動神経』などに加え、『親の家系』『人脈』そしてなによりも『資産』が最重要項目であった。だから学園卒業後は国内外問わず超一流の大学に無条件で入れ、就職先も大手会社の社長や果ては政治家や官僚・地方の知事などになることが、本人の意思に拘わらず『絶対的に約束』されていた。

 普通ならただの学園にはそんな力などないが、卒業生・在校生そのものの『コネ』が蓄積されており、そのコネがまた別のコネへと繋がり果てが今の学園の『権力』となったのだ。ただ金があるだけコネがあるだけで成り立たず、その両方を得て始めて『権力』と呼べるのだろう。

 それがまた私立フィリス学園を『名門の中の名門』へと名を押し上げた、最たる理由でもある。学生はこの私立フィリス学園を卒業すること自体が対内外的にも本人的にもステータスになるのだ。

 それが故にフィリス学園に通う生徒のほとんどは政治家の2世や3世、大手会社の社長の息子、旧財閥の御曹司など生まれながらにして『セレブ・勝ち組』と呼ばれるお坊ちゃま生徒ばかりが集まるのだった。ま、早い話がエリートお嬢様学校の男子バージョン(ただしイケメンに限る)だと考えてくれれば話が早い。

 基本的にこの手の学園は生徒の安全面からアルバイトなどはご法度であるが、いわゆる『社会勉強の一環』という名目でむしろ推奨している。

 まぁもっとも大半の生徒は1日どころか1時間も保ない。そもそも労働と云う概念を持っているかさえも甚だ疑問のところだ。

 だが、智也の場合はそれらには当てはまらず、アルバイトの理由は至極簡単で「自分の生活費は自分で稼ぐ!」という信念に基づいての行動だ。別に気取っているわけではなく、智也にとってアルバイトとは生活をするうえで必然的行動なのだ。

 なぜなら朝霧智也は他の生徒とはかなり違う『一般人』だからだ。先にも述べたとおり、普通なら名門私立フィリス学園に入ることは愚か、入試試験を受ける資格持たないが、何事にも例外はあるものだ。その理由は『智也の過去』にあったのだった。


 唐突なのだが、朝霧智也は女嫌いが酷い。いや、「酷い……」なんて言葉では表すことができない。それは比喩的表現ではなく、話すことは愚か女の存在自体を嫌っていた。

 ここで期待させて悪いが、だからといって男色家(いわゆる男好き)と言うわけではないのであしからず。

何故嫌いかと問えば、智也は物心をつく前に母親に捨てられたのだ。捨てられた……と云う表現が正しいのかわからないが、智也がちょうど5歳の誕生日のその日に『児童養護施設』の玄関に置いていかれたのだ。

智也には最初から父親がいなかった。どんな事情や理由があったかはわからないが、母親はシングルマザーとして智也を育てた。そして5歳の誕生日に養護施設の玄関前に、こう言って置いていったのである。「ともやちゃん。今から誕生日のケーキを買ってくるからここでおとなしく待っててね。必ず迎えに来るから……。だから、……だからお母さんが迎えに来るまでここを動かずに、ずっと待っててね」っと言い残し、母親はそのまま迎えに来なかっただけだった。

 子供の頃の智也は年の割りにとても素直な子だった。いや素直な子でなければならなかったのだろう。以前、母親が仕事に行く前に大泣きし、駄々をこね、とても困らせたことがあったのだ。その時母親ずっと傍らにいてくれたが、それは母親にとって智也の『存在』が余計重荷に感じた瞬間だったのだろう。

 幼い子を持つシングルマザーにとって世間はとても厳しい。子供が病気になれば仕事を休まなければならず、満足な仕事ができない。満足な仕事ができないから、シフトを外されたり役職につけない。シフトを外されれば満足な賃金を得られず、日々の生活をするお金に困る。シングルマザーはそれの悪循環の連続なのだ。

 もちろん役所などから児童手当などが毎月出るが、それだけで補えるモノではない。子供の成長は早く服を買ってもすぐに合わなくなり、常に買わなければならない。病気になれば薬を買わなければならない。今は病院に行けば無料だが、もちろんそれには無料の範囲もあるのだ。

 それに何よりも日々の食事が肝心なのだ。人は食べなければ生きていけない。食事は1日1食。むしろ食べられれば良いほうなのだ。安く量がある物をスーパーなどで閉店間際に購入し、なんとかやりくりする。もちろんお菓子などの高級品は買えるわけがない。

 ある時、ふと夜中に目を覚ました智也が隣にいるはずの母親がいないことに気付く。

「こんな夜中にかあさんはどこに行ったんだろう?」っと眠い目を擦りながら、疑問に思っていると台所の方からガリガリ、ガリガリ……。っと真夜中に似つかわしくない異様な物音が聞こえてきた。

「何の音?」そっと台所のドア覗いて見ると、そこには電気もつけず母親が『何か』を一心不乱に食べている姿が見えた。その母親の姿を見た智也は「僕にだけひもじい思い(酷くお腹が減っている状態)をさせて、かあさんだけ美味しいモノを独り占めだなんてズルイ! 僕だって美味しいモノを食べたい!」っとその『何か』を食べている母親に近づくが、そこには真冬なのに氷を口いっぱいに頬張っている母親の姿だった。

 ガリガリ、ガリガリ……。っと聞こえた異様な音の正体は、空腹に耐え切れず必死に氷を齧っていた母だったのだ。床には人参の皮やキャベツの芯、智也が食べ残した残飯がそこらかしこに散乱していた。

 そこで初めて智也は、自分の母親が異常に痩せていることに気づいた。

 思えば智也がいつも食事する時母親は、「かあさんは先に食べたから、これはともやちゃんが全部食べていいんだよ……」っと言って一緒に食事をしていなかった。きっと自分は食べずに、その分を子供の智也に少しでも与えていたのだろう。

 智也はそこで初めて自分という『存在』が、今の母親にとってそれほどまでに負担をかけてしまう存在だと思い知らされた。

 その日以来智也は、母親に我が儘も言わず、食べ物の好き嫌いもせず、母親の言うことは愚直に守り、母親を困らせない『とても良い子』を演じてきたのだった。そんな智也の行動は事情を知らない大人達から見れば、年相応にはとても思えない大人びた行動に映っていたに違いない。

 そして智也は雪が降る寒いクリスマスの晩に一人寂しくとも泣きもせず、ただただ児童養護施設の玄関前で母親が迎えに来るのを待っていたのだ。

 自分が捨てられたことも知らずに、ずっと……。


 それから数時間が経った頃だろうか、

「あらあら、キミこんなところで何してるの?」

 智也は若い女性に声をかけられた。年の頃では20代前半といったところか。

 しかし寒さからか、智也は体育座りで蹲り若い女性の問いに答えようとしない。別に無視しているわけではなく、智也にはその女性の声が聞こえていなかったのだ。

「ちょっとキミ、大丈夫?」

 その若い女性はボーッ。っとただ前だけ空虚に見つめている智也の眼前で手を振ったが反応がない。

「ちょっと! キミってば!」

さっきよりも少し強めに声を出し、左肩を揺すられ智也は初めて存在に気付き、若い女性の方に顔を向けた。髪は艶やかな黒髪で地面に届くほど長く、その容姿は子供の智也でさえも言葉を失うほど整っていてとても綺麗だった。

「(ふるふる)」

 すんすん。と鼻を鳴らしながら首だけを左右にふる。涙が溢れそうな目を必死に擦る。一人心細い時は、大人でも誰かに声かけられると泣きそうになるものだ。

「な、なんでもないです。僕は大丈夫です」

智也は手のひらで涙を拭うとそう気丈にふるまった。

「いやいやいや、そんな泣きながら力強く『僕は大丈夫です!』って言われても……全っ然大丈夫そうに見えないんだけどさ」

顔の目の前で、右手をいやいやっと左右にぶんぶん振りながら言う若い女性。

智也はそんなストレートな物言いの若い女性の返しに答えられず、泣いている顔を隠すように両腕に埋めてしまう。

「あぁ~~もう~~! ほんと今日は何なの!! 厄日か何かなのぉ~!?」

 右手で後頭部を荒く掻きながら、困ったように若い女性はそう叫んだ。

「…………」

「…………」

 両者暫し無言の静観。お互いどんな言葉を発すればいいか考えているのだろう。だが、この沈黙を破るべく若い女性はこう切り出した。

「あのさ提案なんだけどね、こんな寒いクリスマスの夜にぃ? ウチの玄関先でそんな風に座ってられると正直迷惑だからさ、とにかく一緒に家の中入ろうよっ!」

若い女性は唐突にそう言うと、早く立てと言わんばかり強引に智也の左腕を持って立つように促すが、それでも智也は嫌々とばかり首を左右に振ってそれを拒絶する。

「僕はここを離れるわけにはいきません!」

「いや『そんないきません!』とか強く言われてもさ。こっちもそうはいかないんだよね! しかもそんな捨てられた子犬みたいにさ、目に涙いっぱい溜めてそんな事言っても全然説得力ないからさ。それにこっちも『あ~はいそうですか。判りました!』ってわけにはいかないんだよね。それになによりもウチの玄関先で凍死されても困るしさ」

「…………」

 そう正論を捲くし立てられたが、智也は答えなかった。

「はぁ~。また、だんまりモードぉ~? ほんとキミってさ、自分の都合が悪くなると途端に喋らなくなるよね?」

智也のだんまりモードに対して、ややお怒りモードの若い女性。それを智也も察知して、こう言い訳をする。

「じ、実は……か、かあさんとここで待ち合わせしてるんです!」

「おかあさん? ここで? こんな雪降るクリスマスの夜に?」

「はい」っと返事をするかわりに「こくん」っと頷く智也。

「う~ん……それってさ、もしかして…………」

これにはさすがに若い女性も言葉が続かなかった。いや事実を語るのが怖くて、言葉を続けられなかったのだ。もちろんそれは聡い智也も既に解かっていることだろう。解かっているからこそ、余計に頑(かたく)なな態度をとっているのだ。

「ほんと、ど~したらいいんだろうこの状況…………ね?」

 困りながら原因である智也に問う。雪降るクリスマスの夜にしかも家の玄関先に母親に置いていかれた幼い子供。こんな場面に遭遇したら、誰でも対応に困ることだろう。

「う~ん。……あっそうだ! ところでキミさ、名前なんていうの?」

若い女性は智也を安心させるように屈み、目線を智也にあわせるように、右手で髪をかきあげながら前屈みの姿勢になり優しく問いかける。

目と目が合い、智也は男なのに泣いているのが気恥ずかしいのか、それとも若い女性が前屈みになり覗く胸の谷間に照れたのか、顔をそらしながらこう声を絞り出した。

「し、知らない人とは話さないようにって……」

 悪い人に付いて行かないように、そう母親に教わったのだろう。

「え~でもさ、キミと私って既に結構話してるよね? 今更感半端ないよねそれ」

「…………」

 図星を指され「ぐすっ」とまた泣きだしそうになる智也。

「あ~~も~う~ほんっと! そうゆう態度まどろっこしいわね!! 子供だから泣けばなんとかなると思ってるの! 私さそういう女々しい態度が1番嫌いなのよね!」

 両手で髪をぐちゃぐちゃと掻き乱しながら、子供でも容赦なく投げやりにそう言い放った。

「もうさ、面倒だからさ、さっさとウチの中に入ってちょうだい! ……ってかもういいから黙って入りやがれっ!!」

 初めの優しいお姉さんとは打って変わった強引な物言い。

「あの優しいお姉さんはどこにいったのだろう……」きっと面倒な展開に業を煮やし、つい『素』が出たのだろう、もう猫を被るのを辞めたらしい。

 智也は「さあ早く立って!」っと言わんばかりに左腕を痛いくらい強引に引っ張られ、思考が追いつかないず目を白黒させながら、若い女性の家だという中へと連れ込まれた。

 智也は強引に家の中に引っ張り込まれバランスを崩し転びそうになったが、前にいた若い女性にぶつかって転ばずに済んだ。少し左腕と鼻が痛いがそんな智也を知ってか知らずか、若い女性は構わずこう叫んだ。

「沙代子、沙代子ぉ~、タオル! タオル! ちっとさ、髪の毛濡れちゃったから早くギブミータオルユー♪」

「…………」

 だがそれに対しての返事はなかった。それとその英語は「果たして本当にあっているか?」幼い智也にそれは分からなかった。

「沙代子さ~ん、いませんかぁ~。あなたの愛しのお姉さまがタオルを所望ですよ~♪」

「…………」

 やはり無音である。もしや「誰もいないのでは?」っと一瞬だけ智也がそう思っていると、

「おい沙代子っ! てめえ聞こえてんだろうが! こっちは靴があるから居るのは判ってんだからな! ささっとタオル持って来いてんだ! クソガキがっ!!」

 この若い女性、見た目の綺麗さ・最初の優しいお姉さんっぷりとは裏腹に、かなりの短気損気強気のようだ。つまりワガママ・ロースペック(笑)。


 そうこうしている間に2階奥からぱたぱた♪ っと軽やかなスリッパの音を立てながら、智也と同じくらいの年齢の小さな女の子が、タオルを持って玄関にやって来た。

「お~やっと来たな我が愛しの妹よ! ご苦労、ご苦労♪」

 っと塗れた手でその女の子の頭を乱雑に撫でながらタオルを受け取る。

「もぉ~お姉ちゃんたら塗れた手で乱暴に頭撫でないでよね! 私まで濡れちゃうでしょが! ……ってかお姉ちゃんもう帰ってきたの? 確か今日はクリスマスだから『デートで遅くなる』って行く前に言ってなかったっけ?」

「…………」

 その瞬間、ピタッ……っとタオルで髪を拭いていた動きが止まった。それは禁句だったのかもしれない。

「…………べ、別にぃ~」

 ものすごくふて腐れながら、明後日の方を向きリスのように頬を膨らませながらそう言った。

「お姉ちゃん…………また振られたんだね。……かわいそう」

「ち、ちがわい! こっちから振ってやったんだぞ! この違いは大きいからな! そこんとこ間違えんな!  あとまたとか言うな! またとか!!」

「はぁ~~~っどこが違うの?」っと女の子が深く長いため息を吐いた。

「あ! あの!」

 と智也が右手を挙げ、おずおずと二人の会話に割り込もうとする。

「この子だれっ!? だ、誰なのこの子わっ!? ま、まさかもしかしてお姉ちゃん! 振られたからってこんな小さい子を代わりにしようと…………」

「ばーか!」

と濡れた髪の毛を拭いた、湿ったままのタオルを智也の頭に投げつけた。「おめえも早く拭きやがれ!」っと智也に一言付け加えた。

「(す~っはぁ~)コイツはウチの玄関先で拾ったんだ」

 若い女性はいつの間にか取り出したタバコに火を着け、煙を吹かしながらそう言った。

「ってか『代わり』ってなんだよ、『代わり』って!!」

 っとやや呆れながら女の子の額を軽く小突く。

「そ、そうなんだ。でもそれって……」

 若い女性は「あぁそうだな……」っと肯定するように煙を吐きながら頷いた。

「そっか。それで……キミの名前は?」

「…………ともや」

 と小声で言う智也。

「へぇ~。キミ、ともや君。って言うんだ……下の名前は?」

「馬鹿かてめぇは!? どこの世界に『ともや』なんて苗字があんだ! ってかおい小僧! てめえなんで私が聞いたときは答えねぇで沙代子の時には素直に答えてんだ!」

「あぁん!? バカにしてんのかてめえ!!」っと智也の胸倉を掴み睨みつけた。

「な、何やってるのお姉ちゃん! もうちょっとした冗談だったのに。お姉ちゃんが凄むからこの子怯えちゃってるじゃないの!」

 沙代子と呼ばれる女の子は若い女性から智也を引き離す。すると智也は沙代子を盾にするように背中に回りこみ隠れた。

「……それでともや君。苗字は何かな?」

「(ふるふる)」

 分からないのか首を横に振る。

「ちっ、もうめんどくせぇからダンボールに『ひろってください。』とか書いて玄関先に出しとくか?」

 智也の沙代子との態度の違いに、やさぐれながらそう言った。

朝子あさこお姉ちゃん! 冗談でもそんなこと言わないで!」

っと沙代子が強く朝子に一言一蹴した。

「ちっ。わーってるよ。お前が『何』を言いたいかなんか」

 朝子と呼ばれた若い女性が『家』だと言ったここは普通の家ではなかった。ここは朝霧児童養護施設あさぎりじどうようごしせつといい、一般的には『養護施設』と略されて呼ばれるモノで、様々な事情により親のいない子や育児放棄・虐待された子などを集め保護し、そして『自立を促す』民間の施設なのだ。

 みんな何かしらの『事情』『境遇』によりここにいるのだ。養護施設と言ったら大げさに聞こえるかもしれないが、大掛かりな建物ではなく普通の民家をやや大きくした感じであり、玄関先にその看板があるくらいの違いしかない。

