Sunshine Lemon
仕事帰り、ふらりと立ち寄った雑貨店で私は香水の棚の前に立っていた。夕暮れの光が店内のガラス瓶を淡く照らし、並ぶ小瓶たちは、なんだか魔法の道具のように見える。
——撫子に似合う香りとかあるかな…
胸の奥でそっとつぶやく。思い浮かぶのは金髪ショートの彼女の姿、さっぱりとした性格、無邪気に笑うときの眩しさ。
棚の前でぐるぐると、撫子のことを考えながら、私は数本の香水を手に取る。
ひとつは柔らかく甘いフローラル系の香り。これは少し甘すぎる気がする。
次に手に取ったのは、落ち着いたウッディな香り。これはちょっと大人っぽすぎる。
そして、最後に手に取ったのはシトラス系の香り。ラベルに書かれた香りの名前は「Sunshine Lemon」。軽やかで明るく、どこか太陽の光を閉じ込めたような香りだった。試香紙にひと吹きしてもう一度香りを確かめる。ふんわり鼻をくすぐるその香りに、思わず胸の奥がじんわりと温かくなる。香りだけで彼女の顔が浮かぶようだった。
もう一度小瓶を手に取り、近づけて香りを確認し、他の二本と比べたけれど、やっぱりこれが一番撫子らしい。
「贈り物ですか?」
店員さんの声に、私はぎこちなく振り向く。
「あ、えっと…恋人に似合うと思って…」
たどたどしい言葉に、人見知りな自分を恨んだ。けれども、私の言葉を聞いて店員さんは優しく微笑んだ。
「この香りが似合う恋人さんなら、きっと太陽みたいな方なんでしょうね。素敵です」
小瓶をラッピングしてもらって受け取ると、胸の奥で小さく跳ねる高鳴りを感じる。香水の小さな瓶に、自分の気持ちもぎゅっと閉じ込められた気がした。
・・・
帰宅すると、家はまだ静かだった。撫子が帰ってくるのはもう少し後なので、夕飯の支度を始める。
包丁を握る手や鍋を混ぜる手が、いつもより意識的に丁寧になる。時々、香水の入った袋を覗き込んでは、少し照れくさい気持ちを胸の中でくすぐらせる。
——なんでもない日に贈り物なんて、照れくさいな。
長く一緒にいるからこそ、こういうドキドキは新鮮で、胸の奥が熱くなる。そんなことを思いつつ、料理が完成に近づいたころ、玄関のドアが開く音がした。
「ただいま〜!」
仕事終わりで少し疲れた笑顔の撫子が顔を覗かせる。
「おかえり、撫子」
この瞬間は毎日、心の奥がほっと温まる。撫子は荷物を置くと、さっとお風呂へ向かう。これもいつもの流れ。私は料理をテーブルに並べて、香水の入った袋を手に撫子を待った。さっきまでは照れくさかったけれど、今は早く渡したくてうずうずしている自分がおかしくて頬が緩む。
しばらくして、お風呂から出てさっぱりした様子の撫子が、リビングに帰ってくる。
「紅葉、なに持ってるの〜?」
その明るい声に心臓が跳ねた。
「これ…今日ふらっと立ち寄ったお店で、撫子に似合いそうだなって思って買っちゃった」
少し照れくさくて、言葉を早口で並べつつ、袋を手渡す。そんな私の様子を見て、撫子は切長な目を細めて笑う。それから袋を受け取って、早速覗き込む。
「なになに?」
袋を開けると、檸檬の香りが微かに香った気がした。
「かわいい!香水?」
「そう。“Sunshine Lemon”って名前で、撫子みたいな香りだったから」
その瞬間、太陽みたいな笑顔で撫子が勢いよく、私に抱きついてきた。そのぬくもりに胸の奥がふんわり温かくなる。
「ありがとーーー!これから毎日付ける!」
「そんなに毎日付けたらすぐ無くなっちゃうよ」
「そしたら同じの買うもん!」
そう言いながら、撫子は香水の小瓶を手元でそっと握る。そのまま腕を伸ばして、さっと香水をひと吹きする。軽やかで明るい檸檬の香りがふんわりと撫子に漂い、私の胸はきらきらと熱を持った。
・・・
翌朝、私が仕事に向かう準備を終えた頃、撫子が眠そうな顔でお見送りに来てくれる。見慣れた私たちの日常。けれども「いってらっしゃい」と口づけをした撫子からふんわり香る檸檬の香りに、私たちの日常は新しい色をまとった、そんな気がした。
花たちの物語 宵雨 小夜 @yoi_rain_sayo
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