罪作り
山谷麻也
デンジャラス・ネット
その1
夫が病床にある頃から、由紀子の母親に認知の症状が現れていた。
由紀子は母親のことが気になりながらも、夫から目が離せなかった。
「一人にはしておけんぞ」
兄は電話のたびに言った。
二人きょうだいだった。暗に母親を引き取るか、四国に帰るかして面倒をみることを、由紀子に要求していた。
言われるまでもなく、由紀子は決心していた。
母親の姉は夫に先立たれ、都会に住む息子のもとに引き取られた。慣れない環境で徘徊することが多くなり、保護されて、よく息子が迎えに行った。
そのたびに
「四国に帰るのや」
と言っていたらしい。よほど故郷が恋しかったのだろう。
伯母は気丈だった。息子が介護施設への入所を勧めると、頑として拒否した。
「最後は田舎で気ままに生活させてやるか。おふくろも気難しい父親に泣かされてきたのだから」
息子が出した結論だった。
息子の家から帰った二か月後、伯母は山で事故死した。山菜取りに行っていて、山を転げ落ちたのだった。
急を聞いて、由紀子の母親がとなり村に駆け付けた。庭に飴色をした見事なゼンマイが干してあった。
「あれは息子一家に送ってやるつもりだったのだろう」
由紀子の母親は電話口で言葉を詰まらせた。
その2
夫の葬儀は密葬で済ませた。子どもはなく、マンションを処分して、由紀子は四国に帰った。
他県ナンバーの軽自動車が街道から橋を渡って、山の細道に入って行った。街道脇の人たちはめずらしがった。
道の先にある村にはわずかに家は三軒。そのうちの一軒は住民が施設に入っていて、人が住んでいるのは二軒だけだった。
由紀子の母親の姿は見えなかった。クルマを降り、周囲を見渡した。畑は一面に草が生い茂っていた。わずかに一人分の野菜を栽培するだけの一画が確保され、母親が腰をかがめて作業していた。
「早かったのう。道は混んでなかったか」
母親はホウレンソウを手に、坂道を降りて来た。
「今夜はこれでおひたし作ってやるけんな」
なつかしい母親の手料理だった。
「先に和子のところに挨拶に行ってくるわ」
由紀子はお土産を提げ、五〇メートルほど下にある和子の家に向かった。
和子は由紀子の幼馴染みだった。
二人でよく遊んだ。けんかもした。機嫌を損ねると、和子は何週間も口を利かなかった。由紀子が穏やかな性格で通っていたのに対し、和子は感情の起伏の激しい子だった。
由紀子の兄がお盆に帰省し、少女雑誌をお土産にもらった。付録が気に入り、和子が独占していた。
「和ちゃん、それは私のよ」
由紀子が注意すると
「いらんわ」
と言って、和子は付録を由紀子に投げつけた。
和子には弟と妹がいた。
弟は学校の帰り、道草して川で遊んでいて、溺死した。和子が小学四年の夏だった。
家の跡は和子が継ぐことになった。地元の高校を卒業して金融機関に就職した。見合の話が何度か持ち込まれた。そのたびに、和子は断った。男が頼りなく、軟弱に見えたからだ。三〇も半ばを過ぎると、見合の話は来なくなった。
和子の両親はすでにない。和子は勤め先も定年退職し、広い農家にわび住まいしている。
その3
「元気だった? いつも母さんがお世話になり、ありがとうね」
由紀子は久しぶりの再会に声を弾ませた。
和子は一瞬表情を緩めた。しかし、大きくため息を漏らした。
「私は病院通いばっかりしとるわ」
顔色は確かに良くなかった。
「そう。どこが悪いの」
話しかける由紀子を無視して、和子は台所に立った。
「まあ、お茶でも飲んで行って。年寄りの世話って大変よ。由紀子はなんでそんな役を買って出たの。兄さんの嫁は何しとるの」
和子は両親を介護した時の苦労談を語った。
「妹は『姉ちゃん、大変だったなあ』って言ったけど、あんなのは上辺だけ。私の本当のつらさなんか、わかってないのよ。しょせん、きょうだいも他人ってこと」
和子は時おり、拳をぎゅっと握りしめ、眉間に皺をよせながら語った。以前にもまして、ストレートに感情を出すようになっていた。
その4
和子の家から帰ると、由紀子の母親は夕食の準備をしていた。
さすがに、若い頃のきびきびした動作ではなかった。
食卓に皿が並んだ。ホウレンソウは昔ながらの味だった。少し青臭い匂いがあり、ホウレンソウ本来の味がした。
味噌汁に口をつけ、由紀子はお椀に戻してしまった。辛かった。母親が味噌汁をすすっているのを見て、由紀子は一息に飲み干した。
翌朝、味噌汁はさり気なく、由紀子が作った。
やはり母親は気付いた。
「お前はいつも、こんなに薄い味噌汁を飲んでたのか。家におった頃は、もっと料理が上手やと思うとったのに」
母親は食卓に調味料をいくつか並べるようになった。