「おい小僧! いや、ともやだったか? お前は今日からここの子供になるからな!」

「えっ?」

「ここの子供になる? 誰が? ボクが?」いきなりのことで困惑し、どう反応して良いのか解らず、戸惑ってしまう智也。

「どうせ行くとこねぇんだろ? だったらずっとここにいればいいだろ。なんせここには、『お前みたいなヤツ』ばかりだからな……」

「で、でも」

 間いれず朝子が言葉を続けた。

「デモもヘチマもねえ! どうせお前は母親がここに来るまで待つつもりなんだろう? だったら同じことじゃねぇか!」

「……う、ん。わたしもその方がいいと思うな。外は寒いし雪も降ってるしね」

 朝子の言うことに同意する沙代子。窓の外を見るとゴーッ。と雪が吹雪いていた。

「い、いいんですか? 迷惑なんじゃ……」

「ちっ。めんどくせぇな。さっきからイイって言ってるじゃねぇか! 馬鹿かてめえは!?」

  朝子は問答に焦れたのだろう「もう勝手にしろや!」と言うと靴を乱暴に脱ぎ捨て家の中に入って行った。

「もうお姉ちゃんたらっ! いつも言ってるでしょ!」

沙代子は朝子が乱雑に脱ぎ捨てた濡れた靴を丁寧に揃え「これでよしっ!」っと納得し智也の方を向いた。

「私は沙代子。夕日沙代子ゆうひさよこだよ。よろしくねともや君♪」

 沙代子は右手を出し「よろしくね♪」と可愛らしく笑いながら握手を求めた。そんな同年代の女の子の沙代子を素直に「カワイイ」と思ってしまい照れる智也。赤くなった顔を隠すように俯きながら「よ、よろしく……」っと、やや無愛想に言って握手をした。

「さっきのこわ~い、見た目美人、中身が残念なお姉ちゃんは朝霧朝子あさぎりあさこって言うんだよ。まぁ、あんなんでもここの責任者みたいなもので、みんなのお姉ちゃん役(?)なの。……で、さっき恋人に振られちゃったみたいで機嫌が悪いみたいだね(笑)」

 と笑いながら付け加えた。お姉ちゃんの後の『?』は、沙代子なりの含みというか嫌味が籠められているのだろう。

「沙代子! そのガキに余計なこと言ってんじゃねぇぞ!」

 聞こえていたのだろう奥から朝子が怒鳴り散らす。そんな二人のやり取りを見て智也は「ぷぷっ」と笑ってしまう。

「ふふっ。やっと笑ってくれたんだね、ともや君♪」

「う、うん」

 さっきまで悲しい気持ちだったのが嘘のように思えた。

「ちっクソガキどもが! この『美人で優しいお姉さん属性』の『私』を笑ってんじゃねぇよ! ったくよぉ」

「ちょっとアレなお姉ちゃんのことは放って置いて、ささ靴を脱いで上がったら?」

「あっ、うん。じ、じゃあおじゃましま~す」

そして家の中に上がろうとする智也を「ああダメダメ!」っと沙代子が急に止めた。

「えっ? なんで?」と戸惑う智也に対して沙代子は、

「この家では、外から帰ってきたらちゃんと元気よく『ただいま!』が基本なんだよ! もうここは智也君の『家』なんだからね」

智也はそんな沙代子の態度に少し驚いたが、すぐに「うん!」と元気よく頷いた。雪が降り、とても寒いクリスマスだったが、その言葉に智也の心は少しだけ温かくなった。

「沙代子ちゃん! 朝子! ただいま!」

「なんだぁガキンチョ!! 沙代子は『ちゃん』なのに、私のことは呼び捨てかぁ!? 生意気なクソガキだなお前!!(怒)」

これが朝子と沙代子との出逢いであり、智也が『朝霧智也』として初めて家族と呼べる大切な存在ができた瞬間だった。


 シャーッ。自転車の車輪が高回転する。智也は車道を走りながら、養護施設にいた昔のことを昨日のように思い出していた。養護施設には朝子と沙代子以外にも智也と同じ境遇の子供たちが大勢いたが、真に心を許せる家族と呼べる存在は朝子と沙代子だけだった。朝子が亡くなるその日までは……。

 智也は気分を紛らわせるように、左ハンドルのフロントディレーラー(前変速機)を操作し、アウターホイール(外側の大きいギア)側に入れる。カチャっと音がし、ペダルが重く感じるが、まだまだ余裕がある。ロードバイクは変速機が普通の自転車とは異なる。

 左手にフロントディレーラー(前変速機)を操作するレバーがあり、外側の大きいのをアウターホイール、内側の小さいのをインナーホイールと呼びギアが2枚ある。また右手にはリヤトディレーラー(後変速機)を操作するレバーがあり、こちらはメーカーにもよるが9~11枚のギアがある。

また選手の得意な走りによってタイプが分かれる。登りが得意な『ヒルクライマー』、平地が得意な『スプリンター』、そしてどちらも得意な『オールラウンダー』などがある。

もし当てはめるのなら智也は、そのスプリンタータイプになるだろう。何故なら開けた平地なら何も考えず、何にも縛られず、なによりも『自由』に、そして『誰よりも早く』駆けることができる。そのときの爽快感が何物にも変えがたい。

少し勾配がキツくなり始めた。フロントをアウター(大きいギア)からインナー(小さいギア)に変え、リヤはそのままで流す。智也は坂道はあまり早く走らない。なぜなら『風』になれないからあまり好きではないからだ。そのとき背後で、カチャッ。とギアを変える音が聞こえてきた。

 いつの間にか、後ろにピタリと張り付かれていたようだ。相手も同じロードバイク、負けるわけにはいかない。智也はリヤを1段階重めにしスピードを出す。が、後ろのソイツは長い髪を風になびかせ、軽々と智也を抜き去ってしまった。

「(お、女だと!?)」

 その容姿は線が細く、か弱い女の子に見えた。

「(おいおいマジかよ……。ここをそんなに早く走れるのか? しかも女ごときが?)」

 たぶん相手は坂が得意なヒルクライマータイプであろう。

普段の智也なら相手にしないが、『女』に抜かれたとあっちゃ智也のプライドが許さない。さらにリヤホイールを1段重めにし追いかけようとするが、その女の子は智也が真後ろについてもまったく物怖じせず、そのままのスピードを保っていた。更に勾配がキツくなり、智也は堪らずリヤのギアを2段下げた。重すぎたのだ。

「(アイツと同じギアで踏めない)」

 智也にとって少なからずショックだった。すると前でもカチャカチャッ。っとギアを変える音がした。どうやらアイツもギアを2段ほど『下げた』らしい。

だが、その女はさらに早くスピードを増し、先ほどよりも早く坂を駆け抜けていた。

「(はっ? な、なんだよそりゃ……っておいおいマジかよアイツ!?)」

 智也は前を走るロードバイクのフロントディレーラーを見て、愕然とした。それは『ギアを下げた』のではなく、アウターに入れ直してシフトアップ、つまり『ギアを上げた』音だったのだ。

 その間にも智也とその女の子との差はどんどん開いていった。智也は立ちこぎ《ダンシング》で対抗するが、前を行く女の子は依然座りこぎなのに、更にリヤを1段シフトアップするとそのままの勢いで完全に智也を置き去りにする。

「……バケモンかよ」

 智也はそう吐き捨てると、ダンシングを止め座り漕ぎでペースを落とした。前を向くと既にその女の子の姿は見えなくなっていた。

「アイツ何者だぁ? ったく、世の中上には上がいるもんだな……」

 キキーッ。ブレーキをかけロードバイクを駐輪場に止める。どうやらいつもよりも早く駅前に着いてしまった。

「アイツのせいだな……」

 智也は少し不機嫌だった。あの後もペースを乱されたせいか、平地でも思うように走れず『風』になることができなかったからだ。

「ちっ」

 せっかくの休日なのに不満を露にする。……そんなことを思っていると、

「おめえどうしてくれんだ!? あぁん!?」

っという雑音が聞こえてきた。そこには不良らしき数人に囲まれている、智也を不機嫌した原因アイツがいた。

「あわわわわ、ごめんなさい。ごめんなさい」

ペコペコっと、米つきバッタのように頭を上げ下げしていた。どうやら目的地は同じ駅前だったようだ。

「ごめんなさいで済めば、弁護士はいらねぇんだよ!」

 不良さんながら、わりと正論だった。

「おろおろ~、あたふた~」

 慌てている擬音を口に出してしまうほど、どうすればいいかわからないようだ。またそれが逆に不良達の神経を逆なでする。

「……よく見りゃ、ありゃウチの生徒じゃねぇか?」

 その不良達はフィリス学園のブレザーを着ていた。

「アイツら……馬鹿じゃねぇの?」

こんなことが学園に知れたら軽くて停学、最悪退学もありえるだろう。それくらい学園は些細な問題でも外に対しての対面を気にしているのだ。

「……あ、あの~だったらどうすればいいんでしょうか?」

 戸惑うソイツに、不良のリーダーと思しき男が「コレだよ、コレ」っと右の親指と人差し指を繋げ輪っかを作り目の前で上下に振っている。

「あっ、もしかして…………お地蔵さんですかぁ~?」

「「ちげーよ!!」」

 その天然ボケに思わず、不良だけでなく智也も一緒にツッコミを入れてしまった。

「あぁん!? なんだぁ~、てめえは?」

 外部から水を指され、不良達がそれ(ツッコミを入れた智也)に反応した。テンプレートな展開。まさにラブコメのシナリオ通りとはこのことだろう。

「あっ、いや……俺は、そのぉ~…………」

 不良からいきなり話かけられるとは思ってもいなかったので、智也は返答できない。

「コイツと同じ格好? ……ってことはお前も仲間か!?」

不良さん達は基本的に、良いことには頭の回転が鈍いが、悪い意味での頭の回転は早いのはデフォなのだ。

「(ちっ、仕方ねぇな……)」

 智也はその女の子を守るように、不良と女の子との間に入ることにした。女の子は不良達に囲まれて余程怖かったのであろう、智也の背中に隠れ服をぎゅっ。と握りしめ目を瞑っている。

「コイツがナニしたかわからないけど、このへんで勘弁してくれませんか?」

智也は頭を下げ、謝罪をする。だが不良たちは、

「おめえ、コイツが何したか分かってねえなら部外者だろ! 邪魔すんな!!」

「(はい。まったくもってそのとおりです)」

 不良とはいえ、さすがフィリスに通ってることはあります。案外に頭が良いらしい。智也は不安になり、何をしたのか聞いてみることにした。

「……こ、コイツ……ほんとにナニしたんっすか?」

 智也は不良達の言い振りに、思わず原因を聞いてしまう。

「聞いてくれよ実はよぅ~、オレ達が止めてた自転車を「邪魔だから!」って蹴り倒しやがったんだよコイツわっ!! こっちはきちんと駐輪場に止めてんだぞ。お前ならさ、どう思うよ?」

不良達がコレが証拠だと言わんばかりに、倒れている複数の自転車を指差しながら「うんうん」と頷いていた。

「お、お前そんなことしたのか?」

 っと後ろにいる女の子に聞くと「うん!」力強くと頷かれてしまう。

「(そりゃ、不良さんじゃなくても怒るわなぁ。……ってか、ちゃんと止めてある自転車を蹴るなよな!)」

 そしてこれはひじょ~うにマズイ状況である。だって不良さん達悪くない、こっち蹴り倒した。どう考えてもこっちが悪いよな。

「だから! さっさとソイツを渡せってんだ!!」

「そ、それとコレとは話が違うだろっ!?」

 智也はそう苦し紛れの言い訳をするのだが、

「…………どう違うんだ?」

 不良さん達に冷静に正論を返されしまい、智也はもはや反論できなかった。

「い、いや、しかしですね。だからと言ってその~、女の子を何人もで囲むってのは、いかがなものかと思いますがね」

「そんなことは言われなくても解ってるよ! こっちだって最初は謝れば許してやるつもりだったんだよ! ところがソイツ『こんなところに自転車止めてる方が悪い!』な~んて言いながら、オレ達を足蹴りしやがってきたんだよ。ソイツが先に手を……いや足を出してきやがったんだぞ!! どう考えてもソイツが悪いだろ? お前もそう思わないか?」

「(ちょおまっ!? そんなこと言いながらコイツら蹴ったの?)」

 そう後ろのヤツに聞くと「うんうん!」っとまたもや力強く頷かれたのだ。

「(もう100対0で完全コイツが悪いじゃんか! 弁解の余地もねぇよ)」

 その事実に気付き智也は、

「ほんっと、すいませんでした! コイツの代わりに俺が謝りますんで、どうか勘弁してやって下さい!」

 っと智也は後ろにいた女の子も横に並ばせ、頭の後ろに手をやり強制的に頭を下げさせ、一緒に謝った。

「な、なんでボクが……」

「いいからてめえは黙ってろ!」そう目で合図をして、黙らせる。

「ちゃんと謝ってもらうのはいいが、こっちはソイツに足を蹴られて大怪我しちまってるんだよなぁ~。おぉ~おぉ~、よ~く見ればこりゃ完全に折れてるな! だったらそれなりに貰うもん貰わないと、だよな!」

 あからさまに足を引きずり、怪我をアピールする不良のリーダー。

(いやいや、折れてたら普通歩けないからな……不良さんコイツらは、そんなことも知らないのだろうか?)

「た、たぶんですけど、歩けてるんで足は折れてはないと思いますよ。はい。……それじゃ、俺達はこれで失礼しま……」

 智也は女の子を引っ張って逃げようとするが、

「お~っとそうはいかねぇぞ! こっちの用はまだ済んじゃいねぇからな!」

『しかし、不良達にまわりこまれてしまった』

「てめぇよくも舐めた真似ばかりしてくれるじゃねぇか! いいからソイツをこっちに渡せってんだ!」

「…………コイツ、渡したらどうするんだ?」

「そりゃ~もちろん『女』なんだからなぁ~。……お前だって男なんだから、俺たちが何するか言わなくてもわかんだろがぁ? ああん?」

「ひひひっ」と厭らしい笑いを浮かべながら、女の子を上から下まで舐めるような視線で舌をなめずる。

「グッ!?」

 ここで問題を起こしたら自分も……っと思い智也は我慢するように不良達を睨みつけ、唇を噛み締めた。

「あの~…………ボクこれでも『男』なんだけど」

 おずおずと遠慮がちに右手を挙げながらの一言。それに対し「「えっ!?」」っと女の子(?)を除く、不良さん達と智也が呆気にとられてしまう。

「い、今なんて……」

 智也が改めて確認するようにその子に聞き返した。

「だ、だからっ! ボク……ボク……『男の子』なんです!!」

 目を瞑り少し頬を赤らめながら、そう強めに主張した。

「(ホワイ? こんなにカワイイ子が女の子じゃない……マジで???)」

 いや確かに着ているサイクルウェアは全身黒服で、いかにも男物だった。レディースウェアの場合、ピンクや水玉・赤い色が多く、またいかにも可愛らしいデザインのサイクルウェアが多い。その男の子は智也達に比べ背は低いが、胸も出ていなかった。髪は長くポニーテールに束ねていたが、それだけで『女の子』とは言えないだろう。

「ま、まぁいいや。別に男だろうが女だろうが、こんなカワイイ顔してるんだからすることは同じだろ。それに今流行の男の娘(おとこのこ)ってやつだろ? むしろそっちの方が新鮮でいいかもな……」

 不良達はむしろ女の子よりも『男の娘』という存在に興味が増したようだ。

「(ま、マジかよコイツら……)」

 そんな不良達に呆れる智也。

「いいから、こっちに来いってんだ!」

 智也を退け、強引にその男の娘の手を掴み、抱き寄せようとする不良のリーダー。っとそのとき、

「ごはっ」

その刹那不良の顎にアッパーが入り、倒されてしまう不良の一人。智也がそれを阻止したのだ。

「て、てめえ! やりやがったなコノヤローッ!?」

リーダーを倒された事で智也の存在を危険と判断し、他の不良達は標的を男の娘から智也へと移した。

「ほんとめんどくせえ奴らだな。御託はいいから、かかってこいてんだっ!!」

 智也は心底ぶちぎれていた。

「コラぁ! お前達! そこで何をしてる!」

 そこに騒ぎを聞きつけた警察官が遅ればせながらやってきた。

「やっべ、ずらかるぞてめえらぁっ!!」

 復活したリーダー格の男が警察が来たことに動揺し、倒れている自転車で仲間に逃げるよう指示をする。逃げようと智也の横を通り過ぎるとき、

「てめぇ顔覚えたからな! 今度会ったらタダじゃおかねぇぞ!」

 っと小物風情なセリフを残して、逃げていった。警察官は逃げて行く不良達を追いかけて行った。後に残ったのは智也とその男の娘だけだった。安心したのか、へなへなへな~。っと座り込む男の娘。

「大丈夫か? 怪我はないか?」

 っと智也は手を差し出しその子を立たせようとするが、

「こ、腰が抜けて……た、立てないみたい」

 智也は後ろ手で頭をがしがしっと掻く。「ほんと、めんどくさい奴だな……」っと思ったが、口にはしなかった。その子をこのままにもしておけないので、智也はその男の娘を抱きかかえることにした。

「わっ! わわっ!?」

 突然お姫様抱っこされ、戸惑いから必死に「いやいや……」っとばかりに足をバタバタさせ、抵抗をみせる。

「こ、こら暴れるなって! 大人しくしてろ。ったく、誰のせいでこんなことしてると思ってんだ?」

 男の娘は状況を理解し、叱られた子犬ようにしゅんっと大人しくなった。

「にしても……お前ほんと軽いな。メシちゃんと食べてんのか?」

 その男の娘は心配したくなるほど体重が軽かった。途端その男の娘は顔を赤らめ、やっぱり降ろしてと再び抵抗をみせるが、

「よっと!」

わわっ!?」

 智也はわざとらしく持ち直すように少し上に浮かせてやると、その子は落とされないように智也の服をぎゅっと握り締めて胸に顔を埋めるようにしがみついた。

 少し。ほんの少しだけ、その仕草が「カワイイ」と智也は思ってしまう。

「んっ」

 そこから歩いて1分ほどのオープンテラスのある喫茶店に着き、抱きかかえてるその男の娘をゆっくりと、エスコートするように優しく座らせた。

「あ、そのぉ~…………あ、ありがとう(照)」

 頬を赤らめ消え去りそうな声で、お礼を言う。

「お前何飲む?」

「えっ?」

 いきなり聞かれたので上手く答えられなかった。

「ここ喫茶店だぞ。何かしら注文しないと」

「あっ! ああ! ……それじゃあ、アイスティーで」

 注文を取りにきた店員にアイスティーとエスプレッソを注文する。

「…………」

「…………」

 無言。互いに何を話していいかわからなかった。この沈黙を嫌って智也から話かける。

「お前、登坂早いのな」

「へっ? 登坂……ですか?」

 智也の何ら脈絡のない質問にその子は聞き返した。

「登坂。つまり坂道を自転車ロードバイクで走ることだよ。さっき前にいた俺の事を軽々と抜かしていっただろうがっ!」

「うにゃ???」

「そうなの?」っと可愛らしげに首を傾げる。これがもし男の娘でなければ、きっと……おっと、いやなんでもない。智也は誤魔化すように「んんっ!」とわざとらしく咳をした。

