うなぎバカ一代 ~川畑屋繁盛記

黒冬如庵

うなぎバカ一代 ~川畑屋繁盛記~


 時は幕末、所は下総国某所。

 黒船やら数多の血刃やらで世間が揺れる少し前。

 

 舟運で結構栄える川沿いの町は、まだ朝の靄が残る時刻だというのに、異様に食欲をそそる香ばしい煙に包まれていた。

 炭火に滴る脂と、ぐぐいっと甘じょっぱい醤油ダレが渾然一体となって焦げる、腹の虫を墓場から叩き起こすような匂い。

 

 それはこの町に住まう人たちにとって一日の始まりの合図であり、すでに郷愁さえ誘う香りであった。

 流れ旅に舟を浮かべる者たちも、鼻をひくひくさせながら急ぎの櫂を止める。


 町の中央、水路から少し入った場所に、百年以上続く老舗のうなぎ屋『川畑屋』がある。

 その六代目店主・権六(ごんろく)は、朝から腕を組んでいた。いや、腕を組みながら苦虫を噛み潰していた。


「……ふん、今日も朝から『ふっくら』とかぬかしやがって。うちは表はパリッと、中はむっちりだ。芯まで炭火で炙って、脂と身の締りが釣り合ってこそだ。ふっくらなんてうちじゃねぇ」


 そのボヤキに、炭火の爆ぜる音が応える。


「おとっつあん、またその小言?」


 店の入り口から、お江戸は小岩帰りの娘・おはつが顔を出す。三十路で少し勝ち気な目つき。だがどこか抜けた明るさがある。


「かわら版屋で散々見てきたわよ。今の流行は『ふっくらやわらか、心までとろけるうな重体験』なの。パリッと締まったおとっつあんのうなぎもいいけど、宣伝は別よ。売上ってのは、言葉の見せ方で変わるの。三井越後屋を見てみなよ」


「言葉遊びでうなぎが旨くなるかい」

「なるのよ。人は煙で銀シャリ食らえる生き物なんだから」

「くっだらねぇ……『しわい屋』かよ。うなぎは落語じゃねえ」


 権六は顔をしかめたが、娘の才能は理解している。川畑屋の将来が心配で戻ってきたことも、素直にうれしい。ただ、それを口に出すのは癪の種というものだ。


「おはつちゃん、今日の見世物の準備は?」


 入口から九兵衛が姿を見せた。商店組合のノリの良すぎる中年男。いつでも商売の匂いを嗅ぎつける。


「『うなぎでええじゃないか祭り』の引き札、町中にばんばん貼っときましたよ!」

「『うなぎでええじゃないか祭り』──また妙ちきりんな名前を付けたもんだな」


「手前、胸に残る名前を付けるのが商売の極意と心得ます。『川畑屋の蒲焼、焼きたて祭り! 二百文で五逆まで浄化!』ってな具合でして」

「俺は仏様じゃねぇ! 坊主に簀巻きにされるわ!」


 権六の突っ込みに、九兵衛は腹を抱えて笑う。

 そのとき、店の暖簾が揺れた。

 自分の長屋でございと常連客、『うな太郎』が袖を引き腰をかがめて入ってくる。


「いつもの」


 口数が少なく、酒も飲まずにひたすら食べる。無心にうな重を貪るその姿は、うなぎ屋にとっては理想の客だが、どこか底が読めない不気味さがある。そして本当の名は誰も知らない。

 

 ほんの少し離れた席で、常連の駕籠かき・浜吉が鼻を鳴らした。


「うな太郎さんよ、あんた今日も朝から食うんか。胃袋どうなってんだ。それと懐。──あっしも負けねぇつもりだが、毎日はやれねぇぜ?」


 うな太郎は表情も、メシをかき込む箸の速度も変えない。


「拙、食べ歩きが仕事」

「へぇ、棒手振りかなんかで?」

「似たようなもの」


 この寡黙な男が、実はお江戸でも指折りの人気者、『筆の團十郎』とあだ名されるかわら版書きだとは、誰一人気づかない。

 文句も言わず、ただ食べて、きちんと銭を払い、静かに帰る。

 そんな影の薄さがちょうどいい隠れ蓑なのだ。


 外では、川風が少し強く吹きはじめていた。


◆◆◆


 昼近くになると、店は俄然にぎわいはじめた。

 真っ先に現れたのは、巡礼旅の寺ぐるい女子。御朱印帳を抱え、目を輝かせながら入ってくる。


「私め、下総の巡礼で胃袋まで清める所存。川畑屋さんの香りは今日も今日とて欠かせません。それだけでも御利益があるというもの」


 浜吉が横から噛みつく。


「姉さんな、ここは参拝所じゃなくてうなぎ屋だ。食う前に手を合わせてもいいが、変に拝むと親父が坊主に炭火で焦がされるぞ」

「お焦げは香ばしさの悟りでございます」

「悟るな!」


 権六はちらりと客席に顔を向ける。

 