由紀子が薄く味付けしても、一口で察知して、調味料を振った。母親はかたくなだった。
由紀子が風呂から上がると、居間に母親の姿がなかった。家のどこにも見当たらなかった。家のまわりを探していると、和子の家のお勝手口に人影があった。母親と和子だった。
「うちのお母さんにおすそ分けや言うて、持って来たのよ」
由紀子が昼間、街で買ってきたショートケーキだった。
和子はパジャマに着替えていた。
「何時やと思うとるの」
和子は勝手口を音を立てて締めた。
そんなことが何度かあった。由紀子は母親が寝静まってから、湯を使うことにした。母親の中では、いまだとなりのおばあさんは生きていたのだ。
由紀子は丸二年、母親を世話した。
母親の最期はあっけなかった。脳卒中だった。救急車で運ばれ、翌日の明け方、息を引き取った。
検診のたびに、医者から高血圧の注意は受けていた。長年の食習慣は簡単に変えられるものではなかった。高血圧の話を聞き、兄は由紀子をなじった。遠まわしながら、母親の死を由紀子の食事のせいにしているみたいだった。
その5
和子はますます夜眠れなくなっていた。
昼間はイライラしっぱなしだった。特に由紀子が帰ってからというもの、由紀子と母親が談笑しているのを見ると、訳もなく腹が立った。
由紀子の母親が亡くなり、口を利く機会が増えた。話をしていて、和子の心ここにあらずだった。和子は由紀子が
初め、街の心療内科にかかった。症状を聴き、医者は睡眠導入剤と精神安定剤を出してくれた。
効果はなかった。もっと強いものを要求した。それでも症状は改善されず、転院した。また、最初の薬に戻った。
由紀子のUターン後しばらくして、和子は新たな症状に悩まされるようになった。 緊張すると、手が勝手に動いた。人に接するのが怖くなった。そのうち、寝ていると、手足が動くようになった。自分の意思で止めようとしても、どうしようもなかった。
心療内科の待合室で、不眠と精神不安がどうしても改善しないので、本州のある大学病院に転院してみるという話を耳にした。和子は病院の名前をそっとメモしておいた。
大学病院でつらい症状を訴えた。ところが、医者は
「手足が勝手に動くなんて、そんな病気はない」
と取りつく島もなかった。結局、処方されたのは、街の心療内科のものと同じ薬だった。
症状はますますひどくなった。
「これは治らないのでは」
と、自殺を考えたこともあった。
布団が持ち上がるほど、和子の手足は動いている。
和子は小学生の時に聞いた、ある話が突然頭に浮かんだ。顔の筋肉がひきつり、医者もサジを投げた幼女がまじないで治った、というものだった。
和子は隣の県の祈祷師を訪ねた。民家の奥の八畳の間に神棚があり、おごそかに
祈祷師は和子の話を親身になって聴いてくれた。これまでかかった多くの医者やカウンセラーとは違った。
何十分かまじないをし、祈祷師はおもむろに告げた。
「あなたを
和子は首を傾げた。
「では、あなたの周りで最近、不幸がありませんでしたか」
和子は隣の由紀子の母親が亡くなったことを話した。
「そうですか。やはり」
祈祷師はお
「これをあなたの家の裏に貼って、朝夕、勤行してみてください。私はここからお祓いします。悪霊は必ず退散します」
(やっぱり、偉い先生は違うな)
和子は感服した。
となりで不幸があったこともお見通しだった。そして、ついに、何もかも由紀子の仕業であったことを突き止めてくれたのだ。
(あの女は、村に災いをもたらすために、帰って来たのだ)
それが分かった以上、祈祷師に払った大枚の祈祷料も惜しいとは思わなかった。
その6
由紀子が庭を掃いていると、バイクの音が聞こえた。
和子が山道を登って来た。和子はバイクを止めるのももどかしく、降りて家の裏に回った。白い紙を壁に貼っていた。
夕方、和子がやってきた。心なしか、手が震えている気がした。
「これ、スダチ絞ったけん、使うてみて」
和子の家の横には大きなスダチの木がある。夏から秋にかけて、たわわに実を結び、近所に配っていた。由紀子の母親はとても有難がっていた。
由紀子は晩酌を始めた。最近覚えた、数少ない楽しみの一つだった。
今夜からスダチもある。焼酎のお湯割りにスダチの絞り汁を入れると、いくらでも飲める気がする。
小松菜のおひたしにもたっぷりとスダチ汁をかけた。
(都会では考えられない贅沢やわ)
と満足感にひたる。
気が付くと、廊下で寝ていた。
(もういやだ。酔っ払ってトイレに行こうとしたのかしら)
起き上がろうとして床に手を突き、由紀子は何かが自分に起きていることが分かった。
手首に手錠がはまり、長い鎖の先は和室の柱に繋がれていた。引っ張ると手首が痛んだ。