「フィリス学園から、駅前ここに来るまでに長い坂道があったろ? ……さっき俺もロードバイクでそこ走ってたんだよ」

 智也は熱くなる顔を目の前のヤツに悟られぬよう、そっぽを向きながらそう言った。

「ああ、なるほど!」そこで合点がいったように手をぽん♪ っと打ち付ける男の娘。

「それでさ……お前『クライマー』なのか?」

「クラいま?」

「クライマーっ!! ああいった登坂が得意なロードレーサーを『クライマー』って言うんだよ」

「あっ、なるほど……なるほど」っと関心するように頷いた。

「(ほんと調子くるう奴だぜ。全然何にも知らないんだな……)」

 そう智也が思っていると、

「えっと、登坂(?)は得意です。平らな道よりも少し登りの方が好きかも。でも下りは苦手かなぁ~」

「下り《ダウンヒル》が苦手なのか? まぁ、確かにスピード出るし、ブレーキ効かなくなる事考えたら怖えぇ~からなぁ」

 ロードバイクでのダウンヒル、つまり下り坂を走ると車のスピードを優に超す、80km/hが軽く出る。それに車と違い、直接体に風の抵抗を受けるため簡単にバランスを崩しやすく落車しやすくなる。もし何かあっても身を守る物は頭に被ってるヘルメットくらいなものだ。運が良くて骨折、最悪の場合谷底に真っ逆さま、そのまま天国に直行なんても十二分に有り得る事なのだ。

「お待たせしました!」

 注文した飲み物を可愛らしい制服を着た店員さんが持ってきてくれた。

「わぁ~かわいい服」

「そうかぁ~?」

 男の娘は制服を、智也は女の店員さんをと、違うことを指していた。

「う~ん♪ 冷たくておいしいね♪」

「ちっ……。俺もそっち(冷たいの)にしときゃ良かったな」

 生憎とエスプレッソはホットしかなく仕方なかった。アイスコーヒーでも注文すればよかったのだが、智也はエスプレッソ特有の苦味が好きなのだ。

「……そんな苦いの、よく飲めるね」

「慣れればこの苦味が美味しく感じるんだよ」

「この苦味が大人の味だ」と智也は言うが、男の娘は「あっそ。それならボクは子供のままでいいよ」っとあっさり返されてしまう。智也は相手の手前、熱いのを我慢して「ずずっ」と一口飲むがやはり熱かった。

「(こんな暑い日に飲むもんじゃないよな)」

 と智也は後悔するが遅すぎた。

「……ところで、お前年いくつだ?」

「お年頃の男の娘に年を聞くのは失礼なんだよ!」

「いや、別に女じゃないんだからいいだろうが!」と内心思った。じーっ……っと目の前にいる男の娘を見つめる智也。

 髪は腰まで届くくらい長い黒髪でポニーテルに束ねていた。背は智也よりも低く150cmほどだろう。体は細身で頼りないか弱いイメージだ。「よくこんなんであの坂をあんなに早く走れるものだ。軽さが有利なのか?」と思っていると、

「あ、あのっ!! そんなじっと見てられると飲みにくいんだけどさ……」

 その男の娘は顔を赤らめてそう言ったが、智也はそれを無視するように別の言葉を口にした。

「俺とお前ってさ……どっかで会ったことないか?」

 確かにどこかで見たことあるんだが、どこだったか思い出せない。もし会ってるとすれば、コイツを忘れるだろうか?

「え? なにそれ? ボクのことナンパしてんの? ちょっとその手は古くない?」

「ちっげーよ! 確か、前にどこかで会った感じするだけだ」

(そもそも男同士でナンパもなにもないだろうが!)

「ところでお前、名前は?」

「ナンパする人には教えません! プライバシーの侵害なんだよ」

 男の娘にきっぱりと断られ反論する間もなく、

「じゃあボクはこれで失礼するからね……。これから大切な用事があるからさ」

 アイスティーを飲み終わり、伝票を持ってさっさ帰ろうとする。

「お、おい! 俺、まだ飲み終わってねぇぞ!」

「どうぞ、ごゆっ~くり。ここのお会計はさっきのお礼ってことでボクが払っておくからね。……またね、『朝霧君』♪」

 男の娘は結ってある長い髪をなびかせながら、軽やかに会計に向かい支払いを済ませると智也を残し、さっさと店を出ていった。

「ほんと変なやつだった……」

 さっきまで熱かったエスプレッソはすっかり飲みやすい温度に冷めていた。それを口にしながら智也はこんなことを思っていた。

「それにしてもアイツ…………何で俺の名前、知ってたんだ?」


「あれ~? 智也、今帰ってきたのか?」

 また佐々木に声をかけられる。

「(何コイツは暇なの? ストーカーなの? なんなの?)」

 ……っと思ったがさすがに口にせず、佐々木にこう答えた。

「あ、ああ。ちと色々あってな。そういえば佐々木、フクムラ潰れてたわ」

「マジかよ! やっぱりあの店潰れちまったのかぁ~」と返す佐々木を捨て置く。だってさ、コイツの話長いんだもん。

 せっかく朝早く出たのに寮に帰ってきたのは午後2時すぎになっていた。あれから喫茶店を出てから目的地であるフクムラに行ったのだが、店のシャッターが閉まっており「当店は倒産しました。長年のご愛顧ありがとうございました」と書かれた張り紙がしてあったのだ。

 まぁあの商品ラインナップで今までやっていたのが、むしろ奇跡だったのだろう。智也は服を買えず寮に戻ろうとした帰り道の途中、ロードバイクの後輪がパンクしここまで押して歩いてきたのだった。サドル下に普段常備してある修理道具でもあればその場でも直せるのだが、生憎とパンクキットを装着し忘れていたのだ。近場の駅前に行くくらいなら必要ないと思ったのが誤りだった。

「腹減ったなぁ」

 お昼前には戻ってくる予定だったのだが、あのパンクは想定外だった。飲まず食わずでここまで戻ってきたのだ。フィリス学園の寮は基本的に専用のシェフが作る。これは学園にあるレストランが寮生の食堂という意味も兼ね備えていた。しかも料金は無料である。さすがバカ高い学費を盗るだけのことはある。

 だが、智也がそこで食事をすることは滅多になかった。なぜなら出てくる料理がフランス料理やイタリア料理などマナーが必要な洋食ばかりで、ご飯や和食・カップラーメンなどが好きの智也の口には合わないからだ。それに学園のレストランとはいえ堅苦しいマナーがあるので、あそこでは食べた気がしないというのもある。

「確かとんこつ醤油がまだあったはず……おっ! あったあった!」

 智也はバイト先であるコンビニで購入した、買い置きのカップ麺を取り出す。厨房でお湯だけをもらい自分の部屋で食べる。これがまた美味いのだ。

「おっし、3分経ったな」

 蓋を開け付属の香味油を入れよくかき混ぜてから、ずるずるずるっ……。と音を立て一気に食べた。ビックカップで通常の1・5倍の麺の量なのだが、これだけでは育ち盛りの智也には物足りないだろう。さっき湯を貰いに厨房に行ったとき、丸い主食用のパンも貰ってきたのだ。

 それを手でちぎり余ったスープに浸して食べる。スープのうま味とパンの触感が相成って、これがまた美味かった。あっという間にスープまで飲み干し、「ふぅーっ」と人心地ついた。今日は色んなことがあったせいか、疲れていたのだろう、満腹になり落ち着いたこともあって、智也は目を瞑ると睡魔が襲ってきてそのまま寝てしまった。

「やっべ、このままだと遅刻する!」

 昨日遅い昼食を食べた後そのまま寝てしまったらしい。疲れていたこともあって智也は登校時間ギリギリになって起きた。この学園の寮は普通2人1組の部屋なので通常遅刻しそうな時は相方が起こしてくれるだろうが、智也の場合この春に隣人が退学したので一人部屋を満喫していた。

 ズボンを穿き、Yシャツ・ネクタイ・ブレザーと慌てて登校の準備をする。特待生でしかも授業料・寮費などを免除してもらってる智也は、遅刻するわけにはいかなかった。寮は学園の傍に併設してあることもあり、通学時間は5分もかからない。急いで学園までの道を走って行くが既に授業が始まる時間なので、さすがに周りには誰もいなかった。教室の前まで行くと、扉の前に誰かいた。

「うん? アイツは……転校生か? こんな時期に?」

 もう4月も半ばなのに転入する物好きがいるだろうか? そもそもここの学園は転入できるのだろうか……もしできたとしてもかなりの条件になるだろう。それは学力的にも経済的にもだ。

 後姿だけだが、とても綺麗な長い黒髪をポニーテールに結ってある。「女か?」っと一瞬思ったが、いやそもそもここは『男子校』なのだから無条件で『男』しかいない。制服もブレザーだった。

「……ってよく見たら昨日の奴じゃねぇか! マジかよ」

 そう、それは昨日駅前で助けたあの男の娘だった。アイツがここにいるってことは、やっぱり『女』じゃなくて『男』だったんだな。

「( しかもよりによって同じクラス……アイツ俺と同い年だったのか? てっきり中学生かと思ったぜ)

「あっ! そんなことよりも……」

 智也は思い出したように教室の後ろのドアを気づかれぬよう、ゆっくりと開いた。

幸い担任の村岡むらおかは転校生を紹介しようとしているところで、智也の存在には気付いていない。音を立てて見つからぬよう、身を低くし、こっそりと隠れるように窓際1番後ろの自分の席にたどり着く。

「なんとかバレずに済んだな」

 前の席の佐々木が声をかける。

「よお重役出勤だな智也! 珍しく遅刻か?」

「昨日アレから眠っちまってな、さっき起きたばかりだ」

 そんなやりとりをしていると、

「……え~っ、というわけでもう4月も半ばなんだが、ここで転校生を紹介する! さぁ入ってきなさい」

 ガラガラ~~ッ。そして前のドアが開いた。

「かなり背が低いな」「女か?」「馬鹿っ、ここは男子高だぞ!」「中学生じゃねぇの?」「今流行りの男の娘?」「来ましタワー」などひそひそとクラスメイトの声が聞こえてくる。……何か今、腐男子混じってないかこのクラス?

確かに制服を着てなかったら、女だと言われても違和感がまったくない。

その男の娘は教壇の横に立つと、

「初めまして! ボクは倉敷葵くらしきあおいと言います。時期外れの転入ですが、よろしくお願いします」

とても気品に溢れ、そして優雅にお辞儀をした。

「それで席なんだが、1番右の窓際の朝霧の隣が開いてるからそこを使うように。朝霧……頼んだからな!」

「げっ!?」

なんで俺が転校生の相手をしないといけないんだよ。ってか村岡の野郎俺が遅刻したことに気づいていやがったな。たぶん遅刻を見逃したのはその(転校生の面倒の)対価だろう。

智也の隣は、退学生徒が出たばかりで空席だったのだ。

葵は軽やかに歩き、智也の隣の席にたどり着くと、

「初めまして……よろしくね、朝霧君♪」

初対面を厭に強調し、握手を求めるように右手を差し出してくる。

「あ、ああ……」

 智也も右手を出し、握手をする。握手しながら、

「お前……昨日駅前にいた奴だよな?」

「…………きっと人違いだと思うけど。だってボクは『ただの通りすがりのクライマー』だしね♪」

「(か、完全に昨日の奴じゃねぇか。大体何なんだよ、通りすがりのクライマーって……って俺に対する嫌味かよ!?)」

智也は転校生である葵のことが気になって、その後の授業に集中できなかった。

昼休みになりそのクライマーとやらに詳しく話を聞こうと、葵を昼メシに誘おうかと思ったら既にいなかった。

「(どこに行ったんだ? 転校したばっかだから、ロクに場所も知らないだろうに)」

レストランやトイレを探すがいない。校舎の外に出て葵を探すその途中、校舎裏側から何やら怒鳴り声が聞こえてきた。

「おい! 昨日はよくもフザけた真似してくれたな!」

な~んか聞き覚えのある声が聞こえるんだが……。なんだろうね、このあまり関わりたくない雰囲気は。

 だが、そうも言ってられないので校舎裏を様子を伺うように覗き見ると、転校生でクラスメイトで隣の席で、お目当ての葵がそこにはいた。昨日と同じく不良達に囲まれていながら。よ~く見ると昨日絡んでいた不良達そのものだった。

「(ああ……そういやアイツらもここの生徒だったな。すっかり忘れていたわ)」

そんな智也を尻目に不良と葵たちのやり取りは勝手に進む。

「あの、ボクは何もしてませんよ……ね?」

葵は「まぁまぁ、落ち着こうよ……ね?」などと相手を宥めるように両手で静止するが、不良達にはかえって逆効果だった。

「てめえ! 俺達のことポリにチクッたろうが!」

正確には騒ぎを聞きつけ警察官が来たのだが、そんなこと不良達には関係ないようだ。

「はぁ~ま~たこの展開なのかよ。……ちっ、しゃーねぇーな」

智也は特待生なので、特に学園では面倒事には巻き込まれたくないのだが、今の状況ではそうも言ってられなかった。昨日と同じく、智也は葵と不良との間に割り込んだのだった。

「おい! いきなり割り込んで来たクセに、俺達を無視してんじゃねぇよ朝霧ぃ~っ!!」

 っと不良の声で我に返る智也。どうやら一瞬意識を失っていたらしい。

「ほんと。なんでこんなことになったんだか……。あんたらより、俺の方が聞きたいくらいだよ」

 誰か知っていたら教えて欲しい……って、一昨日の自分のせいか。

「やはり、朝霧君とは何かとえにしがあるみたいですね~♪」

 そんな縁なくてもいいよ。智也は疑問に思ったことを目の前の大津に聞く。

「大津……先輩。生徒会長であるあなたが、なんでこの人達……見るからに不良と一緒にいるんですか?」

「……まぁ普通そう疑問に思うよね。色々とこちらにも事情というモノがあるのですよ。朝霧君もあまり知りすぎると…………ね?」

 不気味に笑いながら大津がそう語る。

 その事情とやらが気になるが、今はこの場をどう切り抜けるかが先決だ。いくら智也でも上級生含む5、6人に囲まれてるこの状況では負けないまでも、無傷ではいられないだろう。しかも後ろに守るべき葵がいるからなおさらだ。

「ほんと、どうしたらいいんだよ」

 周りを逃げないよう囲まれじりじりと滲み寄られ、すぐさま殴り合いが始まってもおかしくない状況。ふと後ろで、今まで服を掴まれてたその感覚がなくなった。

「…………(スイッチ)」

 そうボソリッと後ろにいた葵がそう呟いた。途端、智也の後ろにいた葵が目にも追えないほどの速さで横を通り抜け、不良達に向かって走って行った。

「おまっ、バカよせっ!?」

 そんな無謀な葵の突進に智也は止めようと声を張り出すが、そこで見たモノは想像を絶する光景が広がっていた。

 いきなりの葵の突進に対して不良達は対応できず、戸惑いながらも応戦しようと拳を振り上げ葵に向かって振り下ろそうとした瞬間、葵はスライディングするように左足をわざと滑らせ、近くにいた不良の鳩尾へと左ショートアッパーを叩き込む。

「ぐごはっ!?」

 一瞬何が起こったか解からずに胃にあるモノを吐き、その場に蹲る不良の一人。

「なろうっ!」

 その隣にいたリーダー格の不良が仲間をやられたのを見て、すぐさま葵に襲い掛かる。だが、そのリーダー格の不良も同じ轍を踏む。

 葵は襲い掛かるリーダー格の不良の右の拳を華麗に左にひらりと避け、首を右に振って結ってある長い黒髪をそのリーダー格の不良の目に当てる。

「ぐわっ!?」

 もちろんそれだけでは当然ダメージは与えられないが、一時的に不良の視界を遮るには十分だった。両手で目を庇っている不良のリーダーに対し、相手の右膝裏を左足の甲で蹴った。たったそれだけのことでガクン! っと前かがみに倒れこんでしまう。そして葵は勢いそのままにリーダー格の不良のがら空きの右わき腹に肝臓打ち《リバーブロー》を容赦なく叩き込んだ。

「~~~~っ!?」

 痛さで声も出ない。息ができず右わき腹をを両手で押さえ、悶絶するリーダー格の不良。

「おいおいマジかよ……」

 その圧倒的な強さに智也は葵の猛攻に唖然としてしまう。それは大津を含む、他の不良達も同じだったようだ。

「こ、これは少々マズイ状況ですね。……こ、ここは退くべきですね」

 利に聡い大津は他の不良に逃げるよう指示すると、倒れた不良2人を引き摺りながら逃げて行った。

「……ふぅ~っ」

 葵は高ぶった感情を冷ますように大きく息を吸い込み、呼吸を整えた。その瞬間葵の周りにあったピリピリとした空気が変わった。……いや元に戻ったというべきか。なんというかぽんわり♪ とした雰囲気だ。そして葵は智也の方に向き直りこう智也に声をかけた。

