最終話:|鉄血の決算書《ファイナル・バランス》
「
ミルの絶叫が艦橋を裂く。
視界の全てを埋め尽くすのは、神域守護列車『
その主砲口には、神域の魔力を極限まで収束させた、太陽のごとき光球が膨れ上がっていた。
撃たれれば消し飛ぶ。
回避すれば泥に沈む。
ならば、答えは一つしかない。
「突っ込め! 真正面だ!」
レンは残った右腕一本で、スロットルをへし折る勢いで押し込んだ。
『グランド・スラム号』が咆哮する。
全身の装甲を軋ませ、黒煙を撒き散らし、死神の懐へと特攻(ダイブ)する。
カッ――!
アイギスの主砲が閃いた。
必殺の熱線が放たれる。だが、それよりもコンマ一秒速く、レオンが叫んだ。
「左舷パージ! 重量バランス強制変更!」
ボォォンッ!
装甲の一部を爆破分離。車体が強引に右へと傾く。
熱線がグランド・スラム号の左側面を掠め、後方の泥の海を蒸発させた。
紙一重の回避。だが、その代償で車体の制御は完全に失われた。
列車は横滑りしながら、アイギスの真正面へと衝突コースを描く。
「制御不能! でも、射線は通った!」
「上出来だ! エリス、固定具(ロック)解除! ユナ、炉心全開!」
レンの瞳が、目前に迫るアイギスの「眉間」――多重展開された
物理攻撃を100%無効化する神の盾。
だが、今のレンには「計算」が見えていた。
(魔法障壁は、魔力の波だ。波である以上、物理的な質量で飽和させれば『穴』は開く。……それが、ダイヤモンドの硬度と、数千トンの運動エネルギーを持つ一点突破なら!)
「
レンは起爆スイッチを叩いた。
先頭車両の射出機(カタパルト)が火を噴く。
ドォォォォォォォンッ!!
放たれたのは、レールではない。
レンの左腕を溶かし込み、ユナの蒼炎で精錬された、黒光りする全長20メートルの
それは、レールの形をした「槍」だった。
キィィィン!!
杭の先端が、アイギスの障壁に接触する。
光の盾が激しくスパークし、拒絶の音を上げる。
物理 vs 魔法。
拮抗したのは、わずか一瞬。
「貫けぇぇぇぇッ!!」
ユナの叫びが、杭に最後の熱量(エナジー)を与える。
パリンッ、という世界が割れるような音と共に、障壁が粉砕される。
黒い槍は止まらない。
そのままアイギスの装甲を紙のように貫き、深奥にある動力炉(コア)へと突き刺さった。
ズガアアアアアアアッ!!
金属の断末魔。
アイギスの銀色の車体が、内側から膨れ上がり、紅蓮の炎に包まれる。
「計算……完了!」
レンが叫ぶのと同時に、グランド・スラム号は燃え盛るアイギスの残骸を跳ね飛ばし、その向こう側へと突き抜けた。
***
静寂が戻ってきた。
騒音と熱気が嘘のように引き、涼やかな風が吹き込んでいる。
神域の最深部を突破したのだ。
空は毒々しい極彩色ではなく、どこまでも透き通った蒼穹が広がっていた。
「……抜けた、のか?」
レオンが呆然と呟く。
ボロボロになった艦橋。窓ガラスは割れ、計器は火花を散らしている。
だが、列車は走っていた。
誰もいない、静かな荒野を。
「……赤字(エラー)なし。全項目、
レンは操縦席に深く沈み込み、震える息を吐いた。
右手に握りしめた計算尺は、手汗と油で汚れている。
そして左側を見れば――そこには、肩口から先がない、空っぽの袖があった。
「……レン君」
ユナがふらりと歩み寄ってくる。
彼女はレンの左袖にそっと触れ、そして、その切断箇所に頬を寄せた。
もう痛みはない。あるのは、喪失感と、それ以上の達成感だけだ。
「ありがとう。……レン君の腕、最高に硬かったよ」
「ああ。……いい仕事だった」
レンはユナの頭を右手で撫でた。
エリスが歓声を上げて窓にへばりつき、ミルが通信機で勝利の打電を始める。
レオンは「やれやれ」と肩をすくめると、懐から紙とペンを取り出した。
「おい、会計士。感傷に浸ってる暇はないぞ」
「……なんだ」
「次の設計図だ。片腕じゃあ、これからの精密作業はキツイだろ? 俺様が特別に、世界最高の義手(アーム)を設計してやる」
レオンはニヤリと笑い、描きかけの図面をちらつかせた。
そこには、指先がドライバーやレンチに変形し、小型の溶接バーナーまで内蔵された、無骨極まりない機械腕が描かれていた。
「どうだ? 見た目は悪いが、機能性は保証する」
それを見たレンは、ふっと口元を緩めた。
美しい装飾などいらない。彼が求めているのは、いつだって「実用性」と「数字」だけだ。
「……悪くない。ただし、メンテナンス性(維持費)を重視しろ。無駄なコストは却下だ」
「へいへい、ケチな依頼主だこと!」
笑い声が、風に乗って響く。
『グランド・スラム号』は、新たな鉄路を刻みながら進んでいく。
身体の一部を失い、それでも彼らは止まらない。
この世界のどこかに、まだ計算の合わない「不条理(あかじ)」がある限り。
鉄と、油と、血の計算書。
その最後のページには、たった一行、こう記されていた。
――損益:未来。 残高:無限。
(完)
鉄血の無限軌道(デッド・ヒート・レール) kirillovlov @kirillov
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