「強力なクスリやなあ。いびきかいて寝とったわ」
和子が薄ら笑いを浮かべて立っていた。
「クスリはなんぼでもある。眠れん時は言うてな」
和子はトイレの戸を開けた。かすかに汲み取り式の匂いがした。和子は小さなカギを便器に投げ込んだ。
「手錠がこんなところで役に立つとはなあ。お母ちゃんも死ぬ前に、ようここに来とった。『義男さん。復員してきたんやって』言うて。そのたびにあんたのお母さんから『病気で亡くなったんよ』って聞かされ、納得してた。でも家に帰りつくと『義男さん、戦死やって』に変わっとった。出歩かんように、手錠を買って繋いでおこうと考えたけど、実の親にそんなことはできんかったわ」
和子の母親と由紀子の父親は同級生だった。二人が好き合っていたことは、村の誰もが知っていた。ほかの青年は次々に復員してきたのに、義男が復員したのは昭和二四年だった。その時、すでに和子の母親は婿養子を迎えていた。待つことに疲れ、捨て鉢になっていた。結婚生活には何の期待もしていなかった。
「戦争が何もかも、めちゃくちゃにしてしもうた」
夫婦喧嘩して夫が外泊した夜など、和子の母親はよく述懐していたものだ。
「なんでこんなことするの」
由紀子が訊くと、和子は勝ち誇ったように言った。
「なんでって。それは、こっちが訊きたいわ。お前の企みは分かってる。母親を殺して、次はウチの番やったのやろ。道理で、お前が帰ってから、調子がうんと悪うになったはずや。医者のクスリは悪霊の祟りにはなすすべもなかったってことやな。どっこい、ちゃんとしたところで観てもろうたら、たちどころにお前のこと見破ったよ。ウチが味おうた苦しみをお前も存分に味わうとええ」
その7
朝夕の二回、食事が与えられた。昼間はわけもなく眠かった。夜は目が冴えて眠れなかった。そのことを話すと、和子はうなずいていた。
「女やけん、体も拭きたいやろし、髪も洗いたいやろ。それに、臭いとウチがかなわん」
和子はたらいに湯を張った。
かすかにバイクの音が聞こえた。和子のバイクではない。郵便屋さんみたいだった。
郵便屋さんは和子の家で引き返したようだった。夕方、食事と一緒に、役所からの郵便物を和子が持ってきた。
「調子が良うないようで、昼間はウトウトしとるって言うてあるからな」
仮に、由紀子の家まで郵便物を届けに来ても、由紀子にはもう大声は出せなかった。日増しに弱っていた。
食事の間も起きていられなくなった。和子は涼やかな顔をしていた。
トイレに行く気力も体力もなくなった。
「うわ、臭っ」
和子は顔の前でしきりに手を振った。
「和ちゃん。もう殺して。睡眠薬、何倍も飲ませてくれたら死ねると思うから」
由紀子は懇願した。
和子は湯を沸かして、由紀子の体を拭いた。由紀子はずっと涙を流していた。
「ありがとう。和ちゃん、優しい。ウチ、小学生の頃、和ちゃんと抱き合うて眠ったこと思い出しとった。和ちゃん、うちによく泊まりに来たよね」
その8
和子は家では孤独だった。
何事も妹と弟が優先された。おもちゃを父親が買って来ると、弟と妹にまず与えられた。和子が一緒に遊びたがるとケンカになった。そんな時は必ず
「おねえちゃんでしょうが」
と両親から怒られた。
由紀子が言っているのは、弟がおぼれ死んだ日のことだ。
四人で弟にすがって泣いた。母親は
「なんでこの子が」
と身もだえしていた。
母親はいつまでも泣いていた。和子は
(死んだのが私だったら、なんて言って泣いただろう)
という思いが頭をよぎった。和子は慌ててほかのことを考えた。
由紀子の家に泊まったのは、その夜だった。
涙に濡れた由紀子の顔を、ゆすいだタオルで拭いてやった。また、由紀子は涙を流した。
(由紀子がいなかったら、ウチは生きていなかったかも)
かすかに寝息を立て始めた由紀子を見て、和子は思った。
(いやや! 由紀子! ウチを一人にせんといて)
地元局が事件を報じていた。
「今日午後、県内の過疎地の郵便配達夫が、室内で倒れている二人の女性を発見し、警察に通報しました。警察によりますと、駆け付けた時、一人はその場で死亡が確認されました。もう一人は意識がありませんでしたが、病院で手当てを受けています。女性はともに六〇代後半。搬送された女性の右腕には手錠がかけられていたということです。現場には医者から処方された大量の睡眠薬が散乱していて、警察では女性の意識が回復次第、詳しい事情を訊く方針です。また、近くの民家の裏には魔除け札が貼られており、事件との関連を調べています」
罪作り 山谷麻也 @mk1624
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