「あっ、お兄ちゃん……大丈夫だった? 怪我はない?」

「あ、ああ…………はっ?」

 葵の問いに曖昧に受け答えをしたが「お兄ちゃん」と何ら脈絡なくいきなり呼ばれ、また先ほどの出来事で思考が追いつかなかった。

「お兄ちゃん?」

 葵は首を傾げとてもカワイイ感じに聞いてきた。それはまるで弟か妹のように……。

「あ、いや……大丈夫、大丈夫だ」

「良かったぁ~♪ お兄ちゃんが無事で♪」

 聞きたいことはたくさんある。今の光景、いきなりお兄ちゃんと呼んだ事、昨日の事、そして何かを呟いた瞬間、まるで『スイッチ』を切り替えるよう葵の雰囲気が変わった事、だがそれらをどう聞いていいかわからず、ただただ葵を見つめていた。

「そ、そんなに見つめられると照れるよお兄ちゃん(照)」

 少し頬を赤らめもじもじと照れる葵。

「えっと……そ、その『お兄ちゃん』てのはなんだ?」

「えっ? お兄ちゃんボクのこと忘れちゃったの?」

 やはりどこかで会ったことがあるようだ。でもどこだったか思い出せない。

「まぁ、お兄ちゃんと一緒にいれたのは1ヶ月くらいだもんね。覚えてなくても仕方ないよね」

 っと少しだけしょんぼり落ち込む葵。なんだかこっちが悪いことをした気分に陥る。そもそも智也には家族はいない。だから「お兄ちゃん」と呼ぶような弟などいるわけがないのだ。「待てよ……家族?」智也の心に少しだけ思い当たることがあった。

「もしかして、朝霧児童養護施設にいた……」

「思い出してくれたんだね! お兄ちゃん♪」

 言い終える前に葵は智也に抱きつく。軽い柔らかい衝撃と、その後からくるふわりとした甘い香りが葵から香る。同じ男でもこうも違うものなのか。

 葵の後ろに手が回るが、それをどうしていいかわからずにそのまま空をきる。そんな智也をお構いなく葵はぎゅっと抱きつき背に手を回し、匂いを確かめるようにすりすりしながら智也の胸に顔を埋める。

「う~ん♪ 10年ぶりのお兄ちゃんの匂い。くんくん♪」

「えっ? おい! 匂いなんか嗅ぐんじゃねぇよ!」

「え~っ、なんで? なんで ?だって久しぶりなんだよ♪」

 10年ぶり(?)の再開で興奮する葵。言動が理にかなってない。だがこんな状況で「やっぱり覚えてません!」などとは口が裂けても言えない。

「(にしても施設にこんな奴いたか? 確かに俺くらいの年齢の子供ばかりだったが、こんな風に『お兄ちゃん』と呼ぶほど親しくなった奴はいなかったような……)」

「お兄ちゃん?」

 そんな智也の考えが顔に出てたのか、葵は智也から名残惜しそうに手を離し、そして今までの経緯を説明する。

「今からちょうど10年くらい前かな、ボクの両親が交通事故で二人とも亡くなって、身寄りのないボクは朝霧児童養護施設に預けられたんだ。ボクは当時、両親が亡くなったショックで誰とも口を聞けなくなったんだ。でもそんなとき、同室だった智也お兄ちゃんが優しく声をかけてくれたんだ。「お前は一人じゃない。今日から俺が両親の代わりの家族に、兄に『お兄ちゃん』なってやる! だから前を向き、笑顔を取り戻して生きろ! 今のお前の姿じゃ両親も悲しむからな」ってね。あのときお兄ちゃんがそう言ってくれたから、ボクはこうして元気に笑えるようになったんだよ♪」

「けどそれからすぐにボクに里親が見つかって……。お兄ちゃんとはたった1ヶ月だけ一緒に生活しただけだったけど、それがボクとっては何物にも代え難い大切な、大切な思い出になったんだよ。もしあのとき、お兄ちゃんがいなかったらボクは……」

 朧気だか、確かに1ヶ月くらい一緒に生活して、すぐに里親の所に行った弟みたいな奴を覚えている。それがこの葵だったのだろう。

「今の両親のとこに行ってからも、お兄ちゃんのことが忘れられず、ずっとお兄ちゃんのことを探し出してて、やっと最近ここ(フィリス学園)にいる分かって、それからね、それからね……」

 少し興奮気味の葵を「大丈夫だから……」そう安心させるように頭を撫でてやった。

 頭を撫でられて、少しくすぐったいやら嬉しいやらする葵。

「で、それでここに転入したわけか?」

「うん!」っと葵は元気よく頷いた。智也としてはそんなに思い出はないが、葵にとってはそれがとても大切のようだ。そこで智也は先ほど思った疑問を葵にぶつける事にした。

「じゃあ……昨日のアレはなんなんだよ?」

「あぁ……アレね。最初会ったときは、お兄ちゃんだとわからなかったんだけど、カフェで話してる内に智也お兄ちゃんだと気付いて……。でもでもお兄ちゃんはまったくボクのこと気づいてないから意地悪しちゃったんだ……てへっ♪」

「ごめんねお兄ちゃん♪」っと少し舌を出し冗談交じりにそう答えた。だからあのときちょっと怒り気味で、しかも俺の苗字も知ってたわけか。続けて智也は葵に質問する。

「それとさっき不良達に囲まれているときに何か呟いてたのは?」

「あれをボクは『スイッチ』って呼んでる。電源をオン・オフするあんな感じ。うーん、上手く説明できないけど……一種の自己暗示になるのかなぁ?」

 聞けば葵はスイッチをオン・オフと切り替えられるように、自分の思考能力や性格を様々に変えられるらしい。ただ身体能力・反射神経・知能などは変えられず、元のままらしい。つまりは自分で思い込む力。だから自己暗示と答えたのだろう。

「それだけで……っつたら変だけど、あんなに強くなれるものなのか?」

「なれるわけないよ。だって筋力が増えるわけでもないしね。瞬間的に元々ある能力を100%引き出す感じかな?」

「『火事場の馬鹿力』ってやつか?」

「そうそう、そんな感じの認識で合ってるよ♪」と笑いながら答える葵。

「う~ん。簡単に説明するなら……例えばこたつに足の指を思いっきりぶつけるよね。それってすっごく痛いよね? でも痛くないと自分で思えば痛くなくなる。つまりは『痛いの痛いの飛んでけ~♪』の強化版って感じかな」

「おまっ、それって最強じゃねぇか?」

「ん~っ。そうでもないよ。だって100mを10秒で走れるからと言って、そのペースでフルマラソン42・195キロを走れるわけじゃないからね。疲れもするし、何より体力が続かないもん。身体能力は『元』のままだしね」

 だろうな。もしそれができたら世界新なんて軽いモノだろう。

「あとは護身術と武芸を少々習ってたくらいかな」

 だからあっさり不良を倒せたわけだな。「他に聞きたいことは?」と聞かれ、

「ここって転入できたのか?」

「そりゃ~できるよ。まぁ色々と難しいけどね。あとはコネか、にゃん♪」

「にゃんにゃん♪」っと右手を握り招きネコを真似る葵にゃん♪

「他に質問はないかにゃ、お兄にゃん?」

「あ、あぁ……」

 これで大体のことは解かった。あと半端なネコ語はやめとけ。普通にカワイイからな!!

 ぐーっ。突如として場に似つかわしくないお腹の音が聞こえてきた。そういや、昼メシがまだだったな。そんな智也に答えるようにキンコーンカーンコーン♪ と昼休みが終えるチャイムが聞こえてきた。

「お昼食べ損なっちゃったね。でもそんなときにはコレだよ♪」

 っと葵は主食用のパンを差し出す。

「これは?」

「もうお兄ちゃん知らないの? パンだよパン。お菓子がなければパンを食べればイイジャナ~イ♪ で、有名なあのパン♪ こんなこともあろうと、さっきレストランから貰っておいたんだ。2つあるからね。はい、どうぞ♪ ……あっにゃん♪」

 きっと自分の設定を思い出したのだろう、付け加えたように語尾に『にゃん♪』とつける葵にゃん♪ さすがに今から昼メシにありつけないだろう。素直に葵の好意に甘えることにしよう。パンをかじりながら教室まで走る。水なしでキツイがそんな贅沢は言ってられない。

 授業開始時間ギリギリなんとか間に合った。

「ほんと、ここ最近こんなんばっかだなぁ~……」

 とトラブル続きで、やや空を遠くを見つめる智也。

「んにゃ?」

 葵は何食わぬ顔で隣の席に着いた。

「(……そういやコイツ隣の席だったな。色んなことがありすぎて忘れてたわ)」

 それからは普通に授業を受け、やがて放課後になり智也は帰ろうとする。

「あっお兄ちゃん帰るの? せっかくだし一緒に帰ろうよ♪」

「一緒に、って言っても俺は寮住まいだぞ」

 学園から寮まで数分の距離、一緒に帰るにしては短すぎた。

「うん? だからボク『一緒に』って言ったんだけど……」

 どうやら葵も智也と同じ寮に入っているらしい。とりあえず葵と一緒に寮に帰る。そして智也の部屋に着き「また明日な!」っと別れようとするが、なぜか葵も一緒に部屋に入ってきた。

「ちょおまっ、一体どこまで付いて来る気なんだ!?」

「だってボクもここの部屋だよ♪ 席も一緒、部屋も一緒、ほんとすっごい『偶然』だよね♪」

「(……はっ? いや確かに前の奴が退学して一人部屋なんだが。でも偶然にしてはあまりにも出来すぎじゃないか?)」

 と思っていると、

「まぁ実を言うとボクがお兄ちゃんと一緒にってお願いしたんんだよ♪ ちょうど良いタイミングで部屋も空いてたしね♪」

「(お前が原因かよ。それはもう偶然ではなく、もはや必然行動だろうが! もしかしてルームメイトが退学したのもコイツが……)」

「や、やだなぁ~お兄ちゃん……さ、さすがにそれはないよ。お兄ちゃんと一緒の部屋になりたいからって、ボクの為に生徒を退学させたりはしないよぉ~♪」

 葵が先回りするように言う。

「(何コイツ? 相手の思考を読み取る超能力でもあんの?)」

 訝しげに葵を見ていると、

「ちなみにだけど、相手の思考までは読めないよ……あっにゃん♪」

 などと冗談交じりにウインクする葵にゃん♪

「……なんかもうどうでもいいや」と疲れからか智也はベットに倒れこみ、考えること自体を放棄した。

「……なんか疲れたから、俺少し寝るわ」

「あっ、うん分かったよ。それじゃあ、ボクはその間に荷物の整理でもしておこうかな♪」

 そして智也はそのまま眠りについた。

 それから暫く経ち、目が覚め気持ちが落ち着き、頭の整理ができたところで葵と色々な話をした。里親に引き取られてからここにたどり着くまでの経緯。智也も葵と別れてから今までの事を簡単に説明した。

「へぇ~、じゃあ朝子お姉ちゃんのおかげでフィリス学園ここに入れたんだね♪」

「おかげというか、原因というか、なんとゆうか……。何でもここの理事長と幼馴染だかなんだかで仲が良いらしく、半ば強引に入学させられたんだわ」

 そう語る智也の顔は呆れにも諦めにも見えた。

「……そうなんだ。まぁ『普通』なら入れないもんね、ここ」

「お前もコネって言ってたけど、親かなんかのか?」

「まぁ……ね。そんなとこだよ」

 葵の返事には少し間があったが、そんなこと無理に聞く必要がないし、また興味もなかった。なんせここにいる連中は親のコネが大半だからだ。そもそも入学の条件からして『まとも』に入れるわけがないしな。

「そういえば転入ってことは、今までどっかの学校に通ってたのか? 県外か?」

「ううん県外じゃないよ。この近くにあるじょ……ち、近くにある学校に通ってたんだ! そしてお兄ちゃんがここに通ってるって知ってね。だ、だからここに転入したんだよ!」

 また間があった。しかもかなり動揺していた。葵には人には言えない何か隠し事があるのだろうか?

 時折強引に話題を変え、誤魔化すような言動があったのだ。それが何かはわからないが、今のところ気にするだけ無駄になるだろう。

 それからというもの、葵は智也の後を「にゃーにゃー♪」と子猫のようにいつも付いて回るようになっていた。寮ではもちろん、サイクリングするとき、ご飯を食べるとき、歯を磨くとき、寝るとき、風呂とトイレと着替えるとき以外はいつも一緒で、教室でも隣の席なので本当にいつも一緒にいる当たり前の存在になっていた。

 普通ならそれを煩わしく感じるだろうが、そこが葵の上手いところでもある。智也が一人になりたいと思ったときに葵の方から気を利かせてくれたりして、適度な距離間を保っていたのだった。そんな葵に少しずつではあるが、智也は好意を寄せるようになっていた。

 朝子が亡くなってからというもの、こんなに親しくできる人間は智也の周りにいなかった。自分が施設出身であるという負い目、周りとの育った環境の大きな違いや常識、そのどれもが智也にとっては異質だった。

 だからこそ余計にいつも傍にいる同じ境遇の葵のことが余計に気になったのかもしれない。葵の見た目は「とってもカワイイ女の子」と言っても過言ではないし、料理・洗濯・掃除と家事がなんでもでき、男じゃなければ是非ともお嫁さんにしたいタイプであった。

 頭の方も学年トップクラスで、腕っ節もそこらの不良には負けない、運動神経も良い、何をやらせても卒なくこなし、まさに理想的と言えよう。ただし『男』だということを除けばの話だ(ここ重要)。

 智也は悩んでいた。いやすっごく悩んでいた。いくらカワイイ顔でも葵は男なのだ。もちろん智也にはそっちの気はないのだが「葵なら男でも……」っといけないと思いつつ、そう思ってしまうのだった。

 そんなあるとき、葵の下駄箱に手紙が入っていた。その手紙とはラブレターだったのだ。「男子校でラブレター?」正気とは思えない行動と思われるだろうが、実際になくもない。むしろありえなくもない話である。何を言ってるかわからないだろうが、これを書いている作者も何を言っているか正直わからない(断定)。

 特に葵のようにカワイイ顔をしていると「男の娘でもいいや……」と言った気持ちになってしまうのがいてもおかしくない。かくゆう智也もその一人なのだから。

 葵は当然それを断るのだが、智也の心境を変えるには十分だったに違いない。兄として慕う弟みたいな葵に対して、いけないと解っていても恋心を抱いてしまう。

 ダメなこと、絶対に実らないことと知りつつも、その気持ちだけは抑えられずに日を追うごとに強くなっていた。そしてついに智也は葵に対して、自分の気持ちだけでも伝えようと決意をする。「だがもし断られたらどうしよう、今の関係が壊れてしまう、もしそうなったら俺は……」などとそんな気持ちが交錯する。

 そうこうするうちに、今度は智也の下駄箱にラブレターが届いた。もちろん智也の答えは「ノー」なのだが、一応の礼儀として相手に面と向かって断ろうと、指定された校舎裏で放課後に待っていた。だが、そこに現れたのはなんと葵だったのだ。


「なぜ? どうしてここに葵がいるんだ?」そんなことを思い、面食らう智也に葵からこう告白された。

「初めて逢ったときから、ずっとずっとお兄ちゃんのことが大好きでした。ボクの気持ちに答えられないのは解かってるけど……それでも! それでもこのお兄ちゃんに対する想いだけはどうしても伝えたくて……」

 そう葵から告白されてしまった。葵の目には涙のようなモノが今にも流れ落ちそうだった。智也と葵は同じ想いだったのだ。そのこと、そして葵からの告白が智也を勇気付け、今度は智也からこう告白した。

「葵……お前の気持ちすっげぇ嬉しい。ほんとは男同士で、こんなこといけないんだろうけど、俺、お前に対する今の気持ちが抑えられない! ほんとは俺の方から告白するつもりだったけど、もし葵に断られたら今のこの関係が壊れると思ってできなかった。いや、お前に告白する勇気がなかったんだ! だからこれだけは俺に言わせてくれ! 葵、俺はお前のこと好きだ! 大好きだ! 俺と付き合ってください! お願いします!」

 智也は右手を差し出し、頭を下げ一世一代の告白をした。葵は「もちろんだよ!」と返事をする代わりに頷くと嬉しさからか、泣き出してしまう。泣いている葵を慰めるように強く強く優しく抱きしめ、そして唇を塞ぎ、初めてのキスをする。智也と葵の関係が、兄と弟の『兄弟の関係』から『恋人』になれた瞬間だった。

 智也と葵は10年越しにやっとの想いで恋人になれたのだが、『男同士』といった手前周りの友達にも宣言できず、堂々と恋人らしくデートなどはできなかった。隠れながらの交際は「二人だけが知る秘密♪」と逆に背徳的でより親密な関係になっていた。

 そんなある日の放課後、教室で葵は珍しく腕を組み何かを悩んでいた。

「んっ? 葵そんなに何に悩んでんだ? ……って進路調査か?」

「あっ、お兄ちゃん♪ ……う、ん。進路調査で悩んでいるんだよぉ~……はぁ~」

 いつもの元気な葵には珍しく元気なく落ち込み気味でため息をついていた。

「あっ、そうだ! お兄ちゃんは進路どうするの!?」

 葵が「是非とも参考にしたい!」と目を輝かせながら聞いてくる。

「俺か? 俺は……とりあえずここを卒業したらすぐにでも働きたいな。自分で部屋を借りて生活して生きたいと思ってる。今のバイトも嫌いじゃないが、生活していくには金額的に厳しいからなぁ……」

