最終話:|鉄血の決算書《ファイナル・バランス》

衝突インパクトまで、あと5秒!」


 ミルの絶叫が艦橋を裂く。

 視界の全てを埋め尽くすのは、神域守護列車『アイギスAegis』の銀色の巨躯。

 その主砲口には、神域の魔力を極限まで収束させた、太陽のごとき光球が膨れ上がっていた。


 撃たれれば消し飛ぶ。

 回避すれば泥に沈む。

 ならば、答えは一つしかない。


「突っ込め! 真正面だ!」


 レンは残った右腕一本で、スロットルをへし折る勢いで押し込んだ。

 『グランド・スラム号』が咆哮する。

 全身の装甲を軋ませ、黒煙を撒き散らし、死神の懐へと特攻(ダイブ)する。


 カッ――!

 アイギスの主砲が閃いた。

 必殺の熱線が放たれる。だが、それよりもコンマ一秒速く、レオンが叫んだ。


「左舷パージ! 重量バランス強制変更!」


 ボォォンッ!

 装甲の一部を爆破分離。車体が強引に右へと傾く。

 熱線がグランド・スラム号の左側面を掠め、後方の泥の海を蒸発させた。

 紙一重の回避。だが、その代償で車体の制御は完全に失われた。

 列車は横滑りしながら、アイギスの真正面へと衝突コースを描く。


「制御不能! でも、射線は通った!」

「上出来だ! エリス、固定具(ロック)解除! ユナ、炉心全開!」


 レンの瞳が、目前に迫るアイギスの「眉間」――多重展開された絶対防御障壁アブソリュート・シールドの中枢を捉える。

 物理攻撃を100%無効化する神の盾。

 だが、今のレンには「計算」が見えていた。


(魔法障壁は、魔力の波だ。波である以上、物理的な質量で飽和させれば『穴』は開く。……それが、ダイヤモンドの硬度と、数千トンの運動エネルギーを持つ一点突破なら!)


監査オーディットの時間だ、ポンコツ神!」


 レンは起爆スイッチを叩いた。

 先頭車両の射出機(カタパルト)が火を噴く。


 ドォォォォォォォンッ!!


 放たれたのは、レールではない。

 レンの左腕を溶かし込み、ユナの蒼炎で精錬された、黒光りする全長20メートルの超鋼鉄杭パイルバンカー

 それは、レールの形をした「槍」だった。


 キィィィン!!

 杭の先端が、アイギスの障壁に接触する。

 光の盾が激しくスパークし、拒絶の音を上げる。

 物理 vs 魔法。

 拮抗したのは、わずか一瞬。


「貫けぇぇぇぇッ!!」


 ユナの叫びが、杭に最後の熱量(エナジー)を与える。

 炭素結晶グラファイトの分子構造が、魔力の防壁を物理的に噛み砕いた。

 パリンッ、という世界が割れるような音と共に、障壁が粉砕される。


 黒い槍は止まらない。

 そのままアイギスの装甲を紙のように貫き、深奥にある動力炉(コア)へと突き刺さった。


 ズガアアアアアアアッ!!


 金属の断末魔。

 アイギスの銀色の車体が、内側から膨れ上がり、紅蓮の炎に包まれる。


「計算……完了!」


 レンが叫ぶのと同時に、グランド・スラム号は燃え盛るアイギスの残骸を跳ね飛ばし、その向こう側へと突き抜けた。


 ***


 静寂が戻ってきた。

 騒音と熱気が嘘のように引き、涼やかな風が吹き込んでいる。

 神域の最深部を突破したのだ。

 空は毒々しい極彩色ではなく、どこまでも透き通った蒼穹が広がっていた。


「……抜けた、のか?」


 レオンが呆然と呟く。

 ボロボロになった艦橋。窓ガラスは割れ、計器は火花を散らしている。

 だが、列車は走っていた。

 誰もいない、静かな荒野を。


「……赤字(エラー)なし。全項目、清算完了クリア。……完璧な決算だ」


 レンは操縦席に深く沈み込み、震える息を吐いた。

 右手に握りしめた計算尺は、手汗と油で汚れている。

 そして左側を見れば――そこには、肩口から先がない、空っぽの袖があった。


「……レン君」


 ユナがふらりと歩み寄ってくる。

 彼女はレンの左袖にそっと触れ、そして、その切断箇所に頬を寄せた。

 もう痛みはない。あるのは、喪失感と、それ以上の達成感だけだ。


「ありがとう。……レン君の腕、最高に硬かったよ」

「ああ。……いい仕事だった」


 レンはユナの頭を右手で撫でた。

 エリスが歓声を上げて窓にへばりつき、ミルが通信機で勝利の打電を始める。

 レオンは「やれやれ」と肩をすくめると、懐から紙とペンを取り出した。


「おい、会計士。感傷に浸ってる暇はないぞ」

「……なんだ」

「次の設計図だ。片腕じゃあ、これからの精密作業はキツイだろ? 俺様が特別に、世界最高の義手(アーム)を設計してやる」


 レオンはニヤリと笑い、描きかけの図面をちらつかせた。

 そこには、指先がドライバーやレンチに変形し、小型の溶接バーナーまで内蔵された、無骨極まりない機械腕が描かれていた。


「どうだ? 見た目は悪いが、機能性は保証する」


 それを見たレンは、ふっと口元を緩めた。

 美しい装飾などいらない。彼が求めているのは、いつだって「実用性」と「数字」だけだ。


「……悪くない。ただし、メンテナンス性(維持費)を重視しろ。無駄なコストは却下だ」

「へいへい、ケチな依頼主だこと!」


 笑い声が、風に乗って響く。

 『グランド・スラム号』は、新たな鉄路を刻みながら進んでいく。

 身体の一部を失い、それでも彼らは止まらない。

 この世界のどこかに、まだ計算の合わない「不条理(あかじ)」がある限り。


 鉄と、油と、血の計算書。

 その最後のページには、たった一行、こう記されていた。


 ――損益:未来。 残高:無限。


(完)

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鉄血の無限軌道(デッド・ヒート・レール) kirillovlov @kirillov

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