「──まぁ、悟るのは勝手だが、味に口は出すなよ。焼きと箱蒸しは変えねぇぞ」


 そう言って、遠火の炭火にうなぎをのせる。

 続いて現れたのは、二本刀を帯で止め、三度笠の旅姿。

 自称『食いしん坊侍』。


「某、旨いものを求めて下総を旅する『食いしん坊侍』。川畑屋殿、その焼き上げる音、まるで戦場の鬨の声。いざ尋常に、勝負の一杯を所望する」

「勝負すんな。食え」

「しからばその首、見事、討ち取って見せようぞ!」

「うな重に首はねえ!」


 浜吉が再び突っ込むが、侍は真剣そのもの。

 しかしこの侍、味わい方はなぜか繊細。食べるたびに目を細め、ゆっくり咀嚼しながら、時にはむんと黙考する。


「この皮の舌触り──槍の穂先のごとく鋭い。されど中は心金のごとくしなやか。それでいてぶつりと歯ごたえの大胆さ。うむ、軍配は川畑屋殿に上がるか」

「だから勝負すんなって!」


 店の中は笑いが絶えない。


 そこへ、飄々とご隠居夫婦が現れる。歩みはあわてずゆったりと、それでいてどこぞの大店の主もかくやという風格を纏っている。


「儂らの“うなぎ会”の日じゃ。川畑屋は、締めにちょうどええ」

「わたくし、ここのタレを頂くたび、昔の主人を思い出しますの。濃くて奥行きがあって、その中に少し癖があって。若いころはついていけませんでしたけれど──年を重ねると、これが沁みまして」


 権六は黙ってうなぎを焼きながら、ほんの少し胸を張った。

 こういう粋人に旨いと言われるのは、職人として何よりの誉れだった。


◆◆◆


 昼時の賑わいのなか、事件は起きた。


「おはつちゃん! 大変でえ!」


 泡を食った九兵衛が軒先に駆け込み、肩で息をしている。


「どうしたの?」

「手前の仕掛けた“川畑屋『うなぎでええじゃないか祭り』”の引き札──町の寺の高札に貼られて、巡礼者たちが“本日限定・御利益うな重無料”と勘違いして続々集まってきてますんで!」

「はぁ!? そんな文句、書いた覚えないよ!」

「どうやら、墨が滲んだらしく……『濃厚甘味増量』が『御利益無料』に見えちまったようで。あわてて引っぺがしてきましたが」

「紛らわしい字使うからだよ!」


 外を見ると、明らかに店には入りきれぬ参拝客が五十人ほど列を成して、「ご利益うなぎ~」「ご浄心うなぎ、ありがたや~」と拝んでいる。


 権六のこめかみに青筋が浮いた。


「……九兵衛。てめぇまた下手を打ちやがったな?」

「い、いやぁ……手前もここまでの騒ぎになるとは……」

「責任とって腹掻っ捌け! いや、その前に働け!」

「ひぃ! はいぃ……」


 萎れる九兵衛を踏んづけながら、おはつも頭を抱える。


「おとっつあん、どうするの!? 五十人にロハなんて……店が潰れっちまうよ!」

「潰れねえ。潰れはしねえが、ロハでも食わせるのは“うちの味”だけだ。流行だか御利益だか知らねぇが、ふっくらなんてぜってぇ焼かねぇ」


 権六の眼差しには、ギラリと覚悟がにじんでいた。


◆◆◆


 店の外に急造の座敷を作り、権六は黙々と焼いた。

 メシにお重にと、九兵衛が泣きながら走り回る。

 煙がもうもうと上がり、町はうなぎの香りで覆われる。

 客たちは最初こそざわついていたものの、焼き台からただよう醤油とみりんの甘辛い匂いにうっとりと夢見心地。


 皮が爆ぜる。脂が落ちて炎が立つ。

 親の仇もかくやとうなぎを捌く権六。

 あまりの迫力に、寺ぐるい女子は手を合わせる。

 浜吉が寺ぐるいを叩いて止めるが、権六の集中は崩れない。


「おうりゃぁ!」


 権六はうなぎを返し、家伝のタレ壺にじっくりと浸す。

 てらりと旨味の浮いた濃いたまりが、炭火の赤を照り返す。


「煙がもうもうと……これは討ち入りの合図!」

「いえ、これは──仏の荒御魂!」

「お前ら、邪魔するならもう帰れよ……」


 客たちの騒ぎに常連たちの好き勝手。それでも権六は一心不乱に焼き続けた。

 その姿は六本の腕を持つ、阿修羅像を彷彿とさせた。

 