「あっ……そっか。お兄ちゃんは就職するんだね。ボクはどうしようかぁ~」

 葵にしては珍しく悩んでいる。いつも冗談交じりに笑っている元気がそこにはなかった。

 こんな葵は見ていたくないと思い、智也はこう告げた。

「と、とりあえず就職か進学かだけでも決めとけば、大体の方向性が決まるだろう。あとはもし叶えたい夢でもあればそれに向かって行動する……とかな!」

「そっか……夢かぁ~」

 そう呟く葵はどこか寂しげだった。

「なぁ葵。唐突なんだけどさ、…………お前の夢ってなんだ?」

「ボクの? ふふっ…………現実的にはお兄ちゃんのお嫁さんかな♪」

 冗談交じりにそう言う葵だったが、智也は笑わなかった。

「だったら……現実的じゃない夢の方はなんだよ?」

「あっ……そっち聞いちゃう?」

 葵はなんとも言えない笑いをする。

「ボクの夢は……F1ドライバーになることかなぁ~……なんて、ね(笑)」

 冗談交じりに笑いながらそう言うがきっと本気の夢なのだろう。

「F1? サーキットとかのアレか? そ、そうなのか……」

 F1とはフォーミュラ・ワン世界選手権の略であり、4輪自動車レースの最高峰と呼ばれ、時速300km/hを超えるスピードで1万分の1秒を競ってサーキットを駆け巡る。数あるスポーツの中でも1番苛酷で一瞬の判断が簡単に死を招く。それはスポーツと呼ぶにはあまりにも危険かつ狂気であるとも言われている。

 モータースポーツに興味のない人にとっては、ただサーキットを周ってるだけにしか見えないが、そこには現代の技術のすべてが詰まってると言っても決して過言ではない。そこで培った技術は一般車などにも知らず知らず確実に応用されているので、興味のない人にもその恩恵はあるのだ。

 車に乗らずとも、物を買うといった行為自体が既にそれにあたる。ちなみに日本国内のモータースポーツにおいてはF3のカテゴリーが最高である。

「ボクなんかがF1ドライバーになりたいなんて、ほんと笑っちゃうよね。あははっ……」

 っと乾いた笑いをする葵。それは諦めにも似た笑いなのかもしれない。

「……いや、笑わねぇさ。それがお前の本当の夢なら尚更な! ……ほんとはなりたいんだろ?」

「お兄ちゃん……うん♪」

 智也の真剣なその言葉に、葵は目が少しうるうるしていた。それを誤魔化すようにごしごしと制服の袖で拭う。

「もしお兄ちゃんが応援してくれるなら、ボク頑張ってみようかな♪」

「応援?」

「お兄ちゃんはボクのこと応援……してくれないのぉ?」

 葵の目がまたうるうるとしだし、もししっぽがついていたのなら元気なさげにペタン……などと萎れていただろう。

「あぁ~もう! わかった、わかったから。応援でもマネージャーでもしてやるよ! だからそんな顔するな。葵が……こ、恋人がさ、そんな悲しそうな顔してると俺だって……」

 っと照れながらに言う智也。

「あ~もう、お兄ちゃんはカワイイなもうぉ~♪」

 ぎゅ~っと葵が抱きついてくる。

「お、男にカワイイとか言うな! そんなこと言われても全然嬉しくともなんともないぞ!」

「え~っ。ボクは『カワイイ』って言ってくれたら嬉しいよ。特に好きな人にならね♪」

 っとウインクしながら、恥ずかしいことを言ってくる葵。

 それから智也と葵は一緒にどうすれば夢を叶えられるかを調べた。モータースポーツ未経験の葵にとって1番手っ取り早い近道はどこかのレーシングスクールに入り、そこでスカラシップ(奨学金制度)を獲得し、レーシングカートを経てFJ《フォーミュラ・ジュニア》、F3またはF4、マカオF3、最後にF1ドライバーにたどり着ける。

 こう聞けば実に簡単そうだが17歳という年齢は若いように思えるが、カートを始めるにはあまりにも遅すぎる年齢である。もしカート始めるなら才能のあるなしに関係なく、最低でも小学校低学年から始めるのが一般的なのだ。

 また費用もスクールなら数十万、カートなら数百万、フォーミュラ以上になると数千万以上の費用が毎年最低でもかかる。チームかスポンサーがつけば話は別だが、大半は自分で費用を持ち込む自腹が当たり前なのだ。

 それだけの資金を集められて、初めてレースに参加できる資格が得られるのだ。それにはドライバーの実力は一切関係ない。なぜならドライバーになれる資格がまさににそれなのだから……。モータースポーツが他のスポーツのように実力だけが問われるのではなく、また一線を画く1番の理由がそれなのだ。

 そもそも金がなければどんなに本人の実力があろうとなかろうと、レースに……いやドライバーとしての適性検査にすら参加する資格が得られないのだ。「何よりもまず、資金が1番重要!」そこはフィリス学園と似ているところだろう。

 ここまで調べてとりあえず何よりも資金が1番重要であると大本に気づき、まずは葵の両親に夢を話すことが1番の近道だと考えた。

「恋人だし、俺も一緒に話をしに行くか?」と聞いたら「やっぱりこうゆうことは自分で言わないといけないから」と葵に言われ、智也はその葵の考えを尊重することにした。そして週末の土曜日の朝、学園の近所だという実家に葵は帰っていった。部屋には智也が一人だけ残された。いつも一緒にいる葵がいない。

 それは智也が生まれて初めて味わう寂しさ……だったのかもしれない。母親に捨てられたときよりも、朝子が亡くなったときよりも、その心の寂しさは大きかった。葵が来る以前なら考えられない感情だった。そこで改めて智也は、葵のことが好きなんだとより実感した。そしてその日の夕方に葵は帰ってきた。葵はとても良い笑顔で、「ママから2つ返事で承諾してもらえたよ!!」と喜んだ。

 そしてすぐさま1番近くにある伏見レーシングスクール・フォーミュラ(FRSーF)に体験スクールに申し込んだ。応募条件は、満15歳以上で持病がなく身長が160cm以上の健康な男女。また費用が数百万円するらしい。智也は「適性検査を受けるだけで数百万もすんのか!?」と驚いていたが、それは検査を受けるだけの費用だった。実際の走行でマシンやコースを壊した場合は別途であり、ちなみにマシンを全損させると軽く1000万コースらしい。っと葵から話を聞くと智也は愕然とした。

 葵は年齢は16歳とギリギリ。身長は160・1cm……っとギリ、本当にギリセーフだった(笑)。応募締め切り日も3日前でホントにギリギリ間に合ったのだ。そして、スクール体験当日の朝を迎えた。


「うぅ~、緊張するなぁ~」

「いつもどおりの葵で行けば大丈夫だ!」

 そう励ます智也もかなり落ち着かない様子だった。応募から3日、心の準備をする時間もなかったのだ。そうこうしている内に、講師が数人教室に入ってきた。

「みなさん、おはようございます。それではこれからFRSーF体験スクール講習を始めます。午前はレースにおける基本的なルールやカートの構造など座学がメインです。午後からは実際にカートに乗っての実地となります」

 などと講師の人達が簡単にその日のスケジュールを説明をしてくれた。

 智也は付き添いという形で葵と一緒に座学の講習を受けていた。基本的に保護者が最低一人付き添う。座学では赤旗や青旗の意味を習い、周回遅れでラインをゆずる時の注意点などレースにおける基礎、普通の車とレーシングカートの違い(主にタイヤ特性とブレーキング)などが中心だった。そして昼食を挟み午後の実地になる。

 カートは愚か、車すら運転したことのない葵は見るからにガチガチに緊張していた。

「お、お兄ちゃん、ヤバイ、ボク盗んだこのカートで逃げ出したいかも…………」

「バカ、せっかくここまで来てんだから。それにこれくらいで逃げるようじゃ、レースなんかできないぞ! ……ってか葵、実はお前結構余裕あるだろ」

「てへりっ♪」といつもの葵のようになっていた。そうか。そういえば葵にはスイッチ(自己暗示)があったんだよな。こんなときには便利なものだ。

 そして「それでは名前順で5人ずつ乗ってもらいます」とカートの前で指導員からそう告げられた。今回のスクールには葵を含め10人ほどの参加者がいた。葵は『倉敷』なので最初のグループに呼ばれた。

「そ、それじゃ、お兄ちゃん行ってくるからね」

 それでも小刻みに震える葵に智也は、葵の手を握り「お前なら大丈夫だ」っと安心させた。「うん♪」と力強く頷き、葵の名前が呼ばれた。

 広いピットレーンからカーナンバー3の青色のカートに乗り込む。講師が各生徒の身長や足の長さにシートを合わせる。葵のように身長が低い生徒には、クッションなどを間に入れ調整するようだ。

 カートはFJ(フォーミュラジュニア)に使われるモノと同じだった。マニュアル式なのでまずはクラッチを繋いでスタートしなければならないのだが、葵の前にいるカートが次々と出発して行くのに葵だけはぷすんっ……とクラッチを繋ぐのに失敗してエンストしてしまう。

「おいおい、葵のやつはあんなんで大丈夫なのかよ……」

 智也の心配ももっともだ。既にスタートしていないのは葵だけだったのだ。

「ま、大丈夫だろ。初めて運転するならエンストくらい誰でもするさ。それに『そんなこと』じゃ評価されねぇから安心しろよ」

 っと隣にいた若い講師に声をかけられる。確か現役F3で活躍している石井選手だと午前の講義で聞いたような気がした。

「あ、あのそれって……」

「ああ。俺も去年コレに参加しててな。それがよ今のアイツみたくいきなりエンストしちまってさ。さすがにあのときは焦ったのなんのでよぉ~(笑)」

 っと去年の失敗を笑いながら話してくれた。「そうゆうものなのか? それでも選ばれてここにいるんだから葵にも可能性もあるんだよな!!」っと智也は内心思った。

「おっ!やっと行ったみたいだな」

 ブーン。ようやく加速し葵もやっとスタートを切った。走行中は旗とボード、そして無線で講師とやり取りをする。走らせながらその中で講師が色々と指導をする。ブレーキをかけるタイミング、アクセルの開け方、それらがすべてデータとして分析され、即時アドバイスがなされる。

「お前のツレ…………なかなか筋がいいな」

「そ、そうなんですか? でもスタート失敗から……」

「だからエンストなんて関係ねぇって! これはオフレコだけど、このスクールは上手い奴が選ばれるわけじゃねぇよ。むしろ下手でも『短期間で成長できる奴』が選ばれるだ」

「俺みたいにな!」っと、にこっと笑いながら石井が付け加えた。

 レース前では走行時間と走行距離が厳しく制限される。これが他のスポーツなら練習時間がいくらでもあり努力すれば結果に結びつくが、モータースポーツだけは違うのだ。

 そもそも練習として走らせるだけでも、数百万と相当な金がかかるし、また人員も多くいる。レース主催者側としてはドライバーの公平さを保つために、走行距離と時間を厳しく規制するのだ。

 だからどんな環境下でも適応できる人間だけがレースドライバーとして選ばれるのだ。

 そしていつの間にか、葵は上から数えるほど早いタイムを叩き出していた。

「やっぱ葵はすげぇんだな……カートは初めてなのに」

 初めてカートというものを体験し、練習もせずこれだけ早く走れる葵にとても関心する。たぶん葵は走行中でもスイッチを使い分けているのだろう。じゃなければあんなに緊張してたのに、こんな冷静に走れるわけがない。

「ありゃ相当な素質あるぜ。カートは素人とはいえ、さすがロードレースのJrで優勝するだけのことはあるな。基本的なタイムの出し方を知ってやがる。それに体も基礎ができてるようだしな」

「えっ? ロードレースで優勝??? あの葵が!?」

「なんだ知らなかったのか?」っと言った石井選手が逆に驚いた。

「アイツの履歴書にそう書いてあったぞ。まぁもっとも前の学校では、自転車部なんてものはなかったらしいから、アイツ個人で参加したんだろうな」

 そんなこと葵からは一度も聞いたことがなかった。どうりでロードが速いわけだ。

「お前ら『きょうだい』なのに、そんなことも知らなかったのか?」

 どうやら石井さんは葵が「お兄ちゃん」と呼ぶから、智也達を兄弟きょうだいと勘違いしたようだ。

「ま、苗字も違うし、複雑な事情ってやつがあるんだろうなぁ……」

 石井はどうやら智也と葵の間に事情があると勝手に勘違いしてくれたようだ。

 そして30分ほどの練習走行が終わり、ピットレーンに葵の青色のカーナンバー3が戻ってくる。智也は葵の元へ駆け寄る。カートから降りヘルメットを脱ぐと顔は汗でびっしょり濡れ、髪をボサボサになっていた。智也は持っていたミネラルウオーターを差し出した。

「葵、おつかれさま。大丈夫だったか?」

「お兄ちゃん! すっごく楽しかったよ♪」

「ありがとう」と智也から水を受け取ると1口飲む。

「カートって大変なんだな……」

「ああ、これ? まぁ、ね。たった30分の練習走行でこれだもんね」

 そう言いながらタオルを受け取り、顔や髪の毛を拭く。

「でも最初エンストしたときはビックリしたぞ」

「あはははっ。お兄ちゃんよりもボクの方が驚いたよ。あの半クラッチ? ってのが意外と難しいんだよ。でもあとは上手だったでしょ♪」

 っとちょっと舌を出しながら、冗談交じりにそう言う。

「ふん。確かになかなかだったぞ。お前素質あるかもな。ま、俺には遠くおよばんがな」

「この人誰?」っと聞く葵に現役F3で活躍している石井選手と伝える。

「ありがとうございます。石井さんのような方にお世辞でもそう言って貰えると嬉しいですよ!」

「聞こえてんぞお前ら!」っと葵の頭を軽く叩く素振りをみせる。他の講師と違い意外と冗談が通用するらしい。

「……今のタイムならまず『今日は』残れるだろうな。ま、後は後半の奴ら次第だが……。ま、なんとかなるだろ」

「マジっすか!」と驚く智也に「これもオフレコだから口外すんな!」と石井が口に人差し指を当てて冗談っぽく言う。

「お、お兄ちゃん!」

「葵……これはもしかすると、もしかするかもしれないな!」

 まだ決まってもいないのに抱き合って喜びを分かち合う二人。そして後続グループのタイムを見るために、ピットレーンの中にあるタイムシートが出ているモニターの前に立ち尽くす。

 今のところは葵がトップタイムだった。だがまだ走り始めなのでわからない。次々に名前が入れ替わる。石井も葵や智也の隣にやってくる。

「石井選手? ここにいていいんですか?」

「ん? ああ、俺は前のグループ担当だからな。今は休憩中、休憩中……っと、あとなんで俺の名前が疑問系なんだ?」

 コーヒー片手にタイムシート画面を見つめている。「いや、さっきも俺とずっと喋ってて仕事してなかったし!」と内心智也は思った。

「コイツ、コイツが特に要注意だな。始めは下の方だったのに、いつの間にか着実に早いタイムを刻んできているぞ」

 石井は現在5位の名前を指差す。そこにはローマ字で『Kazuya Otsu』と表示されていた。

「かずやおおつ……大津一哉!? なんでアイツがここに!?」

 そうフィリス学園の生徒会長で葵と智也に絡んできた上級生の名前がそこにはあったのだ。

「なんだお前ら知り合いなのか?」

 石井は智也が大津の名前を口にしたことに驚いていた。

「え、ええ、同じ学園に通ってる1コ上の先輩……なんです」

「そうなのか!? もしかしてフィリスってレベル高いのか?」と何かを考えこむ石井。

「……お兄ちゃん」

「大丈夫だ。まだ葵がトップだし、それになにかあってもお前のことは守るからな!」

 なぜ大津がここにいるかはわからないが、何かあっても葵だけは守る。智也の服を掴んでいる葵の手の上に安心させるように手を重ねる。

 そしてポン! っと大津の名前が上から2番目、つまり葵の下まできたのだ。

「おぉ~、こりゃ見物だな」

 っと何故か嬉しそうにする石井。この状況を楽しんでいるようだ。葵のタイムは1周36秒01、対して大津は36秒23。それ以下は37秒台がちらほらいるくらいだった。実質葵と大津との一騎打ちの形になる。

「……ここらあたりだろうな」

 石井はそう呟いた。「何が?」と智也は聞こうとしたがその前に時間になってしまった。

 後半グループもピットレーンに帰ってくる。赤のカーナンバー1番から男が降りてくる。大津だ。パッと見、ひ弱そうな感じとは裏腹に何かを感じる。

大津はヘルメットを脱ぐとすぐさまこちらを見つけ、少しだけ「にやり♪」と笑う。それがなんだか余計に気色悪かった。

「おやおや~、誰かと思えば智也君と葵君じゃないですかぁ? こんなところで『偶然』出逢うとは、なんともはや運命を感じますね♪」

 オーバーリアクションで偶然と運命を嫌に強調する大津。「そんな運命お断りだよ!」っと言うように葵が少しだけ「ベ~っ」と舌を出す。

「大津……なんでアンタがここにいるんだ?」

「……目上の人にはその後に『さん』か『先輩』と付けると好印象ですよ。智也君」

 アンタの好印象なんかいらないと言わんばかりに、智也は大津に詰め寄る。

「な・ん・で、アンタがここにいるんだよ!」

「智也君は分かりきったことを聞くんですね。私もカートというモノに興味があったんですよ。だから応募してしたんですが、飛び入りだったのが災いして葵君とは別に、後半のグループに追いやられて、今に至るわけですよ(くくくっ)」

 どこで嗅ぎつけたかわからないが絶対ワザとだ。でなければ、飛び入りで参加するはずがない! だがここでそれを問い詰めたとしても煙に巻かれるだけだろう。

「うーん、それにしても惜しくも葵君に次ぐ2位ですかぁ~。……いやはや葵君はロード(自転車)だけじゃなく、カートも速いんですねー」

「「っ!?」」

 その言葉に葵と智也は驚く。

「(なんで大津は葵がロードをやってることを知ってるんだ? もしかして……葵のこと調べたのか!?)」

「おやおや智也君のその様子だと、葵君が『ロードJrで優勝したことがある』ということを既に知ってるんですね?」

「えっ!?」

大津のその言葉に今度は葵が驚く。

「お、お兄ちゃん知ってたの?」

「あっいや、……さっき石井さんに教えてもらっただけだ」

 智也は慌てて取り繕う。本来なら慌てるのは隠していた葵なのだろうが、隠していたことを知ってる智也の方が動揺してしまう。

「葵君……今智也君のことを『お兄ちゃん』と呼びましたか? ……いやはや、なんとも羨ましい響きですねぇ~っ!! 私も智也君に『一哉かずやお兄ちゃん(ハート)』っと呼んで欲しいくらいですよ♪」

 ゾゾゾ~ッ。っと背中に寒気が襲いかかってくる。

「(えっ? なにコイツそっち系なの? あっいや、まぁ……俺も人のこと言えないけどね)」

「お兄ちゃんはボクだけのお兄ちゃんです! 大津先輩はどっかあっちの方にでも行って下さい!」

 シッシッ。葵はまるで野良犬でも追い払うように手真似をした。

「おやおや、葵君に完全に嫌われてしまいましたね。ま、私には大本命の智也君だけいればそれでいいですけどね♪」

「また気色悪いことを言いやがって……」智也はそんな表情を顔に出してしまう。……とそこへ、

「それではみなさん着替えてから、先ほど講習を受けた教室に戻ってください。30分の休憩を挟んだ後、そこで今日の結果と明日の予定を発表します」

 そう講師が指示する。葵は着替えに行き、智也は先に教室に戻っていく。

「それではみなさん、お疲れ様でした。初めての経験で疲れたと思いますが……」

 講師が話しを続けるが、智也の頭には大津のことが気になって集中できていない。

「お兄ちゃん、ちゃんと話聞かないと」

 裾を引っ張られ葵に注意されてしまい、意識を講師の話に集中することにした。

「では結果を発表します。名前を呼ばれた人はこの場に残ってもらいます。残念ながら名前を呼ばれなかった人は退室して、隣の部屋に移ってください」

 その容赦ない言葉に智也は驚く。ダメな奴はささっとここを去れってことなのか。

「それでは、倉敷葵さん、大津一哉君、秦加奈子さん……」

 次々に名前が呼ばれる。きっとタイム順なのだろう、葵は1番始めに呼ばれ、大津が2番、3番目はなんと女の子だった。「女の子でもレースドライバーになれるんだなぁ~」と智也は関心していた。そして名前を呼ばれなかった人が退室する。涙を流す者、落胆し言葉を発せない者、その姿は死人そのものだった。

「それではこの4人で明日も講習を続けます。明日は朝からカートを使ってサーキットで走行してもらいます。午前は今日と同じく、午後からはタイムの良い人はニュータイヤに履き替えて走行してもらいますのでそのつもりでお願いしますね」

「(ニュータイヤ? タイヤを履きかえる?)」

 聞きなれない言葉に疑問に思う智也や他の保護者に対し、

「ええ。今日は『オールドタイヤ』……つまりは『使い古したタイヤ』で走行してもらいました。いくらスクール講習のカートとは言えども新しいタイヤは高いですからねぇ~、タイムが遅くこれ以上『望みのない人』にまで履かせることはできませんのでね!」

 講師のその冷酷な一言に智也を含め保護者達は動揺を隠せない。既にスクール講義の時点で、過酷な競争は始まっているのだ。

 だが葵を含め選手達は既にその意味を理解しているように冷静のまま、真剣に講師の話を聞いているだけだった。

『モータースポーツの世界とは『実力』と『金』を積むことで、初めてゲームに参加できるのだ!』

 明日の説明を一通り受け今日は解散となり、先ほどの雰囲気を打って変わって葵はとても明るかった。1次予選を通過したことがとても嬉しいのだろう。もちろん智也も嬉しかったが、色々なことあって困惑した。

「(大津のこともそうだし、明日からのことを考えると……)」

「どうしたのお兄ちゃん? ボクが1次予選通過したのに嬉しくないの?」

 しょんぼりした様子で葵が聞いてくる。

「あ、いやいや、嬉しいよ! 嬉しいに決まってるだろ!! ただ……俺が想像していたよりもレースの世界って厳しいんだなって思ってさ」

 先ほどの講師の話が引っかかったのだろう。なんとも複雑な心境になる。

「あぁさっきの話ね。うん、厳しいよ。今日残れたからといって明日も残れるわけじゃないしね。それに明日は他の予選通過者もいるわけだしね。それに……みんな速いだろしね」

「他の?」

「うん、そうだよ。お兄ちゃん先生の話ちゃんと話聞いてなかったでしょ! 今日試験を受けた人だけが全員じゃないんだよ。何グループかに別けられてて、成績の良い人だけが明日の2次試験に残れるの。だからね、みんな速いだろうなぁ~……って思っちゃってさ」

 そうして葵は言葉を詰まらせる。

「(うん、通過ということは明日来る人も葵と同じか、それ以上に速い奴もいるのだろう。不安にならないわけがないよな?)」

「ま、明日の事を今から考えても仕方ないよ! とりあえず今日は残れたわけだしさ、……ぼ、ボクちょっとママに報告してくるね!」

 葵は不安を誤魔化すように、電話をするため智也の元を離れて行った。


 5分くらい過ぎると葵は電話をしながら戻ってきた。

「お兄ちゃん。あのね…………」

 いつもの葵とは違う。まるで何かを遠慮するかのように、おずおずと通話中のスマホを智也に差し出してきた。

「……はっ?」

 いきなりスマホを渡され戸惑う。

「ママがさ、お兄ちゃんと話したいって……」

「(ホワイ? なぜに?)」

 そう戸惑いながらも耳にスマホを耳に当てる。

「も、もしもし、えっと、お電話代わりました」

「まぁまぁ、あなたが智也さんですか? いつもウチの葵さんがお世話になっております。葵さんの母親の倉敷碧くらしきみどりと申します」

 馬鹿丁寧で綺麗な声が聞こえてきた。30歳くらいか? かなり若い声に思える。

「は、はい。俺が……いや、私が朝霧智也です」

「ふふふっ。そんな緊張なさらないで下さい。いつもどおりの口調で大丈夫ですからね」

 そうは言われても動揺は隠せない。

「あ、そうそうお電話を代わっていただいたのは、これから葵さんと一緒に家の方に来ていただきたいからなんですよ。智也さんはお時間の方は大丈夫ですか?」

「は、はい。どこへなりとも葵と一緒に行きます!」

 緊張からか変なことを口走る智也。スマホからは「まぁ。葵さんと仲がよろしいんですわね。ふふふっ」と慎ましい笑い声、また隣にいる葵も笑ってしまう。

「それでは葵さんのことよろしくお願いしますね。智也さん」

 と電話が切られる。

「ふぅ~」

 息をつく智也。葵はまだ笑いが止まらないようだ。お腹を抱え笑っている。

「あはははは。お、お兄ちゃんさっきの何なの? (智也の声真似しながら)どこへなりとも葵と一緒に行きます! だってさ、おっかしーの」

「うっせ、緊張してたんだ!」っと笑ってる葵を往なす。

「おいおい……ここが葵の家……なのか?」

(デ、デケエ。超豪邸だ。何の悪さしたらこんな家に住めるんだ?)

「うん?どうかしたの?」

「い、いやなに、葵って金持ちなんだなぁと思ってたな」

「あぁ~」と、まるでいつもそう言われているといった表情で葵が納得する。

「別にボクがお金持ってるわけじゃないよ。ママが会社の社長なんかしててね」

「(社長なのかよ!? ……でもあれ? 父親はいないのか?)」

 などと疑問に思ったが、聞けなかった。自分だって似たような境遇なので尚更だ。

「ママぁ~ただいま♪」

 ガチャリ。葵は玄関ドアを開ける。

「あらあら~、葵さんおかえりなさい。まぁまぁ暫く見ないうちにすっかり大きくなりましたわね♪」

 葵の頭に手を当て「大きくなったわねぇ~」っと撫でている。

 おっとりした和服美人がそこにいた。パッと見で30歳前後、葵と姉妹と言っても全然違和感ないくらいの綺麗なお姉さんって感じだ。

「もう~ママったら、先週帰ってきたばかりでしょ!」

「あらあら~そうだったかしら?」と答える葵の母親。確かに葵の夢であるモータースポーツをやりたいと親を説得しに行ったはずだ。 と、そこで碧は智也の存在に気づく。

「まぁまぁあなたがう・わ・さの智也さんなのね。いつも葵さんからお話聞いてますよ。葵さんとは恋人さんなんですってね。……もし良かったら智也さんも『ママ♪』って呼んでもいいですからね♪」

「(おいおい、葵のやつ俺と付き合ってるのもう話したのかよ!)」

「ママ! それは言わないでって言ったのに! もう~」

 葵はちょっとお冠のようだ。「あらあらそういえばそうだったわね」とおっとり返答する碧。智也は疑問に思ってたことを口にする。

「そ、そういえばどうして俺を呼んだんですか?」

 もっともな質問だ。

「う~ん。それはちょ~っと、ここでは言えないかなぁ~」

 碧はちらっと葵の方を見ながらそう言った。

「あ~っ、そうだわ! 智也君、……ちょっとおばさんとデートしない?」

 良いこと思いついたと言わんばかりに手を叩く碧。そしていきなりのデート宣言。それを聞いた葵が、

「ママ! デートってなに! ボクだってまだしたことないのに!?」

 葵はさらに怒る。わりと本気ガチだ。そういえば葵と付き合ってからまだデートをしたことがなかったのを思い出してしまう。

「ほらほらアレよ、アレ。『お前なんかに娘はやらん!』みたいなノリの感じのやつよぉ~♪ とりあえずそこにある金属バット持って行くわね♪(ハート)」

「そっか~、なら仕方ないよね」っと何故か納得する葵。

「(仮にもしそうだとしても、否定すべきだし、そもそも俺の前でそれは言うことなのだろうか。あと……その金属バットはどうするつもりなんでございましょうか!?)」

「あっ葵さんは先にシャワー浴びててね♪」っとウインクして家の中に押し込む碧。

 葵がいなくなったその途端、碧を包み込む雰囲気が変わるのを肌で感じた。先ほどのおっとりした雰囲気ではなく、冷たく突き刺すような鋭い感覚・殺気に襲われてしまう。

「……ここではなんですし、近くのファミレスにでも行きましょうか?」

 殺気を帯びた碧の視線に尻込むように、智也は頷き後ろを付いて行くだけだった。


「あなたの恋人の智也さんは預かりました。返して欲しくば今夜はママと一緒に寝ること。そして今はとあるお店(ファミレス)に来て二人っきり(ハート)でよろしくしちゃってます。てへりっ♪ っとこれで良~し! そーしんっと♪」

 碧は葵が心配しないようにメールを送っている。が、内容は余計不安を煽る感じだ。

「それが子供に送るメールかよ……」と呆れる智也だったが、口にしなかった。10分くらい歩いた近所のファミレスに来たのだが、そこに着くまで一切話さなかった。わざわざ葵がいない場所で話すのだから、それ相応の話なんだろう。

「コーヒー2つお願いしますね♪」

 碧は話の定番商品のコーヒーを店員に注文した。

「…………」

「…………」

 するとまもなく「お待たせしました~♪」と注文したコーヒーがテーブルに届く。その間互いに話さなかった。きっと話の途中で店員に話を遮られるのを嫌ったのだろう。

「私……周りクドイのってあまり好きじゃないの、だからこの際はっきりと言いますね。智也さん……ウチの葵さんと別れてくれませんか?」

 ほんといきなりだった。丁寧な口調だが目と言葉は鋭い。まぁ先ほどの雰囲気から薄々はそれだと気付いていたのだがな。

「それはやっぱり……俺と葵が『男同士』だからですか?」

 智也は探りを入れるように質問で返す。

「ま、そうね。智也君と葵さんは『男同士』だもんね。…………それも理由の1つかな」

「(それも理由の1つ? ってことは他にも理由があるのか?)」

 それを聞こうと質問しようとするが、碧の言葉で遮られてしまう。

「……やはり気になりますか?」

「ええ、そりゃまぁ……」

 他にどんな理由があるのだろうか。

「ですが、この理由を聞いたら葵さんとは元の……そして今の関係には戻れなくなりますよ。そしてなにより、智也さんはこの話を聞かなければよかったと必ず後悔されると思います」

「元に戻れなくなる……ですか?」

 元に……とは付き合う前の友達として、そして『今の関係』とは『恋人関係』の事を指しているのだろう。だが「それほどの理由が本当にあるのか?」もし仮にあったしても、それでも葵のことが好きだし、どんな理由があるにしろ俺が葵と別れるわけがない。智也はそう決意をし、碧に話の続きを促した。

「……その顔は聞く勇気があるみたいですね」

 碧は智也の目を見つめ、そしてその覚悟を察した。

「話は変わりますが、智也さん。……あなた、朝霧養護施設の出身なんですよね?」

「そのことが原因なのか!?」正直それを今この場で言われるとは思わなかった。だがそれなら葵も同じなはずだ。

「もしかして……それが今回のことに関係あるんですか? 葵も同じはずですよね?」

碧の問いに探りを入れる智也に対して碧はこう言葉を続けた。

「……ええ、葵さんもそうね。私が里親として引き取ったのがちょうど10年ほど前になりますね。あ、誤解しないで下さいね。別にそれが理由ではないんですよ」

 碧は安心させるようにそう微笑み返した。

「(えっ違うのか? てっきりそれが理由かと思ったんだが……)」

「実はですね…………私も同じ朝霧養護施設の出身なんですよ」

「えっ!? そうなんですか!?」

 これには普通に驚いた。こんな身近に同じ施設出身者がいるとは思っていなかったからだ。

「(なら何が理由なんだ???)」

「たぶん智也さんはご存知ないと思いますが……私と同じく朝子、いえ今は既に亡くなったのだから『今』ではおかしいのですが、朝霧朝子と名乗ってしたが彼女も私と同じ境遇なんですよ。あの子も元々は孤児だったんです」

「朝子までも!?」だったら朝子も俺と同じく朝霧の養子になったってことなのか?

「そして、もう一人。あなたの母親である葉月洋子はづきようこも同じ境遇で養護施設にいました」

「あの女が!?」智也はあの日自分が捨てられたことを思い出してしまう。

「やはり…………智也さんはそのことを知らなかったんですね」

 智也の顔色からそう感じたのであろう。

「…………」

 ショックから智也は言葉を発せなかった。

「話にはまだ続きがありますが…………聞きますか?」

 頭を前に倒し、頷くだけで精一杯だった。

「……それでは続けますね。私たち3人は小中高と同じ女子校で、いつも一緒でまるで本当の姉妹のようだといわれてました。あの日が訪れるまでは……」

「あの日?」

「ええ」と頷き、碧はそのまま言葉を続ける。

「あの日の学校の帰り道、洋子は買い物があるからと私たちと別れて一人で駅前に行ったそうなんです。ですが門限の時間になっても帰って来なく、朝子と私はずっと心配していました。でも朝になっても洋子は帰って来ませんでした。朝子を心配しながらも、もしかしたら学校に来てるかも……と朝子と一緒に登校したのですが、朝のホームルームで担任の先生から洋子が退学したと聞かされました。

 ほんといきなりで最初は何言ってるかわかんなかったんですが、どうやら洋子本人から退学すると電話があったそうなんです。そして施設に帰るとポストに洋子から手紙が届いていたんです。『理由は言えないけど、ここを去ります。ごめんなさい。』そう私と朝子宛に書いてありました。それ以降、洋子とは1度も会うことはありませんでした」

 碧はもう冷めてしまったコーヒーを1口飲み、言葉を続ける。

「もちろん警察に届けましたし、私や朝子、養護施設の方も心当たりを探したんですが、見つかりませんでした。学校では、男ができたとか子供を妊娠したから退学したなど色んな噂が広まってましたが、そんなもの朝子も私も信じてなかったのですが……。クラスメイトのある子が、お腹が大きくなってた洋子が産婦人科に入るところを見かけたそうなんです。だから余計にその噂が広まり……」

 碧はそのまま言葉をつまらせた。

「……それからどうなったんですか?」

 ショックを受けてる智也だが、なんとか声を絞り出し碧に話の続きをと急かした。

「それから6年後『ある男の子』が養護施設の玄関に捨てられてました」

 智也はそのことに心当たりがあった。いや、それは智也が体験したそのものだったのだ。

「雪が降ってたクリスマスのことでした。運よく朝子がその子を見つけ保護したそうなんですが、翌日手紙が届いたそうなんです。それは洋子からの手紙でした」

「(あの女から手紙が! そんなこと朝子や沙代子からもそんなことは聞いたことがない!)」

 と智也の心はとても困惑していた。

「手紙には『朝子、碧、この子(智也)をお願いします』とだけ書かれていました。すぐに洋子が書いた手紙だと気づきました。どんな理由があったのか知りませんが、あの日良くないことがあったのは分かりました。たぶん噂どおりだったんだと……」

 そう話す碧も暗く落ち込み、ハンカチを取り出し涙を堪える。

「洋子はとっても良い子だったんですよ! それが! それがぁっ!!」

 碧は涙で言葉を続けられない。

「だからと言って子供を捨てて、いいわけがないだろがっ! 俺はどうすればいいんだよ! あの女に捨てられて、今更そんなこと聞かされても!!」

 ダン! 怒りを表すようにテーブルを叩く。智也のところにあった冷えたコーヒーカップが倒れの見残しが零れる。それを碧は慌ててハンカチで拭いた。

「智也さん。ショックだとは思いますが……まだ本題ではないんです」

「これ以上何があるって言うんだ!」っと智也は碧の話に憤慨していた。

「実は、洋子の子供は双子だったんです。それも『男の子と女の子』の。男の子の名前は智也、そして女の子の名前は…………葵と言います」

「(い、今なんて言った?あの女の子供が『双子でしかも男の子と女の子?』名前が智也とあおい? 智也は俺のことだよな。あおいってのは……アオイ? 青い? 葵っ!?)」

「そ、それってもしかして……」

 喉がカラカラに渇き、言葉を続けるのが怖かった。だが無常にも碧は言葉を発する。

「今……智也さんが考えてるとおりです。葵さんは洋子の子供、そしてあなたの『実の双子の姉』なんです」

 その瞬間智也の世界から色がそして音が消えた。智也は目の前が真っ暗になった。金縛りにあったように体は動かず、声も出せず、何もできない。

「…………これが、私が智也さんと葵さんとの交際を認められない本当の理由なんです」

(もしそれが本当だしとしたら、葵は女? しかも俺の双子の実の姉だっていうのかよ!?)