 焼く、返す、漬ける、再びの焼き。

 神速にして巧緻極まる職人の技が今、一人の男を神域へと押し上げた。

 みるみる大皿に盛られていく蒲焼。


 そして──五十人前の蒲焼が、すべて焼き上がった。


◆◆◆


 最後の一人が箸を置いた。

 茶をすする音が戦の終わりを告げる。

 食べた参拝客たちは、誰ひとり文句を言わなかった。

 むしろ、重箱を拝みながら涙ぐむ者までいた。

 その横では九兵衛が精も根も尽き果てて突っ伏している。


「──おら、こんなにうめえもん食ったの、初めてだぁ」

「御利益どころか、胃袋に神仏が降りてきたじゃあ」


 浜吉が呆れ顔で呟く。


「うちの親父さんの焼きはな、一途に培った職人の魂よ。ただ“旨い”と客に言わせるため。旨さで泣くなら親父さんに感謝しながら泣きやがれ」


 権六はぷいと横を向いた。


「──店先で泣くんじゃねえよ、湿っぽい」


 すると、ご隠居夫婦がそっと声をかけてくる。


「儂も若いころ、あんたの親父さんの味を初めて食べたとき、驚いたもんじゃ。あれから何十年も経って、孫まで連れて来られるようになった。またあの味に会える──それだけで充分、御利益みたいなもんじゃろ」

「わたくしも、この味がいささか苦手だった若い頃の自分に言ってやりたいわ。“歳を重ねると、好きになる味もあるのよ”ってねぇ」


 権六は照れくさそうに、炭をつついた。


「……まぁ、勝手に思ってくれりゃいいさ」


 その横で、おはつが小さく笑う。


「おとっつあん、なんだかんだで嬉しそうじゃない」

「うるせぇや」


 九兵衛はへたり込みながら、それでもよいしょを忘れない。


「手前、死ぬかと思いましたんで──でも、川畑屋の評判、町中どころかお江戸にまで広まりますぜ。きっと明日からもっと忙しくなります!」

「そらぁ、地獄だ……」


 権六は頭を抱えながらも、明日の仕入れに思いを馳せる。

 その頃、店の隅ではうな太郎が静かに筆を走らせていた。

 大福帳には、こう書かれている。


──『下総にうなぎの名店あり。煙に仏を見る。味は甘口。店主は辛口』


 うな太郎はゆっくりと、誰にも気づかれぬよう店をでる。

 外には夕刻の柔らかな光と、川に揺れる町の影があった。


◆◆◆


 片付けが済んだあと、店先で権六はぼそりと言う。


「……ふっくらがどうとか、御利益がどうとか、くだらねぇことばっかりだったがよ。満面の笑顔で旨いって言ってくれる客がいるだけで、長く続けてきた甲斐はあるってもんだ」


 おはつは、ぽんと父の背中を叩いた。


「それを宣伝って言うの。明日からもっと忙しくなるわよ」

「やめろぃ……膝が持たねぇ」


 権六のぼやきに重なるおはつの笑い声。


 川畑屋の煙は、今日も町の空にすいっと粋に立ち昇る。

 その匂いは、ただの商売なんかじゃない。

 誰かの思い出になり、また誰かの旅の一部になり、町の人情とともに、ゆっくりと流れていくものだった。

 

 


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あとがき


作者はうな重が好きです。

うな重が大好きです。

関西風の直火焼きうなぎなど、もうたまらない。

たまり醤油とみりんをたっぷり使った甘口タレの蒲焼にはふるさと納税が唸る。


それに山椒と人情をかけたら、こんな噺になりました。


※時代劇なのでこれはフィクションです※


実在の江戸時代から続く、むっちりうなぎと濃いめの甘口タレが大変美味しいうなぎ屋さんとは一切関係ありません。

下総国には本当にたくさんの名店があります。


今回は落語風です。

あかね噺の『吝い屋』があまりにもおもしろかったもので……

このまま評価もうなぎ登りと行きたいところでお時間です。


おあとがよろしいようで。

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