「そ、そ、そんなこと信じられるか!!」

 バン! バン!! バン!!!! 先ほどよりも強く両手でテーブルを叩く。叩く。何度も叩いた。

「智也さんショックなのは分かりますが、どうか落ち着いて下さい」

 そんな言葉すら智也の耳には聞こえていない。店員が「どうかしたんですか?」と来たが碧が「大丈夫ですから……」と断りを入れ納得させた。

「葵が……葵が俺の『実の双子の姉』だったなんて…………」

 だが放心状態の智也はただ葵の名前を呟いているだけだった。

「この事は葵さん自身も知りません。ですから、酷だとは思いますができればあなたから別れを告げて欲しいんです。今ならまだ間に合うはずです」

 そう碧は言ったが、既に遅かった。智也と葵は恋人同士になり互いがいないと生きていけない、既にそんな関係になっていたのだ。

 ファミレスを出てから碧と別れると智也は一人、寮へと戻った。葵はそのまま実家に泊まり、明日もそのままサーキットに直行すると連絡があった。葵から智也に明日の朝家まで迎えに来て欲しいとメールがあったが、なんと答えたかすら覚えていない。

「……ほんと、どうすりゃいいんだよこの状況。…………なぁ朝子」

 それはまるで今は亡き、朝霧朝子にそう語りかけるよう智也は呟くことしかできなかった。

 朝子はちょうど1年前、智也がフィリス学園に入学すると同時期に朝子に子宮ガンが見つかり、検査入院したときには既に末期で手遅れだった。年齢推定33歳の若さであった。以前智也が朝子に年齢を聞いたとき、「おめぇ、乙女に年齢なんか聞くんじゃねぇよ!」と怒られ教えてくれなかったが、碧の話から孤児だったようで、自分でも本当の年齢を知らなかったのだろう。

 何より先ほど碧の話を聞くまでは恋人だと思ってた葵が女の子で、しかもお兄ちゃんと慕う弟のような存在だったのに、今では『双子の姉』だと言う事実。智也はその事実をまだ受け入れられなかった。

「(…………待てよ)」

 智也は碧の話を自分の頭でもう一度深く思い返した。

「(さっきの話……なにかおかしくねぇか?)」

 頭の中で何かが引っかかった。

「(そもそも葵とは実の双子の姉弟なんだよな? だったらなんで俺は『それ』を知らないんだ? そもそもあの女と暮らしていたとき葵はいなかったよな? それに俺と葵が初めて出会ったのって、俺が朝子に拾われてから2年ほど経ってからだ。それが今からちょうど10年ほど前になる。そしてすぐ(1ヶ月ほどで)に葵は今の親(碧さん)に里親に出されたわけだよな? だとすると……時系列がおかしいだろ)」

「(そもそも碧の話は本当なのか? そもそも『女が男子校』に入学できるわけがないぞ。だったら俺と別れさせたいが為に嘘をついてることになるが、先ほどの碧の話をしているときの態度に嘘は感じられなかった。ほんと、どうゆうことなんだこれは?)」

 いま朝子が生きてればすぐにでも詰め寄ってでも聞くのだが、それもできない。葵に直接話を聞こうにも10年以上前の話になるだろうし、そもそも智也ですら覚えていないことなので葵に直接聞いても望み薄だろう。

「(……ここはやっぱり葵の母親(碧)にもう一度話を聞くのが1番だよな)」

 そう結論付け「葵にはすまないが、明日の朝もう1度だけ話を聞きに行こう!」そう智也は思い、その日は葵が傍にいない部屋で一人眠りについた。碧の話を聞かされて、不安で不安で眠れないだろうと思ったが、意識を失うように深い眠りについた。

 翌日の早朝、葵には「体調が悪いからすまない」っと断りの電話を入れた。葵からは「お兄ちゃんほんとに大丈夫なの?ボクのことは大丈夫だから心配しないで早く治してね。あなたの恋人葵より(ハート)」と智也の不安を他所にラブコールを受けた。

 今頃葵はカートで走っていることだろう。今日が葵の人生、そして未来をを決める日になるかもしれない。そんなことを考えながら、智也は葵の母親に電話を入れた。昨日の別れ間際、碧から「何かあったら……」と念のために電話番号を渡されていたのだ。

 トゥルルル~。呼び出し音の後に「もしもし、倉敷ですが……」と碧の声が聞こえてきた。智也は今から昨日のことも含め、色々と話がしたいと昨日のファミレスで待ち合わせの約束をした。それから30分後、ファミレスに着いた。

 そこには既に碧が昨日と同じ席についていた。智也は「コーヒー2つ」と店員に注文する。それまでは話を邪魔されたくないので昨日同様、無言のまま注文したコーヒーが届くと、さっそく話を始めた。

「昨日の話を聞いて色々思ったことがあるんですが……いいですか?」

「昨日の話で何か疑問がある……ってことですね?」

 碧も智也の気持ちを察していた。

「そうです。まず、葵は本当に女なんですか? それなら何故、男子校であるフィリス学園に入れたんですか? これってもし葵が女だったら矛盾してますよね?」

「ふふっ」

 そんな必死な智也を見て何故か碧は笑っていた。「あっ、笑ったりしてごめんなさいね」と碧は断りを入れこう話を続けた。

「はい。葵さんは正真正銘普通の『女の子』です。もし智也さんがお疑いなら……今度一緒にお風呂に入ってみたらどうですか?」

「あっ、いや、それはまだ……」っと顔が赤くなり智也は戸惑う、そんな智也を尻目に『まだ……なんですね♪』っとちょっと嬉しそうにしていた。

「ま、それは冗談として……学園には入れますよ。そんなモノ書類を適当に誤魔化せばいくらでも簡単にできますしね」

 っと碧はコーヒーを口にして、いとも簡単だっと言った感じでそう答えていた。

「しょ、書類を誤魔化すって言っても、もしバレたら……」

 智也は言葉を続けようとするが碧が遮る。

「ふふっ、バレないですよぉ~……だって私の学園ですもん♪」

「……はぁっ? わ、私の学園? ってことはアナタが学園の理事長だったんですかぁっ!?」

「そっ♪」

 っと短く頷き、一口コーヒーを飲む碧。前に葵が転入したばかりの頃、転入した経緯を聞いたとき「親のコネか?」と聞いた質問に対し、「まぁそんなところ……」と答えたのはそうゆう意味だった《・・・・・・・・・》のだろう。

「じ、じゃあ俺と葵が実の双子の姉弟だって根拠は……ちゃんとあるんですか?」

 っと詰め寄る智也に対し碧は、

「もしお疑いでしたら、お二人でDNA検査でもしましょうか? その方が智也さんも実際に目で見て納得できるでしょうしね」

 っと言葉を続けた。確かにそれが1番手っ取り早いが、実際の所智也にはそこまでの覚悟はまだできておらず、「いえ……」っと言葉を濁してしまう。

 リリリリリーン♪ 突如として電子音が鳴る。どうやら碧のスマホから電話が鳴っているようだ。

「ちょっと失礼しますね」

 そう言うと碧はスマホを取り出し、電話に出る。

「ええ、はい。私がそうですけど…………えぇっ!! 葵さんが!?」

 碧はとても驚いているようだ。葵と名前を出して驚いていたので、もしかして葵の身に何かあったのだろうか?そして碧は智也の方に目を向けた。

 カタカタ、カタカタ……。よく見るとスマホを持つ碧の手は震えている。

「(一体誰と話ているのだろう?)」

 智也は疑問に思いながらも、コーヒーを一口だけすする。

「ええ、ええ、はい。…………葵さんは『伏見総合大学病院』なんですね! 今すぐそちらに向かいますのでっ!!」

 碧は言い終える前に電話を切った。そしていきなり立とうとしてフラフラっと立ちくらみを起こし倒れそうになる。「大丈夫ですか!」と智也が手を差し伸べようとするが、碧はそれを手で静止した。

「あの……葵に何かあったんですか?」

「…………」

 智也の問いかけに碧は一言も答えない。いや答えられないのかもしれない。電話口の様子から、ただ事ではないと智也も察していた。

「あ、葵さんが…………」

「えっ? 葵が? 葵がどうかしたんですか???」

 葵は今この瞬間、サーキットで適正検査を受けているはずだ。

「葵さんが……病院に運ばれたって。さ、サーキットで事故にあって…………今は『伏見総合大学病院』に運ばれたみたいなの……」

「はっ? あ、葵が何だって? 事故? 病院? ……っ!? あ、葵は大丈夫なんですかっ!! 怪我の状態はっ!?!?」

「わからない! わからないわっ!! と、とにかく急いで病院に行かなきゃ。智也さんあなたも一緒に来なさい!」

「当たり前だ!」そう答えると早急に会計を済ませ、ファミレスを出てすぐさまタクシーを呼び止めて急ぎ『伏見総合大学病院』へと向かうことになった。タクシーの中で智也も碧も何も話さない。葵の身に『何が』あったのかまったくわからない、不安で不安で心配だった……。


 タクシーを降りると我先にと、智也は病院受付で葵のことを聞くと「今は手術中だから……」と言われ手術室の前に案内された。手術室の前には講師の石井さんがいた。石井さんはこちらに気づくといきなり頭を下げた。

「この度はこちらの不注意でこんなことになってしまい…………本当にすいませんでした!」

 そう何度も頭を下げ続ける。「一体何があったのか?」智也も碧も同じく石井さんに聞いてみた。

 石井の話によれば、葵はトップタイムで午前の適正試験を終え、そして休憩を挟み、午後からニュータイヤでアタックし、車のセッティングを変える為に、ピットレーンに戻ってきていたのだ。……っとそこへ、旧式のオールドタイヤを履いていた他の生徒がホームストレートでスリップ事故を起こした際、パーツが粉々に砕け散りそれが運悪くもビットレーンにいた葵の胸部へと当たり、病院に運ばれ緊急の手術を受けているのだと言う。

「ほんっとうに……すいませんでした!」

 石井は一通り説明を終えると、ひたすら謝るだけだった。

「葵さんは……ウチの葵さんは大丈夫なんですよね!? ね?」

 碧は鬼気迫るように石井へと問いただした。

「はい。傷自体は浅いようなんですが……」

「それ以上のこと事はまだわからない」っと石井は答えた。すると、手術室の手術中の赤いランプが消えた。中から手術用の緑の服を着た医師が数人が出てくる。

「…………ご家族の方ですか?」

 医師のその声はとても明るいとは言いがたかった。

「はい。私が葵さんの母親です。葵さんは大丈夫ですよね? ね?」

 いつもの冷静な碧とは言いがたく、酷く動揺していた。

「……え、ええ。傷自体は浅く手術自体は簡単で止血し、患部を5針ほど縫ったくらいなんですがその非常に言いずらい事なのですが。その言いにくいのですが……血が止まらなく出血量が多かったんです。どうやら葵さんの血液は特殊なモノでして、もしかするとご家族の方には輸血をお願いするかもしれません」

 っと申し訳なさそうに医師は碧の方を見たのだったが、

「あ、あの! 実は私……本当の親ではないんです。ですから……」

 碧がそう告げるとその事に医師は酷く驚き、そして何かを考え込む。そして「まずは血液を調べさせて下さい……」と碧に採血を促した。

 っとそこで石井が思いついたように、碧の隣にいた俺に声をかけてきた。

「おい智也! 確かお前達は姉弟だったよな? それなら血液型も一緒なんじゃないか!?」

 っと智也に輸血をするように促した。

 確かにこの状況では俺が葵の助けになるだろう。なんせ本当の実の双子の姉弟なのだから……。皮肉にも、その事実が葵の助けとなろうとは夢にも思っていなかった。

「先生! 俺の血を使ってください! 俺と葵は実の双子の姉弟きょうだいなんです! だから例え血液型が特殊でもきっと合うはずです! だから! だからっ!!」

「それは良かった。ですが、まずは採血し、血液を調べてみないと……」っと医師は智也にも採血し、検査するように促す。

 さっそく智也は採血する部屋に案内され碧と智也は採血し、早速血液を調べてもらうことにした。結果は1時間もあれば出るそうだ。だがその1時間が何倍も長く感じた。

「智也さん…………葵さんの為に、ありがとうございます」

 採血が終わると碧はそう智也に頭を下げた。

「私では……葵さんの助けになりそうもないので…………」

 碧は泣きながら、自分の無力さに嘆くように待合室のイスに腰をかけた。

「葵は……葵は俺の……『恋人』なんです。こんなこと当たり前です。だから、だからそんなことで気にしないで下さい……」

 智也はさも当然と言った感じでそう答える。

 それから1時間後、血液の結果が葵の担当医師から伝えられた。葵の血液はボンベイ(Oh)型とも呼ばれている100万人に1人のO型の特殊血液だった。碧はA型で当然合わない。智也も葵と同じO型だったが『普通』のO型なのだと言う。

『智也と葵は『実の双子の姉弟』どころか、そもそも血縁関係になかったのだ』

「な、何かの間違いだろ! だ、だって俺と葵は実の双子の姉弟なのに!!」

 智也は担当医師に詰め寄ったが、「なんと言おうと血液型が合わないので、これでは輸血をすることはできません!」っと断られてしまった。そして担当の医師は急ぎ近くの緊急センターに連絡を取り、輸血ができるかどうかの確認をするのだという。だが特殊な血液型なので、最悪の場合もありえると告げた。

「(一体どうすればいいんだ? そもそも血液型が合わない?だったら俺と葵は実の双子の姉弟じゃないってことになるのか?)」

 智也は隣にいる碧に詰め寄った。

「どうゆうことなんですか! アンタが俺と葵は『実の双子の姉弟』だと言ってたでしょうが!?」

 智也の強い口調と、いきなり壁に詰め寄られた碧は震えながらにこう答える。

「ごめんなさい、智也さん。わ、私にもどうゆうことかわからないわ……」

 碧は首を横に振る。葵の里親の碧でさえも、その真偽のほどはわからないようだ。

 そして病室に入ると、ベットで眠るように横になっている葵の手を取る包むように優しく握った。本当に今にも起きて「お兄ちゃん♪」と抱きついてきてもおかしくない。だが葵の目は開くことはなかった。

「……どうすりゃいいんだよ!」

 智也は怒り、焦り、何よりもこれからの不安をどこにもつぶけられずにいた。

「智也さん……」

 そんな智也の心境を痛いほど分かる碧は智也の手を両手で握り、安心させようとする。

「葵のお母さん……さっきはすみませんでした。怒鳴ったりして……」

「あら智也さんなら『碧お姉さん♪』って呼んでもいいのよ♪」

 っと右目を瞑りウインク1つ。こんな時でも碧は場を紛らわせるように茶目っ気をみせる碧。こんなところは本当に葵とよく似ている。コンコン……不意にドアを叩く音が鳴らされた。「石井さんか?」と思ったが違ったようだ。

「あのぉ~……倉敷葵の病室ってのはここか?」

 そこには水商売っぽい胸元が大きく開いた大胆な服着て、短すぎて下着が見えてしまいそうなスカートを履き、髪は長く金髪に染めている女性が許可なしに病室に入ってきた。年齢は……30代後半と言ったところか。とても看護師さんには見えない。

「(誰だ? こんな人がなんで葵の病室に? 部屋を間違えたのか? いや、葵の名前言ってたよな? なら碧さんの知り合いなのか???)」

 だが、智也だけでなく碧も同じことを思っていたのだった。

「んっ? 違ったのか? 受付で301の個室って言われて来たんだがな……」

「301の個室ならここで合ってますけど……。失礼ですけど、あなたはどなたなんですか? ……もしかして、葵さんのお知り合い?」

 物怖じせず、碧はその女に尋ねた。

「誰って……あたしは葵の母親なんだがな」

「「はぁっ!?」」

 一瞬、智也も碧もその女性の言っていることの意味が分からなかった。

「おっ! なんだよ。誰かと思ったら碧じゃねぇか! 久しぶりだな碧っ!!」

 妙に馴れ馴れしく、その女は碧の肩を叩いた。

「えっ? はぁ…………っ!?」

 碧はいきなり名前を呼ばれ、状況が上手く飲み込めていなかったが、何かに気づいたようだ。

「も、もしかしてあなた……洋子? あ、あ、あの葉月洋子なのぉ~!?」

「(なんだって、葉月洋子……コイツがあの女なのか!?)」

 碧とは別に、智也はそれが自分の母親だと驚いてしまう。

「なんだよ。今頃気づいたのか? おっ! そっちのは……智也か? もしかして智也だよな、オマエ?」

 自分の母親だという派手な女性に声をかけられたが、智也はショックで声が出せなかった。

「洋子! あ、あなたその格好は何なの? それに今までどこに……」

「おっと、そうゆう細けぇ話はあとあと。それよりも今はとりあえず葵の方が先だろ。なんでも血が足りないんだってな?」

 そうゆうと受け答えも聞かずに、部屋を出ようとする。

「……っ!? ま、待てよ! お、おい待てったら!」

 智也の声を無視して部屋を去る洋子を追いかけようとする智也。

「待って智也さん! 今は洋子よりも葵さんの方が先決なのよ!」

 そう言われ、智也の手が空を切る。智也はその場に座り込み、「チクショー!なんだって今頃あの女が現われるんだよ!」っと床に右拳で殴りつける。そんな智也を知らず暫くしてから洋子が帰ってきた。

「とりあえずは、採血して結果待ちだってよ。じゃあ、それまで昔話でもするか?」

 葵が、実の娘がこんな状況なのに何故か楽しげな洋子を智也は無視するが、碧はそんなことお構いなしに洋子に問いただした。

「あなた自分の子供たちほったらかしで、今まで何してたのよ洋子っ!!」

 とても碧とは思えない声量と、怒りが籠もった口調で詰め寄る。

「おいおい、ここは病院だぞ。葵もそこで寝てんだ。静かにしな」

「あっ……」碧は慌てて口を手で覆い、そのまま押し黙る。

「さて、なにから話せばいいのやら……」

 ぽつりぽつり、と洋子は語りだした。前半は碧から聞いた話そのものだった。だが、続きがあったのだと言う。

 あの日、碧や朝子と別れてから男に襲われ……そして葵と智也の双子を身篭り出産した。だが、女で一人では二人を育てられないと考え、姉の葵を朝霧養護施設とは別の施設に預けたそうだ。智也は自分の傍で育てたが、生活苦から育てられず、朝子(朝霧養護施設)へと預けたのだと言う。

『預けた』っと言えば聞こえはいいが、実際は『玄関先に自分の子供を捨ててきた』が正しい。それからは色々な仕事を転々とし、やがて資金が貯まり自分で起業できるまでになった。

 そして最近なんとかその事業が軌道に乗る目途が立ち、今の自分なら智也と葵を自分の手元に置ける。そう考え、智也と葵の行方を捜していたのだと言う。そんな矢先に葵が事故に遭い、病院に担ぎ込まれたと報告を受け、急いで病院まで駆けつけたのだと言う。

「そんな話信じられるか!それにもしそうだったとしても、今の俺や葵にはそんなの関係ない! あんたの都合だろ! あの日……あんな所へ置いてかれた俺が、どんな思いであそこで待ち続けていたか、アンタにそれが……それが理解できるっていうのかっ!!」

 今まで洋子の昔話を聞いていた智也は怒りを露にするように怒鳴った。

「…………ま、そうだろうな。言い訳はしないさ」

 洋子はそれ以上反論しなかった。事情を知る碧すら二人の間に口を挟むこともできずにいた。

 コンコン♪ ドアが鳴らされると、葵を担当している医師が入ってきた。

「先ほどの葉月洋子さんの血液検査の結果なのですが……どうやら倉敷葵さんと同じボンベイOh型で合うようです。さっそくですが、早急に輸血の準備をしたいと思います」

 医師は葵の様子が芳しくなく、輸血が必要になったと洋子に採血室に来るよう促すが、

「……ほんの少しだけコイツ(智也)と二人で話があるんで、二人っきりにしてくれませんか? 先生……すぐに行きますから。碧も出ててくれ」

 洋子は医師と碧を部屋から出るように言った。

「…………なんだよ話って」

「まぁ、そのなんだ。世の中の摂理って『モノ』をお前に教えてやろうかと思ってな」

「葵が生きるか死ぬかのこんなときに何なんだよそりゃ!?」と智也は思った。

「何の話だよ?」

 智也はそうぶっきらぼうに答えた。

「これだよ。こ、れ、っ♪」

 洋子を何を思ったか、人差し指と親指を繋げ智也の方に示していた。

「(……ってこんな時に『金』かよ!? 葵を、実の娘を何だと思っていやがるんだこの女は!?)」

 洋子のその呆れた行動に智也は自分を抑えられず、爆発してしまった。

「お、お前自分の娘だろ!! 人が生きるか死ぬかの時に、何ふざけたこと言いやがるんだ!?」

 智也が怒るのも無理はない。人の命を、それも自分にとっては恋人で実の姉なのだから、余計に智也の怒りは増した。

「御託はいいからぁ~、葵を助けたきゃ出すもんさっさと出せよ。相当溜め込んでるって聞いたぞ。……何だったら通帳ごとでもいいんだぞ」

 悪い顔をして金をよこせと要求する洋子。正直こんなのが自分の母親だと思うと、情けなくなり虫唾が走った。

 だが、葵の命には代えられないのだ。智也は仕方なしに葵の入院費として持ってきていた通帳を形が変わるほどぐちゃぐちゃに握り締め、洋子へと叩きつけるように投げつけた。

「へっへ~っ、まいどあり~♪」

 洋子はニタニタと笑いながら通帳にいくら入ってるかを確認しようとするが、智也はそれを待たずにさっさと病室を出てしまう。

 正直葵とこの女を残すのは不安だが、それよりもこんな母親とこの部屋にいたくなかったのだ。それから間もなく輸血の準備ができ、すぐさま葵に輸血の処置が施されることになった。

 だが、輸血をしても葵はまだ意識が戻らなかった。医師によると『峠』は超えたが出血が多かった為、以前予断を許す状況になく、葵の意識が戻るのに時間がかかるのかもしれないと言っていた。

「とりあえずの峠は超えた……」そう医師に言われ智也と碧は心の底から安心し、葵の隣の病室のベットを借り仮眠することにした。

 色々なことがありすぎて智也は眠れなかった。自分を捨てた母親がいきなり現れ、「葵を助けたければ金を出せ!」今でもその言葉を思い出すだけで、腸が煮えくり返り怒りが込み上げてくる。だが予想以上に疲れていたのか、そんなことを考えていたらいつの間にか朝になっていたのだ。

 智也は葵の様子を見ようと病室の扉から様子を伺うと、葵が体を起こし、窓の外をぼんやりと眺めていた。

「あ、葵っ!! 意識が……いや、気付いたのか!?」

 ふいに名前を呼ばれ葵は振り向く。

「あ、お兄ちゃん♪」

 とても明るい葵の声。昨日の青白い顔が嘘のように血色の良い顔色をしていた。

「もう……大丈夫なのか?」

 智也は葵のベットに駆け寄った。

「うん。ボクならもう大丈夫だよ♪」

 ほらこのとおりっと、力瘤に手を当て元気をアピールした。 智也は涙ながら葵に抱きつく。

「葵! 葵っ!!」

「ふふっもうお兄ちゃんたら、今日は甘えん坊さんだね。大丈夫。もう大丈夫だからね……」

 葵は泣きつく智也の頭を撫で、安心させるように耳元でそう囁いた。そんな二人の姿を碧は病室の外から覗いていたが邪魔をしてはいけないとそっとドアを閉じると、その場を離れた。碧のその目には涙が流れていたのだった。


「……そういえばさっきお母さん、ボクの本当のお母さんが今朝方来たんだ。そこで色んな話をしてくれたよ」

『あの女が!?』一体葵に何を吹き込んだんだ。

「ふふっ。笑っちゃうよね。ボクとお兄ちゃんが双子の実の姉弟だったなんて。しかも昨日まで『お兄ちゃん』だと思ってた人が、ほんとは弟だったなんて。現実は厳しいなぁ~……」

「(そこまで、あの女は話したのか!?)」

「でもボクはお兄ちゃん……ううん、智也と実の双子の姉弟だったとしても、別れる気はないからね。ずっとず~っと傍に、恋人として一緒にいてもらうんだからね♪」

 今後はちゃんと「男と女としての恋人としてね♪(ハート)」と茶目っ気にウインクする。

「はははっ。葵は葵、ほんと変わらないな」

「あっそうだ! そういえばお母さんがコレをお兄ちゃ……ううん智也に渡すようにって、はいコレ!」

 っと葵は『何か』を渡してきた。

「……こ、コレは?」

 そこには葵の名前が記したのが1通、智也の名前が書かれた通帳が2通あった。その内の1通は昨日智也が洋子に渡した『モノ』だった。

「(何なんだコレは?)」

 智也はさっそく通帳を開けてみた。昨日母親である洋子に一体いくら下ろされたのか気になり急いで通帳をめくる。が、通帳の最後にはなんと『入金1000万円』と記載されていたのだ。

「(……はっ? なんだよコレは!?)」

 智也はワケが解からなかった。

「…………それは、きっと洋子なりの罪は滅ぼしなのよ」

 いつの間にか碧が部屋に入っていた。

「あっ! ママ♪ 来てたんだね!」

「葵さん元気になったんですね。本当に……本当に良かった」

 母娘は涙ながら抱きつき、感動を分かち合う。

「碧さん。その……罪滅ぼしってどうゆう意味ですか?」

「それは……もう1つの通帳を見ればきっと解かると思いますよ」

 そう促され、もう2つの通帳を開いてみた。そこには毎月同じ日に10万円ずつ貯金されていた。葵の通帳も見るとまったく同じだった。葵もそれを覗き込むと、

「あれれ? この日って……ボクの誕生日の日付だよ。それも毎月同じ日?」

 それは毎月同じ日にち、25日きっかりすべて同じ日付だった。

「……きっと将来あなたたちに渡すつもりだったんでしょうね」

 そこで智也は碧が言った『罪滅ぼし』の意味を察した。あの時、洋子が智也の通帳を奪ったのも実はこの為だったのだろう。

「なんだよチクショー! 今更優しいフリなんかしやがって! これじゃ憎むに憎めないじゃないか! ったくあの女は……ったく」

 智也は涙ながらにそう言った。葵はそんな智也を抱き寄せ、慰めるように頭を撫でた。


 3日後、葵は退院した。元々傷自体は浅く出血死さえ防げば大事にいたる怪我ではなかったのだ。そして、葵の事故により中止されたスクールの適正試験を葵は再び受けることになった。もちろんあの日と同様、見事トップタイムでしかもコースレコードも叩き出し文句なしに合格した。

 そしてそのまま『スカラシップ(奨学生制度)』を獲得し、次の年のカートJrで全戦全勝のチャンピオンになり実力を認められ、1つ上のカテゴリーである全日本F3を走ることになった。

 そしてやっと今日、葵の全日本F3のデビュー戦の日を迎えることとなった。

「葵……今日も勝ってこいよ。ちゃんとポディウム(表彰台)の真ん中に立てよ!」

「もちろんだよ智也! ちゃんと勝って智也に花束を渡すから受け取ってよね♪」

「おいおい結婚式のブーケかよ」と苦笑しながら葵を見送る。

「葵さん……あまり緊張してないみたいですね」

 葵のデビュー戦ということもあり、今日は碧も来ていた。

「ま、元々緊張するタマじゃないですからね」

「まぁ♪ タマだなんて……葵さんに言いつけちゃいますからね♪」っと碧が茶化してきた。

 そして葵は『ポール・トゥ・ウイン(予選・本戦ともに1位)』2位以下を周回遅れにするほどダントツでデビュー戦を優勝で飾った。まさに全日本F3天才美少女ドライバー誕生の瞬間だった。

『そしてここからが葵の伝説が始まるのだろう』

 このままいけばF1史上初の女性ドライバーとして活躍できる日もそう遠くない。葵はポディウムの中央に立ち花束と優勝カップ、それとシャンパンを受け取った。葵は未成年でまだ飲めないがシャンパンファイト(優勝や入賞を祝い、互いにシャンパンをかけあうこと)だけはできるのであった。

 シャンパンファイトが終わり、そして勝利者インタビューが始まる。

「おっ! なんだなんだ!! 葵が勝っちまいやがったのか? さすが私の娘だな!」

 洋子も会場にいたのだ。

「何よ洋子、今頃来て。来るならもっと早く来なさいよ……ってその隣にいる女の子は誰なの?」

 洋子の隣には智也くらいの年頃の女の子がいた。そして碧に丁寧に会釈をしてくる。

「あぁ~、ちと仕事で遅れてな。それと……コイツは私の娘だ(笑)」

「はぁ~!!!! 『娘』って何よ! ほんとなの、それっ!?!?」

「いや……嘘だがな(笑)」と洋子はあっさり否定する。碧は足を踏み鳴らし憤慨しながら、「もうどっちなのよ洋子っ!!」と問いただすが、洋子は何食わぬ顔で「さーな♪」とあやふやに答えていた。

 そんな二人を尻目に葵は勝利者インタビューを受けていた。

「デビュー戦でしかもポール・トゥ・ウインのパーフェクト勝利でしたね! おめでとうございます、葵選手。しかも女性なのに凄いですね!」

「ありがとうございます。でもボク本当は……男の娘なんですよ♪」

「なんだってー!?」っとその場に集まっていたギャラリーの多くが驚きの表情を見せるが、

「まぁ……嘘なんですけどね。てへりっ♪」

 と茶目っ気で舌を少しだけ出し、冗談交じりに言う。

「え~っとあの、葵選手は女の子…………でいいんですよね?」

 冗談とも本気とも取れる葵の答えにインタビュワーは戸惑いながらそう質問した。

「はい! こんなにカワイイ美少女が男の娘なわけがないですよ!!」

 自分でカワイイ美少女と自身満々に言う葵だが、実際問題葵は可愛いし、しかも飛びっきりの美少女だ。あと数年もすれば碧さんに負けないくらいの美人さんになるだろう。

「で、では今の気持ちを誰に伝えたいですか?」

 そうインタビュワーの人に聞かれ葵はこう答えた。

「そうですね……いつもボクの傍で支えてくれた『恋人』に伝えたいですね。実は今日ここに来てるんですけどね♪」

「どいつが恋人だ!」などと、どよめき立った。そして葵はこちらの方を向きご丁寧に「あっ、あの人がボクの恋人なんです♪」っと指差した。

 葵の指先と周りの視線をロックオンされ、苦笑いするしかない智也。いや顔がかなり引きつっている。葵はお構いなしに「お~い智也ぁ~♪ 愛してる~♪」っとぶんぶん手を振りながら、ココロも体もぴょんぴょんしている。さらに一段と周りの空気が冷たくなるのを智也は肌で感じた。

「あの~それで……」

 続きを促すように質問を続けようとする。

「あ、そうでしたね。今の気持ち……ですよね。実はですねその恋人が『願いを言え、優勝したら1つだけ願いを聞いてやる!』っとどこかのドラゴンみたいなこと言ってくれたんですよ。だから是非ボクの願いを叶えてもらいたいと思います♪」

「ほうほうそんな約束が」っと相槌を打つインタビュワー。「俺、そんなこと言った覚えないぞ!?」と智也が思っていると、葵はすーっと息を吸い込み、叫ぶように、

「智也ぁ~っ!! ボクと……ボクと結婚して下さい! これがボクの願いで~す♪」

 葵一世一代のプロポーズ。しかも大勢の観衆の目の前で。辺りはしーんとする。だが洋子だけは「さすが私の娘だな!がはははっ」とどこかの王様の如く笑いながらご満悦のご様子、隣にいた碧はぽかーんと口を開け、状況が上手く理解できない。いやしたくなかった。

「あ、あ、あ、葵のやつ、なんてことをこんな場所で言いやがるんだよ!?」智也は混乱していた。智也からの返事がなく、葵は先ほど受け取っていた花束を智也目掛け振り投げた。弧を描いた花束はブーケの如く、ぽすっと智也がキャッチした。

「それが今のボクの気持ちで~す♪ 幸せにしてあげるから結婚しようよ! ねぇ~、いいでしょぉ~♪」

「(葵、それは完全に立場逆だろうがっ!!)」

 っと突っ込む間もなく、葵が後ろに下がり助走をつけ、こちら目掛けて飛んできた。

「(ぶっ!ま、マジかよ葵の奴!? いくら表彰台が低いとはいえ、5mくらいはあるポディウムの壇上からこっちに飛びこんでくるなんて!?)」

 いきなりの行動だったので、さすがの智也でも衝撃を吸収できずに、葵と重なるように倒れてしまう。どうにかキャッチできただけでも奇跡と言えよう。

 ちゅ♪ 葵が智也を押し倒す形で強引にキスをした。

「智也、これでボクたち夫婦だね♪」

 葵さん満面の笑み智也の胸に顔を埋めすりすり、だが智也は思考が追いつかない様子。

「ねぇ~今度は智也からしてよぉ~♪ ……してくれないのぉ~?」

 などと甘えるようにキスを催促される。「ああ……」と智也からキスをする。そして葵はさっきの衝撃で落ちた花束を拾い、智也に差し出しながら、

「ボクと……結婚してくれますか?」

 再度葵からプロポーズをする。今度は智也もちゃんと「俺でよければ。よろしくお願いします」と葵からのプロポーズを承諾した。辺りから殺意混じりの嫉妬……もとい二人を祝福するかのように拍手がいつまでも鳴り止まなかった。たぶん周りのギャラリー達も自棄になったのだろう。

「智也、これからも、ずっと、ず~っと、ボクの隣で恋人としてまた夫婦として支えてよね♪」


 第2章 『キミにキスを、あなたに花束を。』fin.

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売れない人気ライトノベル作家と、その担当さんとの恋愛事情と、その結果。 雪乃兎姫 @scarlet2200

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